7.2001年度山岸ゼミ生 「山岸ゼミと私」

次は、表記年度のゼミ生が年度末に書き残していってくれた文章です。
【掲載にあたっては学生諸君の了解を得ています。】

「山岸ゼミと私」  石塚 愛子(4年卒業生)                              
 一年前を振り返ると、私にはあまり活気がなく何に対しても少し後ろ向きだったような気がします。私は自分の家庭の事で悩んでいたので、ゼミで日本文化を学び自分の家庭を知りたいと思っていました。その頃の私は、今よりも自分の事も家族の事も分っておらず、何もかもが暗中模索だったことを覚えています。一年を経た今はだいぶ変わりました。私は、物事を前向きに考えるようになりましたし、家族に感謝するようになりました。この成長があったのはゼミのおかげだと思います。山岸先生には、本当に多くのことを教えていただき、その中で、現代を賢く生きる知恵、学ぶ姿勢、そして広い意味で人間については、特にこれからを生きる知恵になると思います。深い愛情を持って教えてくださった先生に心から感謝しております。先生、本当にありがとうございました。私は先生の学生として、不十分だったかもしれませんが、自分に誇りを持って生きていけるようここで学んだことを最大限に活用し、先生にしていただいたように、私も人の心に潤いを与えてあげられるようになりたいと思います。最後に、先生は私にとって、時には厳しく、また、とても優しい先生でした。この一言になってしまって申し訳ありません。お体を大切になさって、いつまでもご家族と幸せにお過ごしください。先生の下で学ぶことができたことを、本当に幸せに思います。ありがとうございました。 

「山岸ゼミと私」  岩井 梢(4年卒業生) 
 ゼミ活動も残りわずかとなりました。これまでを振り返り、自分自身の「足跡」を纏め、「成長」の証をここに書き残したいと思います。稚拙な文章で恐縮ですが、最後までご覧になって下さると幸いです。
 山岸教授に初めてお目にかかったのは大学2年の「対照言語研究」の講義の時でした。当時私は毎日平凡な学生生活を送ることに不満を感じ、生き生きとした学生生活を送ることに憧れておりました。その憧れを現実のものにして下さったのが山岸教授でした。対照言語研究初日の講義において熱意と迫力に満ち溢れた山岸教授を目の前にし、私は「山岸教授によって今までの学生生活を一変させることが出来るかもしれない」と直感致しました。私の予想通り、山岸教授の講義を受講する度に学生生活にメリハリを感じ、そして日常生活の中から常に小さな疑問を見出す習慣を身につけている自分に気づき、一日一日を大切に過ごすようになりました。以来、私にとって山岸教授の存在は「第二の父親」ともいうべき偉大なる存在へとなっていきました。私事で悩んでいた時にも、山岸教授はご自分のことのように親身になって下さり、的確なアドヴァイスと励ましのお言葉を幾度も与えて下さいました。
 そして、2年後に私は再び山岸教授の講義を受講しようと心に誓い、現在の「山岸ゼミ」すなわち、「日英言語文化研究」の履修を強く願うようになりました。しかしながら、山岸教授は多くの学生達からとても慕われておられ、当然のことながら山岸ゼミの受講希望者は多人数でした。山岸教授にとって、多くの受講希望者の中から一定数を選抜しなければならないということは非常に困難な作業ではなかったろうかと思います。私も自分が選抜から漏れてしまうのではないかと、山岸ゼミ履修者発表日当日まで不安な毎日を過ごしておりました。幸いにも、山岸教授は私をご選抜下さり、私は念願の「山岸ゼミ生」になることが出来ました。その時の感動は今なお鮮明です。
 山岸ゼミが本格的に始動したのは、昨年の4月からでした。当時は未だ「山岸ゼミ専用掲示板」が開設されていない時で、講義中に発表を行いながら「外国人の疑問 190」を解決していくより他にありませんでした。ですが、一人一人が自ら担当する疑問を決め、毎週新しい知識を少しずつ身につけていくことの出来る嬉しさから、前もって「疑問」の解答を用意して講義に望むこともしばしばでした。本来ならば知っているべきことを知らなかった自分に戸惑うこともあり、あまりに無知な自分に嫌気がさすことも度々ありました。しかしながら、毎週90分という少ない時間の中で得るものは非常に多く、山岸教授がおっしゃったこと全てを聞き逃すことのないようノ−トに書き留め、一分一秒たりとも無駄にしないよう心掛けてまいりました。
 そして、昨年の8月23日に掲示板が新設され、疑問を解くスピ−ドも一段と増しました。時間を気にすることなく好きな時に何度でも投稿し見ることの出来る「掲示板」のお蔭で、ゼミ生同士の意見交換も頻繁に行われるようになり、より充実したゼミ活動を行うことが出来るようになったのです。卒業生の皆さんや新ゼミ生との意見交換も行われ、以前にもましてゼミ生同士の交流が活発になるに連れて、私は、たとえ卒業しても「山岸ゼミ生」として掲示板に参加出来るという確信を得るようになりました。
 山岸ゼミを履修しようと決意した1年前の自分、そして今の自分を振り返ってみて思うことは、どんなことでも常に疑問意識を抱き、その疑問意識をそのままにせず、自分だったらどのように考えるのかという、自分なりの考え・意見を大切にする姿勢を身につけることが出来たのではないかということです。平々凡々と生活をするのではなく、日常生活の中から疑問を見出しその疑問に解答を出すことを通じて、自分の考えを纏め、文字にすることの大切さを学んだ1年間でした。特に、現在解いている「疑問190」以外にも疑問に感じていることがあれば皆にそれを提示し、一緒に考える姿勢を養うことが出来たのは大変貴重な経験です。私達はコミュニケ−ションというと言語の習得と流暢さを連想しがちですが、それ以前に、まずは母国のことを多く学び、外国人からの質問にも的確に答えられるようにしておくことが望ましいということを忘れてはならないと思います。
 実際に、山岸ゼミで学んだことを日常生活に活かす場はたくさんあります。現に、私は普段から正しい日本語を使うように心掛けたり、日本に関する正しい知識を身につけようとすることによって、自然と「日本人としてこの世に生を受けたこと」を誇りに思えるようになりました。1億分の1という確率でこの世に生を受けた私は、残念ながらこの世に生を受けることのなかった数多くの生命の分まで一所懸命に学ぶ「義務」があります。その「義務」を果たさずにいては私がこの世に生を受けた意味がなくなってしまいます。与えられた生命を大切に、これからも「日本人」としての自分により磨きをかけていきたいと思います。
 話は変わりますが、山岸教授のHPが3月15日で一周年を迎え、遅れ馳せながらおめでとうございます。ますますHPの内容もリニュ−アルされ、未だ全てに目を通していないので、これから徐々に時間をかけて拝見させていただきたいと思います。山岸教授のおっしゃる「defensiveな人間」でいられるよう、今後もHPを拝見させていただきながら精進していく所存です。私は教授の地方講演のお話が大好きです。全国で山岸教授のご活躍が拝見できることは「山岸ゼミ生」の一人としてこの上ない喜びです。今後のご活躍も楽しみにしております。
 最後に、山岸教授への感謝の思いを綴らせていただきます。
 山岸教授、4年間(ゼミでは1年間ですが)大変お世話になりました。山岸教授が私達ゼミ生のために時間を割いて下さり熱心にご指導下さったことは私達にとって貴重な財産です。私達がなぜと思う疑問に対して即答下さり、また私達の発表の際には、こうした方が更に説得力のあるものになると的確なアドヴァイスを下さったこと、心より有り難く存じます。私はこの1年が今までで最も充実した実り多き年となりました。それは、山岸教授のもとで「山岸ゼミ」を受講することが出来たからです。私は、毎回の発表の際、結論を先に述べるやり方に馴染めず、ダラダラとまとまりのない発表になってしまうことを気にかけておりました。そのような時に、山岸教授の研究室に伺わせていただき、お忙しいにもかかわらず、私のためにお時間を割いて下さり一つ一つ教えて下さったことは、今でも忘れることの出来ない思い出です。また、こんな私を副ゼミ長として認めて下さり、誠に有難うございます。この1年を振り返ってもやはり私はまだまだ副ゼミ長としての自覚が足りなかったように思えてなりません。掲示板が新設された際にゼミ生にもっと声をかけていたら、誰もが「恐れ多い」などと考えずに済んだのかもしれないと思いますし、また、残念ではありますが、なかなか掲示板に顔を出さないゼミ生に対しましても、副ゼミ長である私の説得が欠けていたのではと思えてなりません。私が本人にきちんと掲示板への参加をするよう伝えておけば、山岸教授が落胆なさるようなことはなかったのではと思います。それだけが唯一の心残りです。この1年間ゼミを学んできて、山岸教授から教えていただいたこと全てが走馬灯のように思い出されます。思い返すほど、あの時こうしておけばよかったと反省する点が多々ありますが、同時にどんなに難しい疑問でもあきらめずに皆で協力し合って解いてきたことを大変嬉しく思います。疑問はまだ全て解決していませんが、残りの期間で必ず解き終えたいと思います。そして、山岸教授と交わした「契約」をきちんと守り抜きたいと思います。
 山岸教授、この1年間は私にとって新しいスタ−トの年でもありました。今まで考えたこともなかった日本の素晴らしさ、日本人の魅力など、どれをとっても全てが印象的でした。それだけ私には「日本人」としての意識が足りなかったのだと思います。日頃行っていることに対して何一つ疑問を持たずにいるのではなく、多角的視野をもって、当たり前だと思うことほどなぜという疑問意識をもってこれからも精進してまいりたいと思います。また、以前に山岸教授がおっしゃっていた「modesty」の意味を誤解しないためにも、真の「謙虚」と偽りの「謙虚」を混同させないよう留意したいと思います。
 そして、山岸教授のHPにある「きみよ、輝け!」を私の人生のバイブルとし、今後どんなにつらいことがあろうとも、私は一人ではないということを忘れずに前進していきたいと思います。また、すでに私は働いておりますが、新しい門出に際して、大人であることの自覚と責任の重さに身が引き締まる思いです。私は、山岸ゼミ生であること、明海生であることの誇りを胸に旅立ちたいと思います。
 山岸教授、いつもご迷惑ばかりお掛けしてしまい本当に申し訳ございませんでした。卒業後も機会をみて是非とも明海大学に足を運びたいと思います。その際には、現在の山岸ゼミの様子をお話下さると幸いに存じます。私も、今度は卒業生として、再び掲示板に顔を出させていただければと思います。また、今年度は6人という少数精悦主義のもとでゼミが行われますが、最後まであきらめずに協力し合って疑問を解決していくことが出来るよう陰ながら応援させていただきたいと思います。また、必要であればお声をかけて下さると有り難く存じます。その折には喜んでお手伝い致します。山岸教授、どうかご自愛下さり、いつまでも私達の師匠でいらして下さい。今後も多くの明海生が山岸教授とめぐり会い、かけがえのない人生を送ることが出来ますように・・・。
【この文章を書いた岩井梢さんは、卒業時、明海大学でもっとも栄誉ある「宮田賞」を受賞しました。教師としての私の誇りでもあります―山岸】

「山岸ゼミで学んだ事」 大橋 愛 (4年卒業生)
 この一年、山岸ゼミで勉強してきたことで、私は大きく人生が変わったと感じています。私は昔から、細かい事に疑問を持つ事が多く、親、小学校の先生など、周囲にしつこく聞いては「これはこういうものなのだ」と、無理やり納得させられてきました。大学に入る頃には、自分が日本人なのにもかかわらず、自文化に誇りも持てず、なんとなく「日本はダメだ」と思っていたような気がします。ところが、明海大学で山岸先生の講義に出会い、衝撃を受けました。今まで誰もきちんと答えてくれなかった事を学ぶことができ、自分が知らない事すら知らなかった、大切な事がたくさんあることに気づく事が出来ました。正しい日本語、日本人の行動の意味、挙げるときりがありません。明海大学は、第一志望の大学ではありませんでしたが、この大学にこそ、私の学びたい事があり、この大学へきたことに運命を感じます。
 大学入学前、英語を勉強したいのなら、外国の大学に行ったほうが良いのではないかと親に勧められたことがありました。私は金銭の問題や、長期にわたる外国での生活に不安もあり、日本での大学進学を選びましたが、その後もしばらくは、英語を勉強するなら絶対、その国に行くほうが良いと思っていました。
 しかし今はその考えは変わりました。自分がなぜ英語を勉強したいのか気づいたからです。先生も以前おっしゃっていたことですが、英語はあくまでコミュニケーションの手段であり、重要なのは、英語で何を伝えるかと言う事です。自分の考えを持って人とコミュニケーションを取るためには、自分の育った国、文化を知っている必要があります。それが日本人である私という人間の根だからです。いくら英語が堪能でも中身のない言葉では本当に信頼できる人間関係は作れません。逆に、心のこもった内容は、つたない英語でもはるかに相手に届く。そういうことが分かりました。
 英語を勉強するなら留学という考えは安易でした。確かにその国の文化に肌で触れ、いい体験になるとは思います。しかし本当に勉強したいなら日本にいても勉強は出来ます。それより、人間として、日本人としての自分を磨くためにも、日本にいてよかったと思います。お陰で山岸先生のような素晴らしい先生に出会う事が出来ました。
 4月から私はJALカードで働きます。就職活動当時はそれなりに難関な会社ではありましたが、それでも私が内定をもらう事が出来たのは、山岸ゼミで学んだお陰だとつくづく感じています。先生が私達に注いで下さった愛情を、面接官が感じ取ってくれたのではないかと思います。
 これからはもう学生ではありませんが、山岸ゼミで学んだ事を忘れず、日々精進していくつもりです。山岸先生、本当に有難うございました。

「山岸ゼミと私」  川口知佳(4年卒業生)
 山岸ゼミを受講しようと教授室のドアを叩いた日から、もう1年が経とうとしています。このゼミで私は本当にいろいろな事を学びました。日本人でありながら日本についての知識が浅かった私にとって、ゼミで取り上げた外国人から見た日本の不可思議な習慣・思考はそのまま私にとっても疑問となり、日本について深く学びたいと思うきっかけとなりました。
 1年前の私は、外国人に日本について聞かれたり、日本人を誤解しているような発言をされたりしても何も言えずにいましたが、今ではそのような場面に遭遇したら日本を伝える絶好の機会に恵まれたと喜ぶ事ができるようになりました。
 このゼミで私が学んだ事は、日本についての知識はもちろんですが、それ以上に何かを学び続ける姿勢を保つ事、人とのつながりを大切にする事の大切さです。
 山岸先生は、この1年間絶えず私達に深い愛情を注いでくださり、時にその暖かい愛情の中で甘え、緩んでしまった心のネジを強く締めなおしてくださいました。このような環境を私達に授けて下さった山岸先生には本当に心から感謝しています。大学は卒業しますが、これからも山岸先生の教え子として日々精進していきたいと思っておりますので、これからも御指導の程よろしく御願い申し上げます。2002年3月23日 

「山岸ゼミと私」  佐藤 久美子(4年卒業生)
 山岸先生の授業を受講していた頃から、「山岸ゼミで学びたい」という思いを強く持っていました。それは、先生の講義を拝聴していくうちに自国の知識の無さに気づきはじめ、そして、それがどんなに恥ずかしい事か、自国のことを知ることがどんなに必要な事かを考えるようになり、日本についてもっと勉強したいと思い始めたからです。おそらく、先生の授業にめぐりあっていなければ、母国語の大切さなど考えもせず、ただ英単語や言い回しの暗記をしたり、英語でのコミュニケーションの仕方だけを学習して卒業していたと思います。この事を考えると今では恐ろしく感じます。
 先生が私を山岸ゼミに受け入れてくださり、毎回先生の講義を拝聴させていただくなかで、私の中に大きな変化がありました。それは、日本という国の文化、習慣、考え方、なによりも日本の良さを理解し、日本人であるという自分に誇りを持てるようになったことです。今までは、日本人とはどのような国民であるかなどは、考えようともしませんでした。そして、自分の日本語について見直そうとも思っていませんでした。しかし、外国語を学ぶにあたってそれがどんなに重要な事なのか教えてくださったのは、まさに山岸ゼミでした。思い返してみると、山岸ゼミで学んだ事は、決してほかの大学、ゼミでは学ぶ事のできない事ばかりでした。そして、今一年間ゼミで学び、感じることなのですが、外国人から日本人の行動について非難された時に、「そうではない、何事にもきちんとした理由があるのだから!」と反論しようとする気持ち、自信が生まれていました。明らかに、この感情は山岸ゼミで日々少しずつ養われたものです。この様な気持ちを持つことができるということは、とても大きな成長だと思います。
 以前、研究室に私が参りました時にも申し上げましたが、私は先生の授業を受講させていただくたびに、先生の講義内容や、心に響いたお言葉などをいつも両親に話しておりました。それほど、先生のおっしゃる内容が魅力的で、興味関心が強かったのです。本当に先生との出会いにより多くのことを教えていただきました。自分の価値観が変わり、日本人として誇りを持てるようになりました。先生のお力なしではこのような私の成長はありません。人生において大切なものは、職場との出会い、本との出会い、そして人との出会いの三つであると言う事をどこかで聞いた事があります。その“人との出会い”とは、まさに山岸先生の事であったと実感しております。
 山岸先生、長い間大変お世話になりました。この感謝の気持ちは言葉では言い表せません。本当に有難うございました。また、先生がホームページを開設してくださったお陰様で、大学を卒業した後も先生のお話を拝読することができます。少しずつでも掲示板にはぜひ、参加させていただきたく思います。どうぞ今後ともご指導をよろしくお願いいたします。

「山岸ゼミと私」  鈴木美智子(4年卒業生)
  山岸先生は私にとりまして、いつも正しい方向を指し示してくれる道標のような存在だと思っております。昨年のゴールデンウイーク明けの最初の授業のときだったと思いますが、そのときの私は希望していた企業の最終面接に落ち、簡単には立ち直ることが出来ないほど落ち込んでいました。
 その授業中、先生は私の心を読み取って下さったかのように、「個々人にとっての“好機”は、日本の“四季”に似ている。四季が必ず順次巡って来るように、個々人にとっての“好機”も必ず巡ってくる。だから、もし他の友達が自分よりも先に就職が決まったとしても、何も焦らなくても良い。自分にとって最も素晴らしい“季節”は少し待てば巡って来る」と言った内容の話をして下さいました。その言葉がとても温かく、また力強くて、憑き物が取れたかのように、フッと心が軽くなったことを今でも鮮明に覚えております。
 それ以来、自分だけが置いて行かれていると感じたとき、その“人間の四季”の話を呪文のように唱えては、自分を立て直しています。ゼミを受ける前、つまり一年前の自分と、今の自分を比べて感じることは、少し価値観が変わったことだと思います。
 以前は英語を学ぶことを難しいとは思っても、そこに怖さを感じたことは一度もありませんでした。それは“英語”という言語だけを知ろうとしていたからかも知れません。しかし、山岸先生の授業を受け、自国文化・他国文化の差を知り、今までそれを知らずに過ごしてきたことが怖く感じるようになりました。
 それまで私にとって“当たり前”のことであったことが、文化の違う相手にとってみれば“奇妙”に映ることが多々あり得るのですね。それを思うと、先生がおっしゃっていた、「夫婦でも、友人でも、家族でも、自分以外の全ての人が異文化を持っている」というお言葉がとても深く、深く心に響きます。
 その事実を意識し始めるようになると、「自分の文化を知った上で異文化を受け入れることができる」ということを幾度となく、実感するようになりました。自分の文化を知らなければ、相手が異文化を持つことなど気付かなかったでしょうし、それを理解しようとする努力さえしなかったかも知れません。その点の考え方がゼミを通して変わったと思います。
 山岸先生のゼミを受けて、自国文化を知る楽しさと、異文化を知ることの恐ろしさを知ることが出来ました。「過去を知ることが未来に繋がる。」 そのお言葉を胸に秘め、これから幾つもの異文化を感じて受け入れて行きたいと思います。
 一年間、たくさんのことを教えて下さってありがとうございました。ご多忙にもかかわらず、私たちゼミ生のためにホームページを開いて下さったり、ご指導・添削までして下さったことを本当に嬉しく思います。辞書を作られるのにとても大変な日々をお過ごしのことと思いますが、どうぞお体を壊されることのないように、お祈りをしております。本当にありがとうございました。

「山岸ゼミと私」 玉田由紀子(4年卒業生)
 私が初めて山岸先生の授業を履修したのは、私が3年の時でした。先生の授業を受け、今までの自分の考えが変わっていくのが解りました。先生のゼミをどうしても受けたくて、ゼミ受付の時間前に先生の研究室の前に待っていたほどでした。この一年間、先生からたくさんのことを学びました。自分にとって一番変わったことは、日本と言う母国がもっともっと好きになっていったことだと思います。いろいろな疑問を解けていくうちに、もっと知りたくなっていきました。また、いろいろな本を読むようにもなりました。以前私は「就職はとにかく海外で。海外に住みたい。」とばっかり思っていました。日本のすばらしさを知った今では、日本で海外のお客さんを迎え入れたいと思うように考えが変わりました。
 8月からゼミ専用の掲示板が出来、毎日チェックをするようになってきたら、授業が始まる前は図書館に行き、調べることが日課となっていきました。初めはどのように調べていいのか解りませんでしたが、民族学のコーナーなどに面白い本をたくさん見つけていきました。今では学校も地元の図書館にもよく通うようになりました。途中で掲示板の更新がとても早くて他のゼミ生に置いていかれると不安な時もありました。しかし、それが刺激になりました。
 私はこのゼミから数え切れないほど学びました。それは今後の日本の常識であるべきことばかりです。日本語から冠婚葬祭のこと、ふつうの本などには載っていないことばかりです。私は通常の授業では学べない、貴重な授業を受けられたことをとても光栄に思っています。私はもっとたくさんの人にこのゼミを受けて欲しいです。
 私はこの4月から、日本に海外からのお客様をむかえるホテルで働きます。英語圏に限らず、多くの国の異文化に触れる機会がたくさんあります。先生のゼミで学んだことを踏まえて、日本のすばらしさを伝えていきたいと思います。また、自らでも疑問を持ち、常に勉強し続けていきたいです。
 私にとって、「山岸勝榮教授」とは、優しい笑顔で疑問を取り除いてくれる、尊敬すべき一番の先生です。先生のように、自分に自信を持って自分を誇れる人になりたいです。山岸先生、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。平成14年3月22日 
 
「山岸勝榮先生」  長谷部淳子(4年卒業生)
 山岸先生、この四年間、大変お世話になりました。私が大学一年次の時に、幸運にも、必修のリーディングの授業を山岸先生に担当していただきました。その授業の中で、先生が「一億分の一」(この点に関してはこちらをご覧下さい)のお話をしてくださり、その時に受けた衝撃と申しますか、感動は今でも決して忘れることはありません。二年次からは選択の授業で自分が取ることのできる全ての先生の授業を受けさせていただき、授業で教えていただいたこと全てが私の宝物となっております。
 三年次にイギリスへ留学させていただきましたが、その際に先生に推薦状を書いていただきました。また、山岸ゼミ生として、特別に受け入れていただきました。それにも関わらず、私はきちんとしたお礼も申し上げず、大変失礼極まりなく、本当に申し訳ございませんでした。このような私をゼミ生として一年間ご指導していただき、本当にありがとうございました。
 山岸ゼミ生としての一年間は、長いようであっという間の一年間でした。自分は本当に日本人なのかと疑うほど、自分の日本に対する知識のなさに驚いてばかりでしたが、先生のおかげで、日本人と日本の素晴らしさを学び、日本が大好きになりました。私は山岸ゼミ生として、もっと頑張ることができたのに、自分を甘やかしてばかりでした。それによって先生には多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。本当に申し訳ございませんでした。
 山岸先生はこのような私も見捨てずに一年間優しくご指導していただきました。私は先生の笑顔が大好きです。これから先、悲しいことやつらいことがあったときに、山岸先生のお日さまのような笑顔を思い出して頑張っていきたいと思います。これからも何かとご迷惑をお掛けしてしまうことがあるかと思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます。かしこ 平成十四年 三月二十三日 明海大学外国語学部英米語学科  

「山岸先生へ」  春山 育美(4年卒業生)
 一年間、大変お世話になりました。先生には、日本文化をはじめ、言葉遣いや立ち居振舞いなど、多くのことを教えていただきました。先生から教えていただいたことは全て、私の一部となっております。私は、山岸ゼミに参加し、思いやりの心や寛容性を持ち、周囲との和を大切にするのが日本人である、ということや、一つの言葉でも日本人と異文化の人が捉える意味は異なり、それぞれの文化を理解することができない問題がたくさん存在することを知りました。これらは私にとって、とても大きく、価値あるもので、特に印象深く私の心に残っております。例えば、異文化を持つ人々には、日本人の宗教観を理解することができない、といいますが、決して日本人は無宗教ではなく、特定の神を持たないだけで、それぞれの神を認め、対応できる寛容性を持っている、ということ。また、日本には「十人十色」という言葉があるように、日本人は人によってそれぞれに合った対応をすることができる、ということ。それから、日本には第三の言語として”心の通い合い”が存在し、異文化を持つ人々には理解できない、あいまいな表現でも心が通い合うのは、思いやりの心を持つ日本人であるからこそ可能なのだ、ということなど、ここでは言い表せない程、多くのことを教えていただきました。先生から教えていただいたことのほとんどが、私の知らないことばかりで、一つ一つ問題が解決され、はっきりと理解できた時が、日本人として生まれてくることができて、本当に幸せだと感じられる瞬間でした。以前、メールにて先生に申し上げたことがございましたが、もう一度、私の大好きな言葉を発表いたします。

 If you have money, they will take it away from you.
 If you have property, they will take it away from you.
 But if you have education, who will take it away from you?

 これは、ユダヤ人の子守唄ですが、これから先ずっと、私の中で生き続け、希望を与えてくれる言葉だと信じております。 山岸先生、私たちのために、先生の大切な一部を分けてくださり、本当にありがとうございました。先生に出会えて幸せです。これから先も、様々なことに興味を持ち、影響を受け、日々精進することを忘れません。山岸先生は、私の憧れの先生です。 

「山岸ゼミと私」 久本真琴(4年卒業生)
 初めに、私は山岸ゼミの一員になれて本当に良かったということを述べさせていただきます。先生は「ゼミ生を取りすぎた」とおっしゃっておられましたが、私はそのお陰で山岸ゼミに入ることができたのかも知れません。それでも私は山岸ゼミに入ることができて本当に良かったです。
 人数が多いため、私は他のゼミ生に頼ってばかりいました。自分がやらなくても誰かがやってくれるだろうという気持があったからです。私はどれほど自分が怠けているかを思い知らされました。しかし、他のゼミ生が頑張っているのを見て、私も頑張らなくてはいけないと思わされました。ゼミ生のみなさんにはとても感謝しています。みなさんがいたから私もここまで来られたのだと思っています。
 山岸ゼミで学んだことは本当にたくさんあります。日本の素晴らしさや礼儀、命の大切さまで、数えたらきりがありません。山岸先生に出会わなかったら、学ぶことができなかったものばかりだと思います。今まで否定的に見てきた日本を好きになり、生まれてきたのは自分の意思であることを知りました。大学生にもなって、そのようなことを教わるとは思ってもいませんでした。でもとても大切なことです。そして人は独りではないということを教わりました。私を気遣ってくれる人がいる、そう思うだけで自分に少し自信がつきました。以前よりも前向きに生きられるようになったと思います。
 いろいろなことを見つめ直し、いろいろなことを発見できた一年間でした。この一年間は私にとって忘れられない年になると思います。山岸先生はいつも私たちに温かく手を差し伸べてくださいました。そしていつでも私たちのことを温かく見守っていてくださいました。そのような先生を何度となく失望させてしまいましたことを深く反省しております。申し訳ありませんでした。私は先生への感謝の気持ちとお詫びの気持ちでいっぱいです。私にとって山岸先生は本当にすばらしい先生でしたが、先生にとって私がいい学生であったという自信がありません。しかし、私は先生の学生であったことをとても幸せに思います。先生と出会えたこと、山岸ゼミの一員になれたことは大学生活で一番の思い出です。
 大学二年のときから今まで三年間、大変お世話になりましたことを厚くお礼申し上げます。山岸先生から学んだこと、山岸ゼミで学んだことを誇りに思い、これからを生きていきたいと思います。末筆ながら、先生のご健康を心よりお祈り申し上げます。平成14年3月23日 明海大学 外国語学部 英米語学科 4年 

「一年間を振り返って」  古木佐衣子(4年卒業生)     
 山岸ゼミに参加できたこの年は、大学4年間の中で最も充実していたと思います。このゼミに参加させて頂いたことで、私はたくさんのことを勉強させていただいたと思います。例えば、今まで意識していなかった日本人の心理やその理由、日本の文化などを改めて考え、それを欧米と比較することで、さらに日本や日本人のことを知ることが出来ました。また、日本人として自国に誇りを持つべきだということを気付かせていただきました。さらに、山岸先生から外国語を学ぶ本当の意味を教えて頂きました。もっと多くの疑問を解きクラスに貢献できていたらと少し悔やまれますが、興味を持ち、自分で考え、楽しんで取り組むことが出来たので、良かったと思います。
 卒業後はアメリカでしばらく生活する予定なので、そのための良いベース作りになったと思います。現地の人々に日本のことを正しく説明できる様に、このゼミで勉強したことを生かして行きたいと思います。
  そしてもっと多くの日本人が自国や自国の文化を知り、理解を深めて行かなくてはならないと思います。そのために次期ゼミ生のみなさんにも、私達が取り組んできた疑問を引き継ぎ頑張って頂きたいと思います。
  山岸先生、この1年間ご指導いただき本当にありがとうございました。
   
「山岸ゼミと私」  峰松 志恵(4年卒業生)
 4年次に取るゼミの選択を迫られた時、私は異国の地にいました。選択するための唯一の情報源はゼミの講義内容を紹介した薄い冊子でした。異国の地で円滑なコミュニケーションを図ることの難しさを身をもって体験した私は、コミュニケーションに関するゼミを取ろうと心に決めました。ゼミの内容を見ていくと、魅力的なものがたくさんありました。「この中から1つだけ選ぶなんて…。」 これが当時の私の正直な気持ちでした。
 散々迷った挙句、どうにか2つに絞り込むことができました。ある先生のゼミと山岸先生のゼミです。私は断腸の思いで山岸ゼミの受講を断念しました。と申し上げますのも、山岸先生のお気に障ると思うので大変申し上げにくいのですが、もうひと方の先生のゼミが当時の私にはより魅力的に思えたからです。私はその先生のゼミを受講することに決めました。
 「大学での学習の総まとめに相応しい『ゼミ』をようやく受講できる。」
 このような期待に胸を膨らませてその先生のゼミに臨むと、私を待っていたのは講義内容の紹介と実際の講義とのギャップでした。そのゼミで学ぶ内容は私が望んでいたものとは異質のものであり、学習意欲を消失させるものでした。そのうえ、先生とゼミ生の関係がうまく保たれていないように感じたのです。先生とゼミ生の間に『信頼』という架け橋が見出せず、ゼミに出席していてもどこか落ち着かず、不安を覚えたものでした。
 ゼミがあった5限という時間帯は私にとって魔の時間帯であり、興味の湧かない授業をこの時間帯に受けることは苦痛極まりなく、常に睡魔と闘うことを余儀なくされていました。学習意欲を失くしてしまった私はゼミの最中に居眠りをすることが多くなりました。
 「ゼミとは一般的にこの程度のものなのだろうか。これでは通常の受業と同じではないか。山岸ゼミの受講を断念して志願したというのに、私の学びたい事柄はこのゼミでは到底得られそうにない。ゼミがこのようなものだったとは…。」 私は落胆し、数回も出席するとゼミに出席することがおっくうになり、その後しばらくするとゼミを休むことが多くなりました。
  私は現ゼミ生の長谷部さんと1年次の頃から知り合いで、お互いに3年次の時に留学していたこともあり、4年次で履修した科目がよく重なっていました。お互いに履修していた科目の中に山岸先生の『対照言語研究』がありましたが、受業の合間にゼミのことをお話しくださる長谷部さんはいつも輝いておられました。長谷部さんは最初から山岸ゼミの受講を志願されており、書類選考で山岸先生に正式にゼミ生として受け入れられた方です。
 「あの時山岸ゼミの受講を志願していたら、もしかして今頃は…。」
 長谷部さんの内面から滲み出る輝きを目にする度、自分が誤った選択をしてしまったことを後悔するのでした。正しい選択をなさった長谷部さんをどれほど羨ましく思ったことでしょう。
 ゼミをやめようかやめまいか悩んでいると長谷部さんに打ち明けたところ、山岸先生のゼミを受講してみてはどうかと勧めてくださいました。私には山岸ゼミが1番合っていると思うから、と。先生もきっと受け入れてくださるだろうから、と。前期が始まってからしばらく経っていたので、ゼミの変更は願っても叶わぬことだと諦めておりましたが、断腸の思いで山岸ゼミの受講を断念したこともあり、「今度こそは正しい選択をしよう」と心に決め、長谷部さんの励ましに背中を押されながら、断られるのを覚悟の上で、授業の後、忙しそうに次の授業に向かわれる先生を廊下で呼び止め、先生のご意見を伺いました。第一志望のゼミが自分に合っていないから先生のゼミへ入ゼミしたい、などと不躾に言われて山岸先生はさぞかしお気を悪くされたことでしょう。しかしながら、先生はお忙しい中、歩みを止めてくださり、嫌な顔を微塵も見せずに私の話をお聞きくださり、変更手続きが可能であればいつでもいらっしゃい、と温かい言葉をかけてくださいました。私は「決して叶うことはない」と諦めていた願いを山岸先生に聞き入れていただくことができた喜びでその晩はなかなか寝付けませんでした。
 晴れて山岸ゼミへ入ゼミが叶い、5月に入ってから山岸ゼミの教室に足を踏み入れることになったのですが、教室に入るや否や4月から入ゼミしているゼミ生から訝しげな視線を投げかけられました。「なぜこんな時期から出席するのか」という無言の非難を受けているようで大変心苦しく感じたものです。しかしながら、私が事情を説明すると山岸ゼミ生の皆さんは私を快く迎え入れてくださいました。さすが先生のゼミ生だな、と感じずにはいられませんでした。山岸先生の優しさをゼミ生の皆さんが受け継いでおられるのが手に取るようにわかりました。
 私はようやく自分の居場所を見つけました。山岸ゼミで学ぶ事柄はいつも刺激的であり、山岸ゼミを受講している間の私は5限に出席している私とは思えないほど頭が冴え、驚くほど受業に集中していました。先生がゼミの度にお話しくださる事は日本人として知っていて当然のことばかりなのにもかかわらず、今まで誰からも教わってこなかった事ばかりで、毎回とても新鮮でした。先生のお話を重ねて伺ううちに、日本文化の良さや日本人としてこの世に生まれたことの素晴らしさを再確認することができました。ゼミが毎回1時間半しかないことが残念でなりませんでした。私は自分が山岸ゼミに出席している時の快い緊張感が好きでした。先生とゼミ生との間に強い絆を感じ、先生の一言ひとことを噛み締め、実に多くのことを学んでいったのです。
 山岸ゼミ入ゼミが叶い、毎回刺激的な授業が受けられる喜びを隠し切れず、私はある友人に報告しました。その時私はその友人からあることを聞かされ、罪悪感に苛まれたのです。その友人はこう言いました。
 「僕は書類選考でもれて山岸ゼミを受講できなかったんだ。」と。
 私は山岸ゼミを受講するために必要な書類審査を受けておらず、1年次から先生にお世話になっているというだけで入ゼミを許可していただいた身です。多くの学生が山岸ゼミ受講を志願し、選考でもれてしまって悔しい思いをしている中、私は何の苦もなく入ゼミしたのでした。
 「選考でもれてしまった学生が大勢いるというのに、その学生を差し置いて山岸ゼミにのうのうと出席しているのはいかがなものだろうか。選考でもれてしまった学生たちに申し訳ない。」
 友人から打ち明け話を聞かされて以来、このような後ろめたい思いが常に私に付きまとい、私を苦しめるようになりました。 私は1人でこの苦しみに耐えることができず、山岸先生に悩みを打ち明けました。この時の先生のお言葉がその後の私のゼミへの取り組み姿勢を大きく変えたといっても過言ではありません。先生は次のようなお言葉をかけてくださいました。
 「あなたは幸運にも入ゼミすることができたのだから、選考でもれてしまった他の学生の分までこのゼミで学んでいきなさい。それが彼らに対してあなたが果たすべきことですよ。」と。この時、私は選考でもれてしまった学生に対する「誠意」の意味を今まではき違えていたことに気付いたのです。先生のお言葉で私はようやく目を覚ましました。そして決意したのです。先生の教えに従い、その後のゼミに一生懸命取り組んでいくことを。
 罪悪感が払拭され緊張がほぐれたためか、次第に私はゼミに熱をあげるようになりました。一人暮らしでアルバイトもしていなかったため、私には自分のために使える時間がたくさんありました。そのおかげで私はゼミにじっくり取り組むことができました。一日のほとんどをゼミに費やし、ゼミは私の生活の一部になっていきました。山岸ゼミの受講中、私はADSLに加入しておらず、一定料金を支払えば夜間にいくらでも電話をつないでおいてもよい「テレホーダイ」というNTTのサービスを受けていました。私の記憶が正しければ、このサービスの利用時間は夜の11時から朝の8時までだったと思います。ゼミに関する情報収集は主にインターネットで行っていたので、情報収集に熱中しすぎて深夜から明け方までパソコンに向かうことも多く、すっかり夜型の体質になりました。普段は数時間もパソコンと向き合っているとすぐに疲れてしまうのですが、ゼミに取り組んでいる時は疲れ知らずの体質に早代わりし、いつまでも飽くことなく取り組んでいました。そのために他の科目の課題に取り組むのが遅れてしまい、提出間際になってようやく取り組むこともありました。それほどに私はゼミに夢中だったのです。私の頭の中は190の疑問で常に満たされており、疑問解決につながりそうな事柄を見聞きする度にパソコンに向かうほどの熱狂振りでした。
  山岸ゼミに入ゼミするまではインターネットをあまり利用していなかったのですが、入ゼミ後、インターネットを活用するようになり、ゼミの活動を通してインターネット上での情報収集の仕方を学びました。ある時は長時間ネットサーフィングしてしまったために悪質なコンピューターウィルスに感染してしまい、長期に渡り保存し続けてきたゼミの内容が全て水の泡になってしまうという危機にさらされたこともありました。しかしながら、このような出来事に遭遇しなければ、私はコンピューターウィルスの恐ろしさを知らぬままでいたでしょうし、ウィルス対策を強化することもしなかったでしょう。ゼミを通して私はインターネットの便利さを実感すると同時に、インターネットを利用している間はウィルスに進入されるという危険と常に隣り合わせであることを肝におく必要があると感じました。
 先生が後期からゼミ生専用の掲示板を開設くださったおかげで、掲示板に投稿することにより、文章を書く訓練になっただけでなく、タイピングの練習にもなりました。ブラインドタッチができるようになったのも、ゼミ生の掲示板に頻繁に投稿するようになってからです。掲示板に参加することにより、私はほんの少しですがパソコンの技術や知識をも身に付けることができたのでした。
 他のゼミ生よりも1つでも多くの疑問を解き、一日も早く遅れを取り戻そうと、私は必死に疑問に取り組みました。最初のうちはどのように調査をすすめていけばよいのか要領がつかめず、1つの疑問を解決するのに大変な時間を要していました。その上、調査内容をまとめた文章は時間をかけたわりには贅肉が多くまとまりに欠け、お粗末なものばかりでした。しかしながら、ゼミで190の疑問を解くためのキーワードを学ぶにつれ、どのキーワードを選択すれば疑問が解けるのかわかるようになると、疑問を解くペースが驚くほど上がりました。
 後に山岸先生から日本式の説明の仕方と英語圏式の説明の仕方との違いを学び、「結論を文頭で述べる」という英語式の説明順序に従って文章を書くよう先生からご指導いただくと、早速私はそのスタイルで文章を書く訓練を始めました。訓練を重ねるうち、私の文章のスタイルは徐々に変化を遂げていきました。
 自分では全くわからないのですが、以前伺った先生やゼミ生の方々のお話によると、私の文章は掲示板開設当初に比べると良くなっているのだそうです。山岸先生にたくさんの文章を見ていただき、先生が掲示板上で丁寧にご指導くださる事柄を一つずつ確実に吸収しようと常に肝に銘じていたことや、間違うことを恐れず積極的に掲示板に投稿したこと、文章を書く訓練を兼ねた投稿を重ねるうちに文章のスタイルが変わってきたこと、そしてより上手な文章を書くためにたくさんの書物に触れたことがこのような大変喜ばしい評価をいただく結果に結びついたのではないかと思います。先生のお力添えがなければ、私の文章はいつまでも改善されることはなく、誤った用法に気づくことも無く私は歳を重ねていたことでしょう。文章を磨くための場をご開設くださり、お忙しい中惜しみない添削指導をしてくださった山岸先生には何とお礼を申し上げてよいものやらわかりません。
 前期と後期で私は大きく変わりました。前期までの私は自己中心的な考え方しかできず、意見が衝突した場合、何が何でも自分の主張を押し通そうとするところがありました。また、常にゼミ生の先頭を走り続けたいという気持ちが強く、ゼミ内であまり親しくなくて自分よりも優れている人を見つけると、密かに敵対心を抱いたものでした。前期の私は自分の弱さ、欠点を素直に認めることができない子供だったのです。
 後期に入りゼミ生専用の掲示板が開設されて以来、私はそれまでの自分の幼稚な態度を改める必要があると悟りました。文章にはその人の人柄が表れるといいます。私は岩井さんの投稿を何回も拝見するうちに、自分の主張を保ちつつ他のゼミ生の主張も受け入れるという彼女の柔軟な姿勢に心を打たれました。自分の投稿に対して異論があってもそれを素直に受け止め、その意見を自分の意見と重ねてまとめることのできる岩井さんは、いつしか私のお手本になりました。彼女の投稿を通し、1人だけで疑問を解決しようと躍起にならず、つまずいた時は素直に協力を求め、そして、他のゼミ生が行き詰まってしまった時には助ける、という「相身互いの精神」の尊さを学びました。
 掲示板開設当初はそれまでの自分を急に変える事ができず、自分の投稿に対して異論があると不愉快になったりもしましたが、そのような不快感はやがて薄れていきました。そして自分の投稿の矛盾点、説明不足な点などを掲示板上でゼミ生に指摘してもらうことにより、間違うことを恐れない勇気が養われるということや、ゼミの内容をより深く掘り下げて学ぶことができるのだということに気付いてからは、自分の偏った見方に対して異論を唱えてくださる方々のありがたみをひしひしと感じるようになりました。「物事には実に様々な見方があり、一方的な考え方を押し付けるのではなく、様々な角度から物事を捉えて相手に説明し納得させる必要がある」ということを心の底から理解することができたのは山岸ゼミのおかげです。
 また、他のゼミ生の投稿に対し安易に同意するのではなく、異論があれば躊躇せず指摘をし、うやむやな部分があれば明らかにしようとする勇気を持つことの大切さに気付いたのもこのゼミのおかげです。この姿勢は何もゼミだけに限らず、日本全国の、そして世界中のあらゆる事象に対して持つべき姿勢です。このような姿勢を持つことの大切さを1年間のゼミ活動を通して学び取ることのできた私は実に幸運であったと思います。
 山岸ゼミは「運命共同体」であり、困った時には助け合い、意見の衝突によって引き裂かれることも無く、「和」を大切にしながら学んでいく場である、と私はこの1年間の活動を通して感じました。山岸先生の愛情をたくさん受けたゼミ生は、お互いに刺激を与えながら、それぞれがみな様々な形で成長を遂げたのではないかと思います。
 山岸ゼミで学んだことは、講義内容に掲載されていたことだけではありません。実に多岐に渡っており、今の私の文章力ではとても表現しきれません。それほどに内容が濃く充実していたということです。山岸ゼミ生として1年間過ごし、私は数え切れないほどたくさんの貴重な宝物を得ました。その宝物とは山岸先生の温かく、時には厳しいお言葉であり、ゼミを通して学んだ日本文化と英語圏文化に関する知識であり、ゼミを通して気付いた学ぶことの楽しさであり、数え上げればきりがありません。
 持続力のない私ですが、山岸ゼミだけは1年間全身全霊を捧げて取り組むことができました。今まで私はつまずくとすぐに挫折してしまうことが多かったのですが、1年間のゼミの受講を通して粘り強さが養われ、以前よりも忍耐力が強化されたように思います。また、「根気強く頑張った分だけ得るものも大きい」ということもゼミを通して学びました。私が希望する職種は就職が困難で実に狭き門であり、運良く就職できたしても仕事がきつく低所得であるためにすぐ脱落してしまう人が多いそうですが、この教訓が近い将来、きっと役に立つことでしょう。この教訓だけでなく、山岸ゼミで学んだこと全てが私をこの先ずっと支えてくれることでしょう。私が目指す職場は海外の人々との交流が多い場です。そのような職場でより日本人らしく、共に働く海外の人々に対してdefensiveであり続ける日本人として生きて行くための道を温かく照らしてくださった山岸先生に心よりお礼申し上げます。「山岸ゼミ」という実に恵まれた環境の中で山岸先生から1年間ご指導を仰ぐことができ、私は本当に幸せ者です。山岸ゼミがこれから先もずっと受け継がれていくことを願ってやみません。

「山岸ゼミと私」 白藤 智明(4年卒業生)
 今から約1年半前、私は山岸ゼミに入ることを決意しました。山岸先生には大学3年次に対照言語研究の授業でお世話になり、1年間、日本語と英語及びその背景にある文化の違いを勉強させていただきました。当時、高校の英語教師を志望していた私は、「英語の実力さえつければいいんだ」と思い、ただ、やみくもに勉強していたものですが、その浅はかな姿勢は一挙に崩れ去りました。言葉には辞書的意味(denotation)と文化的意味(connotation)があり、そして、言語は必ず文化から生まれるということに、これまでの英語学習に対する考え方が一変したのを今でも鮮明に覚えております。私の勉強してきた英語はただ単に表層を成すものに過ぎませんでした。文法的に正しい英語を書くことが出来ても今まではそれで済みましたが、その文の意図をしっかりと伝えるには言葉の奥に隠されたメッセージを明確に表現しないと、英語国民に誤解を招くこともあることを知り、山岸先生が授業でおっしゃっていた通り、英語を使うことが恐くなると同時に強い興味が湧いてきました。そして、良い英語教師になるために、もっと深く勉強したい、山岸先生の持っている知識をもっと吸収したいと思い、このゼミに入りました。
 ゼミでは、外国人の持つ日本、日本語及び日本文化に対する190の疑問を解き、それを日英両語で表現していきました。「日本人はなぜ、時間やお金を掛ける割には英語が下手なのか」や「日本人はなぜ、猫も杓子も英語国に留学したがるのか」等を解きましたが、どの疑問にも必ず、日本人が知的財産として所有してきた生きる知恵が根底を成しており、その他に二義的な理由があります。私は、その基となる考えに、授業のたびに日本文化に対する愛着を感じました。アニミズム、言霊思想、うちとそとの関係、運命共同体意識、相互依存、謙譲の美徳等々、これらのどれか一つが必ず背景にあり、それらは日本人がこの気候や風土の中で何千年にも渡って培ってきた素晴らしい知恵であり、必要に応じて編み出した決して無駄のないものです。言語が文化と不可分であるならば、文化はその国の気候や風土と不可分であるという考えに至る事ができました。日本人の持つ優しい性質は山々に囲まれたこの優しい風景やほどよく潤った気候から生まれてきたものであり、そこから全てのものに神々が宿るといったアニミズムの発想が生まれて来たのだと思います。このゼミを受講するまでは、日本人でいながら、いつも日本は欧米諸国に劣るのではないかと非難していた私ですが、日本の真の良さを再認識していくにつれ、各文化には優劣が無いということを理解することが出来ました。また、何か物事を解釈するときには、必ず原因を知り、結果に至るプロセスを理解しないと誤った判断をし兼ねないことも学ぶことができたと思います。これは今後の人生において、様々なことに応用できますし、不可欠の要素だと思っております。
 先生は夏休みに私達ゼミ生のために専用の掲示板をホームページの中に作って下さり、ゼミ生はその掲示板においても疑問を解くことになりました。文章を書くことが以前から好きだった私は出遅れたものの、時が経つに連れて、文章を書くことがより楽しくなり、仲間のゼミ生の投稿に付言したり、新たに疑問を解いたりしました。先生は間違った表現には、括弧をつけて日本語を添削して下さったので、特に自分が考え抜いて解いた疑問を投稿する際には、表現に細心の注意を払いました。そこで、語感に磨きがかかり、論理的思考力を鍛え、忍耐力をも養う事ができたと思います。一つ疑問を解いた時の充実感はひとしおで、「これは、紙面のパフォーマンスだ」と思ったものでした。投稿ボタンをクリックする時には嬉しい緊張感を覚えたものです。仲間が意見を付け加えてくれた時にはとても嬉しく思い、何度も読み返したものでした。ともすれば日本人があまり習う事の無い、文章力をつける絶好の機会に恵まれ、勉強させて頂くことができたと思います。一年前は、ただの英語の好きな学生であった私が、日本語にも新たな興味を覚え、日本や英語国の奥深い文化に触れる度に教養を磨き、洞察力を養い、以前よりも自分に自信が持てるようになったと思います。
 私は、四月から英会話学校で働き、毎日ネイティブと言葉を交わすことになると思いますが、このゼミで学んだことは、今後の人生で間違いなく役に立つと思っております。普段の気取らない会話ではもちろんのこと、特に日本にうまく適応できない講師がいて、トラブルを起こしそうな場合に、日本人の長所や短所を説明することによって、それを最小限にとどめることができるかと思います。いざという時のためにも、日本文化を勉強することを怠らずに、これからも英語を一生懸命、勉強していきたいと思っております。
 「逆説も真なり」という言葉がありますが、私が山岸先生の授業を受け、最初に思ったのは「この先生、逆説を説く人だなあ」という印象でした。物事を違った角度で見ると、別の解釈も出来ると教えて下さったとき、「私はこの先生の発想を吸収したい」と思ったものでした。授業では毎回、人生を生きていく上で大切な事を熱く語って下さり、時には叱りながらも、いつも私達を優しく見守って下さりました。私達のことを思うが故に厳しい事も何度か、掲示板でおっしゃっていたと思います。行動力に少し欠ける私は、掲示板での先生の厳しい言葉を目にしては、恐る恐る投稿したものでした。190の疑問を全問解くという契約をしたので、掲示板に活気がないと活を入れて下さりました。しかし、わからないところがあり、質問した時にはすぐ返信して下さりました。このような山岸先生の迅速な行いから、私は、「人生とはそれ程長いものでないから、思い立った時にすぐ行動に移さなければ自分に課された時間がもったいない」ということを学びました。せっかく良い考えを持っていてもそれを行動に移さなければ意味がありません。私の中の最も足りない部分を痛感致しました。
 ゼミで学んだことは、生涯、私の人生においてかけがいのない財産となり、山岸先生から授かった教えは、誤った方向に行ったり奢ったり、落ち込んだりしないように、一生私の心に働きかけてくれるものと確信しております。私がここまで成長して来られたのも山岸先生のおかげです。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
 先生もいつまでもお元気で、そして、これからも良書を多く執筆なされ、学生に優しい光を差し込んで下さるようお願い申し上げます。社会人になっても掲示板をお借りして精進して参りたいと思います。今後とも御指導の程、よろしくお願い申し上げます。

「山岸ゼミと私」 大池 智子(3年生)
 私はこの一年間で、本当に多くのことを学んできました。「外国人の疑問190」を解くことにより学んだ日本文化をはじめ、正しい日本語の使い方、文章の書き方、またそのようなことを吸収し精進していくことの大切さなどがそうです。山岸先生のゼミを履修して一番変わったことは、日本を見る目だろうと思います。私は高校生の頃、日本が大嫌いでした。第二次大戦中に、日本兵が朝鮮や韓国の人々にした残酷な行為の数々、またその事実を教科書の書きかえによって日本の若者に隠そうとする日本政府の実態を、初めて知ったからです。しかし、その後私は大学に進学し、日本文化・日本民族について多くを学び、日本人のやさしさ・あたたかさを知りました。今となっては「良い面も悪い面もすべて含めて、誇りに思えるようになった」というのが、日本に対する素直な気持ちです。山岸先生のゼミが、日本を嫌い自分の国籍さえも恥ずかしく思っていた私を、昨年夏には、海外で日本語と日本文化を教える立場である日本語教師として働くまでに成長させて下さったのです。さらに山岸先生は、お忙しい中ゼミ生のために掲示板を開設して下さいました。その中で、社会に出てからでは誰も教えてくれないであろう日本語の使い方や、文章の書き方を、ご丁寧に時には厳しくご指導下さいました。ここで得た知識は、今後の人生において大切な財産になると確信しています。
 この先どんなに年齢を重ねていっても、母国である日本の姿を受け入れ大切にし、誇れる人間でありたいと思います。また多くの人とコミュニケーションをとり、相互理解をすることによって自分の見聞を広げ、それを心の財産にしていきたいと思います。異文化という意味では、日本人一人ひとりさえも各自が異文化を持つわけですから、相互理解の相手は決して外国の方々に限ったことではありません。ですから、日々の何気ない生活の一瞬一瞬が、成長のチャンスであると考え、常に精進する気持ちを忘れずに生きていこうと思います。
 山岸先生と出会わなければ、今でも私は日本を嫌い、自分の国籍を恥じ、日本人であることが浮き彫りになる海外へ行くことなど、考えなかったかもしれません。それどころか、日本人でありながら、正しい日本語の使い方も書き方も知らないまま社会に出ていたに違いありません。山岸先生にご指導頂いたことそのものも、とても勉強になりましたし、それと同時に、そのようなことは社会に出たら誰も教えてはくれないこと、そしてそれを今教えて下さる先生を持ち、私たちがどれだけ幸せかということ、それらに気づかせて下さったことも、私にとっては大きな収穫でした。
 私はもう二度と、日本を嫌いだと言うことはありません。嫌いになんてなれないと思います。山岸先生、それが先生のもとで勉強をした私の、成長した姿です。本当に有難うございました。

「山岸ゼミを通して築き上げた自分史」  藤澤 貴充(3年生)
 私が山岸ゼミから学んだものは、(このようなことを言うと山岸先生に怒られると思いますが)日本文化のあり方と日本人についてであったのですが、それ以上に人としてのあり方であったように思われます。これから今回のゼミの掲示板への2ヶ月間の欠席について書かせていただきます。
 私がこの2ヶ月間の欠席から学んだことは、どんな場合においても、どんな状況においても、「成長させていただいている」という姿勢を持ち続けることでした。自分自身が見えていなかったということを痛感しております。自分で選んで参加したゼミにもかかわらず、それに対する無責任さを露呈したり、無自覚になっていたり、自分自身が恥ずかしくて仕方がありません。何かをやっていてもしっくりこない毎日を送っていたのではないかと思っております。私の持っている惰性が出ていたのです。
 それを通して分かったことなのですが、私は人生と学問を軽視していたのではないかと思います。夢や目的を見失い、自分自身がまるっきり見えていなかったのです。やがて思索しているうちに、「何かおかしいな」と考えるようになりました。それが分からないまま、山岸先生の研究室を訪れることになります。
 実に不思議なことが起こっていました。それは、ゼミに対する責任感のなさや無自覚、無意識が「頭」では分かっていたのですが、「心」では実感していなかったということです。
 山岸先生はコミュニケーションという言葉の意味について次のようなことを以前おっしゃっていました。「コミュニケーションとは、学問上では意志伝達であるが、人間的な意味合いでは心の理解である」と。少しではありますが、私はその意味が分かったような気がします。
 そして、山岸先生が私の惰性に対してご指摘くださったおかげで、私は「成長させていただいている」という姿勢を思い出すことが出来ました。
 私にとっての山岸先生という存在は、「よき師匠」であり、「よき父」であります。私が何か不正を犯すとすぐに叱ってくださいました。また私が人生について考えているとき、いつも何かしらの助言をしてくださいました。
 先生と話していて気づいたことがあるのですが、私が人生について質問するとき、先生は口数が少ないときがありました。正直言いますと、そのときはそのことは私にとって非常に不満足なことでありました。私は、「何かおっしゃってください」や、「なぜおっしゃってくださらないのですか」という気持ちでした。ですが、当時のことを振り返ってみますと、先生はそのような態度を故意に御取りになったのではないかと、私は考えております。
 山岸先生の意図したことは、「自分で考え、自分から実践するという主体性の確立」であったのではないかと、今になって分かったような気がします。あらゆることを実践することを、先生は私におっしゃっていたのではないかと考えております。そして、一個の人間としての主体性を確立するためには、どんな状況におかれても、どんな環境にいても、常に「成長させていただいている」という姿勢を忘れてはいけないことであったのです。ゼミの授業やゼミの掲示板、大学でのその他の講義、人との出会い、人との考え方の交流といったあらゆる出来事の中で、成長することが大切であると、先生はおっしゃっていたのかもしれません。
 「成長させていただいている」という姿勢を持つことは、人に対する謙虚な態度や感謝の気持ちを生みます。そのような人としてのあり方を山岸先生から学びました。
 一年間を通して最も印象に残っていることは、先生が激励してくださったことはもちろんのことなのですが、やはり叱ってくださったことです。今では心からありがたく感じております。ゼミのことや人生のことなどで本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。自分自身の目的である大学院に必ず合格してきます。そして、それが実現できたとき、山岸先生にご報告しに来たいと考えております。どうもありがとうございました。