6.和英辞典・英和辞典を編纂して

                                        
              


 いつか自分らしさを打ち出した和英辞典と英和辞典を編纂してみたい、そう思い始めたのは二昔以上も前の事である。辞書出版界における“学閥”や“辞書編纂”とは無縁の私であったが、そのような大望を抱きつつ辞書研究に邁進するのはまさに苦しみであった。「私ならこのような辞書を作る」という思いで、岩田一男編 『アンカー英作文辞典』(学研、昭和45年初版)に、独り、書き込みを始めたのが1984年春頃である。これといった英語表現を採取しては同書の余白への書き込みを行った【本稿下部をご覧下さい】。次第に真っ赤な頁が目立つようになった。今は私の「宝物」である。それがきっかけで同書の改訂責任者を引き受ける事になったが、途中、本格的な学習和英辞典を作ろうという事になり、結果的に 『 ニューアンカー和英辞典』へと発展した。1990年初秋の事であった(奥付は1991年1月10日)。郡司利男先生からは『山岸和英』と読んでもよい作品である」という過分なお褒めの言葉を頂戴した。今見れば未熟な記述も少なからず発見できるが、当時の私は全身全霊で編集・執筆にあたっていた。
 それから9年間、次の改訂作業のために尽力した。明けても暮れても [寝ても覚めても] 『 ニューアンカー和英辞典』の事だけを考えた。和英辞典編纂史上初の「日本語監修者」を置いて、和英辞典の「日本語性」をチェックしてもらった。完全新版は 『スーパー・アンカー和英辞典』と改名、先頃上梓された(奥付2000年1月12日)。途中で、同じく学研刊の 『ニューアンカー英和辞典』(1988年初版;前身は 『アンカー英和辞典』、1972年初版)の編集主幹を務めるという栄誉も担った。柴田徹士(てつお)という偉大な辞書編纂者の業績をより輝けるものにするだけの力量が私にあったか否かは、出来上がった全面改訂版を手に取り、実際に利用して下さる方々が判断なさるであろうが、この改訂作業にもやはり全身全霊であたった。 『スーパー・アンカー英和辞典』(奥付1997年3月20日初版)がその成果である。
 もちろん、そうした大作業が私独りでできるわけがない。多くの人々の理解と協力があってこその完遂である。とりわけ、「縁の下の力持ち」として、その知見・経験・情熱・忍耐力を併せ持った学習研究社・辞典編集部の方々の存在を忘れる訳にはいかない。文化に貢献するこのような仕事を、私を信じて任せて下さった方々を思う時、私は胸に熱いものが込み上げてくるのを覚える。

【本稿は、国際教育協議会発行 「ニュースレター」(1999. 12. 24 ) に掲載した記事の転載です】

                               岩田一男編 『アンカー英作文辞典』に書き込みを始めた頃