四季の歌 (Shiki-no-Uta) 作詞・作曲 荒木とよひさ© 英訳・山岸勝榮© The Song of the Seasons Japanese Lyrics & Music: ARAKI, Toyohisa© English Translation: YAMAGISHI, Katsuei© |
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「四季の歌」の英訳掲載にあたっては、荒木とよひさ様、フジパシフィック音楽出版様よりご許可をいただきました。 |
芹洋子歌唱「四季の歌」はこちらで聴けます(右クリックをして「新しいウィンドウで開く」)。 宗次郎の美しいオカリナ演奏はこちらです。 |
◆拙訳無断利用に関してはこちらの記事を参照。 |
春を愛する人は 心清き人 すみれの花のような 僕の友だち 夏を愛する人は 心強き人 岩をくだく波のような 僕の父親 秋を愛する人は 心深き人 愛を語るハイネのような 僕の恋人 冬を愛する人は 心広き人 根雪をとかす大地のような 僕の母親 ラ、ラ、ラ、ラ… |
If spring is your favorite time of year You surely have a pure heart Pure as a violet, smelling so sweetly And you're a precious friend of mine If summer is your favorite time of year You surely have a strong heart Strong as an ocean-breaker, dashing so forcefully And you're just like my dear dad If autumn is your favorite time of year You surely have a deep heart Deep as a poet like Heine, singing so passionately And you're a love poet of mine If winter is your favorite time of year You surely have a big heart Big as Mother Earth, thawing the snow so gently And you're just like my dear mom La, la, la, la,… |
無断引用・使用厳禁 | Copyright © YAMAGISHI, Katsuei |
以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。 興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。 |
ゼミ生の皆さん 山岸教授よりご指導をいただきまして、今回から山岸教授の御訳を一つ一つ分析していきます。当初は、複数の作品から共通事項を見つけることを念頭に置いていましたが、原点に戻るといいますか、まずは、教授の御訳を個別に丁寧に観察することが先決と判断しました。皆さんからの意見や感想も遠慮なく寄せてもらえればと思います。 今回の分析対象は「四季の歌」です。 《発想法》 「四季の歌」の各連1〜2行目は以下の様な“型”になっています。 「名詞(季節)」を愛する人は心「形容詞」人 これを山岸教授は If 季節 is your favorite time of year / You surely have a 形容詞 heart という“型”でお訳しになっています。原詞と英語の構造が異なっていることは一目瞭然でしょう。この違いは日英の発想が異なることに起因しています。 日本語では「・・・は〜(という)人」という言い方をします。この“構文”を日本人英語学習者は英語にそのまま応用しがちです。夏季休暇時に山岸教授より頂いた英訳課題の一文に「成功した演歌歌手の多くは苦労人である。」という日本語がありました。上記の“構文”に類似した日本語です。この日本語に対しゼミ生3名が以下の様に英訳しています。 Many famous Enka singers were people who have gone through a lot in their lives most of the successful Enka singers who have been through a lot of hardship. Most of the successful Enka singers who have seen much of life しかし、英語ではこのような言い方はしません(そもそも上記の日本語に対する英訳としてはいずれの英訳も根本から間違っています)。 この点について、『ウィズダム和英辞典』(第2版)では、以下の様な記述で英語学習者に注意を喚起しています。 people 過剰使用レベル★★★★ 日本人学習者は漠然と人をさす people を極端に過剰使用しがちで, とくに people who … などの形が多い. 関係代名詞句はまわりくどく冗長な印象を与える可能性があるので, たとえば people who smoke であれば smoker に, people who work であればworker に置き換えるなど, 1語名詞による表現も検討すべきであろう. このほか, 類義の person (★)などにも過剰使用が認められる. この課題において、山岸教授はpeople whoという言い方をお使いになっていません。「四季の歌」においても、前述したように、people whoという“構文”をお使いにならず、If 季節 is your favorite time of year / You surely have a 形容詞 heartという“型”をお使いになっています。このような発想の違いは今後の分析でも出てくるはずです。その折りには逐一分析していきます。 《名文から“真似ぶ”》 各連の3行目は「形容詞 as 名詞」という“型”になっています。日常的な文ではあまり見ない語順ではないでしょうか。ふと気になりインターネットで調べてみたところ、あのAlfred, Lord Tennysonの詩Tears, Idle Tearsにおいて、同様の“型”が用いられていることが分かりました。以下にその詩を記します。 Tears, idle tears, I know not what they mean, Tears from the depth of some divine despair Rise in the heart, and gather to the eyes, In looking on the happy autumn-fields, And thinking of the days that are no more. Fresh as the first beam glittering on a sail, That brings our friends up from the underworld, Sad as the last which reddens over one That sinks with all we love below the verge; So sad, so fresh, the days that are no more. Ah, sad and strange as in dark summer dawns The earliest pipe of half-awaken'd birds To dying ears, when unto dying eyes The casement slowly grows a glimmering square; So sad, so strange, the days that are no more. Dear as remembered kisses after death, And sweet as those by hopeless fancy feign'd On lips that are for others; deep as love, Deep as first love, and wild with all regret; O Death in Life, the days that are no more! 第4連の3行目と4行目にdeep as live、deep as first loveという表現があります。ここからは推測の域を出ませんが、山岸教授はこのような名文から学ばれた(“真似”ばれた)のではないでしょうか。以前、ゼミ授業中にTennysonやWordsworthについて言及なさったことがあります。山岸教授がおっしゃる“真似ぶ”は山岸教授ご自身も実践なさっていたと思われます(繰り返しますが、あくまで私の推測です)。 《行をまたぐつながり》 原詞の第一連を以下に記します。 春を愛する人は 心清き人 すみれの花のような 僕の友だち 1〜2行目で一つの意味を、3〜4行目で別の意味を作っていることが分かるでしょう。一見すると、最初の意味の“かたまり”と次の意味の“かたまり”は、繋がっていないようにも見えます。もちろん、3行目の「すみれの花のような」という直喩は、後置の「僕の友達」に掛かっていますが、それだけではなく、明らかに「心清き人」の形容句でもあります。ここに“つながり”があることを読み取る必要があるのです。よく考えれば、突然別の意味が同じ連に出てくることはそうはありません。何らかの“つながり”があるはずです。その点を山岸教授は感じられ、第1連に関してはdeepという形容詞を2〜3行目で“つながり”を表すためにお使いになったと考えられます。 《考察》 上記3点の分析を踏まえず、字面のみを訳すと、おそらく以下の様な、英語的でもない、詩的でもない、前後のつながりさえない“つまらない”英訳になるのではないでしょうか。 The people who love spring is The one who is pure Like a violet flower My friend このような原詞と乖離した英訳にならないように、山岸教授の御訳を観察し、分析していくことが重要であると考えます。 平成26[2014]年 1月15日 大塚 孝一 |
次の文章は、上の英訳に関して山岸ゼミがゼミ専用掲示板に書いた感想文です。諸君の了解を得て、参考までに転載します。
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