1 生涯学習の一環としての辞書指導

1.はじめに
  諸所で書いたり述べたりしてきたことであるが、我が国の英語教育は辞書指導を十分には行ってこなかった。十分でなかった理由としては、次のようなことが考えられる。すなわち、

   @教科書の巻末にある「単語リスト」だけでさほど不自由を感じないこと、
   A辞書指導にまで手が回らないこと、 
   B教師自身が辞書指導を受けてこなかったために辞書指導の在り方に
     ついての理解や知識(や熱意)を欠いていること、
   C大学受験などとの絡みで辞書が"邪魔者"扱いされてきたこと、
   D経済的理由から、生徒全員に辞書携帯を義務づけにくいこと、
   E辞書の記述内容に教師や生徒の興味を引くものが少なかったこと、
   F我が国には、「読書百遍、意、自ずから通ず」の言葉通り、教科書を
     繰り返し繰り返し読むことにより、その内容が理解できるようになる
     という“信仰”があり、辞書を介在させる余地が少なかったこと(ちな
     みに、「只管打坐(しかんたざ)」をもじって「只管朗読」という造語をし
     た人もいる)などである。

  これらの理由が相互に作用しながら、今日の貧弱な“辞書指導”の現状を生み出したものと思われる。これらに関しては、すでに諸所で言及しているので、本稿では繰り返さない。本稿では、むしろ、辞書指導を「生涯学習の一環」と位置づけることの重要性と辞書指導の在り方に言及したい。

 2.なぜ「生涯学習」か
 辞書指導の在り方は、中学生、高校生のうちから、教師の指導によって、機能的、体系的に施されることである(その具体例は後述する)。個人的な思い出で言えば、私は漢和辞典の使用法を教わった経験がない(英和、和英辞典は言うにおよばず国語辞典の場合も同様)。結局、自分で何とか引き方を覚えたが、大学教師になり、頻繁に文章を書くようになってからは、いっそう漢和辞典の世話になっている。しかし、ある漢字の画数や数え方や、その漢字の旁(つくり)や偏のどこを頼りにすれば適切な関連記述に行き着くのかという点になると、今もって心許無い状態である。適当な時期に、きちんとした漢和辞典利用法を教えておいてもらいたかったというのが、現在の偽らざる心境である。中・高生のころの私は、将来、自分がこれほど多くの"文字"を書くとは予想だにしなかった(だれにも自分の将来など分かりはしないが)。それだけに、漢和辞典を「生涯学習の一環」と位置づけて、辞書指導をしてくれる教師が、1人でもいてくれたら、どれほどよかったろうかと思う。
 英語の辞書指導の場合も同様である。ある生徒が、将来、英語との関わりを深めるかも知れないし、英語を職業上の"武器"とするかも知れない。その時、当人が過去にきちんとした辞書指導を受けていれば、辞書の情報をより速く、より的確に引き当てることができる。また、辞書の発音記号の読み方を教わっていれば、難語に出くわした場合にも、自分一人でその語を発音してみることができるようになる。新世紀における“世界語”としての英語は、ますますその役割を大きくしていくであろうことは疑いを入れない。D.グラッドル著『英語の未来』(山岸勝榮訳; 研究社出版; 原著 David Graddol:The Future of English? ―A guide to forecasting the popularity of the English language in the 21st century , The British Council, 1997)を読んでも、そのことを実感する。
 日本の子供たちは好むと好まざるとに拘わらず、今後ますます英語との接触を増やしていくであろう。"英語好き" はいっそう英語好きになるかも知れない。あるいは、今、たまたま英語が好きになれない生徒がいたとしても、その子が将来とも"英語嫌い"であり続けるという保証もなければ、反対に英語好きにならないという保証もない。職業上の理由から英語を身につけなくてはならなくなるかも知れないし、英語国に居住するようになるかも知れない。そのような時が来た場合、中学・高校時代にきちんとした辞書指導を受けていれば、より円滑な“英語(再)学習”が可能になることも、また疑いを入れない。
 本年度(平成10年度)、私は明海大学外国語学部英米語学科2,3年生で私の英語学特講を選択した諸君100名全員に『スーパー・アンカー英和辞典』を"教科書"として購入してもらい、毎回、辞書の活用法、その限界などを講義しているが、全員が嬉々として授業に臨んでくれている(学生の出席率はきわめて高い)。前期末の試験の際にも、多くの学生諸君が、試験用紙の裏側に、「辞書がこんなにおもしろいものだとは知りませんでした」「中学・高校の時にきちんとした辞書指導を受けておきたかった」「辞書を“教科書”にできる先生に出会ったことがありません。すごい!」「辞書に“限界”があることなど、考えもしなかった」「こんなに刺激的な授業、受けたことがありません!」「辞書は高い物だと思っていましたが、今は1万円でも安い(!?)と思えるようになりました」「辞書の世界が見えてきた。日本一、おもしろい英語の授業だ!」「真に役立つ辞書の選び方、どこをポイントとして選べば良いかが分かりました。それを教えて下さった先生に感謝!」等々の感想を寄せてくれている。辞書とは「慈書」(言葉を慈しむ書物)であり、「滋書」(言語中枢に滋養を与えてくれる書物)である。そうした思いを抱いての私の辞書指導であるが、上記の学生たちの感想にも見られる通り、教師の熱心さは生徒・学生たちにもきちんと伝わるものである。その点も私は実証済みである。

3.辞書指導の目的
 昨年、1997年、6月29日、私はELEC同友会実践研究部会主催による「中・高連携を考えた辞書指導のためのワークシート集」の研究発表会に講評者兼講師として招かれた(於・東京巣鴨、十文字学園)。その際、同部会が示した「辞書指導の目的」は次のようなものであった。

《ELEC同友会実践研究部会案》
   @ 辞書の種類、機能について教える。
     辞書を引いてどんなことが調べられるのか、また、学習
     できるのかを教える。
   A 辞書を引くことのおもしろさを教える。
     辞書を引くことで単に意味だけでなく、あらたな発見を
     したり、異文化について学習できたりすることに気づか
     せ、興味を持たせる。
   B 辞書を活用できる自立した学習者を育てる。
     「自分で学んでいる」「自分で学ぶ力」を育てるのが辞書
     指導の目的の1つであり、生涯学習との関連でも大切な
     要素である。

ELEC同友会実践研究部会の「辞書指導の目的」に沿って、私はこの案を以下のように表記することを提案した。

《山岸提示案》(特に下線部を換言・付加した;削除部分省略)
   @ 辞書の種類、機能(綴り、発音、語義[句義]、品詞、語
     形変化など)、意義[必要性・有用性]について教える。
   A 辞書を引くことのおもしろさを教える。
     辞書を引くことで単にその機能を理解するだけでなく、あ
     らたな発見をしたり、異文化について学習できたりするこ
     とに気ずかせ、辞書の小宇宙に興味を持たせる。
   B 辞書を活用できる自立した学習者を育てる。
     「自分で学ぶ力」を育てるのが辞書指導の目的の1つで
     あり、生涯学習との関連でも大切な要素である。

 個人的には、この提示案に、もう1つ付加しなければならないことがあると思っている。それは、

   C 辞書の限界を教える。

 ということである。辞書さえあれば、英語はすべて読めると単純に考えさせないように指導することも大事である。換言すれば、辞書を利用することで、どのような情報がどの程度得られるのか、どのような点になれば、辞書は全く役立たなくなるのか、というような点を学習者にきちんと教えておく必要がある[この点に関しては、1997年4月号「現代英語教育」誌(研究社出版)における「授業と辞書利用(3)」および、『英語教育と辞書の思想と実践』(こびあん書房、1998、第二部、第1章)でも触れたが、本サイトの別所でも紹介しておく;こちらをご覧下さい]。この種の指導は、英語学習のかなり進んだ段階(たとえば、高校2年以上)で行なうのがよいであろう。

4.辞書指導の目的
 前記ELEC同友会実践研究部会による研究発表会で、講評者としての私は、その発表を1人、部会の研究成果として埋もれさせるのではなく、 「辞書活用ノート」 のような形で単行本化し、全国の中・高の教員・生徒に使ってもらってはどうかという提言をした。その結果、本誌出版元である数研出版が私の提言に賛意を表してくださり、『Inside the Dictionaries 英語辞書活用ノート』と題して刊行してくださることになった(本年秋刊行予定)。執筆にはELEC同友会実践研究部会の会員10名(中・高教員、各5名)が当たってくださり、私が監修者となった。そこで取り扱った18項目は以下の通りである。

  Introduction
  00.辞書ってどうなっているの?
  Stage 1
  01.辞書になれよう!
  02.名詞・動詞を調べてみよう!@
  03.形容詞・副詞を調べてみよう!
  04.イディオムを調べてみよう!
  05.単語の意味を調べてみよう!
  06.音節・アクセントを調べてみよう!
  07.発音記号を調べてみよう!
  Stage 2
  08.ハンドルは英語でも handleって言うの?
     ―カタカナ語、日本語と英語のイメージの違いを調べて
     みよう!
  09.名詞・動詞を調べてみよう!A
     ―自動詞・他動詞・可算名詞・不可算名詞
  10.類義語・語のつながりを調べてみよう!
  11.派生語、接頭辞・接尾辞を調べてみよう!
  12.和英辞典を使ってみよう!
  13.文法事項を調べてみよう!
  Stage 3
  14.前置詞を調べてみよう!
  15.ことわざを調べてみよう!
   ☆ 辞書の記号の話
  16.米と英の違いは?
  17.この場面でこの表現は使っていいの?
  18.こんな引き方、知っている?
     ―英和辞典しかなかったら

 これらの項目にはそれぞれ指導目標があって、たとえば、「00.辞書ってどうなっているの?」では、「英語の辞書の種類とその目的を認識させる/辞書を引くための基本を学習させる」(指導例省略)、「01.辞書になれよう!」では、「見出語の配列を確認し、辞書を引くことに慣れさせる/「つめ見出し」や「欄外見出し(はしら)」を活用させ、効率良い引き方を指導する」(指導例省略)、さらに「02.名詞・動詞を調べてみよう!」では、「名詞の複数形の調べ方を身につけさせる/動詞の変化形の調べ方を身につけさせる」(指導例省略)のような主眼が、それぞれ用意されている。
 確かに、すでに「ワークブック」を備えている英和辞典も少なからず刊行されている。しかし、それらはあくまでも、特定の英和辞典につけられたものであって、生徒全員が同一の辞書を持参した場合に主に有益なものである。しかし、学校によっては、持参する辞書はどこの社のものでもよいということで、特定のものに限定していないところもある。そうなると、どの英和辞典を持参していても、それらを使用して辞書指導が可能であるように最初から意図して作られたワークブックが必要である。上記 『Inside the Dictionaries 英語辞書活用ノート』 はそのような必要性に応えるために編纂したものである。1人でも多くの方に御利用いただきたいと思う。

5.おわりに
 私自身が辞書編纂に深く関わってきたから断言できるのであるが、最近の辞書はほんとうによくできており、引くだけでなく、読んで楽しいものにもなっている。そのことを教師自身が実感し、その実感を生徒たちに伝えていただきたいと思う。適当な時期にきちんとした辞書指導を受けた生徒達から、辞書を生涯の友とする者が輩出するであろう。

【本稿は「CHART NETWORK 英語 No.27」(数研出版;1998年10月刊)に寄稿したものに、一部加筆したものです】
『Inside the Dictionaries 英語辞書活用ノート』は既刊;こちらをご覧下さい