Z 和英辞典出版略史
1.『和英語林集成』から『ライトハウス和英辞典』まで
我が国における和英辞典編纂史は、米国人宣教師であり、医師でもあった J.C.ヘボン(James Curtis Hepburn,1815-1911) が1867年、慶應3年に出版した『和英語林集成』(AJapanese-English Dictionary; 上海APMP印刷)、通称 『平文(ヘボン)辞書』の出版と共に始まる。700頁を越す、当時としては大冊と呼べるものであり、その後、日本人が編纂する和英辞典は言うに及ばず、和独辞典、和仏辞典等の外国語辞典、『言海』等の近代国語辞典に多大な影響を与えた。ただし、同書は、日本在住の英語圏人や、来日する外国人日本語研究者などを対象者として編纂された辞典であり、「和英辞典」と言うよりも「日英辞典」と言うほうが正確である。いずれにせよ、初版(上記)は江戸幕末期の、再版(1872年、明治5年)は明治維新期の、第3版(1886、明治19年)は明治前期の、躍動する日本語の実態をよく伝える貴重な資料となっていることに変わりはない。本書の普及により、我が国に英語式ローマ字が広まり、改訂増補版である第3版に使用されたローマ字が、以後、「ヘボン式ローマ字」と呼ばれて、日本人に親しまれるようになった。
『平文辞書』の出版から29年後の1896年(明治29年)、Francis Brinkley ・南條文雄・岩崎行親編『和英大辞典』( An unnabridged Japanese- English Dictionary, 三省堂)が出版された。Brinkle は1867年(慶應3年)に、英国公使付き武官として来日し、海軍砲術学校教頭、工部大学校(東京大学工学部の前身)教師を経て、明治14年には、横浜の英字新聞 Japan Mail の経営者兼主筆となった人物であり、親日家であった。同辞典は『平文辞書』の2倍を優に越える A5版 1687頁の大著であったが、『平文辞書』の影響を受けており、日本人向けであると同時に、外国人日本語研究者向けであった。従って、内容的には、現代の和英辞典への過渡期であることを示すものである。
1907年(明治40年)には、入江祝衛編『詳解和英新辞典』(賞文館)が出版されており、その2年後の1909年(明治42年)には、『平文辞書』からの影響を脱した和英辞典が出版された。井上十吉編 『新譯和英辞典』(三省堂)がそれである。同書(全1872頁)は、主に日本人中学生の英作文や英会話の助けになることを編集目的としており、語義区分や訳語の並べ方など、今日的基準からすれば、極めて原始的であるが、その後、長く続く和英辞典の記述方式の原型となったものと言える。同書は大正時代に入ってからも用いられた。なお、井上は1915年(大正4年)には『井上英和大辞典』(至誠堂)を、1921年(大正10年)には『井上和英大辞典』(至誠堂)を出版したが、いずれも当時のベストセラーになった。1913年(大正2年)には、入江祝衛・A. W. Medley 共編 『袖珍和英辞典』(有朋堂)が出ている。1929年(昭和 24 年)に出版された『モダン和英辞典』はこれの改訂版である。
1918年(大正7年)には、当時としては我が国最大の和英辞典となった『武信和英大辞典』(研究社;全2448頁;下の写真左)が出版されたが、編者・武信由太郎はその序言で次のように述べている。
著手以來實に二十餘名の友人助手を煩はし、編者自ら公職の一部を辭し、拮居數年渾身の心血を注ぎ、更に著書、辭典、雜誌を渉獵して普く内外學者の研究に參し、悉く其珠玉を収め、以て遺漏なからんことを期す。唯、紙數に限りありて解義或は精細に亘るを許さざるものあり、加ふるに時日切迫して研究尚徹せざるものあり、和英辭典として吾人の理想を去る尚遠しと雖も、凡そ明治大正英語界の進歩略ぼ此一巻に結晶し得たるに庶幾からんか。參照せる所の著書、譯書、辭典、雜誌は一々擧ぐるに遑あらず。今や刻成りて之を江湖に薦めんとするに際し、謹んで 感謝の意を表し、功は是を現代學界に歸し、罪は編者自ら之を負ひ、徐ろに他日の大成を期せんのみ。 |
同書の第2版以降は『新和英大辞典』(上の写真右)と改名され、今日の第4版(1974年;全2110頁)に発展している。第2版は完璧を期すため、英国大使館商務参事官 G.B.Sansom の全面協力を得たことで知られる。いわゆる“ネイティブ・チェック”の嚆矢と呼ぶことができよう。現存する和英辞典では最長の歴史を持つ大型辞典である。
1923年(大正12年)には石川林四郎編 『袖珍コンサイス和英辞典』 が出版された。同書はその後、『新コンサイス和英辞典』(1932年)、『最新コンサイス和英辞典』(1940年)と改名され、1975年(昭和50年)には中島文雄編 『新コンサイス和英辞典』とみたび改名され今日に至っている。 『袖珍コンサイス和英辞典』が出版された翌年、すなわち 1924 年(大正13年)には竹原常太編『スタンダード和英大辞典』(宝文館)が出版されている。同書は用例約30万の全てを1910-20 年代の英米発行の新聞・雑誌・文学作品等に求め、5万7000を選んで見出し語とし、膨大な数量の例文を整理・再構成して編集したことで知られる。すなわち、英語圏人が書いた英文を元に編集した辞書という点で、英語らしい英語の収録された我が国初の和英辞典ということになる。注1)
それから4年後の1928年(昭和3年)、斎藤秀三郎編『和英大辞典』(日英社)が出版された。A5版、見出し語5万、用例12万、総頁数4640頁という、前例のない大和英辞典であった。斎藤はその序文において、「日本人の英語はある意味で日本化されなくてはならない」(The English of the Japanese must, in a certain sense, be Japanized) と、当時としてはユニークな見解を述べており、注2) その点で、英語的英語を目指した竹原常太の上記『スタンダード和英大辞典』とは好対照を成している。
1933年(昭和8年)には岡倉由三郎編 『新和英中辞典』(研究社)が出版された。英語名のKenkyusha´s New School Dictionary (Japanese-English)からも分かるように、学習和英辞典の範疇に入るものであり、実際、主な編集材料は、当時の中学校用英作文教科書や入学試験用問題に求められている。その点で、大いに日本的な学習辞典と言える。その後、1952年(昭和27年)に『スクール和英新辞典』と改名された。同書は1929年(昭和4年)に出版され、1940年(昭和15年)に『スクール英和新辞典』と改名された岡倉由三郎編『新英和中辞典』(Kenkyusha´s New School Dictionary (English-Japanese))の姉妹編である。
1941年(昭和16年)には竹原常太編 『スタンダード和英辞典』(大修館書店)が出版され、1964年(昭和39年)からは朱牟田夏雄ほか編『新スタンダード和英辞典』と改名されている。見出し語を50音順の配列にした最初の和英辞典と言われ、1975年(昭和50年)度版 『優良辞典・六法目録』(辞典協会・日教販)の宣伝文句には「和英辞典が日本語で引けたら、という英語学習者、研究者の多くの熱望に応え、画期的試み〈かな五十音の配列〉を採用した新辞典」とある。 1952年(昭和27年)には旺文社編 『エッセンシャル和英辞典』(旺文社)が、1953年(昭和28年)には『新和英大辞典』(研究社、第3版;第4版は前述の通り、1974年に刊行)がそれぞれ発行されている。1957年(昭和32年)には三省堂編集所編 『初級コンサイス和英辞典』(1986年に 『ジュニアコンサイス和英辞典』と改名)、1961年(昭和36年)には山田和男編 『新クラウン和英辞典』(三省堂)、稲村松雄・梶木隆一編 『ユニヴァース和英辞典』(1976年には『ダイヤ和英辞典』と改名)、1962年(昭和37年)には高橋源次編 『ジュニア和英辞典』(旺文社;改訂版 1980 年)、小川芳男編 『シニア和英辞典』(1967年;旺文社)、1969年(昭和44年)には河村重治郎編 『初級クラウン和英辞典』(三省堂)、1970年(昭和45年)には高橋源次編 『スタディー和英辞典』(旺文社;1992年第3版、宮川幸久編)、研究社辞書部編 『アポロ和英辞典』(研究社)、1976年(昭和51年)には清水護・成田成寿編 『講談社和英辞典』(講談社;1994年発行の『講談社キャンパス和英辞典』は本辞典の全面改訂版)、1979年(昭和54年)には稲村松雄編 『フレンド和英辞典』(小学館)が続々と出版された。
ここまでの和英辞典に共通して言えることは、いまだ訳語の羅列が多く、各訳語の意味・用法上の違いを知ることが困難な場合が極めて多いということである(中学生用のものは、収録語数・用例数など、取り扱う事柄が少ないため、訳語の羅列は目立たない)。従って、発信用の辞典としては、そのいずれも相当に不備なものであった。この点に関して、中尾(1999)は「これまでの和英辞典」と題した一節で、次のように述べている。
英和辞書は英語の語句の意味を調べたり、英語の単語に対応する
日本語を探すことであり、和英辞書は日本語の単語に対応する英語
を知りたい場合に用いる。大筋ではその通りであるが、英和辞書、
和英辞書それぞれ百年以上の歴史を持ち、利用者の要望に合わせ
て改善が重ねられてきていることを考えると、英和はしかじか、和英
はこれこれという外側からの判断だけでは必ずしもその正確さが理
解されない恐れがある。受信用には英和辞典、発信用には和英辞
典を用いるのが大まかな区別であるが、従来の和英は厳密な意味
では発信用とはいえなかった。それは単語レベルで日本語に相当
する英語を探すことがほとんどで、そうでなければ、洒落た文句など
名人級の英語表現を探すためというのが和英辞典にたいする利用
者のイメージであり、また事実そういった和英が優れた和英辞典で
あるとされていた。だから、以前は英語で文章を作る場合には和英
辞典を使って単語を探しだし、その語をどのように使い、正しい英文
に組み立てていくかで英和辞書との間を往復しながら英文を書き進
んだものであった。時には和英辞典と英英辞典との場合もある。
このような不便を脱することに積極的に取り組んだ学習和英辞典がある。それが、次に述べる『ライトハウス和英辞典』である。
2.学習和英辞典の新時代
学習和英辞典の新時代は、小島義郎・竹林滋編 『ライトハウス和英辞典』(研究社、1984年)の出版と共に始まったと言っても過言ではないであろう。この辞典が出現したあたりから、英語のlexicography(辞書編集法、辞書学)という用語が認知されるようになり、同書以降、辞書学的観点から発表用辞典 (encoding [active] dictionary) としての学習和英辞典を再検討する傾向が強まって、何点もの優れた和英辞典が刊行されるようになった。『ライトハウス和英辞典』はそれらの嚆矢と呼べるものであり、本格的な発表用学習和英辞典である。同辞典は、その「まえがき」において、次のように述べている。
本辞典は従来の和英辞典のあり方を根本から見なおして改善するこ
とをめざした。その第一は、和英辞典でひいた英語をもう一度英和辞
典でひき直さなくてもよいような和英辞典を作ることであった。そのた
めには訳語の意味・用例・文法・語法・日英比較・背景等すべてにお
いて従来のものとはまったく次元の違う編集をしなくてはならない。
(中略) とくに3名のネイティーブ・スピーカーの編集委員の方々には
英語表現を一つ残らず徹底的に検討していただいた。したがって、誤
植などは別 として、本辞典の英語表現に関する限り、すべてネイテ
ィーブ・スピー カーに容認されたものであると言ってよい。
この言葉通り、同辞典は従来の辞典とは大きく異なる発表用学習用辞典として、数々の特色を持って今日に至っている(1990年第2版;1996年第3版;同辞典に必要と思われる改良点に関しては拙著『学習和英辞典編纂論とその実践』の処所で論考した)。
続いて、1986年(昭和 61 年)には長谷川潔ほか編 『旺文社和英中辞典』(旺文社)が出版された。本書では、前記 『ライトハウス和英辞典』同様、従来の和英辞典共通の問題点が認識されており、その点が「はしがき」に次のように明記されている。
「和英辞典の用例はどうも実際的ではなく、役に立たない」「和英辞典
で訳語を調べた上で、あらためて英和辞典にあたって訳語の用法を確
かめる必要があるから、和英辞典のみでは用をなさない」「和英は見出
し語も用例も常に 時代遅れになっている」……等々、和英辞典共通の
問題点については、従来から多くの人々の指摘するところである。本辞
典の編集にあたってはこれらの問題点をどう克服するかに最大の関心
を持たざるを得ず、従って、幾たびかの試行錯誤を重ねつつ、それらの
問題点の検討に多大の労力と時間を費やした、というのが実状である。
同辞典は、英文校閲にインフォーマント 16 名を擁した辞典であり、上記の諸問題解決の努力を読み取ることのできる和英辞典であるが、実際には、いまだ羅列式のままの訳語が多く、その点がいかにも惜しまれる。たとえば、「それでも」を引くと、「still then; nevertheless; for all that; be that as it may 」のように、また、「陳述する」は「state; give an account 《of》; make a statement; set force; declare」 のようになっているだけである。更に、「とくに 特に」の場合も 「specially; especially; particularly; in particular →とりわけ、べつだん」と訳語が羅列してあるだけである。それでは、「とりわけ、べつだん」の項に詳細があるかと思いつつ、各項を参照すると、前者には「above all (things); among other [or other things]; especially; particularly; in particular →とくに、べつだん」、後者には「別段の special; particular/別段(に) specially, especially; particularly; in particular →べつ 6、とりわけ」のような訳語が与えられているだけである。 これでは、一般学習者には、それらの区別が付けられないであろうし、結果的にはそれらを使いこなせないであろう。
いずれにせよ、『ライトハウス和英辞典』『旺文社和英中辞典』あたりから、従来の和英辞典が共通に持っていた短所を取り除こうと努力する和英辞典の点数が増えて来た。この点は特筆に値する
同じ1986年には、近藤いね子・高野フミ編 『プログレッシブ和英中辞典』(小学館;第2版は1993年)、山田和男編『新クラウン和英辞典』(第5版;1995年の第6版からは改訂者は猪狩博・竹前文夫)も出版されている。前者 『プログレッシブ和英中辞典』の特長の1つは、日本語の語義立てにある。「重要な語については原義をT、比喩の意味をUにわけるなど、語義分類を厳密にし、日本語の概念を明確にするよう努めた」(「まえがき」より)ところが優れている。同じく1986年には小池生夫編
『チャレンジ和英辞典』(福武書店)が出版されている。
1987年(昭和62年)には、小川芳男編 『サンライズ和英辞典』(旺文社;1993年 『ニューサンライズ和英辞典』に発展・初版)、羽鳥博愛編『ジュニア・アンカー和英辞典』(学習研究社)が、1988年(昭和63年)には長谷川潔ほか編『プロシード和英辞典』(福武書店;1995年に 『ニュープロシード和英辞典』と改名して初版、社名もベネッセコーポレーションと変更)、斎藤次郎編『ハイトップ和英辞典』(旺文社;1992年改訂版)、1989年(平成元年)には荒木一雄編 『ブライト和英辞典』(小学館)、吉川道夫編 『ジュニアアプローチ和英辞典』(研究社)、1990年(平成2年)には中村敬・森住衛編 『ファースト和英辞典』(三省堂)、1991年(平成3年)には山岸勝榮・郡司利男編 『ニューアンカー和英辞典』(学習研究社)、小西友七編 『ニューセンチュリー和英辞典』(三省堂;1996年第2版;2000年には『グランドセンチュリー和英辞典』と改名・初版)、1994年(平成6年)には、前記した『講談社和英辞典』の全面改訂版である『講談社キャンパス和英辞典』がそれぞれ出版されている。全て学習和英辞典の範疇に属するものであり、各辞典がそれまでにない数々の特色を盛り込んでいる。
上掲書の内、『サンライズ和英辞典』は前出の『シニア和英辞典』を土台としながら、内容を全面的に検討し、新機軸と新たな工夫を盛り込んだものであり、『ニューサンライズ和英辞典』は前記した通り、その全面改訂版である。『ジュニア・アンカー和英辞典』の場合、その名が示す通り、中学生用であるが、中学生に必須の基本表現の押さえがしっかりしており、日常の身近な会話表現も多く、利用しやすい。『プロシード和英辞典』、およびその改訂版である『ニュープロシード和英辞典』の場合、夏目漱石研究家であり、清泉女子大学教授であるA.Turney氏(イギリス人)が編者に加わって、その信頼性を高めている。
また、『ニューアンカー和英辞典』は、日英語間のスピーチ・レベルを可能な限り一致させたことや、若者言葉を多く収録したことで知られる。「和英辞典に収録してほしい日常口語」と題したアンケートを約300名の大学生に対して行い、その結果を辞典に盛り込むという、user-friendlyな編集姿勢を打ち出したのは、和英辞典史上、同辞典が最初であろう。同辞典は、また、「本辞典編集のねらい」において、先行諸辞典に対する不満点を明記しており、その点で大いに異色のものとなっている。具体例を省略して、要点だけを列挙すれば、以下のようになる。
1.見出し語と訳語について
(a) 辞書によっては、いまだに、多数の見出し語について訳語だけを列挙し
たものがあり、利用者にとまどいを与える.
(b) 日本的な語彙の場合、その意味分析が不十分な場合が多い.その結
果、日本語と訳語との間に意味的なズレを生じているものが多数ある。
(c) 現行の和英辞典は、多数の語句において見出し語と訳語との間に、ス
ピーチレベルのズレを生じさせており、その結果として、学習者は、それ
らの和英辞典からは「適語適所」という、言語上の重要な慣習を学ぶこ
とができない状態にある.
スピーチレベルの重要性に対する認識は、わが国での英語教育全般に
いまだ欠落している.
(d) 地域表示が旧態然としていて、現実の語法を反映していない.
(e) 差別(的)用語に対する、人々の意識の変化に遅れをとっている.
(f) カタカナ語の処理が不十分であり、日本語と英語との意味上のズレに言
及していない場合が多数ある.また、訳語に和製語があてられている場
合も多い.
(g) 中型和英辞典でも、若者たちが知りたがることば、とりわけ俗っぽい響き
を持つ語句は、そのほとんどが未収録である.
(h) 訳語の中には、何十年にもわたって、先行の和英辞典から無批判に孫引き、ひ孫引き
してきたとしか思えないような誤訳もしくは不適切 な訳が多数ある.
(i) 人称代名詞の場合、日本語と英語との間に慣用法上のズレがあることが
ほとんど無視されている.その結果、不自然な日本文例が多数収録され
ている.
2.用例について
(j) 受験英語に散見されるような、生硬な直訳調の英語を相変わらず収録して
いる場合が少なくない.
(k) 日本的表現の用例がいまだに不足している.日本的表現には、ぴったりの
英語対応表現はないのが普通であるが、何らかの説明や補注を添えてで
も、この点を解決しなければ、日本人利用者にはフラストレーションがたま
るばかりである.
(l) 用例に登場する人名・地名・国名などには、必要以上に英米のものが多い.
和英辞典が、英語を対象とする辞典である以上、ある程度はやむを得ない
が、日本人が日本で使う辞典であるという観点に立てば、この点は一考を
要する.
(m) 非日本的な迷信・言い伝え・風習などに言及した文例が相当数混在して
おり、結果的に学習者に誤情報を与えることになる.例えば、「はしごの下
を歩くと悪いことがあるという迷信がある」(There is a superstition that
walking under a ladder brings bad luck.)とか、「13は縁起が悪い数だという
古くからの迷信がある」(There is an old superstition that
thirteen is an
unlucky number.) のような例文は英語圏のものであり、日本人の間に昔
から語り伝えられたものではない.
(n) 日常的に頻用される表現の収録がまだまだ不足.
『ニューアンカー和英辞典』は以上のようなさまざまな問題点を指摘し、続けて「本辞典での処理法」と題して、具体的にどのように取り扱ったかを明記している。もちろん、以上の諸問題を先行の他辞典が全面的に等閑に付しているということはない。それらの処理が不十分であったり、改良の余地が相当程度あるという意味である。本書でも、諸処においてそのことを証明している。
『ニューセンチュリー和英辞典』の場合は、文型・連語関係・非文法情報・音声事項などの取り扱いが丁寧で、学習和英辞典的である(同辞典に必要と思われる改良点に関しては本書の処所で言及した)。編集主幹・小西友七氏は、小西
(1992) において、その編集方針として次の4点を挙げておられる。
(1) 従来の和英辞典の単なる例文羅列型を排し、可能な限り用法指示型
辞典に転換する。
(2) 特別な場合を除いて。日本語を原点としてなるべくそれに沿った訳文
を与え、英文作成のプロセスを理解させる。
(3) こうも言えるという複数の訳文をできるだけ添え、英語表現の多様性
を知らしめると共に、日本人が犯しがちな誤りに対し、こうは言えない
という非文情報を入れる。
(4) 従来不足がちであった会話例文を多く入れ、また強勢やイントネーシ
ョンを示し oral communication に役立たせる。
1995年(平成7年)に出版された学習和英辞典の範疇に属するもので、注目すべきものは、『新和英中辞典』(研究社)第4版である。同辞典は、第3版では執筆者・校閲者の立場であったと思われる R.M.V. Collick ・シェフィールド大学教授(イギリス人)を新たに編者の一人として位置付け、更なる内容の充実をはかっている。その第4版の「まえがき」には次のようにある。
80年代からのこの10年は、英語辞典編集者にとっては、意識の変革を
迫られる歳月でもあった.この間につぎつぎに出版された内外の英語辞
典は、著しく「学習辞典」的傾向を濃厚にしている.英語を母国語以外の
第二言語として学習する人々のために、特に基礎的な英語の用法を解説
したり、あるいは英語特有の表現の裏に潜む、英語を話す諸国民の文化
的背景にまで言及して、学習者の英語に対する理解を深めようと努めたり、
またどのような記載法を採れば、利用者(ユーザー)にとって辞書が一層使い
易いものになるか、といった方法論的な反省の上に立って編まれた辞典が
主流となってきた.この点でも『スクール和英辞典』以来 の伝統の上に立
ち、英語学習者の熱心な学習意欲を自明のこととして編まれてきた本辞典
は、従来の編集方針に対して根本的な見直しを加えることを余儀なくされた
のである.
冒頭の1文は、80年代からの10年間に出版された、本章で紹介した数々の学習和英辞典の内容や特徴を見ればよく納得できる。辞典関係者にとっては、間違いなく、意識変革の必要な時代であった。
1996年(平成8年)には、吉田正俊・中村義勝編 『ハウディ和英辞典』(講談社)が、1997年(平成9年)には堀内克明編 『ラーナーズプログレッシブ和英辞典』(小学館)が出版された。後者は基礎の基礎を固め、初歩的知識を再確認できるように、「基本時制」「基本表現」「基本構文」の各欄を設けて user-friendly であろうと努めている。1999年(平成11年)には、同書の中学生版である、吉田研作編 『ジュニアプログレッシブ和英辞典』が出版された。
なお、注目に値することは、1990年代中頃から2000年にかけて、学習和英辞典の「まえがき」あるいは「はしがき」に、「オーラルコミュニケーション(に対応)」とか「実践的コミュニケーション能力(の育成に資する)」といった言葉が目立ち始めたことである(たとえば、前出の『ニュープロシード和英辞典』や後出の『スーパー・アンカー和英辞典』にそれらが見られる)。それまでにも「コミュニケーション」(たとえば、「英語を使ってコミュニケーションをはかる」)という言葉を使う辞典は珍しくなかったが、和英辞典の一大利用目的に「オーラルコミュニケーションの授業に対応させるために」とか「実践的コミュニケーション能力の育成に資するために」といった、時代の要求に応え得る学習辞典であることを明記したものは存在しなかった。ちなみに、学習和英辞典に音声面重視の傾向を取り入れて、和英辞典出版史上初めて、場面別英会話用CDを添えたのは『スーパー・アンカー和英辞典』である。
3.和英辞典に初の日本語監修者
これまでの和英辞典に共通する問題として、「日本語監修者」の独立的存在が全くないということである。和英辞典はその半分近くは日本語から成っているのであるから、当然、良き英語辞典であると同時に、良き現代国語辞典でもあらねばならないのであるが、実際には、和英辞典における国語辞典性に「責任」を負う立場の者は皆無であった。用例にも、前もって収集されていた英語の用例を一旦日本語に訳し、その日本語を更に和英辞典用に逆利用したと思われるものが多数見受けられ、従って、和英辞典の日本語には、翻訳臭や英語臭が漂うものが少なくなかった。 しかも、日本語として不自然なものも相当に多いというのが筆者のこれまでの観察結果である。そのような状況を作り出した1つの理由は、和英辞典の原稿執筆者のほとんどが英語教師であったためであろう。しかも、彼らには、和英辞典は日本人が編纂するものであり、日本人は日本語が完全に理解できるから、わざわざ校閲の必要などないという思い込みがあったのではないかとも考えられる。いずれにせよ、従来の和英辞典(編集陣)には、日本語学者、あるいは、外国人に日本語を長年にわたって教授した経験のある日本人を日本語監修者として別途迎えるという考えはなかったようである(「まえがき」などに、「日本語表現についても校閲を行った」と表記してある和英辞典もあるが、日本語監修者の明記のあるものはない。注3) しかし、和英辞典に含まれがちな日本語の不自然さを払拭するために、新たに日本語監修者を迎え、日本語用例作成と全日本文校閲にその直接的参加と協力とを求めた学習和英辞典が登場した。それが、前出 『ニューアンカー和英辞典』の全面改訂新版である筆者編 『スーパー・アンカー和英辞典』(学習研究社; 2000年1月初版)である。同書の「まえがき」である 「『理想の和英辞典』をめざして」で筆者は次のように書いた。
〈語義と用例の総点検〉
見出語の語義と用例の総点検、新規日本語用例の作成を日本語の
専門家に依頼し、正確かつ自然な日本文の提示に全力を傾けた.こ
れを全面的、徹底的に実行した和英辞典は本書が初めてであろう。
したがって、本書は現代日本語の用例辞典としての役割も果たし
得るはずである。(中略) 日本語面を充実させるために全面的にお
力添えをくださったのが、日本語コスモス代表・浅田秀子氏である.
氏は日本語に関する多数の著書をお持ちであるだけでなく、長年、
外国語としての日本語教授にも携わってこられた専門家である。「和
英辞典は“和”の部分において、何よりも“良き現代国語辞典”でなく
てはならない」という私の平素の主張が実現できたのは、ひとえに氏
のお陰である.(以下略)
母語である日本語に対するこうした姿勢は、およそ(学習)和英辞典と名の付く書物を出版する全ての日本人に必須のものであろう。これまでのほとんどの(学習)和英辞典は、母語である日本語への配慮を少なからず欠いて来たというのが、筆者の偽らざる見解である。その点に関しても、本書の諸処において実例を挙げながら証明を試みた。
4.ハイブリッド方式和英辞典の登場
1998年(平成10年)1月には、和英辞典に英和辞典を組み込んだ「ハイブリッド方式」と呼ばれる方式を採用した、新型の和英辞典が登場した。それが小西友七編 『ジーニアス和英辞典』(大修館書店)である。和英辞典に「英和辞典機能」を組み込んだ辞書形式は同書が初めてと言うわけではないが、その構造や編集方式はきわめてユニークである。すなわち、文型表示・選択制限・連語関係・語法など、英文作成に必要な情報が豊富なことで知られる小西友七編 『ジーニアス英和辞典』(大修館書店)を最大限、和英辞典に組み込んだもので、パソコンの検索機能を最大限に活用して成ったものである。ただし、極めてユニークな方式であるだけに、さまざまな観点から「学習和英辞典性」という点で、検証されなくてはならない問題を多く抱えている。具体的問題に関しては、拙著 『学習和英辞典編纂論とその実践』第5部第21章を参照されたい。
既述した通り、発信型の本格的学習和英辞典の始まりは『ライトハウス和英辞典』である。従って、学習和英辞典の今後の発展を促す上で、後発の諸辞典と同辞典との客観的評価作業は辞書学的重要課題の1つと言えよう。また、上記の通り、「ハイブリッド方式」という全く新しい型の和英辞典に関しても、同じく客観的評価作業が必要である。
5.古典的和英辞典再評価の動き
最近、古典的和英辞典としての評価の定まっていた和英辞典を復刻する動きが活発であるように思う。その典型例が斉藤秀三郎編『和英大辞典』(1928)である。同書は1979年(昭和54年)に名著普及会から覆刻版第1刷が発行され、1983年(昭和58年)には覆刻版第6刷が発行されていたが、1999年(平成 11 年)秋には『NEW 斉藤和英大辞典』として、同書の復刻新版が日外アソシエーツ社から出版された。同社が添えた宣伝文句には、「日本の歴史・文化・風俗の英語表現に最適な15万文例を収録。英訳しにくい俳句、和歌、漢詩、都々逸、流行歌詞などを含め、学習用辞書にはない豊富な語彙と好評です」とある。同書は『CD-NEW斉藤和英大辞典』と銘打ちCD-ROM化もなされ、更には「英語から引く斉藤和英、新たに類語辞典」という文句と共に『NEW 斉藤英和対訳表現辞典』としても刊行された。 このように、いわゆる『斉藤大和英』が新世紀に向けて再評価され、多様な形での復刻がなされるようになった背景には、日本人が自分たちと自分たちの文化とを発信するのに同辞典が大いに有益であると思い始めたからであろう。換言すれば、『斉藤大和英』の復刻は斉藤自身が日本人であることを意識し、「日本人の英語はある意味で日本化されなくてはならない」(The
English of the Japanese must, in a certain sense, be Japanized.)と信じていたことへの後世の人々の賛同あるいは賛意であるように思う。辞書編集関係者の一人として、筆者は最近のこの傾向を喜ばしいものと受け止めている。
ちなみに、ヘボンの『和英語林集成』(『平文辞書』;1867年)に関して言えば、同書の初版・再版・三版を並列的に配置し、どの語彙が増補されたか、どのような移動があったかが一目瞭然になるように編集した『和英語林集成 初版・再版・三版対照総索引』(全3巻)の刊行が《港の人社》によってなされた(2000年1月に第1巻・和英の部 A〜Kが、2000年9月に第2巻・和英の部
M-Z が、2001年7月に英和の部 A-Z がそれぞれ上梓された)。これは国際基督教大学大学院教授・飛田良文氏所蔵のものを定本としたもので、同氏は「刊行にあたって」で次のように述べておられる。
『和英語林集成』はA Japanese and English Dictionary の英文題名を
もつ日本最初の和英辞典として知られている。編者はヘボン式ローマ
字で有名なJames Curtis Hepburn (1815-1911)、漢字名は平文であ
る。ヘボンは1859年に来日した宣教師で、まだキリスト教が禁止されて
いた時代に横浜に住み約8年間の労苦の末に本書を出版した。その目
的はキリスト教が解禁されたときに来日する宣教師のために、また聖書
の翻訳のための手引きとしてであった。『和英語林集成』は初版・再版・
三版と版を重ねるたびに新語を増補したので、今日からみると、日本の
近代化、日本の文明開化のありさまを反映した単語の集成ということが
できる。したがって、日本語史、英学史、辞書史、思想史、文化史、化学
史など、さまざまな分野の新語が収録されている。
本書はヘボンが離日してからも、四版、五版、六版、七版、八版、九
版と版を重ねたが、第三版と内容が同じである。そこで、初版・再版・三
版と内容は同じである。そこで三版・再版・三版の同一見出し語を対照
させ、一回で三種の内容を見ることができるように対照索引を計画した。
(以下略)
ヘボンの『和英語林集成』の復刻は「近代日本語の変遷のうねりが一目瞭然にわかる画期的な対照総索引」(宣伝用パンフレットより)ではあるが、既述したように、これは日本在住の英語圏人や、来日する外国人日本語研究者向けではあっても、日本人用に編纂されたものではないので、上記の斎藤和英辞典と同列に扱うわけにはいかない。筆者としては、『和英語林集成』復刻版は、近代日本語を捉らえ直す実用的な書物として活用したいと思っている。現時点では、斉藤和英辞典復刻版、および同書の多面的利用(CD−ROM化、類語辞典化)により大きな魅力を感じる。斉藤和英辞典は、今後の発表用和英辞典作りにさまざまなヒントや情報を提供してくれるであろう。
注
1) しかし、このようなタイプの和英辞典は、英語的な用例は収録されるが、純日本的な事物を扱う見出し語・用例等の収録に遺漏が生じる恐れが多分にある。この点は、英和辞典の情報をコンピュータ使用によって、和英辞典に組み込んだ「ハイブリッド方式和英辞典」にも当てはまる。
2) 斎藤秀三郎のこの見解に関連して、小島(1999; 434-5 頁)は次のように述べている。
この「序文」の結論とも言うべき「日本人の英語はある意味で日本化され
なくてはならない」という意見は奇異で外国語学習の常道に反した考えに
聞こえる.ただ、斉藤が「ある意味で」と言っているのは、これが決して和
製英語とか Japlishなどを奨励しているのではないということであろう.そ
れは彼も初歩の英語は imitation だと言っていることからもわかる.日本
人の英語には日本人の味があるべきだという意味であろう.しかし、たと
えネイティブスピーカーと同じ英語を使おうと思っても日本人の味が自然
に出てきてしまうものである.それを斉藤のように積極的にそうあるべしと
するのは、やはりかなりユニークな意見と言うべきであろう.
3) 「日本語校閲者」を立てている辞典もあるにはあるが、当人は英語教師であり、客観的に見て、さほどの成果を上げているようにも思えない。やはり、『スーパー・アンカー』で実行したような、「日本語監修者」を正式に立てる必要がある。
言及文献
中尾(1999) 中尾啓介 「和英辞典」(『大学生の英語学習ハンドブック』研究社出版、pp.73−8)
小西(1992) 小西友七 「学習英和・和英辞典を考える作り手側の立場から」(翻訳の世界」誌、4月号)
小島(1999) 小島義郎 『英語辞書の変遷―英・米・日を併せ見て』(研究社)
【本稿は拙著『学習和英辞典編纂論とその実践』第一部1部第1章に多少の加除修正を施したものです】