XY 正しい「英和辞書」
二つの英和辞典・提訴問題
本稿は「正論」誌(産経新聞社;平成2年 [1990年] 5月号)に掲載され、小著 『続・現代英米語の諸相』 (こびあん書房)に再録されたものです。28年以上も前に書かれたもので、当時の義憤を文字化した箇所もありますが、多少の加除修正を施したい点はあるものの、大きな変化の必要性を認めません。 |
『アンカー英和辞典』(編集主幹・柴田徹士)の発売元である学習研究社が、著作権を侵害したとして、『サンライズ英和辞典』(編者・小川芳男)の発売元旺文社と同辞典編者を相手取り、その発行・販売の差し止め、総額4千万円の損害倍賞、謝罪広告を求める訴訟を東京地裁に起こしたのは、昭和63年1月28のことであった。学習英和辞典で、著作権を根拠に販売の差し止めを求める訴えを起こしたのは、我が国の英語辞典編纂史上初のことある。
一方、平成元年12月8日、『新英和中辞典』(編者・小稲義男ほか三名)および『ライトハウス英和辞典』(編者・竹林滋、小島義郎)の発行元である研究社は、同社の前記二辞典を「欠陥だらけのダメ辞書」と決めつけた副島隆彦氏ほか著『欠陥英和辞典の研究』(「別冊宝島」102号)を販売禁止にするよう東京地裁に仮申請し、平成2年1月12日には、同書の著者とその発売元であるJICC出版局を相手取り、謝罪広告の掲載と損害賠償を求める訴えを正式に起こした。研究社が、仮処分申請から、本訴に切り替えたのは、『欠陥英和辞典の研究』がほとんど売り切れたことなどによるものらしい。
いったい、これら2つの英和辞典提訴問題とは何だったのだろうか。以下に、それぞれの問題の経緯をたどりながら、私見を加えてみようと思う(ただし、後者の問題については、「現代代英語教育」誌、平成2年2、3月号において、詳しく分析したばかりなので、本書では、前者の問題に比重を置きながら筆を進める)。
1章の1 アンカー・サンライズ問題の経緯
最初の「アンカー・サンライズ問題」の場合、辞書に著作権侵害があるか否かということが一大争点になっているのであるが、提訴までの経緯は、おおよそ次のようなものである(「国会タイムス」昭和63年2月15日号の記事をはじめ、公表された資料を要約)。
昭和62年2月上旬、旺文社の営業担当者が、『サンライズ』には『アンカー』と『ライトハウス英和辞典』(研究社)の良いところをみな採り入れているので、ぜひ採用してほしいといって、高校を訪問している情報が、学研営業部員から学研編集部員にもたらされた。その時点では、学研編集部のだれもが、悪質なセールストークと思っただけで、まさか『アンカー』の内容が流用されているとは考えてもみなかった(同様の情報は、研究社と三省堂の編集部にも営業からもたらされた―「週刊朝日」昭和63年2月29日号)。
その後、学研編集部員が『サンライズ』を日常の編集業務でできるだけ使用して、『アンカー』との類似点をチェックしてみることを申し合わせた。昭和62年7月本格的な対比作業によって、流用は全巻にわたり、『アンカー』の特色が根こそぎ使われていることが判明。流用の事実がはっきりしたので、柴田徹士主幹(大阪大学名誉教授、現・大阪学院大学教授)に報告。柴田主幹は、ことは慎重を要するので、さらに徹底的に調査するようにと指示。
昭和62年8月24日、流用箇所の資料がそろったので、学研から旺文社に抗議しようとするが、柴田主幹がそれをとめ、学者同士で解決をはかろうと、小川芳男氏(東京外国語大学元学長、当時神田外国語大学学長)に事態の重大化を警告する個人的書簡を送る。小川氏からは「自分は名義だけである。指摘に関しては、早速、係の者を呼んで調査させる」という内容の返事があった。
昭和62年8月下句、『サンライズ』の執筆者の一人が学研を訪れ、他の話のついでに次のようなことを洩らした。「旺文社の編集者から『アンカー』と『ライトハウス』を大いに参照して原稿を書くように、ただし例文を取ってはいけない、と言われた。自分としては意にそぐわなかったが、編集者が強く言うので、やむをえず従った。」
昭和62年10月16日、小川氏から何の連絡もないため、学研から旺文社に「問題箇所一覧」を送って見解を求める。同「一覧」を『サンライズ』編者小川氏と6名の編集委員にも送る。小川氏からは、旺文社にまかせてある、という内容の葉書が届く。
昭和62年10月28、旺文社から、「問題箇所一覧」で指摘した385の流用箇所のうち、わずか40箇所に答えたのみの、きわめておざなりの回答があった。
昭和62年11月6日、旺文社からの回答に誠意が認められないため、編集上の責任者である小川氏に、柴田主幹から再度手紙を出し、『サンライズ』の編集委員にも、その手紙のコピーを送った。
昭和62年11月16日、小川氏から、「流用・盗用はしていない」という内容の返事が届く。これまで責任回避に終始していた小川氏が、この手紙で初めて、編集責任者は自分である、と明言した。柴田氏は同日付で小川氏に、最悪の事態が近いので、防止手段を取られたし、と要請。それに対して、小川氏からは、「特定の辞書からの流用・盗用はない」という内容の返事があったまま、根本間題についての進展はなく、昭和63年1月28日の提訴となった。
その後、旺文社が大量のチラシを「英語科ご担当先生」に配布したり、業界紙等に、無責任な発言を繰り返し発表したりしたために、学研は昭和63年2月25日に、『サンライズ』の発行と販売の差し止めを求める仮処分の申請を行った。(問題のチラシの前半部は次のような、信じがたいものになっている。「学習研究社が当社の『サンライズ』に対し、事もあろうに著作権侵害などと称して訴えを提起いたしましたのは、右当社英和辞典の好評をねたんで、丁度新学年を控えての採択時期であるこの時に照準を定め、意図的にかかる挙に出たものと堆測されます」)
1章の2 類を見ない露骨な模倣か
以上が、学研側から見た「サンライズ提訴」のおおよその経緯である。「国会タイムス」(昭年63年2月15日)によれば、同紙は、旺文社辞書編集部長・五味貞男氏に対して、昭和62年10月28日に学研に与えた回答書を見せてほしいと願い出たが、「提訴された現在も提供できない」と断られた。
また同紙は、『サンライズ』の編集協力者として明記されている潟鴻Oインターナショナルと褐サ代企画の2社に対して、その「編集協力」の内容をたずねてみたところ、2社とも、「その件については答えられない」と口を閉ざした。
田中好夫・学研語学ソフトウェア開発部長は「国会タイムス」紙に対して、次のような談話を寄せている。
「流用の多さからみて、サンライズはアンカーを底本として、アンカーのシステムを流用して編集したものと思われる。とくに許されないのは、長い年月をかけ、それこそ血のにじむ思いでつくりあげた独創的工夫を根こそぎ流用していることだ。数カ月にわたって交渉をつづけてきたが、誠意ある回答が得られないので、やむをえず提訴した。出版倫理の確立のために、私たちは捨て石になる覚悟だ。」
『アンカー』の柴田主幹は、「『サンライズ』のように露骨な模倣は類を見ない」と断言したが(「現代英語教育」誌は昭和63年6月号)、それでは、具体的には、どのような点が模倣・流用問題となっているのであろうか。少々長いが、「新聞之新聞」昭和63年2月4日号から関係部分を引用させてもらう(明白な誤植数箇所は訂正した)。
まず、学研側(伝[つとう]・取締役販売局長)が挙げている諸点は次のようなものである。
@学習辞典として、注意項目を記したが、その文法、語法の注意や類語解説が同一または一部改変。A特徴的な訳語および解説をそのまま採り入れている。B語義の区分、配列順序、採用範囲をそのまま、あるいは一部改変、更に語義、文法上の補注や解説などを採り入れている。C語義の補注において、そのままあるいは一部改変。D文法補注をそのままあるいは一部改変。E重要成句と太字語義の重要度において※印を示し、太字訳をつけたが、そのままあるいは一部改変。F重要語の太字語義、太字の文型と語義をそのままあるいは一部改変。
以上のことから、学研側は、『サンライズ』が『アンカー』を大部分模倣したと結論する。
これに対して、旺文社側は(新井・編集担当専務)は次のように弁明する。
@学研はあたかも著作権侵害としているが、まったく事実無根。A学習辞典編集にあたって、訳語、配列、用法など客観的事実には著作権はない。同じようなタイプの辞典、類似するのはあたりまえだ。B文法的な解注などは、いろいろな工夫、アイディアを出している。熟語を太字にする、星印、記号を使うことはどの社でもしていることである。偶然の一致である。Cアンカー自身の特色をだいぶまねたとしているようだがその意味が解からない。英和辞典の先べん社は旺文社である。Eお互いの編集主幹、小川芳男氏、柴田徹士氏との話し合いをすすめていたし、昨年【昭和62年】10月に学研側に対しても旺文社としての考えを回答してある。12月26日に小川氏は大阪に出向き柴田氏と話し合い、お互いにいいムードだった。この時点でこの問題は解決したものと解釈していた。Eところが、1月28日になって突然に訴訟され寝耳に水であるし、販売上最も重要なときに一方的になされ新聞報道で大きく扱われた。営業妨害ともとれるやり方である。が、しかし旺文社としてこうなった以上、法律の場で争うしかないと思う。
これが旺文社側の言い分であるが、このうちの、「英和辞典の先べん社は旺文社である」という箇所は、今回の問題とは無関係である。辞書の内容や質の問題と、どちらが辞書の先べんであるかという問題とはその性質をまったく異にする。
1章の3 酷似・同−の例は偶然か
学研側が模倣・流用とする具体例は、「朝日新聞」(昭和63年1月28日)、「週刊朝日」(前掲)、「現代英語教育」(昭和63年6月号、同8月号)等々、さまざまな新聞や雑誌に掲載されているので、ここではそれらは省略し、たまたま私自身の目に触れた、「問題」と思われる、ほかの例を一部列挙してみる(【表1】、【2】。例文その他、問題に直接的な関係がない部分は省略)。
このような、「酷似した」あるいは「同一の」定義、訳語、表記法をピックアップしだしたら、それこそキリがない。これらを比較してみると、柴田氏、「『サンライズ』のように露骨な模倣は類を見ない」という言葉が真実味を帯びて聞こえる(学研側の推定では、模倣箇所は全巻で2万箇所を下らないらしい―「現代英語教育」前掲6月号)。これらは、常識的に言って、「偶然の一致」ではないように思われる。それに『アンカー』にしか見られない数箇所の「誤謬」が、他辞典では『サンライズ』にだけ発見されるというのも、おかしな話である。
1章の4 英和辞典はしょせん模倣か
旺文社側は、今回の問題に対しては、前記したように、「学習辞典編集にあたって、訳語、配列、用法など、客観的事実には著作権はない」という考え方を採っているようであるが、これはおかしい。
もし、このような考え方が受け入れられるならば、英語国で発行された英語辞典の記述内容をそのまま日本語に置き換えて英和辞典を作っても許されるということになる。その結果、そっくりの英和辞典が続々と刊行されても、だれも非難を受けることがないということにもなる。
たしかに、旺文社側にくみするような意見もあるにはある。たとえば、「『辞典の模倣』 しょせんは亜流」と題した次のような新聞投書がそうである(筆者欄に「上杉明、教員、50歳」とある)。
「ある英和辞典の出版社が、他の英和辞典を訴えた。模倣が
過ぎるという言い分である。しかし、亜流を責めることができる
のは、真に独創的なものだけである。自分側だって、いくらか
は他の優れたところを採用したことがあるという自覚があった
ら、とても自分と同じ “とが” あるも者を非難できまい。今度の
訴えが正しいとなったら、次には日本の英和辞典すべてが、
外国の英英辞典から賠償を請求されるかもしれない。(以下
略)」(「朝日新聞―『声』欄」昭和63 [1988]年2月5日)
しかし、私には、このような考え方は受け入れがたい。これでは、辞書家の責任放棄ではないか。柴田氏が言われるごとく(「現代英語教育」誌、昭和63年6月号)、「どの辞典にも誇りはあり、少なくとも独白の特色・編集方針は持っている」。たとえ、参考にする英語国発行の諸辞典が共通していたとしても、単語や語義や句義を吟味・選択し、訳語を与え、その配列・語法注・解説・例句・例文等を記載するときに、可能なかぎりの「独創的工夫」をこらすべきことは、編集者の最低限度のモラルであり、その遂行に腐心しえたことこそが、編集者の誇りである。そのモラルを遵守しながら縮集された辞典の「特色」「特徽」に「著作権」が存するのほ当然のことではないか。
英和辞典編集は、他の英語辞典の模倣に熱心であってはならない(この点は、和英辞典にも言える)。「偶然の一致」が相当数、あるいは大量に発見された場合、それらを適切に処理することは、編集(責任)者の義務であり、他の辞典に対する礼儀であり、さらに、辞書家としての当人の腕の見せ所である。
以上のように考え、それを遂行することこそ、「辞書作りにおける公正さ、フェアネスを守る道である」と私は確信している。
小川氏は言う。「特に記述内容がごく基本的な事柄に限定される学習辞典を、経験ある学者がある水準の最大公約数を想定して編集するならば、その内容にある程度共通した部分が結果として出てくる可能性はほとんどさけられないことのように思われる。」(前掲「現代英語教育」誌)
しかし、学研側は、「模倣箇所は(中略)2万箇所はくだるまい」「『サンライズ』のように露骨な模倣は他に類を見ない」「このような大量模倣は盗用ではないか」(以上、前掲「現代英語教育」誌)と明言している。相手が、このような重大公式発言をしているときに、小川氏が、「ある程度共通した部分が結果として出てくる可能性はほとんどさけられないことのように思われる」(同誌)と一般論に固執するのでは、第三者たる私などは、ただただ戸惑うばかりである。
旺文社・新井編集担当専務は前記のごとく「アンカー自身の特色をだいぶまねたとしているようだがその意味が解らない」と言っているが、この説明と、旺文社側が学研側に送った回答中の「『アンカー』の初版はたしかに画期的な辞典でした」「『アンカー』の『特色』を現在の英和辞典のほとんどがとりいれているのが事実です」(「現代英語教育」誌昭和63年6月号)という「率直な告白」とは大きく矛盾する。
旺文社の言うことは、人により時により異なるようであるが、これでは客観性も説得力も持つまい。旺文社は、自分の側に正義があると信じるのであれば、学研を名誉毀損で逆告訴すべきではないか。それが、日本中の『サンライズ』利用者に対する義務ではないか。ちなみに、私自身も同辞典の所有者である。
1章の5 出版倫理確立をめざせ
『アンカー』が「細かい配慮のなされた辞書で、訳語の出し方や文型の示し方に特徴がある」(木原研三・お茶の水女子大名誉教授談―前掲書「週刊朝日」)ことはよく広く知られた事実である。
「筆者の要求に応えてくれた学習辞典は筆者の知っている範囲では『アンカー英和辞典』(学習研究社)ひとつだけ。いささか大げさで恐縮だが、こうした発想を実現した編集人と出版社に心から敬意を表したいと思う」(中村 敬・元鶴見大学助教授、現成城大学教授―「現代英語教育」誌、昭和49年10月号)と、早い時期から同辞典の編纂理念、特色、特徴を高く評価する英語学者もいる。私自身、『アンカー』の初版が出版されたころ、その独自性が他辞典を圧倒していたことをよく知っている。
断っておきたいが、私は何も、『アンカー』の御輿を担ごうとしているのではない。我が国英語数育界で「大方が認めている事実」を述べているにすぎない。
今回の提訴問題こ関して、私がひどく残念に思ったのは、『サンライズ』編集責任者の小川氏が、実際には「名義だけの責任者」であったことである。「粒々辛苦、10年がかりでやっと完成した辞典」の編集責任者と、すベては「旺文社にまかせてある」という名義だけの「編集責任者」では、最初から議論などかみあうわけがない。
我が国には、「有名人」「著名人」を名目だけの「編集責任者」や「監修者」に据える悪しき慣行が現存するが、これは早い機会に廃棄すべきである。この点については、英語教育関係誌に再三再四、私見を述べてきた。
2章の1 『欠陥英和辞典の研究』問題
平成元年10月(奥付は11月24日)、一冊の本が発行された。『欠陥英和辞典の研究』と題する、「別冊宝島102号」を当てた、JICC出版局発行のものである(同書の実物写真はこちら)。著者は代々木ゼミナール講師・副島隆彦氏と外国人Dictionary・Busters 3名の計4名。(実際には、副島氏1人が、その大半を執筆している。)
同書(以下、『欠陥』)で著者は、研究社の『新英和中辞典』(1985年)と『ライトハウス英和辞典』(1974年)は、全英文例文の約20パーセントが使いものにならず、なかでも5パーセント前後は完全に間違いであると、断定しており、この断定がまもなく我が国の英語教育界・辞書出版界などを「不要に」騒がせることになる。
また、内容が内容であり、「攻撃の的」になっているのが、英語辞書の老舗・研究社だけに、当然、多くの新聞・雑誌・テレビ等がこの問題を取り上げた。しかし残念ながら、そのほとんどは、興味本位の皮相的な取り扱い方をしただけのものであった。
『欠陥』を紹介した新聞・雑誌等の見出し、小見出しも人々の興味を引くのに十分なほど刺激的なものであった。たとえば、「『ナデ斬り』ベストセラー英語辞書」「エーッ!研究社『ライトハウス英和辞典』『新英和中辞典』は欠陥だらけってホント!」「一刀両断 偽文造文、全体の20%差しかえ必要」「間違いだらけの英語辞書? あの研究社がヤリ玉に」「『国民的英和辞典』に噛みついた代ゼミ講師」などといったものがそうである。
2章の2 勇気ある人の告発の書か
前記の通り、『欠陥』は平成元年10月に発売された。その後、10日もたたないうちに、初版の6万部は大型書店を中心に売り切れが続出したという。噂では、現在、約10万部が完売されたらしい。
「今まで、誰も言えなかったことを言ったのだから、尊敬に値する」「両辞典の誤りをよくぞ指摘してくれた」「いい本が出たと、仲間内で評判だ」等々、『欠陥』とその著者や発売元にエールを送る人たちも一部にいる。著者白身、「フォーカス」されて、自分の生徒たちに『欠陥』を持たせ、彼等と「ピース」して見せるほどの余裕。
以下、簡単に提訴から現在に至るまでの経過を振り返ってみる。
平成元年11月9日、研究社は、新聞記者に対して、経過説明と質疑応答を行った。
同年12月8日、『欠陥』を対象として、書籍発行販売等の禁止仮処分を東京地裁に申請し、受理される。
平成2年1月12日、仮処分を取り下げ、謝罪広告・損害賠償等を求めて本訴に切り替える。被告側は「別冊宝島」発行人・蓮見清一、同氏編集人・石井慎二、『欠陥』著者・副島隆彦ほか諸氏。同月16日、本訴受理。同年3月7日、第1回裁判、主に書類の交換。
研究社が提訴したことに関しては、たとえば、「辞典の誤りは正す姿勢大切」と題した、次のような投書が、「朝日新聞」の『声』欄に掲載された(11月19日)。
JICC出版が、雑誌「宝島」で研究社の新英和中辞典とライトハウス英和辞典の誤りを指摘した。よくやったと思う。研究社側は告訴するなどと言っているらしいが、なぜ人の意見を聞くことができないのか不思議だ。あれだけの活字を一冊包含しているのだから、いくつかミスがあって当然、大切なのは誤りを正していく姿勢だ。(以下略) |
この投書の趣旨もそうであるが、相当数の投書者たちは、「告訴は大人げない」「言論は言論で解決すべき」「辞書は違っていれば親切に指摘し、指摘されたら素直に直す」と、『欠陥』側につく発言をしている。「研究社は気でも狂ったのではなかろうか。正気なのであれば、民主主義においては、このような出版社は無用である。とっとと消えてもらいたい」とまで書いた人もいた。
それでは、『欠陥』は本当に「勇気ある人の告発の書」なのだろうか。
私は個人的には、まったくそうは思っていない。その理由については、既述のごとく、「現代英語教育」誌で詳しく分析した(「週刊文春」誌、平成元年12月21日号、「時事英語研究」誌、平成2年2月号にも、私の関連発言が掲戟されている)。
『欠陥』にエールを送る人たちに共通していることは、研究社、権威・訴訟行為に、何らかのルサンチマンあるいは感情的反発を感じているのではなかろうかと勘繰りたくなるようなものが、そのほとんどであったという点であり、同書の記述内容の学問性・真実性・建設性・創造性について、ほとんどまったく検証していないという点であった。その点こそが大事なのである。
2章の3 「欠陥」だらけの『欠陥』
「現代英語教育」誌で私が、2回、計6頁にわたって詳述したことを、あえて3点に要約すれば、次のようになる。
@ 英和辞典と和英辞典との勘違い
著者は英和辞典の使命(主に英語読解に資すること)が本当には理解できていない。和英辞典に要求すべきこと(言葉の新旧の問題、表現の適切さの程度問題等)を、研究社の両英和辞典に要求して果たされず、一人で憤慨している。 この勘違いが、著者をして「《欠陥英和辞典》の研究」ならぬ「《欠陥》英和辞典の研究」を書かしめたのである。
A矛盾だらけの著者
著者は一方において、研究社の両辞典は間違いだらけだ、英文例文がメチャクチャだ、何と比較してそうなのか、と言うならば「30冊ほどの英語辞典の例文との比較のうえで」言うのである、と断定していながら、他方においては、英米で使われている国民辞典に、明らかな間違いがあるわけがない(12−3頁)と明言している。
しかし、これは結果的には、著者が陥った、同書最大の「自己矛盾」である。なぜなら、著者が問題とする語句・表現は、そのほとんどが英米発行の英語辞典等にその典拠を有するからであり、著者がそれらを綿密に参照していれば、当然、知り得た事実だからである。「30冊ほどの辞書の例文との比較のうえで」と言う断言は、単なる「鬼面人を脅す」類のものに過ぎない。
著者は、また、一方において、一週間にわたって、各社の英和辞典を精査検討したところ、いろいろなことが明らかになった(172頁)と言っているかと思うと、他方において、今回は、これらの辞書を検証する作業は、残念ながらほとんど行えなかった(176頁)と言っている。
このように、言説に一貰性のない、場当たり的・感情的書物に、真実性、建設性、創造性などとうてい期待できない。
B誤謬だらけの著書
『欠陥』が学問的論議の対象となり得ない最大の理由は、同じ著者による『入試英語ここまで(上・下)』(JICC出版局)の場合と同様、誤謬と誤解と偏見に満ち満ちているからである。ちなみに、『欠陥』白身の「欠陥」は、その表紙から始まっている。その英語タイトルに日く。Checking
up Kenkyusha's Dictionaries。英語では普通こうは言わない。 Checking up on Kenkyusha's Dictionariesと on が必要。表紙は本の顔であり、顔は中身の窓である。
おわりに
結論を言えば、学研が著作権侵害で旺文社を告訴したのも、研究社が名誉毀損等で副島氏らを告訴したのも、私は当然過ぎるほど当然のことであると思っている。あとは裁判官諸氏の公平・冷静な目で下される判決を待つのみである。
最後に、『欠陥』の著者は、不思議にも、自著三冊(『入試英語ここまで(上・下)』『道具としての英語表現編』―いずれもJICC出版局)で、研究社の問題の辞書を賞賛あるいは大いに活用しているということを付記しておく。
ただし、著者は同三著のいたるところで、研究社の辞書から用例等を大量に無断盗用、無断転載しており、研究社はこの点においても、著作権侵害で著者・出版局等を告訴する権利を保有している。
次も参照
[ 英語辞書批評の在り方
XW 英和辞書批判の在り方
―『欠陥英和辞典の研究』の場合
◆『欠陥英和辞典の研究』が発刊されてから13年以上が経過しました。本ホームページに当時の拙稿を転載したことで、同書の著者(諸氏)が再び議論を展開したいという意向を持たれるようであれば、喜んでそれに参加します(場所は本ホームページ上でも、他所でも構いません)。ただし、条件として、「あくまでも、建設的、共栄的に、節度を守って」ということを条件にしたいと思います。本ホームページまでメールを下さい。山岸勝榮【後日記:その後、「XXI『欠陥英和辞典の研究』、『英語辞書大論争!』の著者に思う」を書きましたから、この注記は無効となりました。】