10. 海辺に打ち上げられるクジラなどに思う

 我が国の海辺にクジラ(やイルカなど大型の生き物)が打ち上げられるたびに多くの労力と「善意」と(多分)「税金」とが投入されて、彼らを海へ返そうという涙ぐましい努力がなされます。結果的には、その多くが死亡し、その死体が海浜に埋められるために、更なる労力と「善意」と(多分)「税金」とが投入されます。はっきりと言えば、その労力と「善意」と(多分)「税金」の多くは無駄ではないでしょうか。もっと言えば、そうした「投入」は人間たちの勝手な思い込みであったり、傲慢であったりするのではないでしょうか。どうしてクジラ(やイルカなど大型の生き物)にだけそのような手厚い保護を与える必要があるのでしょうか。水質汚染で息絶え絶えと河川に浮いているフナやコイに対して、人間たちはクジラ(やイルカなど大型の生き物)に対するのと同じような気持ちで手厚く取り扱ってやっているでしょうか。そうしたフナやコイを一匹一匹救い出しては、安全な清流に戻してやったという話を聞かないのはなぜでしょうか。海の堤防やテトラポッド地帯に行ってみるとよいでしょう。どれだけ多くの海鳥たちが、人間が身勝手に投棄した釣り具(とりわけ釣り糸)のために命を落としたり、苦しみもがいていたりするでしょうか。そうした苦しみもがく海鳥たちに救出の手が差し伸べられたという話も聞きません(「ある海鳥のこと」を参照)。

 「クジラと聖書」との関連から生じた欧米諸国の一方的論理に振り回される(かに見える)我が国は、長い歴史の鯨食文化を持ちながら、今やほぼ完全にその文化を捨て(させられ)ようとしています。私はクジラ学の専門家ではないので明言はできませんが、昔の日本人であれば、海辺にクジラが打ち上げられれば、それらを「海の幸」「海からの恵み」として有り難く食したのではないでしょうか。残すところなく「いただいて」、彼らに感謝をし、その慰霊のためにクジラ塚を建立したのではないでしょうか。

 鯨食文化に固執するつもりはありませんが、海辺に打ち上げられた大型の生き物のうち、容易に海に返してやれない、あるいはその死が時間の問題であると判明したものの場合、むしろその命を「いただく」のは理に叶ったことであり、残酷でも何でもない、と私は思うのです。我が国の最近の子供たちや若者たちの多くはクジラ肉を食したことがないでしょう。上記したような「海の幸」「海からの恵み」だけでも、彼らに我が国の鯨食文化の存在を知らせ、願わくばそれを継承してもらうために、料理をして食させてやりたいと思います。そういう我々の文化と国民の声や想いをきちんと反捕鯨国に伝える努力をしていく必要がある、と私は思うのです(「捕鯨反対運動に思うこと」を参照)。


参考 捕鯨問題に関する山岸ゼミ生の「山岸ゼミ専用掲示板」での意見【掲載にあたっては受講生の了解を得た】


投稿時間:02/05/26(Sun)
18:54投稿者名:佐藤 光恵 
タイトル:捕鯨について

こんばんは。現ゼミの佐藤光恵です。下関で行われていた国際捕鯨委員会(IWC)は、今年も日本の申し入れが可決されずに閉幕しました。私は期間中、新聞・テレビ等で委員会の記事・ニュースを見ましたが、納得できない事ばかりでした。『秩序ある』鯨産業の発展、というのが国際捕鯨委員会の目的だと聞きましたが、今では反対国のエゴが前面に押し出されている気がします。鯨産業の発展と言っておきながら、鯨産業の撲滅を目指しているようにしか思えませんでした。鯨(ミンククジラ)の数は増えていて、このままだと他の海洋生物(ニシンやタラなど)を食べつくしてしまう恐れがある、というのが、日本が調査捕鯨を行って出した結論です。しかし、主要な反対国は、調査捕鯨すら認めず、この意見には聞く耳をもちませんでした。それでは、この委員会が開催される意味・目的は無いように思います。私は鯨肉を食べた事がありません。それ程食べたいと思った事も、今までありませんでした。しかし、テレビで見た鯨料理はどれもおいしそうで、この料理を食べられなくなってしまった事が、残念でなりません。みなさんは、このIWCの決定をどう思われますか? 現ゼミ生 3年佐藤光恵


投稿時間:02/05/28(Tue) 20:06投稿者名:近藤 崇
タイトル:Re: 捕鯨について

こんばんは。現ゼミ4年次生の近藤崇です。佐藤さんのご投稿を拝読いたしました。私もこの捕鯨問題に強い関心を持っておりますので、私の意見を書かせていただきます。 先ず、この捕鯨の是非を多数決で決定することは間違っていると感じました。鯨を食べない国が殆どなのですから、日本がいくら「鯨を食べる文化がある」と主張してもその意見は理解されず反映されません。 次に、今まで例外とされたイヌイットの捕鯨がついに禁止されました。「なぜ捕鯨を禁止しているアメリカがアラスカでの捕鯨を認めているのか」という日本の抗議への対処からだそうです。なぜ日本がこのような働きかけをしたのでしょうか。日本は「日本の鯨食文化を欧米諸国が尊重し、アラスカの先住民と同様に鯨食を認めるべきだ」と強く主張すべきだったと感じました。結局、イヌイットも日本と同じ悲劇に見舞われてしまったのです。鯨食文化がまたひとつ消えたことに関して私は怒りを隠せません。 文化を否定してはいけません。鯨食も日本が誇る文化です。それを一方的に非難ばかりしている欧米諸国はもっと複視座に立って物事を見るべきです。先日テレビ朝日で放送された「Suma STATION」によれば、ベトナム戦争時に散布した枯葉剤の世界的非難をかわすために、アメリカが日本の捕鯨を「環境破壊」と勝手に決めつけ、調査捕鯨以外の捕鯨を禁止させたそうです。まさにエゴです。そういうアメリカの身勝手な一面を私は好きになれないばかりか憤りを感じます。 以下に前述の番組の捕鯨に関する放送内容をご紹介いたします。興味のある方はご覧ください。
ところが、実はこれ、つい3日前までは、という話になってしまったんです。江戸の昔からクジラを取って食べていたニッポン。クジラを食べることは、立派な日本の食文化なんです。しかし30年前、クジラを取ることがいきなりダメになりました。それはベトナム戦争での枯葉剤散布など環境破壊という点でも国際的に非難を浴びていたアメリカが、その矛先をかわすために、いきなり「クジラは絶滅の危機に瀕しているから捕鯨は禁止しよう」と訴えたからです。これによって世界的に捕鯨が禁止され、日本もクジラの生態を調査する以外での捕鯨ができなくなり、漁業は大打撃を受けてしまったのです。しかし、アラスカの先住民など、クジラを主食源として取っていた人たちには特別に捕鯨が認められました。そんな中、今回の話し合いで、とうとう日本がキレたのです。「アメリカは日本の捕鯨を反対しながら、アラスカの先住民のための捕鯨を認めろというのは身勝手すぎる!!」。そこで、23日、会議で投票した結果、アラスカの先住民達も例外なくクジラを取ることが禁止と決まってしまったのです。ちなみに、現在日本で鯨を食べられる店もありますが、これはVTRにもあったように調査するために捕獲した鯨を、食用にまわして食べているんです。昔と比べれば、比較にならないほど少ないですけどね。アラスカの先住民も例外なく捕鯨禁止、と知った香取編集長は、「主食源とっちゃったら、何食べていけばいいんですか?」と同情していましたが…。「Suma STATION」より抜粋  それでは失礼いたします。近藤 崇