W 英語文化と辞書―和英辞典
1.和英辞典の問題点
和英辞典は英和辞典に比べてはるかに改良すべき点が多かった(し、今も多い)。改良が遅れた主な理由として、出版社が和英辞典作りを採算の合わないものと考えたらしいことが挙げられる。かつて私が大学生数百人を対象に行なった調査では、高校時代に和英辞典を購入した者、購入するよう教師から指示された者、そしてそれを実際に使用した者の数は、英和辞典のそれと比べて極端に少なかった。英語教師から「和英辞典など受験の邪魔だ。使うな」といわれた学生も少なくない。教師自身が和英辞典を利用することが少ないことも、統計的数字でわかっている。これでは和英辞典は売れないし、売れなければ出版社は和英辞典作りに投資せず、辞典作りが積極的に行なわなければ、その質が向上するはずがない。
しかし、15年前あたりから、和英辞典は格段の進歩をとげ始めた。発信型英語教育の重要性が叫ばれ始めたことが一大契機となって、その需要が増えたためと思われる。とりわけ、『ライトハウス和英辞典』〈1984年初版)と『プログレッシブ和英辞典』
(1986年初版)が刊行されたあたりから、私はそれを実感した。
前者は、訳語が2つ以上並列されたときは意味の区別か、文体上の区別を記述している。例えば、「ときどき」では類義語解説として、「最も一般的な語は
sometimes.不規則な間隔を置いて繰り返して起こるのが
now and then、強調したいときに every を付ける.多少定まった間隔を置いて起こるのが
from time to time で、やや文語的.忘れかけたころ、たまに起こることを表すのが
occasionally で、それと同意の、くだけた表現が
once in a while 」とあり、学習上の配慮が行き届いている。
また、後者は、重要語について、原義をT、比ゆ的な意味をUに分けるなど、語義分けを厳密にし、日本語の概念を明確にするよう努めている。同辞典は日本語を言語体系の異なる英語と比較し分析することにより、日本語の特質を浮かび上がらせた。たとえば、「かき回す」の項を見ると、Tは「中身を回してまぜる」と定義してあり、その代表訳語と用例文が列挙されている。Uは「混乱させる」と定義してあり、この語を用いた比ゆ表現例が挙げられている。
両辞典とも新機軸を打ち出し、和英辞典の質の向上に多大な貢献をしたというのが私の印象であった。英語のネイティブスピーカーが、英文をチェックするだけの立場(校閲協力者)ではなく、編集委員という重要な立場で全面協力した点でも、先行の諸辞典と異なっていた。それ以後、優れた和英辞典が次々と刊行された。
2.まだまだ多い問題点
しかし、それで改良が終了したわけではない。和英辞典の要改良点はまだまだ相当多く残っている。利用者は和英辞典の記述を信用して引くのだから、訳語や例文に問題があってはならないのだが、そこは神ならぬ人間の作るもの、たいていの辞典が誤解や勘違い基づくと思われる不適切な記述を少なからず内包している。ある和英辞典にだけ発見される誤記があるかと思えば、すべての和英辞典に共通する、俗にいう「親亀こけたら皆こけた」式の誤記もある。
さらに、用例の日本語に対する英訳として、文法的には正しいのだが、文化の違いにより受けとめ方の差異が生じているにもかかわらず、それらが等価表現として並列されている場合もある。
【本稿は小著 『英語の辞書作りと私』(学習研究社刊;非売品)の第19章の転載です】
●拙著 『学習和英辞典編纂論とその実践』(博士論文)は、現行和英辞典(特に学習和英辞典)の問題点、その原因、その解決法、和英辞典の在り方などを詳論したもので、本邦初の本格的和英辞典論だと思います。