書評1
山岸勝榮著

『学習和英辞典編纂論とその実践』
 (6・12刊 A5版479頁 本体4000円;こびあん書房)


                   英語表現に関する「知恵」の宝庫
               よりよい『和英辞典』を求め続けた実践の成果

             評者:原口庄輔・明海大学外国語学部教授
         「図書新聞」紙 (2001年 [平成13年] 7月21日、第2542号)


 真の情熱とは時として驚くべき力を発揮する。この驚くべき大著は和英辞典の編纂に長年にわたって心血を注ぎ、情熱を捧げてきた山岸勝榮氏の「情熱」の結晶である。本書には、英語表現に関する「知恵」が充ち満ちているが、それはとりもなおさず良質の「和英辞典」編纂の「知恵」の現れでもある。これはタテマエではない。評者のホンネである。もっとも本書に引いているように、ホンネは本来「口に出された本心」であったが、「口に出されない本心」に変わったという面もあるようであるから、注意してかからなければならないが。本書は、学習者のための「和英辞典」の編纂に真摯に取り組んでいる氏の姿勢の現れである。よりよい「和英辞典」を求め続けた実践に裏付けられた成果である。
  「知恵」に満ちた五〇〇頁に及ぼうかという大著が、四〇〇〇円という格安の値段であるのも読者にはありがたい。多くの読者を得て、英語の表現力をつけるためのノウハウが広く行き渡ることを願ってやまない。氏は学習辞典の編纂に当たって、次の二つを編集理念としているという。

             辞書は慈書(=言葉を慈しむことを学ぶ書物たれ)。
             辞書は滋書(=言語中枢に滋養を与える書物たれ)。

 偉いものである。和英辞典の編集者に、このようなすばらしい理論を持ち、情熱を傾ける人材を得た我々は幸せである。本書は、全部で5部22章からなる。第1部「和英辞典の史的側面」(第1章:15頁)、第2部「学習和英辞典編纂論とその実践」(第2章−5章:65頁)、第3部「学習和英辞典に関する諸問題とその解決法」(第6章−18章:186頁)、第4部「学習和英辞典と英語教育」(第19−20章:19頁)、第5部「学習和英辞典関連の問題」(第21−22章:71頁)。
 各部のページ数からも窺えるように、第2・第3部・第5部が本書の中核をなす部分である。その中でも特に三つをあげると、「良い学習和英辞典の諸条件」(第4章:28頁)、「訳語に関する諸問題」(第6章: 52頁)、「ハイブリッド方式和英辞典に関する諸問題」(第21章; 67頁)が本書でもっとも力のこもった重要な部分である。第4章「良い学習和英辞典の諸条件」では「辞書は慈書」、「辞書は滋書」という理念に加えて、和英辞典は、「日本人の知情意と真善美の世界を紹介・啓蒙することに寄与するものであってほしい」という願いのもとに、学習辞典の条件が論ぜられている。ニュアンスの違いや、スピーチレベル・スタイルの重要性が指摘され、ほかの章でも論ぜられている。これらの多くの辞典があまり注意を払っておられず、外国語として英語を書く際に失敗しやすいところだけに、注目に値する。第6章「訳語に関する諸問題」は、日本語を英語で言うときの知恵にあふれているが、一例を挙げると、「ブービー賞」は日本語では「最下位から二番目の賞」であるのに対して、英語のbooby prizeは最下位賞を表すので、ブービー賞 a second-last prize(日本の):a booby prize(英米の)として説明を付け加える必要があるという。
 第21章の「ハイブリッド方式和英辞典に関する諸問題」は、もっとも力のこもった部分で、ハイブリッド方式の『ジーニアス和英辞典』(大修館書店)を二年以上実際に使った経験に基づいた成果が具体的に盛り込まれている。氏の結論(ホンネ)は、この辞典は学習者用の和英辞典としては欠陥商品であるということになると思う。同辞典の編集主幹の小西友七氏は、同辞典のまえがきで「理想的な和英辞典ができた」旨のことを(無責任にも)述べておられるが、どちらが正しいかは自明であろう。同辞典には、「よろしく」「今後」「付き合う」の三つの項に I hope to see more of you. (今後ともよろしくおつきあいください。)という歴史ある欠陥表現も引き継がれているというようなおまけまである。同辞典に関して、山岸氏は「次回の改訂が楽しみな和英辞典である」と締めくくっているが、これはタテマエであろう。ことによると痛烈な皮肉かもしれない。
 最後に一言。本書の優れたところばかり述べてきたが、どのように優れた著書にも、多少の問題はつきものである。バランスを多少とるため、問題点にもふれるべきであろう。すでに枚数を超過しているため、内容を論ずる余裕はないので、小さなしかし本質に関わりうる点を指摘しておく。「Sapia とは俺のことかと Sapir言い、Langaugeとは俺のことかと Language 言い。」(241頁参照。)

付記1: 評者の原口先生ご自身も、「ハイブリッド和英辞書の理論的問題点」と題する研究発表の中で、『ジーニアス和英辞典』の理論的欠陥を証明された(平成13年 [2001年] 4月26日、「レキシコン研究会」発表会、於・明海大学大学院)。
付記2:原口先生の上記研究発表はその後、原口庄輔編『レキシコンを考える』(開拓社、2004年3月10日刊、2000円)に同名で収録されました。

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