3 時事英語学界の大恩人
                  高部義信(たかべ・よしのぶ) 



 高部義信、このお名前は現代英語研究に興味を持ち始めた大学時代の私には偉大であった。ご生前、一度も拝眉の栄に浴することはなかったが、氏が 『時事英語研究』 誌初代主筆でいらしたこと、その後も同誌 「新語展望」欄においてアメリカの新語を紹介なさっていることなどはよく承知していた。氏は明治四十年のお生まれとのことであり、私の亡父が明治三十六年生まれであったから、年齢的にも仰ぎ見るような存在のお方であった。アメリカ雑誌からの新語収集法、訳出法等、時事英語に関する研究方法を学ばせていただいたのも、「新語展望」欄を通じてであった。
 物事を最初に為す人の苦労は筆舌に尽くしがたいであろう。敗戦直後の暗い日本に、いち早く DEVOTED TO THE STUDY OF CURRENT ENGLISH という誌の「決意」を副題とする 『時事英語研究』 誌を創刊され、「戦争は終わったといふのに何としたことでせう。驚くべきこの虚脱状態は。いけない。いや危ない、怖るべきことです。少しでも早く正氣を取戻して立ち直らなければ、取り返しの付かぬことになるのではありませんか。復興へ、一日も早く。職場へ、一刻も早く。そして民主主義の復活へ」 と熱く同創刊号巻末に記されたのを知った時、大学生であった当時の私はただただ感激に胸を高鳴らせたのであった。
 その後、私は久田正晴氏が 『時事英語研究』 誌の主筆をしておられた時分に縁あって 「イギリスの言葉と文化」 と題したイギリス留学記を同誌に連載させていただくことになった (1981年7月号―1984年2月号)。私淑し続けてきた高部氏創刊になる雑誌、しかも時事英語研究では質・知名度ともに最高峰に位置する同誌に連載形式で記事を書かせていただけるということは、身に余る光栄であり名誉であった。前記連載以来、常連の一人として、同誌にはほとんど常に寄稿させていただいている (1995年現在は 「言えそうで言えない英語表現」 と題した連載を担当)。いつか高部氏のような、真に現代英語の分かる研究者になりたいというのが私のその後の夢となった。
 ところが、前記連載を 『イギリスの言葉と社会』 (1984年)と題した単行本としてこびあん書房から出版していただくことになった際、思いがけない幸運が私を訪れた。かつて高部氏と職場を同じくされた同書房社主・木村欽一氏が、高部氏より拙著のために 「推薦の辞」 を頂戴してくださったのである。同書に関する限り、どなたからいただく推薦の辞よりも、私にはありがたいものであった。アメリカ新語とイギリス新語との違いこそあれ、新語を収集することの苦労を氏ならば十分にご理解くださるだろうと信じたからであった。お陰で同書は第1634回図書選定委員会において 「日本図書館協会選定図書」 にも選ばれた。
 「人は一代、名は末代」といわれる。高部氏は今は黄泉の国におられる。しかし、氏が我が国の時事英語研究に残された足跡は大きく明確である。その点は時事英語研究、現代英語研究に関係する全ての人々の認めるところであろう。
 戦後の混乱期に氏が撒かれた 「時事英語研究」 の種が、その後も成長を続け、戦後五十年を経た今日、大木に成長し、たわわな実を成らせている。そのお仕事を通じてしか氏を存じ上げないが、「仕事は人なり」 だと思う。大学時代より常に私淑させていただいたこと、貴重なことを多く学ばせていただいたことをここに記してご報告申し上げ、あわせて心からのご冥福をお祈りする次第である。(明海大学外国語学部教授)



【本稿は、『追憶の明治びと ― 時事英語・酒・古典 追悼 高部義信』 (平成8年2月29日発行、私家版) に寄稿したものです; 縦書きであったものを横書きにした関係で、「右連載」の 「右」 を 「前記」 と変更しました】