英語の辞書作りと私


           

                                                                           
 
  英語の辞書作りと私の関係は、『小学館ランダムハウス英和大辞典』 (初版;全4巻)の校閲を依頼された1971〜2年ごろに本格的に始まった。P,Q,R,Sの項目(特にR,Sの2項)における記述内容の正確さの確認と、同項の加除修正が主な仕事であった。同辞典の親版であるThe Random House Dictionary of the English Language 以外に、The Oxford English Dictionary, Webster's Third New International Dictionary 等々、当時の信頼できる英英辞典を精読する毎日であった。
  そのおかげで、初稿に潜んでいたミスを少なからず発見した。たとえば、名詞としての plungeの意味の一つに 「《プールなどの》 飛び込み台」 というのがあった。先行の諸英和辞典も、一様に 「《プールなどの》飛び込み場所 [台] 」 という訳語を掲げていた。
  結論的に言えば、この訳語は英英辞典の読み間違いに起因するものであって、正しくは、「飛び込みができたり泳げたりする場所(プールなど)」ということであった。私はこれを同辞典の訳語とした。私は関わらなかったが、第2版では、「《主に米》 飛び込み場、遊泳場;(水中の)深み;一泳ぎ」と、より望ましい訳語になっている。
  この作業を通じて、既存の英和辞典の問題点が次々と浮かび上がり、私は次第に辞書学 (lexicography)の分野に深入りすることになった。個人的には、『えい・べい語考現学―どこがどう違う?』という名の英米語比較小辞典や、『車の英語考現学―ドライバーの英語用例事典』という特殊事典を出版し、辞書作りの方法論を独学で会得した。
  当時はまだ辞書学(lexicography)という学問はあまり発達しておらず、辞書編纂家たちはそれぞれの経験を中心に辞書作りを行なっていたように思う。それだけに、糊(のり)とはさみによる、いわゆる “やっつけ仕事” も珍しくなかった。当然、「親亀こけたら皆こけた」式に、先行の一辞典がある誤りを犯すと、後続の辞典も皆同じ誤りを犯すというようなケースも見られた。最近では、英和辞典、和英辞典ともに質が向上したが、まだまだ問題は多い。

日本人のための辞書
  同辞典の手伝いをして以来、私は英和辞典を引くときには、「私ならこの見出し語にはこういう訳語を与えたい」とか、「私ならこの見出し語には、こういう解説・語法を付加する(のに)」といったことを思いながら引き、和英辞典を引くときには、「この日本語の訳語としては、これではなく、あれの方が良いはず」とか、「この訳文では日本語と英語との間にニュアンスのズレがあるのでは」といったことを思いながら引いた。そして、私が常用していた英和辞典・和英辞典の余白という余白に、細かい文字でビッシリと書き込みを行なっていった。この日常的作業というか習性が、後日、私自身が編集主幹として、『スーパー・アンカー英和辞典』 および 『スーパー・アンカー和英辞典』 (ともに学習研究社刊) を編纂する際に大いに役立つこととなった。
  英語辞書編纂者としての私の念頭から絶えず離れなかったのは、「日本人学習者向けの英和辞典・和英辞典はどうあるべきか」 という点だった。そして、その一点への回答を模索するうちにたどり着いた結論が、自明のことながら 「英語圏の人々は英語で、日本人は日本語でものを考える」 ということであった。このことに気付いて以来、既存の英和辞典・和英辞典の問題がさらに浮き彫りになっていった。

【本稿は小著 『英語の辞書作りと私』(学習研究社刊;非売品)の第1章の転載です;同書に関しては、「7 辞書作りを支える人々」に添えた写真をご覧下さい) 】          


【後日記】上記のような思いで編纂した『スーパー・アンカー英和辞典』『スーパー・アンカー和英辞典』(前身『ニューアンカー和英辞典』)だけに、利用者の方々が私の意図を汲み取ってくださると、それが私の無上の喜びとなります。その意味で、どなたが書いてくださっものかは分かりませんが、インターネット上で次のような書評に出合いました。ありがたく引用させていただきます。(引用元:http://plaza.rakuten.co.jp/yamanoha/diary/20070305/ 【2007/03/05】)


山岸勝榮先生の「アンカー」シリーズ
 そういう判断基準(下記注参照)でいって、これまでひとさまに自信をもってお奨めしてきた英和辞典は山岸勝榮先生の「ことばに対する いつくしみ」に満たされた『スーパー・アンカー英和辞典』(学習研究社)でした。
 山岸勝榮先生は、語学というものが膨大な雑学から成りたっていることをよく心得ておられて、学研の「アンカー」シリーズの英和と和英は何れも名著です。
 どのページを開いても発見があるのですが、たとえば face の項だと、「日英比較  long face <面長>」というコラムがあって、

日本語に「面長(おもなが)」という表現があるが、英語の long face は「浮かぬ顔」という全く違った意味である。「彼女は面長だ」は She has an oval face. と訳されることが多いが、oval は「だ円形の」の意で、日本語の「面長」が持つ美人のイメージも一応これで伝わる。

 そして、うかぬ顔の面長男と、面長の和服女性のマンガつき。ページを開くと、知的な浮気心が大いに刺激されて、いろんなところをついつい読んでしまうわけですね。これがコラム子の言う「言語空間を遊ぶ浮気心をいたぶる誘惑力」です。
 ページを開くとあちこち「目移り」してしまう学習空間。『スーパー・アンカー英和辞典』は、類書のなかで字がもっとも読みやすい。これも「目移り学習」を促す重要な要素なのですねぇ。

)「収録語数にこだわるより、見出し語ひとつひとつのエピソードをわが子の話のように語る編纂者(へんさんしゃ)の眼差(まなざ)しが見える辞書。文字のサイズと字体の見やすさ、印刷の鮮明さも、だいじな要素です。」という著者・無名氏の判断基準で、電子辞書に対抗して紙の辞書が存続できる道を説いておられる。