XXI 『欠陥英和辞典の研究』、『英語辞書大論争!』の
著者に思う
私はかつて、副島隆彦氏の二著作、すなわち『欠陥英和辞典の研究』、『英語辞書大論争!』を対象とした論考数点を発表しました(本来なら、副島氏が問題とした『新英和中辞典』と『ライトハウス英和辞典』の編者諸氏が出て来られて、副島氏に対して、私が行ったような反論なり論駁なりを示されるべきであったと思います)。本欄に転載した諸論考(@、A、B、C)がそれらです。転載時、すなわち本HP開設時の平成13年[2001年]3月に、氏を念頭に置いて、氏に論争の意思がおありなら私まで連絡を乞うという趣旨の注記をそれらの末尾に添えておきました。
数ヶ月前、副島氏系掲示板の1つで私のことや私の論考に関して、ご本人ではなく、その周辺の方達が、牽強付会(けんきょうふかい)の説を交えて、熱心に取り沙汰しているという噂を聞きました(何しろどこのどなたかも不明な上、恣意的、一方的論理展開が為されているようでしたので、同掲示板を訪問してみようかという好奇心さえ湧きませんでした)。そして過日、卒業生の一人から、「副島隆彦の憎しみ掲示板」(後日記:リンクしておいた同掲示板は、いつの間にか削除されています!)と題する別の掲示板で、私に関して、副島氏自身が書き込みをしているということも知らされました。正直なところ、私には全く興味はありませんでしたが、その卒業生が笑いと共に余りにも熱心に勧めてくれるものですから、そうまで言うならということで、そこを訪れてみましたが、案の定、憫笑(びんしょう)にのみ終わってしまいました。次のような取扱いがなされていたからです。関係箇所のみコピー & ペイストします(当然、誤植もそのままになっています)。
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これが何かと話題に上る副島隆彦という人の私の論考への十数年後の反応もしくは回答です。この短い文章の中に、世を騒がせた『欠陥英和辞典の研究』、『英語辞書大論争!』という2書の著者、そして前者の中で「何なら私が1年で1冊の現代英和辞典を作ってもよい」(105頁)と軽々に豪語[放言?]した人物の人間性や学問に対する姿勢の全てが込められているような気がしました。「1年で1冊の現代英和辞典」を作ることなど絶対に不可能です。もし氏がそれを本気でおっしゃっているのであれば、是非ともやってみせていただきたい。さぞや“名著”(迷著?)が誕生することでしょう。この御仁は《身の程》というものをまるでご存じないようです。憫笑、憫笑、また憫笑です。
「私、副島隆彦の本を批判する事で、ご飯を食べいてる山岸勝栄(やまぎしかつえい)という人のサイトです。」 恥ずかしげもなく書かれたこの1文は三歳の童子にも理解できる、明らかな虚偽であり、十分に名誉毀損になり得るものです。思うのですが、この種の文言を“実名入り”でインターネットに載せる氏に対して、“同病”相哀れむという人を除いて、尊敬と憧憬を覚える人などいるのでしょうか。どう考えても、氏の今後にとって不都合な一文だと感じるのですが。しかし、もうこれを抹消することは出来ません(「副島隆彦の憎しみ掲示板」はその後削除されましたが、私による上記のコピー&ペーストは残っています)。ここでも憫笑、憫笑、また憫笑です。
それに続く、「はじめて覗いて、随分と、商売になっているようだと、驚きました。馬鹿な人だけど、こういうのが、典型的な日本人の一種なのでしょう。 」という1文に至っては、“噴飯物”“抱腹絶倒物”ですが、これはおそらく“冗談”のおつもりでしょう。そうでないのであれば、相当に不安定な精神状態の時(つまり“病人”)か、夢遊の状態で書かれたものでしょう。いずれにせよ、またまた憫笑、憫笑、そして憫笑です。
私はかつて氏と“英和辞典”を対象として真剣な話し合いをしたいと願ったこともあります。氏を“恥を知り名を惜しむ人物”だろうと思ったからです(氏は、「もののふは名をこそ惜しめ」という古い言葉の意味をご存じだろうか)。そして十数年の時が経過しました。現在、氏は、氏自身の言葉を借りれば、「政治思想、法制度論、経済分析、社会時事評論などの分野で評論家として活動」しているとのことです。その道の“評論家”としての氏の力量は分野が異なるので軽々には断じられませんが、こと英語に関する限り、氏の力量は世人のよく知るところとなっていると思います【同氏に関して興味深い論評に出会いました。下段追記5参照】。その点は、前出の卒業生が教えてくれたAmazon.co.jpでの副島隆彦著『英文法の謎を解く』の書評の実態からも窺い知ることができます(こちら参照)。また、インターネット上には、氏の翻訳力に言及したものも何点かあるようです。
ある人が、某所で、「このような人物は、自分に都合の悪いことは悪党の陰謀であると捉え、専門家に対してはすさまじい憎悪を持ち、自分の正しさを証明する客観的証拠を示さず、他人には人格攻撃を仕掛け、自分が正しいことは自明なのだから証拠の必要はないと確信し、他人から批判を受けると自分をガリレオなどの人物になぞらえるという傾向もよく見られる」という趣旨のことを書いていたということも別の大学院生からメールを通じて教えられました。荊棘(けいきょく)の道を選ぶのもまた人生でしょう。しかし、これだけは言っておきたいと思います。「井戸の水を飲む時(=辞書を使う時)は、その井戸を掘った人たち(=辞書を作った人たち)の労を思え」と。人間の作ったものに完璧などということはないでしょう(そのことを最もよく示すのが、副島氏ご自身の上記二著作だとは、何という残酷な皮肉でしょう)。しかし、より良きものに仕上げることは可能です。そうすることこそが後輩たる私たちの、先人への人間的礼儀ではないでしょうか。それを、自分の不遇感、不充足感、ルサンチマンの発露に、先人の知と汗と努力の結晶を罵倒し、自己弁護に終始するのは、人間性の欠如だと非難されても仕方ないでしょう。そのような行為はまた、天に唾することにほかならないと思います。
私は、氏の英語に関する言説を主に問題とし、前記諸論考で、上記2書の中身の学問的検証を行ないました。従って、それに対する学問的な論駁や反証のための書き込みなら大いに有益だと思いましたし、私もそれらを冷静に受け止める用意がありました。しかし、今はもう何を言っても無駄という思いを強くしています。氏にかかれば、白は黒になり、黒は白になるようですから。自著には『欠陥英和辞典の“研究”』だの『英語辞書“大論争”!』だのと立派な題名を掲げ、その中では「この本(『欠陥英和辞典の研究』)のどこが『揚げ足取り』で、なぜ『言いがかり』なのかを、明確に論証しなければならない」(170頁)などと大見得を切っておきながら、いざそれに学問的・建設的反論を寄せようとする人(たち)が出て来ると、今度はその人(たち)に猛然と敵意を示すというような氏の姿勢に、陋劣(ろうれつ)さ、頑陋(がんろう)さを感じるのは決して私一人ではないでしょう。
いずれにせよ、私は今後ともあくまでも学問的、建設的、共栄的態度を堅持しようと思います。真実はどこまで行っても真実なのですから。それに、英和辞典、和英辞典の不備や改善点など、私は氏の何百倍、何千倍も多く見聞きし、実体験して来ているのです。したがって、こと英語辞書(英和、和英、英英)に関する限り、私が氏の理不尽な威喝(いかつ)に屈するようなことはあり得ません。
最後に、氏の上記2書に、その後も少なからぬ誤謬・誤解が発見されていることを付言しておきます(これについては、いつでも証明できる用意があります)。牽強付会の説なき、“本物”の英語辞書論争なら、いつでも大歓迎ですが、それはもう望めないでしょうから、今後は、受忍限度を超える触法行為が私の耳目に入って来た場合を除き、副島氏が運営する掲示板およびその傍系掲示板への接近を厳しく自制します。したがって、副島系掲示板で山岸(論文)批判を読まれる方は、それがあくまでも一方的、自己弁護的、非共栄的、非建設的なものであることを承知の上でお読み下さい【私に関する実名・筆名・匿名による誹謗中傷も同様です】。立場が変われば見方も変わるものです。
「1つだけの例外」を書いておきます。上記した通り、今後、副島系掲示板に接近することは決してありませんが、インターネット上の一般的掲示板(匿名掲示板を含む)で、副島氏に連なると思しき人々(その“シンパ”と思しき人々を含む)が、副島氏擁護(と思しきこと)のために、言語的・社会的事実に反する事柄を書いて私および私が関係した辞書を誹謗中傷するような場合、それが私の学問的信念・良心に関わるものであれば、私はそれに正面から論駁を加えるつもりです。(2003/7/8)
追記1:上掲文を書いて間もなく、大学院生の一人から、同じ副島隆彦氏が主宰する掲示板「日本英語の謎を解く」(http://soejima.to/boards/pt.cgi?room=tomaya)に次のような書き込みがあることをメールで知らされました(関係部分を引用させていただきました)。どなたか分かりませんが、勇気付けられる書き込みです。良識を感じました。
ご意見ありがとうございます 投稿者:勝眞 投稿日:2003/06/26(Thu) 11:35:08 No.1012 |
規範って何? 投稿者:勝眞
投稿日:2003/06/27(Fri) 21:42:40 No.1015 悲しい、という言い方はやはり私の気分をきれいに表していないかもしれません。ばかばかしい、に訂正します。 |
この文章の中の「山岸さんの文章は論理的におかしいと言うけれども、だったらその論理をついて反論すればいいだけであって『馬鹿な人だ』とか『私を批判することでご飯を食べている』とか、そんな大人気ないことを言う必要はないでしょう」という箇所と「言論を商売にしている人が考えるとは思えない汚い名前の掲示板の中で、いい年したおやじが自慰にふけるような書き込みを、『言論の自由』などという高級な言い訳で説明しないで欲しい」という箇所に特に共感を覚えます。私は私が書いたことが全て正しいとは一度も言っていません。辞書を数点編纂した人間として、「誤りがあれば正す」、ただそれだけを大事にして来ました。私の信念は「真実に謙虚たれ」です。ですから、私に間違いがあれば、そしてそれに気づき納得できれば、いつでも訂正します。「人格攻撃は“臆病者”が最後の拠り所とする戦術だ」と言った人がいます。自戒に努め、驕慢(きょうまん)に陥らないように注意したいと思います。「政治思想、法制度論、経済分析、社会時事評論などの分野で評論家として活動」する者も、辞書を作る立場の者も、その仕事の真の目的は社会の繁栄と人々の幸福に繋がるものでなくてはならないはずです。そうであるなら、「真実に謙虚」であることは、そういう人々の基本的な遵守事項でしょう。(2003年[平成15年]7月8日夜記)
追記2: 本文中に、「これが何かと話題に上る副島隆彦という人の私の論考への十数年後の反応もしくは回答です」と書きましたが、“今頃になってなぜ私を貶(おとし)めようとするのか”という疑念を払拭(ふっしょく)できませんでした。同氏が『欠陥英和辞典の研究』、『英語辞書大論争!』の二書を(自費?)復刊したらしいということを昨夜、ある筋から知らされ、全てに合点がいったような気がします。“無謬神話”を作り上げたい人間やその“信奉者達”にとっては、当人の多数の誤謬を知る別の人間の存在は“目障り”この上ないでしょうから。(2003年[平成15年]7月10日記)
追記3: Green and White (翻訳ソフトのページ;03.7.10) のoto3さんからも以下のような有り難い忠告を受けました。oto3さんに感謝します。(2003年[平成15年]7月10日記)
◆ 「山岸勝榮英語辞書・教育研究室」 03. 7. 8更新 ・英語辞書論考 XXI 『欠陥英和辞典の研究』、『英語辞書大論争!』の著者に思う ・・・ oto3も副島隆彦氏の『欠陥英和辞典の研究』を昔読みましたが、研究とはとても言えない作品です。社会常識のない罵倒宗教家(?)の副島氏を、山岸教授が相手にする必要はないと思いますね (^o^) |
追記4:「翻訳通信」というところに書かれたある優れた文章を見つけましたので、感謝しつつリンクさせていただきました。そこには、『ジーニアス和英辞典』に関する論考と共に、(明記こそされていませんが)明らかに副島隆彦氏ほか著の『欠陥英和辞典の研究』への言及だと思われる箇所が出てきます。辞書批評をする者はかくありたいという敬服すべき批評姿勢が読み取れます。(2004年[平成16年]2月16日記)
追記5: 勢古浩爾著『思想なんかいらない生活』(ちくま新書、2004年6月10日第1刷発行)を読んでいたところ、「一人盛り上がりの似非インテリ―副島隆彦」と題された副島隆彦論に出くわしました(179−187頁)。「ちょっと稀有な男、である。《嘲笑》するもなにもない。《嘲笑》にも値しないのだ。副島のひとりよがりの奇人ぶりはその文章にも顕著である。」(180頁)、「知識人批判は怨念めいている。しかしどうやら大真面目でもある。が、その大真面目なところが歪んでいる。そして、歪んでいることに本人は毛ほども気づいていない。被害妄想と誇大妄想の癖が強いようである。現在、副島は常葉学園大学助教授で法律学を教えているようだが、大丈夫なのだろうか。学生たちよ無事か。」(181頁)、「副島隆彦は自分で思っているほどのタマではない。その本質において三流の知識人である。」(186頁)など、舌鋒鋭い副島氏評がなされています。
追記6: 次の記事も参照。