この英訳は平成27年 [2015年] 02月、New York (Park Avenue South) の Kodansha America, Incが発行した外国人用日本語教科書WADAIKO―An Introduction to the Sounds and Rhythms of Japanese (CD付き)に、ほかの4曲【「ずいずいずっころばし」(Gooey, Gooey, Soft and Sticky)、「さくらさくら」(Cherry Blossoms)、「ほたるこい」(Fly, Fly, Firefly, Come)、「ゆき」(Snow) 】と共に収録されている。 |
The Village Festival |
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1. Today is
our joyous festival day 2. This year
the villagers grew a bumper harvest 3 In this
peaceful and prosperous reign |
この歌には著作権はありません。 |
冒頭の小さなイラスト3枚は こちらからお借りしました。 |
以下の文章は私のもとで研究を続けている博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。 興味深い文章ですので、同君の了解を得て掲載します。 |
山岸勝榮教授 昨日ご公表になりました「村祭」の御訳を拝読いたしました。以下に御訳の分析と感想を述べてまいります。 《英語らしさ》 山岸教授の御訳とわたくしの訳を比べますと、様々なことが分かります。その中でも、「山岸教授がお使いになったこの英語表現は、今のわたくしには到底出てこない」と感じることが頻繁にあります。わたくしの英訳は、やはり英語らしさに欠けているということが言えます。原因はわたくしが、英語が分かっていないということです。今回の課題曲「村祭」にて、山岸教授の御訳を拝読し、わたくしの英語が英語らしくない点、逆にいえば、山岸教授の御訳に見られる英語らしさを以下に挙げてまいります。 @「ドンドンヒャララ ドンヒャララ」Boom, boom, hyor-r-r-r, boom, hyor-r-r-r A「朝から」All morning B「年も豊年満作で」This year the villagers grew a bumper harvest C「夜までにぎわう宮の森」Till night the shrine grove echoes with their excitement @における英語らしさは、hyor-r-r-rです。日本語の音節はCVの構造であるため、母音が印象に残ります。一方、英語の音節はCのみが多いため、子音の印象が残ります。よって日本人が英語を話す際には、母音を弱く発音し、子音を少し強めに発音することで、英語らしい発音になるということは比較的よく知られた事実です。そのような意味では、山岸教授の御訳にございますrの連続は、原詞に影響を受けすぎていません。日本語のraよりもrの方が英語らしいということが非常によくわかります。 Aのallがわたくしには出てきませんでした。allの後ろにmorningがあることにより、このallはmorningの期間ずっとということになります。原詞の「朝から」はもちろん、中途半端な時間の朝ではなく、早朝からということになります。そのニュアンスを持っているallがここでは最適ということが言えます。 Bの動詞grewが使えるか否かが英語らしさに関わっているとわたくしは考えております。日本語では一般的に「穀物」の「収穫」であれば、「収穫をする」と言うでしょう。もしくは形容詞を叙述的に用いて、「〜の収穫が少ない」などとします。しかし山岸教授の御訳を拝見しますと、そのようには英語では言わないことが分かります。このような表現は枚挙に暇がありません。日英対照をする意味がこの御訳一点からも分かります。 CのechoesはBのgrew同様に、英語らしさを決定する極めて重要な動詞ということが言えます。唱歌・童謡の訳出に限らず、英訳をするさいには、時制や冠詞の有無などに頭を悩ますこともありますが、結論から言えば、「英語らしく表現する箇所」の訳出に一番苦労します。 《日本語の感覚》 山岸教授は、ゼミの授業や掲示板でのご指導におきまして、「古い日本語も多く触れることでその感覚を得られるようになる」ということをおっしゃっています。ここでは、その「日本語の感覚」について、一例を挙げまして、述べてまいります。 原詞の第1連の最終行「夜までにぎわう宮の森」と第2連の最終行「夜までにぎわう宮の森」は双方ともいわゆる「体言止め」で終わっています。この体言止めの訳出方法につきましては、掲示板で数回述べてまいりました。今回の山岸教授の御訳ではいずれも体言止めとして訳出されていません。完全な文として表されています。実はわたくしもどちらの原詞に対しても完全な文で表しました。山岸教授がお使いになった単語をわたくしのそれを比べますと、乖離が見られますがが、わたくしが「文」で訳したということに自分自身で気がついたとき、山岸教授が主張なさっている「日本語の感覚」がひょっとすると付いてきているということの証拠かとも思いました。 なぜこの箇所を今まで研究してきたとおりの体言止めで訳出しなかったのかはわたくし自身にも分かりません。ただ、わたくしの中にあった方向性としては、英語ではどのように表すのが自然だろうかということと、山岸教授はどのように訳出なさるのだろうか、という点のみです。つまり、わたくしが今まで仮説として述べてきたことを考えずに訳出をした結果です。ここから分かることは、理論というのはあくまでも「理論」であるということ。そして研究者にとっては、何よりも目の前のデータが一番重要であるということです。理論に固執しすぎることで真実を見失うことは多々あります。先日山岸教授が、「前にも言いましたように、過去のものに執着しないで前を向いて書いてください」とご指導くださいましたが、今回の御訳の分析を通じて、極めて重要な事実に気がつくことができました。 平成26[2014]年3月13日 大塚 孝一 |