XXU「男女共同参画」の英訳 は“gender equality”でよいか


内閣総理大臣官房(総理府の大臣官房)に「男女共同参画室」が設置されたのは1994年[平成6年]6月24日 だ。2001年[平成13年]1月6日には、内閣府の設置に伴い、「男女共同参画室」が「男女共同参画局」に改組された。それに対する英語名は Gender Equality Bureau Cabinet Office だ。「男女共同参画」の英訳は当然 gender equality になっている。 “証文の出し後れ”の感は否めないが、以前から気になっていたことを記しておく。

    「男女共同参画社会基本法」の【前文】には次のようにある。
我が国においては、日本国憲法に個人の尊重と法の下の平等がうたわれ、男女平等の実現に向けた様々な取組が、国際社会における取組とも連動しつつ、着実に進められてきたが、なお一層の努力が必要とされている。
 一方、少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は、緊要な課題となっている。
 このような状況にかんがみ、男女共同参画社会の実現を二十一世紀の我が国社会を決定する
最重要課題と位置付け、社会のあらゆる分野において、男女共同参画社会の形成の促進に関
する施策の推進を図っていくことが重要である。ここに、男女共同参画社会の形成についての基本理念を明らかにしてその方向を示し、将来に向かって国、地方公共団体及び国民の男女共同参画社会の形成に関する取組を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。
 また、「目的」、「定義」には次のようにある。
第一章 総則
 第一条 この法律は、男女の人権が尊重され、かつ、社会経済情勢の変化に対応できる
豊かで活力ある社会を実現することの緊要性にかんがみ、男女共同参画社会の形成に関し、
基本理念を定め、並びに国、地方公共団体及び国民の責務を明らかにするとともに、男女
共同参画社会の形成の促進に関する施策の基本となる事項を定めることにより、男女共同
参画社会の形成を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。
 第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところ
 による。
 一 男女共同参画社会の形成 男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって
社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、
経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を
形成することをいう。
 二 積極的改善措置 前号に規定する機会に係る男女間の格差を改善するため必要な
範囲内において、男女のいずれか一方に対し、当該機会を積極的に提供することをいう。
 これらを読めば、男女共同参画の目的、定義がよくわかる。さらに、「男女共同参画白書」(平成25年版)を見ると、高齢者、障害者等に対する配慮も行き届いていることを知る。
第2部 平成24年度に講じた男女共同参画社会の形成の促進に関する施策
 第9章 高齢者,障害者,外国人等が安心して暮らせる環境の整備
  第2節 障害者が安心して暮らせる環境の整備

第11章 生涯を通じた女性の健康支援
  第2節 妊娠“出産等に関する健康支援


さて、「男女共同参画社会基本法」や「男女共同参画白書」などを通読してわかることは、「参画室」が、これらに謳われている“精神”“equality”の観点から捉えているらしいことだ。たしかに、equality は equality of opportunities (機会均等)、equality between men and women (男女平等)、equality in the workplace (職場における平等)、racial equality (人種間の平等)、equality of importance (重要性の等しさ)、 equality of motion (【物理】運動の均一性)などと用いられることからもわかるように、「均等 (であること)」「対等 (であること)」「平等 (であること)」「一様 (であること)」を意味する。これは、人間世界に関して言えば、もちろん「権利・責任・機会などが性別に左右されてはならない」ということだ。つまり、equality の意味の重点は「誰にも同じスタートラインを用意する」(create the same starting line for everyone) ということになる。ところが、人は知的能力・身体的能力等、みな異なる。したがって、「同じスタートラインを用意される」ことは、みなが満足すべきゴール (the goal, the finish line) に到達するということを約束しない。これに対して、後述する equity 「誰にもあらゆる機会と恩恵を与えるゴール」(the goal or finish line of providing everyone with the full range of opportunities and benefits) を連想させる語だ。

 「男女共同参画」の実態は、昨日紹介した文章からもわかるように、内容的には、働き手としての現役世代のみならず、(前期・後期)高齢者,(身体・精神)障害者,外国人等が平等の精神に則って安心して暮らせる環境の整備にも言及している。まず、忘れてならないことは、「男女共同参画」の訳語である gender equality は、「(職場などで)男女が同数であること[状態]」というニュアンスが濃い言い方でもあるという点だ gender equality を、そういう意味だと断定する英語母語話者も多いはずだ
 
◆日本人の考える「公平・公正」と英語圏人の fairness
sumo fairness  Jpnsumo fairness 日本人は、大相撲の力士たちが取り組む場合、大型力士と小兵力士が取り組むことを「不公平、不公正だ」 ( unfair) とは思わないMifune土俵の上で、土俵規則に則って戦っているのだから、きわめて「公平、公正である」(fair) のだ。つまり、相撲の取り組は、伝統的に言って、力士の身長・体重などにかかわらずに行われる、無差別の戦いだ。ところが、英語世界から見ると、体重差・身長差などのある力士同士を戦わせること自体が unfair と映る。柔道が世界のスポーツになり、オリンピック種目になった時、体重別の階級制になった。そうすることが fair だからだ。無差別級は廃止された。それまでの日本の柔道はまさに無差別級で戦われていた   (「柔道の神様」といわれた三船久蔵十段(1883-1954)は、159p という小柄な体型であったが、「相手が大きいほど技をきめやすい」“空気投げ”という技を編み出したことでよく知られる。無差別級時代の一大工夫だった。  ボクシングも階級別だ。そのように分けて戦わせて初めて fairと言えるのだ。仮に、相撲がオリンピック競技に採用されることがあれば、まず間違いなく階級別になるだろう

equality and equity 2tricycle 自転車を家族の人数分用意することは equality に従ったことになる。だが、その自転車の大きさがいずれも健康体の大人用であって、高齢者用あるいは子供用がなければ、家族におけるfairness を欠いたことになる。高齢者には高齢者用のたとえば三輪自転車子供には子供用の自転車を用意して(サイクリングなどに出かけて)初めて全員が fair に扱われたことになるからだbike handicapped家族に身体障害者がいれば、当人にも利用できるような特別に製造された自転車を用意して、家族が共にサイクリングを楽しめる環境づくりが必要だ。それでこそ当人も、自分は fair に扱われていると自覚するだろう。我々の日常生活では、 equality を重視するあまりに、fairness すなわち  equity  を軽視もしくは看過(かんか)してしまうということがしばしば起こる
 
    また、運動会のパン食い競争で、走者の数だけパンを吊るすことは だれにも平等で equal な対応だ。だが、パンを吊るequality and equityす高さを高めにした場合、背の低い走者はパンに食いつけないことになる。これは unfair だ。そういう背の低い走者のために踏み台を前もって用意しておけば、そういう走者も難無くパンに食いつくことが出来る背の低い走者を念頭に置いてパンの高さを調整すれば、今度は背の高い走者には食いつきにくくなる。これが fair なパン食い競争なのだ。
 
 こういう fair なこと (fairness) を別の語で呼べば “equity”となる。したがって、gender equity と言えば、「(全てのことに関して)性に基づくunfairness がないこと」という意味になる。つまり、equity とは、接遇が fair(公平・公正)であることを最重要視することだ。equity = fairness と解釈して差し支えない。それに対して、equality  sameness (同一[同じ]であること) を強調すると解釈して差し支えない
 
結論:
 以上のことから、「男女共同参画社会基本法」“精神”は、まず間違いなく、“gender equality”(=「性に関係なく誰にも同じ starting line を用意すること」を強調) というよりも “gender equity”  ( =  「性に関係なく誰にも あらゆる機会や恩恵を与える goal [finish line]を用意すること」を強調) と呼ぶべきものだろう。性による差別なく、健常者・障害者の区別なく、老若男女だれもが社会生活を幸せに送れること、それが社会生活者全ての公平・公正な目標[ゴール]であること、それこそが紛れもなく fairness すなわち  equity  の精神だからだ。したがって、私なら、「男女共同参画局」の英語名は Gender Equity Bureau Cabinet Office  とする。

【付言】英米の法律体系に、Common law (慣習法)を「公平・公正」と「正義」の点から補正したものとして Equity (law)(衡平法)がある。