「りすりす小りす」 (Risu-risu-Korisu) 作詞:北原白秋 作曲:成田為三 英訳:山岸勝榮 © Squirrel, Squirrel, Tiny Squirrel Lyrics: KITAHARA, Hakushu Music: NARITA, Yamezo English Translation: YAMAGISHI, Katsuei © |
|
無断引用・使用厳禁 英訳を引用する場合は必ず英訳者の氏名を明記してください。 商用利用禁止。商用利用の場合、英訳者との事前の合意が必要です。 (詳細はこちら参照) You may copy / duplicate this translation as long as the translator / copyright holder is specified. Copyright© YAMAGISHI, Katsuei You may not use my translation for commercial purposes. If you want to make commercial use, you must enter into an agreement with the translator to do so in advance. |
|
無断引用・使用厳禁 Copyrighted© |
この歌には著作権はありません。 |
下の文章は大学院修士課程1年生の大塚孝一君が書いたものです。 興味深い文章ですので、同君の了解を得て転載します。 |
山岸勝榮教授 山岸教授がお訳しになりました「りすりす小りす」を拝読いたしました。以下に分析をお書きします。ご多忙とは存じますが、わたくしの分析をご一読ください。 《副詞3語が持つ意味》 原詞と山岸教授の御訳を比較対照して、真っ先に気がつく点は、原詞に文字として表れていないdeliciously、sparklingly、beautifullyです。これらの語が山岸教授の御訳に表れている理由は、それぞれの語が各連4行目と密接なつながりを持っているからです。 北原白秋は各連4行目で「食べ 食べ」「飲め 飲め」「揺れ 揺れ」と小栗鼠に“命令”をしています。“命令”の理由は「杏の実」「山椒の露」「葡萄の花」がそれぞれ魅力的だからと考えられます。その魅力がdeliciously、sparklingly、beautifullyとしてそれぞれ表されています。これらの語の存在意義を示すため、以下にそれぞれの副詞を無くしたものを記します。 第1連 The apricot fruits are red 第2連 The dew drops of the pepper tree are blue 第3連 The flowers of the grape are white 上掲の英語は、客観的描写に止まり、白秋の“感情”が表現されていないことが分かります。この無味乾燥な英語では4行目の“命令”へつながりが薄れてしまいます。山岸教授の御訳にありますそれぞれの副詞があることにより、4行目へのつながりが明確になり、白秋が小栗鼠に“命令”する“説得力”が表されています。 英語ではこれらの語が文脈上必要です。しかし、日本語には不要であるという点が両言語を比較対照したときに表れる違いと言えます。「言葉を尽くす英語」と「言葉を尽くさない日本語」の一面とも言えるでしょう。仮に、deliciously、sparklingly、beautifullyが日本語の歌詞にそれぞれ訳されていたらどうでしょうか。いずれの行も“うるさい”と感じる日本人が多いように思えます。 《「虫」「小動物」への“命令”》 この度の「りすりす小りす」の歌詞を見たときに感じたことは、課題曲の「鳩」に似ているということでした。 まず、それぞれの歌詞にある「鳩ぽっぽ」と「ちょろちょろ 小栗鼠」はわたくしにとっては似ている歌詞です。よって、「鳩ぽっぽ」をcooing pigeonとお訳しになった山岸教授の御訳を勉強させていただいたわたくしは、Scamperingと、ing形を使うことができました。 そして、先ほども触れました4行目における“命令”です。「鳩」でも「りすりす小りす」でも筆者の視点から“命令”がなされています。そこで気がついたことは、「虫」や「小動物」を歌う歌では、“命令”が出てくることが多いということです。「鳩」と「りすりす小りす」以外に、山岸教授が今までお訳しになった唱歌・童謡を見てみますと、以下の歌には“命令”表現が出てきます。便宜的に掲載は1番のみにします。 「蝶々」 「菜の葉にとまれ」「桜にとまれ」「とまれよ あそべ」「あそべよ とまれ」 「かたつむり」 「つの出せ/やり出せ/あたま出せ」 「小馬」 「歩めよ 小馬」「ずんずん 歩め」「歩めよ 歩めよ」 「ほたるこい」 「ほう ほう ほたるこい」 現段階では、“命令”表現がある理由ははっきりとは分かりません。ただ一つ言えることは、日本人にとってこのような「虫」や「小動物」は身近な存在で、常に“遊んで”いたということです。遊び相手に“命令”することは普通のことです。唱歌・童謡における“命令”表現の存在理由を明確にするためには、文献をあたって、さらなる考察が必要になりますが、当時の日本人の生活が垣間見える一瞬を言語化した非常に興味深いものであることは間違いありません。 平成26[2014]年3月24日 大塚 孝一 |