(おぼろ)月夜
   (Oboro-Zukiyo)
 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一
  英訳:山岸勝榮
©

 

   The Night of a Hazy Moon
   Lyrics: TAKANO, Tatsuyuki
    Music: OKANO, Teiichi
       Translation: YAMAGISHI, Katsuei
©

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      こちらで宗次郎の美しいオカリナ演奏が聴けます。
     こちらで森の木児童合唱団の歌唱が聴けます。
    
  こちらでヴァイオリンとピアノの美しい演奏が聴けます。



mp3「朧月夜」
(右クリック「新しいウインドウで開く」)

1.
菜の花畠に 入日薄れ

   
見渡す山の端(は) 霞(かすみ)深し
 
春風そよ吹く 空を見れば
  
夕月かかりて におい淡し

  The setting sun is so hazy over the fields of yellow flowers
   A spring fog rises slowly above the mountain ridge
   As I look up at the sky a fresh breeze blows so softly against me
   The pale light of the evening moon falls from on high


 2.
 里
(さと)わの火影(ほかげ)も 森の色も
 田中の小路(こみち)を たどる人も
 蛙
(かわず)の鳴くねも 鐘の音も
 さながら霞
(かす)める 朧月夜

The village lights and forest hues are weakly shining
 Dim too are the figures of those who return from the fields
The temple bells, the frogs in the paddies, sound small and distant
 I know the reason well: the shifting light of the moon

(無断引用・使用厳禁 Copyrighted ©)


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中島美嘉さんの「朧月夜―祈り」には次の歌詞が追加されている。
歌手・
綾乃緒ひびきさんのCD作成時の依頼で、私はその箇所を次のように訳出した。

   1番の後ろ
   聞いて 聞いて    Listen, Listen,
   瞳閉じたら    Close your eyes.
   風の 星の    Wind song, star song,
   歌が歌が聴こえる     you will hear.


   もう1度、1番に返って、2番まで通し、その後ろ

   遥か 遥か
    Farther, further
   遠い未来に    in the future.
   強く 強く      Stronger, stronger,
   輝き放て
    shining brightly.

   全て 全て
    Everyone, everything
   母なる大地 
    on Mother Earth.
   生きて 生きて    
Live on, live on,
   この胸の中
    in our hearts.

(無断引用・使用厳禁 Copyrighted ©)

金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌(中)大正・昭和篇』(講談社文庫)には次のようにある。

 『尋常小学唱歌』の中で一、二を争う傑作と言われる歌である。題材は朧に匂う田園の春の情調を歌ったもので、
第一節から第二節に移ると、まだほの明るい夕刻から、暮色がすでにあたりを包んだ夜への時間の推移を表している。
子どもにその頃の自然の美しさの鑑賞を教えて遺憾がなかった。歌詞の美しさにそえて、曲もすばらしく、
多くの人が小学校で覚えて生涯忘れがたい曲として懐かしんでいる。(中略)四家文子、宮城音弥、石森延男、
長谷川良夫、関英雄、無着成恭、川本茂雄、森光子、中田喜直、皆川達夫、友竹正則、まどみちお、小島美子の諸氏は
いずれも子どもの時の愛唱歌だったと述べている。(54-5頁)


シリーズ日本の歌:「朧月夜」解説 こちら 



以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。
興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。

山岸勝榮教授

 今回は山岸教授の「朧月夜」の御訳とIrwin氏の同曲の訳を比較しました。比較のファイルは参考程度に作成いたしました。Yahooボックスの「共有」にPDFファイル「訳比較 07 朧月夜」がございます。ダウンロード後、ご覧ください(
下に引用;山岸)。

@【「人」の訳出に見られる違い;第1連】
 原詩の第1連3行目にある「空を見れば」の「見れば」という動作に注目します。原詩「空を見れば」、そして、それに当たる山岸教授のAs I look up at the skyという御訳から、1連1〜2行目に描写されている情景は、「わたし[I]」の眼前に広がっている美しい夕暮れであることが分かります。
 一方のIrwin氏は「空を見れば」を直訳していません。原詩にもっとも近い英訳はおそらく“When the sun / Begins to paint the sky”ではないかと考えます。この英訳を見ますと、主語がthe sunであり、「人」の視点がないことに気がつきます。実は、Irwin氏の第1連の英訳には、どこにも「わたし」を表すIが出てきません。その代わりでしょうか、該当部分の英訳はいわゆる「擬人法」になっています。また、その英訳に続くGentle breezes sing a lullabyにも同種の修辞技法が用いられています。
 このように、1連で歌われている情景は、山岸教授の御訳とIrwin氏のとでは、顕著な違いが見られます。それでは、なぜIrwin氏が「わたし[I]」を訳出しなかったのでしょうか。もちろん、真相は氏に直接訊かなければ分かりません。こちらのサイト(http://www.edu.dhc.co.jp/fun_study/kotonoha/kotonoha_vol._24_the_misty_moon_of_spring/)によると、Irwin氏は、この詩の英訳がロマンチックな響きになるよう、訳出を心がけたようです。Irwin氏が言う第1連に表現した「ロマンチック」は、いわゆる「恋」や「愛」などの「ロマンチック」ではなく、「風景の甘美なさま」を意味する「ロマンチック」でしょう。「人」をあえて訳出しなかった一つの理由として、「人」が出てくることにより甘美さが失われる、自身の英訳が野暮ったいものなると考えたのかもしれません。

A【「人」の訳出に見られる違い;第2連】
 第2連には「人」が違う観点で表現されています。原詩2行目の「たどる人」ですが、これは原詩中の「わたし」の視点ではなく、「わたし」が見た光景の一部と捉える必要があります。
 山岸教授はこの原詩に対して、忠実に英訳をお作りになっています。具体的には「those」という代名詞をお使いになることで、「誰か分からないが、人がいる」という限りなく原詩の「無色」のニュアンスが保たれています。
 一方のIrwin氏は、The farmers walking there というように、日本語に訳すとかなり「直接的」な単語を選んでいます。もし、原詩に「農場経営者」という語が入ると、詩の持つ美しさが一気に崩れてしまうでしょう。それを敢えて、Irwin氏はfarmersと訳していることは非常に興味深いことです。
 続いて、山岸教授は、最終行にI know the reason wellと、再び「わたし[I]」を登場させ、起承転結の「結」とも言うべき最終行を結んでいらっしゃいます。原詩にはない「わたし」ですが、原詩のまま「正直に」英訳してしまうと、英語圏の人々には何が言いたいのか分からない歌ということになるのではないでしょうか。その証拠として、Irwin氏は上掲のサイトにて、「2番の歌詞も1番のロマンチックなイメージを引き継ぎました。日本語の歌詞は『〜も、〜も』と、おぼろ月夜の情景を羅列しているだけで外国の人には抽象的でわかりにくいと思ったので、英詞ではよりクリアーな文章に置き換えました。」と述べています。
 山岸教授の御訳と同様に、第2連におけるIrwin氏の英訳には、原詩には無い「わたし[I]」が登場します。それは、“How I long to meet you there tonight”という箇所です。この英訳から、多くの読み手[聞き手]が「恋」を連想するでしょう。しかし、原詩にはこのような表現、あるいは、このようなニュアンスを伝える詩はありません。すくなくとも、日本人がこの「朧月夜」の歌詞を見たり、聴いたりしても、「恋」は連想せず、朧月夜が出ている夜の美しさを思い浮かべるはずです。
 実は、Irwin氏の「創作」の中に、同類の訳出があります。それは、以前わたくしが分析を試みました「花」です。Irwin氏の「花」の英訳には、Lovers on the lawnや Rustling in the shadows there / Of love’s afterglowという表現があり、それは間違いなく「恋」を描写しているものです。しかし、「花」の原詩には、このような光景は歌われていません。では、なぜIrwin氏はこのような「恋」という意味の「ロマンチック」な描写を英訳に盛り込むのでしょうか。
 「朧月夜」と「花」の原詩に共通することは、「自然の美しさの描写」であるとわたくしは考えます。「朧月夜」におきましては、第1連で、日の入り間際の夕刻の美しき情景、第2連では、朧月の光が醸し出す風情とその情景を歌っています。「花」は、春の土手に美しく咲く桜を歌っています。このように、「自然の美しさを歌う」ということを日本人は唱歌、古くは和歌などで実践をしてきたわけです。日本人は「自然に溶け込む」という考えを持った民族です。自然を生活、時に人生の一部と見なしてきた文化が、そうさせるのではないかと考えます。
 一方の英語圏の人々、特にキリスト教徒は、山岸教授が御著書などでお書きになっているように、「自然を愛でる」というよりは、「自然を征服する」という考えの方が強いはずです。このような背景があるが故に、「ただ」、自然の美しさを歌う歌に対して、違和感を覚える可能性もあるかと思います。第1連には「人」こそ出ていませんがdreamやmagicなど、自然とは関係ない単語を使い、自然+アルファという形で訳出していると考えることもできます。以上はわたくしが立てた仮説に過ぎません。今後検証し、考察を重ねていく必要があります。

【小考察】

 対照言語学が担う使命は、異なる言語における違いを記述し、その背景にある文化的発想とその違いを明らかにすることだとわたくしは考えております。今回の訳比較におきましても、@Aと非常に興味深い違いが見て取れます。さらに考察を加え、仮説を立証する必要があります。

【追記】

 上述の考察を書き、朧月夜についてさらに調べていたときに、こちらのサイト(http://olex.sakura.ne.jp/blog/2011/04/22/412/)にある「朧月夜」の英訳を見つけました。山岸教授やIrwin氏には見られない、口にするのも憚られるような単語で「菜の花」を表している箇所は、原詩に忠実であり過ぎるが故、個人的には好きになれません。さらに、「興味深い」ことは、この英訳をした方は女性であるということです。

 平成25[2013]年8月8日
             大塚 孝一

「朧月夜」 pdf


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