XXⅢ 電子辞書とその社会的責任
―和英辞典の場合―
0.はじめに
ここ20数年、学習和英辞典は発展の一途をたどっている。具体的に言えば、小島義郎・竹林滋編『ライトハウス和英』(1984)あたりを嚆矢として、日本人英語学習者を強く意識し、日英語比較研究の成果を反映した学習和英辞典が次々と現れている。詳細は山岸
(2001)の第1部、第1章「和英辞典出版略史」に譲るが、それらは学習者にとってはもちろんのこと、英語教授者にとっても非常に有効な学習参考書となっている。最近では、『ウィズダム和英』(2006;以下『ウィズダム和英』)が、第2版『ウィズダム英和』(2006)の姉妹編として、共に三省堂から公刊された。山岸(2001)でも諸所で触れたが、各和英辞典の内容的進歩には目覚しいものがある。その点は大いに慶賀すべきことであるが、同時にさまざまな問題が未解決のままになっているのも事実である。この点は、上記した最新刊の和英辞典にも当てはまる。
下の数字が示すように、最近では、学習者(ここでは主に筆者が担当する大学生)のほとんどが、英和辞典・和英辞典が搭載された電子辞書 (electronic
dictionary) を所持しており、紙製の辞典を所持する者はきわめて少ない。しかも、ほとんどの学習者が大修館書店発行の第2版『ジーニアス和英』(2003;以下『ジーニアス和英』)搭載の電子辞書を所持している。したがって、その和英辞典に問題が内包されていれば、直接的不利益を被るのは当然、大勢の学習者たちである。換言すれば、同和英辞典は、学習和英辞典の“トップランナー”として、大きな“社会的責任”を負っていることになる。
本稿は、現在、日本人英語学習者に最も多用されている電子辞書版『ジーニアス和英』の諸問題を分析し、適宜、最新刊の『ウィズダム和英』(紙製版)にも言及しつつ、そこで知り得たことを「より良い学習和英辞典」作りに役立てることを目的としている。ちなみに、『ジーニアス和英』と『ウィズダム和英』の編集主幹は共に小西友七氏である。いやしくも“辞典”の名の下に、一般に公刊されたものであれば、それは当然、社会的責任を負うべき立場のものであり、何らかの問題があれば、それらは可能なかぎり早急に改良・改善されなければならないものである。その点は、筆者が関係した辞典の場合も同様である。辞典編纂者は切磋琢磨して、より良い辞典を学習者に提供する社会的義務を負う。筆者はそのように考えて本論考を進める。
1.学習者の和英辞典所持状況を調査する
前述したように、最近の学習者のほとんどが電子辞書を所持しており、それらに搭載されている和英辞典は『ジーニアス和英』である。そこで、客観的証明を行なうために、筆者が担当する学生諸君を対象に、期末試験時に、以下の質問を用意し、それに答えてもらった。関連数字も掲載する。
質問:「あなたが今使用しているのは電子辞書ですか、紙製の辞書ですか。
①電子辞書、②紙製の辞書、③両方使用、④両方不所持のいずれかで答えてください。」
大学・学科名 |
明海大学外国語学部英米語学科 |
関東学院大学英語英米文学科 |
||
受講科目名 |
対照言語研究 |
英語学特講Ⅲ |
Translation(翻訳論) |
|
調査実施日 |
2004[平成16]年 |
2005[平成17]年 |
2004[平成16]年 |
2005[平成17]年 |
受講者数 |
80名 |
42名 |
59名 |
45名 |
電子辞書使用 |
61名 (76.25%) |
40名 (95.23%) |
51名 (86.44%) |
43名 (95.55%) |
紙製辞書使用 |
5名 ( 6.25%) |
0名 |
7名 (11.86%) |
2名 (4.44%) |
両方使用 |
1名 (1.25%) |
2名 (4.76%) |
8名 (13.55%) |
0名 |
両方不所持* |
13名 (16.25%) |
0名 |
1名 (1.69%) |
0名 |
*辞書不所持者13名の多くは平素欠席勝ちの受講生で、辞書持込み可の試験である指示を聞いていなかった可能性が高い。
質問:「あなたが今使用している和英辞書は電子辞書搭載のものですか、紙製のものですか。
電子辞書、紙製辞書の別と、辞書名とを答えてください。」
明海大学外国語学部英米語学科生所持の電子辞書搭載・和英辞典 |
|
受講科目名 |
対照言語研究(昼夜2コマ開講;(開講年次2年) |
調査実施日 |
2006[平成18]年7月10日 |
受講者数 |
108名【昼間部生72名、夜間部生36名を合算】 |
電子辞書・ジーニアス和英 |
98名 (90.74%) 【昼間部生64名、夜間部生34名】 |
電子辞書・研究社新和英中辞典(第5版) |
7名 (6.48%) 【昼間部生 6名、夜間部生 1名】 |
上記2点以外の電子辞書版 |
2名 (1.85%) 【昼間部生 1名、夜間部生 1名】 |
上記2点以外の紙製辞書版 |
1名 (0.92%) 【夜間部生 1名】 |
以上の統計的数字からも分かるように、明海大学外国語学部英米語学科生108名のうち、98名(90.74%)が『ジーニアス和英』を搭載した電子辞書を所持している。ちなみに、昨年(2005年度)慶應義塾大学法学部2年生68名(40名、28名の2クラス)の場合、正確な調査は行なわなかったが、同辞典搭載の電子辞書を所持する学生は、上記とほとんど同数と思われた。
2.電子辞書版『ジーニアス和英』が内包する諸問題
『ジーニアス和英』初版 (1998)は、「『ジーニアス英和辞典《改訂版》』の和英検索と、従来の和英辞典という2つの機能をハイブリッドしたもの」であり、換言すれば「和英辞典に英和辞典の機能を組み入れ、英和辞典と和英辞典の融合を目指した第一歩の試み」(同書「まえがき」より;下線山岸)であった。筆者は同辞典が内包する多種多様な問題を、山岸(2001)の第5部、第21章「ハイブリッド方式和英辞典に関する諸問題」(309-375頁)と題して詳論した【こちらとこちらに再録してある】。また、原口(2004)は「ハイブリッド和英辞書の理論的問題点」と題して、特に『ジーニアス和英』初版の理論的諸問題を詳論している。
現行のほとんどの電子辞書に搭載されている『ジーニアス和英』はその改訂版であり、編集主幹の小西友七氏が、その「まえがき」において、「全体に《日本語の発想から》ということを徹底させつつ、全体にわたって検討を加え(中略)、和英辞典の原点に立ち帰る一方で、斬新かつ有用な工夫をこらした改訂版となったと自負して」(下線山岸)おられるものである。
それでは、果たして、初版に内包されていた諸問題は本当に「全体にわたって検討を加え」られ、解決されているのであろうか。電子辞書の“トップランナー”としての“社会的責任”は全うされているのであろうか。結論から言えば、まことに残念ながら、未解決の問題が多数ある。問題の数の多さに反し、許された紙面に限りがあるので、本稿では、主だった問題点のみを一部の実例と共に記載するに留める。
問題点1:日本語分析が不十分なために、日英語間に意味的なずれが生じているもの
同和英辞典編集主幹の小西氏は、上記のごとく、その改訂版「まえがき」において「全体に《日本語の発想から》ということを徹底させつつ、全体にわたって検討を加え(中略)、和英辞典の原点に立ち帰る」と書いておられるが、以下に見るように、“和英辞典の原点”、すなわち「“和”の部分において良き“国語[日本語]辞典”でなければならない」という点に関して、多種多様な問題を内包したものになっている。
例1)「甘辛い」
この見出し語に訳語としてsalty-sweetだけを与え、用例として「肉を甘辛く煮る boil meat sweet and salty」を挙げているが、この処理法はミスリーディングである。この点は、最新刊の『ウィズダム和英』もsalty-sweetだけを訳語としていて、同じ問題を抱えている。
確かに、「甘辛い」は「甘さと辛さを併せ持っている」ことを言うが、日本語で「甘辛い」と言えば、普通は砂糖味と醤油味との混じった味のことであり、たとえば、「魚を甘辛に煮付ける」と言えば、砂糖醤油で煮付けるのに決まっている。
これは彼我の料理法の違いに由来するものであり、その違いを反映させた訳語や用例を収録する必要がある。たとえば、sugar and soy-sauce
flavoredとかflavored with sugar and soy sauceという言い方のほうが日本語の「甘辛い」に近いであろう。とにかく、英語でsalty-sweetと言えば、「辛い」のは普通、salt(塩)である。
例2)「甘っちょろい」
この形容詞に与えられたのは「甘っちょろい考え wishful thinking」の句例1例のみであるが、この例はあまり好ましいものとは言えない。姉妹編である『ジーニアス英和』を見れば分かるように、wishful
thinkingは「希望的観測、甘い考え;《心》願望的思考《身勝手な願望に基づいた非現実的な考え方》」ということである。日本語の「あまっちょろい」は砕けた日常語で俗っぽい感じのする語であり、侮蔑的ニュアンスがある。したがって、英語のwishful
thinkingとはレベルが異なる。この点、『ウィズダム和英』が「景気がそのうちによくなると考えるのは甘っちょろい(=希望的観測に過ぎない)Expecting
business will soon pick up is just wishful thinking.」と処理しているのは、意味を汲み取った上での英訳としては問題ないが、やはり日本語の持つ俗っぽさは、対応する英語訳からは消滅している。筆者なら、前出の日本文はIf
you think business'll soon pick up, you're too optimistic [naïve ]. のように訳して、少しでも日本語のニュアンスを出そうとするであろう。
例3)「書き取り」
この見出し語に「dictation書き取り、(外国語の)ディクテーション∥書き取りをする have a dictation / 生徒に書き取りをさせる
give students a dictation」の訳語と用例を与えているが、これでは日本人(とりわけ小学生)に馴染みの「書き取り」を何と言えばよいのか分からない。『ウィズダム和英』には、「国語の時間に書き取りがある
have dictation [have kanji test] in Japanese class」のようになっており、『ジーニアス和英』よりも工夫が凝らされているが、kanji
test(漢字テスト)とすると、「仮名を漢字に直したり、その逆をやったりするテスト」という意味に解釈されるから、やはりミスリーディングである。日本語で言う「書き取り」は「仮名を漢字にすること」という意味である。したがって、用例にはもっと配慮と工夫が必要である。たとえば、「三島君はクラスでいちばん書き取りができる Mishima
does best of all on putting hiragana [katakana ] into kanji. (putting の代わりにchanging
でもよい)」のようにすれば、日本語の「書き取り」の意味を表すことができるであろう。
例4)「かぶれる」
この語の比喩的な意味に対しては「②[感化される]be influenced by O …に影響される;be infected with O
〈思想など〉に染まる」の訳語が挙がっているが、日本語の比喩的用法としての「かぶれる」は、「何かに強い影響を受けて好ましくない状態になる」という意味であるから、単に、「…に影響される」の意味のbe
influenced by Oでは不十分である。少なくとも、 be excessively influenced by Oのように過度を示す副詞の
excessivelyを添える必要があろう。同じ編集主幹による『ウィズダム和英』は、「彼女はフランス風の生活にかぶれている(=大いに影響を受けている)
She is greatly influenced by [(熱狂して)《主に米話》is big on] the French way of
life. ∥彼は共産主義にかぶれている He is under the influence of communism. / (感染している)He
is infected with communism.」のような用例を掲載しているが、これらもbe infected withの例を除き、上記のものと同工異曲であろう。「好ましくない状態になる」という含みが出ていない点が問題である。
例5)「詩吟」
この見出し語に「recitation of a Chinese poem 」の訳語だけを与えているが、これはきわめて不十分なものと言える。『ウィズダム和英』は「recitation
[chanting] of a Chinese poem 」のようにchantingを付加しているが、これも同工異曲である。これでは、この訳語を使って、日本人学習者が、たとえば、「父は詩吟が好きです。」をMy
father likes to recite [chant] a Chinese poem.と書く可能性が高く、また、これを見聞きした英語圏の人々は、詩吟がどのようなものかを知らなければ、日本人が中国の詩を中国語で吟じているように思う可能性が高い。
詩吟は中国の詩であっても、それを日本流に日本語で吟じる点に一大特徴がある。したがって、詩吟を定義する場合、上記のようなものではなく、たとえば、「詩吟は中国人・日本人が作った古典的な漢詩を日本式に朗唱する芸です。近年では短歌や日本の近代詩の朗唱も行なわれます Shigin
is an art form of chanting the classical Japanese version of classical
Chinese poems composed by both Chinese and Japanese. In modern times it
includes chanting tanka and modern Japanese poetry.」のように、今日の実体に則した定義にする必要がある。本当はもっと詳細に、説明的に定義することもできるが、最低でもこのくらいの定義は必須である。「詩吟=中国詩を吟ずることrecitation
[chanting] of a Chinese poem」ではないのである。
例6)「中高年」
この語に「middle age 《40-60歳程度》」を与え、その派生語として「中高年の middle-age(d)」を与えているが、「中高年」とは読んで字の如しで、「中年と高年」の意である。したがって、middle
ageでは不十分である。それと、「中高年」とは“年齢”を言っているというよりも、その年齢層に属する人間を言っている。したがって、たとえば、people
of middle and advanced age とかthe middle-aged and the elderlyとかのような言い方をする必要がある。
例7)「はきはき(と)」
この見出しに対して clearlyを与え、用例も「もっとはきはき返事しなさい Answer more clearly.」のようにclearlyを用いたものを挙げているが、日本語の「はきはき(と)」は同辞典が言い換えているような「はっきりと、明瞭に」とはずれる。「はきはき(と)」は、「(動作・態度・ものの言い方が)活発ではっきりしている」ことを言うから、clearly
and promptlyまたはpromptly and clearlyのような言い方をするほうが日本語に近くなるであろう。
例8)「恥じらい」
この言葉に「shyness 内気、はにかみ;bashfulness 内気;blush (恥ずかしさなどで)顔を赤らめること、赤面∥おとめらしい恥じらい a
maiden blush」のような訳語と句例を挙げているが、日本語の「恥じらい」が美徳と解釈されることが多いのに対して、英語のshynessやbashfulnessは共に、克服すべき努力に値するものと考えられており、マイナスイメージを持った語である。したがって、この2語を先頭に置くのはミスリーディングである。これでは、「日本文化においては恥じらいは美徳である」という日本語を
In Japanese culture shyness [bashfulness ] is (viewed as) a virtue.ように英訳され、日本語の真意を誤解される恐れがある。したがって、reticence(口数が少ないこと)、demureness
(つつましさ)、reserve (控えめ)といった、プラスイメージが少しでも濃い語を適宜用いる必要がある。
例9)「半官半民(の)」
用例がなく、semiofficialの訳語だけを挙げるという処理は好ましいものではない。まず、日本語の「半官半民」は、「政府と民間が共同で出資・経営する事業形態」(『学研現代新国語辞典』)のことであって、その例がNHK(日本放送協会)である。これに対して、英語のsemiofficialは「半公式的な」「半官的な」のような日本語に相当する。したがって、「NHKは半官半民の特殊法人だ」は
NHK is a public corporation partly controlled [supported ] by the
Japanese government.のように英訳することはできても、semiofficialを使って英訳することはできない。
例10)「なた(鉈)」
この名詞にhatchetの訳語を与えているが、これは完全な誤訳である。「なた」に相当するのはchopperであり、hatchetは「ておの(手斧)」または「(アメリカンインディアンの武器の)まさかり」を指す。日本人にとっての「なた」とはどのようなものかという点を理解した上で、それに相当する訳語を探す必要がある。
その他、「あけすけ(に言う)」、「以心伝心」、「一途な」、「お下がり」、「お世辞」、「おとなしい」、「おめでたい」等々、日本語分析の不十分なものが多数にのぼる。
問題点2:類語分析が不十分なもの
同和英辞典はハイブリッド方式を採用しているため、英和辞典版に収録されていた訳語のうち、同じ日本語表現になるものがあると、それらが自動的に拾い上げられ、和英版に直接反映され、結果的に、類語の意味分析が甘いものになっている例が多い。たとえば、以下の例に見るように、ある日本語の類語が、その意味あるいは含みが異なるにもかかわらず、同じ英語が与えられている。
例1)「おこがましい」/「さしでがましい」
前者にpresumptuous (生意気な;おこがましい)とimpudent(生意気な)を、また後者にもimpudent〔(年上・上位の)人に対して〕ずうずうしい、生意気な〔to 〕(用例省略);officious 〔…の点で〕おせっかいな;差し出がましい〔in 〕;presumptuous (生意気な;おこがましい)(用例省略);pushy (でしゃばりの);forward(生意気な、あつかましい、うぬぼれた)をそれぞれ収録しているが、日本語の「おこがましい」と「さしでがましい」とでは意味するところは微妙に異なる。その点を飛田・浅田(1991;260頁)は次のように説明している。
「さしでがましい」は「おこがましい」に似ているが、「おこがましい」にはその人が当然守るべき社会的身分の枠組(わくぐみ)を超えているという暗示があり、自分の行動についても分不相応であることを表明する場合に用いられる。「さしでがましい」は、その場の状況などからして、相手にとって出過ぎているという判断を表し、社会的身分の枠組までは暗示しない。また、「さしでがましい」は「あつかましい」にも似ているが、「あつかましい」では行動の無遠慮さが協調され、被害者意識の暗示される点が、行動のよけいさを暗示するにとどまる「さしでがましい」と異なる。
以上の飛田・浅田の説明からも分かるように、「おこがましい」と「さしでがましい」とでは、暗示するところが異なるのであるから、和英辞典としては、むしろ、各語に相当する英語を記載し、用例を示すための努力を最優先させる必要がある。
例2)「けばけばしい」/「どくどくしい」
前者に対して、「flashy 派手な、けばけばしい;showy 《正式》派手な、けばけばしい;gaudy 派手な、けばけばしい∥けばけばしい服装
flamboyant clothes; glaring 〈色が〉けばけばしい、派手な;flamboyant 《正式》けばけばしい;燃えるような」のような訳語と句例を、また後者に対して、「gaudy
けばけばしい;virulent 悪意に満ちた、ひどく辛辣(しんらつ)な∥毒々しい批評 virulent criticism」のような訳語と句例を与えているが、「けばけばしい」には、対象の派手さが度を超えているというニュアンスはあるものの、「どくどくしい」に暗示されている忌避感はない(飛田・浅田(1991;383頁))。したがって、「どくどくしい」の第1訳語として「gaudy
けばけばしい」のような表記法を採用するのは、学習者に対して不親切なものだと言える。
例3)「ずるがしこい」/「抜け目のない」
前者に対して、「sharp(抜け目のない);(as) sly [cunning, wily] as a fox = sly [cunning,
wily] like a fox 抜け目のない」を、後者に対して、「shrewd (行動や判断に)そつがない、如才ない∥抜け目のない弁護士 a
shrewd lawyer」、「sharp ずる賢い∥抜け目のない政治家 a sharp politician / その申し出を受けるとは彼女は抜け目がない
It is sharp of her to accept the offer. = She is sharp to accept the offer.」、「smart
《主に米》気のきいた、才気のある;〔…に〕抜け目のない〔in 〕;〈子供が〉ませた」、「knowing ずるい∥抜け目のないやつだ He’s
nobody’s fool.」の4語とその用例を掲載しているが、「ずるがしこい」からは話者の強い嫌悪感・忌避感が伝わってくるが、「抜け目のない」にはそれが欠けている。後者は、「自分の利益をはかることに油断がなく、訪れた機会を無駄にしない様子をやや客観的に述べるニュアンスがあり、怒りや慨嘆の暗示は少ない」(飛田・浅田(1991;433頁))ものであり、したがって、訳語の羅列は(同辞典が“ハイブリッド方式”を採用していることを考慮しても)やはり、学習者には不親切な表記法だと言わざるを得ない。
その他、「あつかましい/ずうずうしい」、「あと/もう」、「殊に/特に」、「視界/視野」、「作る/こしらえる」、「しらじらしい/そらぞらしい」、「解く/解ける」等々、類語表現の意味分析と、その対応語との間に問題を抱えるものが多数含まれている。
問題点3:日本語自体が不自然なもの
同和英辞典には、日本語として不自然なものが数多い。これは、英和版にあった訳語・訳文をハイブリッド方式により和英版に再利用する際に、日英語の根本的相違に気づかなかったり、和英版に合わせようと意図的に日本語を改変したりしたことによるものと思われる。以下にその例を数例のみ挙げる。
例1)「言い争う」
この語の例の1つをして、「休暇を過ごすのにどこがいちばんいいか言い争うargue with each other about the best
place or a holiday」が挙がっているが、日本語の「言い争う」を「休暇を過ごすのにどこがいちばんいいか」を決める程度のことに使うのは不自然に思える。この不自然さは、『ジーニアス英和』のargue(〈理由をあげて〉論ずる、議論する、言い争う)の用例に
We argued with each other about the best place for a holiday. 休暇を過ごすのにどこが一番いいか言い合った」とあったものを、「言い争う」の用例として利用するために、argue
with each other about the best place or a holidayの箇所をむりやり抽出したために生じた不自然だと考えられる。
例2)「いっこう(一考)」
この語の用例の1つに、「どのようにしてそこへ行くかは一考を要する We must consider how to get there.」が挙がっているが、この日本文だけの文脈では「一考を要する」を使うのは(少なくとも筆者の語感では)不自然である。この不自然さは、『ジーニアス英和』の
We must consider how to get there [how we should get there].どうやってそこへ行ったらよいか考えねばならない」とあったものを、「一考する」の意を持つconsiderの用例を『ジーニアス和英』用に引例したために生じたものと思われる。
例3)「示し合わせる」
この語の用例の1つに、「いつ会うか示し合わせる arrange when to meet」を挙げているが、筆者の語感では「いつ会うか示し合わせる」という日本語は不自然である。「示し合わせる」という語は、たとえば、「決行の時刻を示し合わせる」、「彼は彼女と示し合わせて行方をくらました」、「何人かが示し合わせて同時に辞表を提出した」、「周囲に気づかれないように彼と示し合わせて退社していました」などのように、普通は「口裏を合わせる」と同様に、重大な、あるいは深刻な事柄に関して言うのが普通である。この不自然さは、『ジーニアス英和』のarrange
の用例の1つに「arrange where [when] to meet どで[いつ]会うかを決める」とあったものを、arrange を和英辞典用に再利用しようとした際に生じたものと考えられる。
その他、「青白い」、「いやおうなしに」、「お百度」、「口の先」、「こだま」、「すり足」、「大の字」等々、不自然な日本語が用いられている例が数多い。
問題点4:換言すれば意味が異なってしまうもの
「風邪気」は「かぜけ」「かざけ」の両方とも正しい読み方であるから、和英辞典では、どちらかを参照記号を付すことによってカラ見出しにするだけでよい。あるいは、「行き当たりばったり」「行き掛かり」の場合も、それぞれ「いきあたりばったり/ゆきあたりばりばったり」、「いきがかり/ゆきがかり」と換言できるから、同じく参照記号(⇒)を使用して、いずれかはカラ見出しにすればよい。
ところが、語によっては、言い換えることによって、両者間に(微妙な)意味の違いや、ニュアンスの違いが生じる場合も少なくない。以下にその例を数例のみ挙げる。
例1)「あながち⇒かならずしも」
前者はやや古い言い方であるが、“かならずしも”「かならずしも」と言い換えられるわけではない。この点について、飛田・浅田 (1994;123頁)は次のように記す。
(「かならずしも」は)後ろに打消しの表現を伴って、例外を認める様子を表す。プラスマイナスのイメージはない。
(中略)「かならずしも」は「あながち」や「まんざら」に似ているが、「あながち」は話者がいろいろの 条件を
考慮した上で、断定するのが憚られる譲歩の気持ちを暗示する。「まんざら」は話者の納得を暗示する。
このように、両者は単純に換言できるものではない。したがって、各語の意味・用法をよく示す例を作例し、それに最適な英訳を行 なう必要がある。
例2)「まざる[交ざる、混ざる]⇒まじる」
『ウィズダム和英』も同様の扱いをしているが、漢字表記の「交ざる」と「混ざる」の間には微妙な用法上の違いが観察され、単純「まざる[交ざる、混ざる]」と表記できるものではない。『学研現代新国語』(1220頁)は両表記の「使い分け」を次のように説明している。
交ざる [別のものが入り組んで一つになるが、区別できる] 黒地に赤が交ざる・漢字と仮名が交ざった文
混ざる [別の種類が入り込みとけ合って一つになり、区別できない] 酒に水が混ざる・雑音が混ざる
交じる [別のものが入り組んで一つになるが、区別できる] 白髪が交じる・漢字と仮名が交じる・
子供に交じって大人が散見される・皆に交じって踊る・若手が交じる・立ち交じる・ない交ぜ
混じる [別の種類が入り組みとけ合って一つになり、区別できない] 外国人の血が混じる・
においが混じり合う・異物が混じる・砂の混じった米
以上の説明からも分かるように、「まざる[交ざる、混ざる]⇒まじる」と表記して、「まざる」を「まじる」に導く方法は、日本語の微妙な差異を無視する結果となる。したがって、それぞれの語の意味・用法をよく表す用例を示す必要がある。
例3)「もしかしたら⇒もしかすると」
この2語の間にも、実際上のニュアンスの違いが観察される。飛田・浅田(1994;545-6頁)はその辺りのことを次のように述べている。
「もしかしたら」は「もしかして」「もしかすると」や「ひょっとしたら」に似ているが、「もしかして」は
可能性の低い事柄を前提として好ましい結果になることについて期待の暗示がある。「もしかすると」は可能
性の低い事柄を前提としてある結果になることを客観的に述べる。(中略)「もしかすると」は「もしかした
ら」「もしかして」や「ひょっとすると」に似ているが、「もしかしたら」は可能性の低いことを仮定する様
子を表し疑問の暗示がある。
また、飛田・浅田は同所において、「もしかしたら」を「もしかすると」に置き換えられない例として、次のようなものを挙げている(?マークは「ふつう使わないだろうと思われる用例」を示す)。
特等は無理でももしかしたら三等ぐらい当たるかと思って宝くじを買った。
?特等は無理でももしかすると三等ぐらい当たるかと思って宝くじを買った。
上記の2番目の例に疑問符(?)が付いているのは、「もしかすると」が、そうなる可能性が十分にあることを暗示するからであろう。ちなみに、『集英社国語辞典』は、「もしかしたら」に「もしかしたら間にあうかもしれない」を、また、「もしかすると」に「もしかすると彼は来ないかもしれない」の用例をそれぞれ挙げている。和英辞典は、微妙ではあるが、明らかにニュアンスの違いがあるこのような例を、参照記号を使って単純に処理する場合、もっと注意を払う必要があると思われる。
その他、「こしらえる⇒作る」、「他界する⇒死ぬ」、「さする⇒こする」、「むごたらしい⇒むごい、ざんこく」等々、この範疇に属する例は多い。
問題点5:使いようがないもの、あるいは使い方が分からないもの
見出し語に対応すると思われる訳語が複数個並んでいても、それらをどう使えばよいのか、判断が付きかねるものがある。これらは「応用性」(applicability)、「利用度」(availability)の点で、大いに問題があると言わざるを得ない。
例1)「青臭い」
この見出し語に「inexperienced 未経験の;raw 未熟な;green 《略式》未熟な、世間知らずの」のように、4つの類語が並んでいるが、それらをどのように使えばよいのかは分からない。たとえば、「この野菜ジュースは青臭いにおいがしない」「青臭いことを言うな」「あいつはまだ青臭い男だ」を英訳する場合、上記の4語のうちのどれを、どう使えばよいか、普通の英語学習者には見当もつかないであろう。ちなみに、その3文を英訳すれば、それぞれ、This vegetable juice doesn’t stink of raw greens. / Don’t say such childish things. / That guy’s still green. がよいであろう。
例2)「雨ざらしにする」
この語に与えられた訳語は、他動詞としてのweatherのみである。これをどのように使えと言うのであろうか。「自転車を雨ざらしにする」はweather
a bicycleでよいのであろうか。「商品が雨ざらしにされてだめになった」もThe merchandize was weathered and
damaged.でよいのであろうか。前者の場合、leave a bicycle out in the rain と言うほうが、また後者の場合、Exposure
to the rain ruined the goods. / The merchandize was rain-damaged.のように言うほうがよいであろう。
例3)「抽選」
この語にも、ハイブリッド方式で英和版から探し得た語と句例を「drawing 《米》くじ引き、抽選;lottery [C] 宝くじ、くじ引き;lot
[C] くじ;[U] くじ引き、抽選∥抽選で順番を決める draw [cast] lots for turns;draw [C] 抽選、くじ引き」のように並べているが、・学習者・利用者は、この中から、適宜、自分の目前にある文脈を考えながら、適当に探し当てなくてはならないが、この扱い方は、いわゆるuser-unfriendlyなものだと言わざるを得ない。
「宝くじの抽選」、「抽選でテレビを当てる」、「抽選でキャプテンを決める」、「抽選に当たる[はずれる]」のような日本語を英訳する場合、どれをどのように使えばよいのか、上掲の訳語では見当がつかないと言う学習者・利用者のほうが多いはずである。ちなみに、それらの日本語に相当するのは、a
lottery [raffle] draw / win a TV set in a lottery / draw lots to decide
one’s captain / draw a winning [losing] numberとなるであろう。
その他、このカテゴリーに入るものには、「あだ」、「勝手」、「糊塗する」、「しゃあしゃあとしている(=落ち着いている) remain cool」、「社会人 a
member of society」などがある。「いっしょう(一生)」の項の「from the womb to the tomb 生まれてから死ぬまで」も特殊過ぎる。文字通りには、「子宮から墓場まで」という意味である。
問題点6:日本語の用例自体の意味が曖昧なもの
中には、用例自体の日本語の意味が曖昧で、何を言おうとしているのかが判断できない[できにくい]ものが散見される。
例1)「がまん」
この語の用例の1つとして、「パチンコ店があると我慢ができない When I see a pachinko parlor, I can't stop
myself from entering it.」を挙げているが、この日本語は複数の解釈が可能である。たとえば、「(何を差し置いても)入りたくなる/玉を買って打ちたくなる」、「(店が発する騒音に)文句を言いたくなる」「(その種の店をスクールゾーン・風致地区から)一掃したくなる」等である。その日本文に与えられたWhen
I see a pachinko parlor, I can't stop myself from entering it.という英語の用例から、この日本語が最初の解釈に基づくものであることが理解できるが、日本人学習者・利用者は、日本語を頼りに、それに相当する英語(句・文)を探し当てようとすることはあっても、英語の用例を見てから、逆に日本語の用例の意味を判断するなどということは普通あり得ない(し、それでは和英辞典の用をなさない)。その観点に立てば、この用例の日本語は学習和英辞典向きではないということになる。
例2)「なれなれしくする」
この語の用例として、「今夜はなれなれしくしないで Don't be too casual with me tonight.」を挙げているが、この日本文はどういう意味であろうか。誰が、誰に向って、どのような場面で発している日本語であろうか。この場合も、1)の用例と同様の問題を抱えていると言わざるを得ない。
例3)「リストアップする」
この語の用例として、「今までの職業をリストアップしなさい List all the jobs you have previously held.」を挙げているが、用例としてのこの日本語の意味は、先に対応する英語訳を見て逆に判断しなければならないほどの曖昧さがある。筆者は最初この日本文を見た時、誰が誰に向って、どのような文脈で言っているものか分からなかった。「あなたがこれまでに就いたことのある仕事をリストアップしてください」という意味であることは、英語を見て判断できた。
その他、このカテゴリーに入るものに、次のような例もある。「ふつうの(普通の)」の項の「昔は老いた夫が妻にぴったり寄り添って座るのは普通のことではなかったFormerly
it was not common for [×of] an old husband to sit very close to his wife.(◆×Formerly
it was not common that…は不可)」 この文例はどこの国の、どんな慣習に言及したものであろうか。日本人英語学習者の何人の者が、「ふつうの(普通の)」の項で、このような文例を探そうとするであろうか。編集主幹の小西氏が、その「まえがき」において、「全体に《日本語の発想から》ということを徹底させつつ、全体にわたって検討を加え(中略)、和英辞典の原点に立ち帰る一方で、斬新かつ有用な工夫をこらした改訂版となった自負して」(下線山岸)おられたことは2.において既述した。
問題点7:特定変種の英語だけを示したもの
和英辞典の利便性を考える時、(主に)アメリカ英語で用いる語句だけ、あるいは(主に)イギリス英語で用いる語句だけを収録す るのは、表記法としては好ましいものではない。たとえば、次のような場合である。
例1)「押しボタン式横断歩道」
この語に「panda [pelican] crossing [c] 《英》」という訳語が与えられているが、《英》というラベルから分かるように、「押しボタン式横断歩道」をpanda
[pelican] crossingと呼ぶのは(主に)イギリス英語である。しかし、これではアメリカその他の国でもこの語で通じるのか、それともアメリカ、カナダ等々、他の英語圏では別の語を使うのかが分からない。何よりも、日本のものは何と呼べばよいのかが不明である。
例2)「家庭菜園」
この語に「kitchen garden [C][U]《主に英》」という訳語だけを与えているが、「家庭菜園」は他の国にはないのであろうか。イギリス以外の国のもの、少なくとも日本のものは何と表現するのがよいのであろうか。
例3)「始発である」
この語に与えられているのは「originate [自]《主に米》〈乗り物が〉[…からの]始発である〔at, in 〕∥この電車は当駅始発 です
This train originates at this station.」のような訳語と用例であるが、その地域ラベルからも分かるように、それは主にアメリカ英語である。他所では何と言えばよいのであろうか。たとえば日本人がオーストラリア人に「その列車は東京駅が始発ですよ」と言いたい場合は、主にアメリカ英語のoriginateを使って表現してよいのであろうか。
その他、このカテゴリーに属する問題のある語は数多い。「助手 reader 《米》(大学の)助手」、「抜かるな!《主に英略式》Look sharp!」、「評点をつける rate
[他]《米略式》」等はいずれもその例である。
問題点8:ハイブリッド方式の弊害と思われるもの
ハイブリッド方式和英辞典である『ジーニアス和英』(初版)が抱える諸問題に関しては、既述したように山岸(2001)が、第5部、第21章を費やし、「ハイブリッド方式和英辞典に関する諸問題」(309-375頁)と題して詳細に論じた。また、原口(2004)は「ハイブリッド和英辞書の理論的問題点」と題して、特に『ジーニアス和英』初版の理論的諸問題を論考した。
それにも拘わらず、その改訂版である第2版(2003)には、いまだ多くの問題が内包されている。最も深刻な問題は、本論冒頭にも書いたとおり、同辞典が電子辞書に搭載され、そのシェアの最大部分を占めている事実である。これは英語学習・教育的観点からみて由々しき問題である。以下に、第2版にも引き継がれている問題の一部を示す。
例1)「大尉」
この語の訳を求める項目に(ハイブリッドであるがゆえに)「captain [C] (略 Capt.)陸軍[空軍]大尉;海軍大佐《◆呼びかけも可》」のように、“海軍大佐”の訳語が併記されている。これは、当然、『ジーニアス英和』のcaptainに、この語が「陸軍[空軍]大尉」の意味と「海軍大佐」の意味とが記載されていたことを示すものである。しかし、この処理は、いくらハイブリッドであってもやはり、日本人学習者向けの和英辞典としては、不親切である。これでは、旧・日本海軍の“大尉”(「だいい」と濁って発音した)を何と呼べばよいのか不明である。
例2)「警視」
この語を引くと、「inspector [C] 《米》警視正《◆肩書きにも用いる》;superintendent 《英》警視(正)」のような表記に出合う。しかし、この表記の読み方が分かる学習者は、英語力のきわめて高い学習者であろう。普通の読み方をすれば、日本の警察の「警視」に相当するのは“inspector”である。第1訳語に挙がっているのであるから、普通の学習者はそう読むであろう。
しかし、そのあとで、「この語は《米》では“警視正”の意味で用いられる。また、《英》では“警視”もしくは“警視正”はsuperintendentと呼ぶ」と読むべきであるような書き方になっている。User-unfriendlyの印象を拭えない。
例3)「手前みそ」
この語を引くと、「《ことわざ》(There is) nothing like leather.」のような表記に出合う。これは『ジーニアス 英和』のleatherの項の諺に、「(There is) nothing like leather. 《ことわざ》革にまさるものはない;自分のものに及ぶものはない;『 手前みそ』」の形で用例として収録されていたものであるが、その訳文のうち、「手前みそ」という部分だけが、ハイブリッド方式によって和英版に収録されたきわめて不幸な例である。しかもこの問題は和英版の初版(1998)からあったものであり、筆者も早い機会にその問題点を指摘したのであるが、第2版においても修整されず、それがそのまま電子辞書版に収録されたものである。
この慣用表現の由来や、日本語の「手前みそ」には直接的には相当しないという点に関しての詳細は山岸(2001;360-1頁)に譲る。 いずれにせよ、和英辞典である以上、まず日本語の「手前みそ」の用法をよく表す用例を作成し、それらを通じて、学習者・利用者に運用力をつけさせるような配慮が必要である。たとえば、「いささか手前みそになるが、私の説は多くの人に受け入れられるだろう I
may be flattering myself, but my theory will be accepted by many people.」とか「彼女はいつも手前みそばかり並べる
She always blows [toots ] her own horn. ◆blow [toot] one's own horn は「自画自賛する」の意のインフォーマルな表現」とかのような用例や注記を収録すべきであろう。
その他、英和辞典の用例を和英辞典に逆利用するという発想の弊害として挙げられる例は枚挙に暇がない。たとえば、「職人」の項に収録されている「へたな職人は(いつも)道具のせいにする
《ことわざ》A bad workman (always) blames [quarrels with] his tools.」がそうである。日本人学習者(とりわけ、中学生・高校生・大学生)のいったい何人が、どのような状況でこの諺を、それも「職人」の項で引き、実際に使うであろうか。日本には「下手の道具調べ」「下手の道具立て」「下手の道具選び」などの諺はあるが、A
bad workman (always) blames [quarrels with] his tools.(へたな職人は〔いつも〕道具のせいにする)というような諺はないはずである。これはもともと『ジーニアス英和』のtool
の項の用例として挙がっていたわけであるが、それは英和辞典だからよかったのである。“ハイブリッド”という名の下に、安易に逆利用すると、このような不自然な用例となる。
「つばさ(翼)」の項にある「富には翼がある(=すぐになくなる) Riches have wings.」も同様である。これはFrancis
Bacon(1561-1626)がその随筆集(Essays)の中で言った言葉で、旧約聖書「箴言」第23章に起源を持つ表現である。したがって、その辺りの事情を知っている一部の日本人を除き、たいていの日本人には馴染みのないもののはずである。いずれにせよ、「富には翼がある(=すぐになくなる)」を和英辞典で引こうとする者がいるとは考えにくい。
また、「うみべ(海辺)」の項にある「彼女は海辺で貝を売っている She sells seashells on the seashore.《◆早口ことば》」の場合もそうである。日本人学習者のいったい何人の者が、このような英語圏の早口ことばを、「うみべ(海辺)」の項目で引くであろうか。第一、「海辺で貝を売っている」と言う日本語から、日本人が思い浮かべるのは、普通は、「中身の入った貝」(shellfish)であろう。ここで言っているseashell「貝殻」の意味である。これは『ジーニアス英和』のseashoreの項にあったものをハイブリッド方式ということで、「うみべ(海辺)」をキーワードに機械的に拾い出し、和英版に再利用したと思われるものである。
この種のものを列挙し始めると、まさに枚挙に暇がなくなる。「和英辞典とは何か」という基本に立ち返って、その収録用例を選別する必要がある。
3.まとめ
許された誌面を大幅に超えてしまったが、電子辞書版『ジーニアス和英』が内包する問題点はほかにも数多い。以下簡単に、その一部を示す。
(1)日英文化差の説明が必要と思われるもの。(例)「念仏」の項の諺。
(2)注記があってしかるべきと思われるもの。(例)「名刺」の項のname cardに添えられた注記ではかえってミスリーディングである。
(3)特殊過ぎると思われるもの。(例)「一生」の項の「from the womb to the tomb生まれてから死ぬ前」という例。文字通りには、「子宮から墓場まで」の意。
(4)時代を反映しておらず差別表現と思われるもの。(例)「棚」の項の「自分のことは棚に上げて他人を非難する」に与えられたThe pot calls
the kettle black.という例。黒人差別に繋がると言われているものである。
(5)英和辞典を引き直さなければならないと思われるもの。(例)「捨てる」の項の「今や億万長者は捨てるほどいる」に添えられた英訳 Billionaires are a dime a dozen now. の場合、一般学習者には a dime a dozenと言われても分からない。
(6)複数用例の掲載順序が不適切だと思われるもの。(例)「働く」の項の「私たちは1日平均8時間働きます」に添えられた2用例 We average
8 hours’work a day.; We usually work 8 hours a day.の場合、後者の用例のほうが前者よりも一般的である。したがって、用例の掲載順序を逆にしたほうが学習者には親切である。
(7)特定の語を参照させていながら、参照先にその語が収録されていないもの。(例)「苦労→ご苦労」としながら、「ご苦労」の項には何の既述も見当たらない。
以上の論述によっても分かるように、ほとんどの電子辞書に搭載され、日本全国の英語学習者が最も頻繁に使用すると考えられる『ジーニアス和英』が内包する問題は多岐にわたり、しかも深刻なものも多い。筆者はその多くに代案を示したが、それは筆者個人のものであって、本来、同辞典編集陣・出版社が自分たちの問題として、早急に解決していくべき性質のものである。同辞典が初版よりも大幅に改良を加えられていることは明白だが、本稿で示したような諸問題が解決されない限り、編集主幹・小西友七氏が「まえがき」に書かれたことに首肯するわけにはいかない。
本稿で使用した電子辞書
シャープ株式会社 e dictionary (PW-U5000)(『ジーニアス和英辞典』第2版搭載)
主要参照文献
『ウィズダム和英』 小西友七編、三省堂、2007、初版
『ジーニアス和英』 小西友七編、大修館書店、2003、第2版
『ジーニアス和英』(初版) 小西友七編、大修館書店、1998、初版
『ジーニアス英和』 小西友七編、大修館書店(1988、初版;1994、第2版;2001、第3版)
『ライトハウス和英』(1984) 小島義郎・竹林滋編、初版
『学研現代新国語辞典』 金田一春彦編、学習研究社、1994、第1版第2刷
『新明解国語辞典』 金田一京助ほか編、三省堂、2003、第5版第36刷
『例解新国語辞典』 林四郎ほか編、三省堂、1998、第5版第3刷
『集英社国語辞典』 盛岡健二ほか編、集英社、1993、第1版第4刷
浅田(2003) 浅田秀子著『例解同訓異字用法辞典』(東京堂出版、2003)
原口(2004) 原口庄輔著「ハイブリッド和英辞書の理論的問題点」(原口庄輔編『レキシコンを考える』開拓社、2004)
飛田・浅田(1991) 飛田良文・浅田秀子著『現代形容詞用法辞典』、東京堂出版、1991
飛田・浅田(1994) 飛田良文・浅田秀子著『現代副詞用法辞典』、東京堂出版、1994
山岸(2001) 山岸勝榮著『学習和英辞典編纂論とその実践』、こびあん書房、2001
注記1:本稿は『ジーニアス和英』およびその関係者を攻撃することが目的ではない。既述したごとく、同辞典は我が国の電子辞書のほとんどに搭載されているものであり、したがって、英語教育・学習面において、我が国で最も大きな“社会的責任”を負っているものである。和英辞典の発展を心から願う者の一人として、また、自ら辞典を編纂する者の一人として、“和英辞典のトップランナー”である同辞典の問題点を客観的に指摘し、代案を示し、今後の辞書作りに活用していただきたいという願いから執筆したものである。
注記2:本稿は明海大学外国語学部論集(第19集)に収録された「『ジーニアス和英』(第2版)の問題点とその分析―より良い学習和英辞典を目指して―」(An Analysis of the Problems in Taishukan's Genius Japanese–English Dictionary, 2nd Edition―Aiming for a Better Japanese-English Dictionary for EFL Learners―)のタイトルだけを変更したものである。同論集に添えられた英文概要を転載しておく。
Summary
Most contemporary Japanese EFL learners use an electronic dictionary which utilizes Taishukan's Genius Japanese–English Dictionary (2nd Ed.), rather than purchasing
the book version. According to the author's questionnaire-based survey for Meikai English
Department students, 98 students out of 108 students (i.e. 90.74%) possess a machine-readable version of Taishukan's Genius Japanese–English Dictionary. This means that if the text contains serious problems (e.g., incorrectly translated words, phrases, and sentences), it would most probably have a bad influence on Japanese EFL learners. Not only the educational, but the social implications of this are significant. Prof. Tomoshichi Konishi, editor-in-chief of the Genius Japanese–English Dictionary, has recently published another Japanese-English dictionary, this time from Sanseido Co., Ltd.; it is entitled The Wisdom Japanese-English Dictionary (2006). Unfortunately this dictionary also contains a
non-negligible number of problems of the same nature.
The purpose of this paper is two-fold: to investigate the types of problems
found in Taishukan's Genius Japanese–English Dictionary, and to provide an analysis of these problems that could prove to be useful to future lexicographers working in this field. The Wisdom Japanese-English Dictionary will also be considered in this investigation if time and circumstances
permit.
【後記】『ジーニアス和英』『ウィズダム和英』の編集主幹・小西友七氏は平成18年(2006年)9月10日死去。心よりご冥福をお祈り致します。