V 英語文化と辞書―英和辞典(2)
英語文化の中核を成す宗教と言えばキリスト教である。人々の宗教心は以前に比べればだいぶ薄れたようであるが、それでも彼らの日常生活にその宗教性はしっかりと根を下ろしている。したがって、キリスト教の精神を色濃く反映している日常的語句も、当然数多く存在する。英語文化を深く知ろうというのであれば、それらに関する知識は必須である。英語学習の適当な時期に最低限の知識は獲得しておきたいと思う。たとえば、amen,
Bible, Catholic, charity, conscience, cross, Devil, God, heaven, hospitality,
humility, love, philosophy, Protestant, religion, right, service, sin,
suicide, the (Holy) Spirit, vengeance, witch などはキリスト教と密接な関係がある。英和辞典の中には、一部の語について記述・説明しているものはあるが、キリスト教的観点から各語をきちんと記述しているものはない。
そこで私は 『スーパー・アンカー英和』
において、キリスト教文化に関連したこれらの概念語を平易に記述することによって、日本人学習者の注意を喚起することにした。ここでは
conscience, humility, philosophy, right の4語に言及しておきたい。
1. conscience
この語はキリスト教と密接な関係がある。「良心」と訳されることが多いが、misleadingな訳語だと言わざるを得ない。むしろ、「(個人における)善悪感、善悪の判断力
(sense of right and wrong)」が第一義だと考えたほうがよい。キリスト教徒として生活する際の言動の判断基準となるものであって、悪を避け善を行なわなければならないという気持ち、すなわち「良心」はこれに付随する感覚である。したがって、conscience
即 「良心」ではない。
2.humility
「謙そん、謙虚」という意味であるが、キリスト教では信仰者の最も基本的な徳の一つである。旧約聖書の「箴 (しん)言」(22:4)には、「謙そん(humility)と主を恐れることとの報いは、富と誉れと命である」とあり、新約聖書の「コロサイ人への手紙」(3:12)にも「謙そんを身につけなさい」と出てくる。
3.philosophy
「哲学」と訳されているが、「人生上の知恵を愛し求めること」を目的とした学問のことで、キリスト教色も濃い。キリスト教では、人生に必要な知恵と知識はすべてキリストのうちに存在するものであり、確固たる人生哲学や人生観も強固な信仰の確立によって生まれるものであると考えるから、人々がまやかしの哲学のとりこになることを戒める。
4.right
「正義」という意味で用いたときの rightである。何が「正義」であるかは、時代や社会状況などによって変化しうる概念であるが、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教のような一神教を深く信仰する人々の間では、「正義」の基本は神の教えや命令を忠実に守ることであるという考え方が定着している。
高校生以上を対象とする英和辞典ともなれば、このような記述は異文化理解という点から見ても有益な記述であると思われる。
【本稿は小著 『英語の辞書作りと私』(学習研究社刊;非売品)の第11章の転載です】