U 英語文化と辞書―英和辞典(1)


  双方向性の英語学習が望まれ、異文化理解の重要性が叫ばれる今日、日本人学習者に本当に役立つ英和辞典とはどのようなものか。私は一人の辞書家として、長年それを考えてきた。たどりついた結論は、本当に役立つ英和辞典とは 「英語と英語文化の理解に役立つもの」 という、自明の理というべきものだった。
  辞書である以上、定義・語法説明・用例などが充実したものでなければならないことは言うまでもない。しかし、文法説明・語法説明に関しては、英語教師か専門的知識を必要とする人たち向けではないかと思われるような、微に入り細をうがった説明に多量の紙面を費やすよりも、私は英語文化の真の理解につながる解説を重視したい。具体例を示す。
  
dependence について
  一般の辞書でこの語を引くと、「(人などに)頼ること、(…への)依存(状態)、依頼;(…への)信頼、信用」 などと定義してあるのが普通だ。しかし、これだけでは日本人学習者は dependence という語を辞書的・明示的意味だけで判断してしまい、その背景にある文化的・暗示的意味を理解することはできない。「(人などに)頼ること、(…への)依存(状態)」 という意味の背景の理解が重要であると思う。そこで、私は 『スーパー・アンカー英和』 の dependence の項に次のような説明を加えた。
 
   《参考》 日本人にしばしば見られる、いわゆる「甘え」は、英米人からは「他への依
   存」 (dependence) と解釈されがちであり、当人の意志・性格の弱さと関連づけられ
   ることが多い。他への依存は、英米では「自己の(人間的)弱み」を見せることにつ
   ながるため極力排除される。

public speaking と speech  
  一般の辞書で public speaking を引くと、単に「演説」あるいは「講演、演説」のような訳語を挙げているだけであるが、これではこの語の英語文化における本当の姿を伝えていない。これは辞書的意味としては、「人前での話し方、話術;演説〈法)」と訳した方がよいものである。人前での話し方を学び、それに慣れていく必要のあるものに speech がある。「演説、講演、スピーチ、あいさつ」などと訳されるが、その社会的意義は、日本のそれらよりもはるかに大きい。『スーパー・アンカー英和』 の speech の項には次のようなコラムを与えた。

   《解説 speechについて 
  
speech には何百万人、何千万人という聴衆を意識して行なわれる大統領就任演説
   のようなものから、一般人が小規模なディナーの席で行なうものまでさまざまである。
   英語国では自分の考えを論理的に、かつユーモアやウイットを織り交ぜながら聞き手
   を飽きさせずにspeechを行なう能力が高く評価される。

  英語を学ぶということは、英単語の表面的な意味を知ったり、暗記したりすることではない。その単語が英語文化に占める意義を知るように努めることが大切である。

eye contact
  一般の英和辞典で eye contact を引くと、「視線を合わすこと」という訳語が記載されているのみである。しかし、英語学習は異文化学習であり、異文化理解につながるものでなければならない。だから英語圏文化において、相手と視線を合わせることがどれほど重要であるかを、早い機会に日本人学習者に教えることが望ましい。そこで私は 『スーパー・アンカー英和』 の eye contact の項において、日本人は他人、特に上位者と話をする際に視線をはずしがちであるのに対して、英語文化圏の人々は相手の地位や身分に関わらず、直視して話すことを重要と考えるということ、そのため、He couldn't look me straight in the eye. (彼はまっすぐに私を見なかった) は 「彼はうそをついている」に近い意味になることなどを《解説》として記述した。
 
date
  名詞の date に 「デート(の相手)」 という意味があることはどの辞書にも記載されていることであるが、英語圏の若者にとってデートがどれほど重要なものであるかという文化的側面を教えてくれる辞書はなかった。そこで私は、 date の文化的側面について次のような解説を加えた。

    《解説》 デートについて
    (1)英米の若者は日本の若者よりも異性とのデートを早い時期に始めることが多
    い。早い人は小学校の高学年から、一般には中学校の初期のころから始める。
    (2)英語国には日本の「見合い」のような習慣がなく、また、配偶者は普通は自
    分で見つけるので、「デート」はそのための格好の機会となる。したがって、日本
    人が考える「デート」よりもいっそう真剣な行為である。

security, thoughtfulness
  この2語も文化的背景の説明が必要な語と考え、『スーパー・アンカー英和』 では次のように解説コラムを出した。

    
    《解説》 securityについて
    欧米人の精神の根底には、異民族・他国民との攻防を繰り返した結果から学んだ
    「自分(たち)の安全は自分(たち)の手で守らなければならない」という観念が根
    づいている。アメリカの銃社会はその1つの反映とみなすこともできる。(後略)

    《解説》 thoughtfulnessについて
    (1)「和」を大切にする日本人にとって大切なことは「(他人に対する)思いやり」で
    あるが、英語国民にとってのthoughtfulnessは「相手に自由選択権を与えること」
    「相手の感情を傷つけないこと」と解釈される傾向が強い。(後略)

  日本人も外国人も、ともすると自分たちの文化的価値基準で相手を量ろうとする。そして、相手を傷つけたり、自分たちが傷ついたと思ってしまう。英和辞典がそのような危険性を排除することに役立つことを願って、私は『スーパー・アンカー英和』 の編纂に当たって、英語の背景にある文化的側面の記述に全力を傾けた。

【本稿は小著 『英語の辞書作りと私』(学習研究社刊;非売品)の第9章、第10章の転載です】