To the dear memory of HAPPY ハッピー(1985.09.26〜2000.10.25)のありし日の姿 《いつも私のそばにいてくれた》 《穏やかで気品に満ちた友であった》 英語の “friendly” と 日本語の 「人なつっこい」 の違い、および 成句 「飼い犬に手を噛まれる」の本義を教えることによって 私の蒙を啓いてくれた “偉大なる功労者 ” For HAPPY, the great contributor to my dictionary-making, who enlightened me about the difference between the English word "friendly" and the Japanese word "hito-natsukkoi" and the real meaning of the phrase "Kai-inu ni te wo kamareru" (be bitten by one's dog). |
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「忘れな草」 |
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幼い頃のハッピー; 私の書斎が大好きであった。 ハッピー専用の椅子。i |
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幼い頃、江ノ島海岸(西浜)で |
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青年期 元気一杯だった頃(裏庭で) |
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壮年期から老年期 「お父さん、お仕事しないとダメでしょ。」 「お父さん、辞書ができて良かったね。」 「お父さん、今年も頑張ったね」 |
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老年期 痴呆症と白内障が表れ始めました。足腰が弱りました。 こうしていると共に過ごした月日の大切さが肌を伝わって来ます。 目が見えなくなりました。壁伝いにしか歩けません。 自力では立てないことも多くなりました。視力・聴力など、 ほとんどの機能が失われました。命あるものの姿です。 人間と何ら変わりません。いとおしさだけが募りました。
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◇ 15年という長い歳月 家族の一員として 喜びも悲しみも 共にしたハッピー。 君がいてくれて 家族のみんなが 本当に楽しかったよ。 たくさんの思い出をありがとう。 私たちがこの世に生きて在る限り 君の事は決して決して忘れないからね。 ◇ |
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この花のように純なハッピーであった。
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ある海鳥のこと ある年の10月2日のこと、近所の防波堤で、傷付いた海鳥が一羽、もがいていました。 投げ竿のオモリか何かがぶつかったようで、左の羽を傷めていました。釣り人たちは誰 も気にも留めません。私と子供たちは、その鳥をうちへ連れ帰り、心をこめて手当をして やりました。保護した日である10月2日をしゃれて「トニー」(10=「ト」、2=「ニ」)と名付 けました。それから数週間後、「トニー」はすっかり元気を取り戻しました。(写真・下) 「トニー」はしばらくして私達への警戒心を解きましたが、 ある日、予測された如く、どこへともなく飛び去って行きました。 最近、命あるものが目の前で苦しんでいても、「見て見ぬ 振りをする」ような、そんな「心無い人」が増えているように思います。 (飛ぶ練習をする「トニー」) 下の写真に写っている海鳥たちの中にも、釣り糸などが原因で片足を失ったと思われるものが数羽混じります。 それでも優しく接してやると、警戒心を解いて人間のいるほうへ寄って来てくれます。 うれしいことに、この鳥たちは私の顔を覚えてくれているようです。 |