XXI. R.W. Zandvoort:
   A Handbook of English Grammarを全訳した頃


1.
 昭和45[1970]春、私はR.W. Zandvoort: A Handbook of English Grammarの魅力に取り憑かれていた。一番の理由は、学部・大学院を通じて最もお世話になった、英語学・言語学分野での恩師・前島儀一郎先生のお薦めがあったからだが、その前、学部時代にすでに、下に掲げる、東北大学教授・安井稔先生による同書の書評を読んでいたことも、私が同書に傾倒することになった大きな理由だ。
 同書はもともとオランダ人向けに書かれたものであったが、1957年(昭和32年)に大改訂を施されて、オランダ人以外の英語学習者・研究者も使えるようになった。私が最初に出合ったのは丸善のリプリント版(昭和45320日発行、\750)であった。

 昭和41[1966]、私が大学4年生の頃、前記・安井稔先生がELEC Bulletin No.19ELEC10周年記念特集号、pp.46-7)に同書の書評を書かれた。先生はそこで次のように書いておられた。

(前略) 構造主義の文法も、変形生成文法も、すでに、決してすくなくないのに、英文法の本を1冊だけ選ぶとすれば、私自身は、学問的伝統文法の中から、Zandovoortを選ぶ。(中略)
 Sleddが指摘している事実誤認の誤りもすくなくない。しかし、その欠点の大部分は、明確な方法論の欠如ということに帰しうるものであるといってよいであろう。これらの欠点を補ってあまりあるものは何かというと、これも一言でいうなら、内容が包括的で、充実しているという点であった。この点に関しては、一冊本であるかぎり、どの構造主義の文法も、変形生成文法も、Zandvoortにかなわないであろう。
 学
問的伝統文法の中で、なぜZandvoortを選ぶかというと、これが個人的な好みということにもなるであろうが、いわば、最もくせがないものと思われるからである。こういう本を、それなら、いったいだれにすすめるのかというなら、いわゆる学校文法をひととおり習った大学の初年級あるいは、これから変形生成文法などを学ぼうとしている日本人学生を私は頭に置いている。実際は、単に、希望であるかもしれない。内容はかなり高度であり、むずかしい本でもあるからである。

 予備知識と呼べるほどのものではないが、同書に対するこうした情報を持って大学院に進んだ私に、前島先生は、「とてもいい本だから熟読しなさい。」と言ってくださった(書評の中の「大学の初年級」という言葉が多少気にはなっていた)。それから2年ほどは修士論文を纏めることに多忙を極めていたから、Zandvoortのことは脇に置いてあった。

2.

 昭和44[1969]、私は大学院博士後期課程1年生だった年の暮れに結婚した。それを機に、しばらく脇に置いてあったZandvoortを自分の勉強のために全訳しようと思い立った。同書は本文が344頁のものであったから、一日に1頁を訳して行けば、1年以内に訳了ということになる。そこで、「毎夜、就寝前に、必ず1頁を訳すこと」を目標に、どんなに多忙な時でも、風邪で熱のある時でも、その訳業を欠かさないことにした。
 まず、厚手の大学ノートを3冊買い込んだ。Zandvoort1頁をノートの1頁に収められるように、並行対訳を試みることにした。翻訳作業はこうして始まった。実際に訳業を始めてみると、力量不足と繁忙とが祟って、1日に1頁はおろか、半頁しか訳せないということも少なくなかったが、時には、1日に3、4頁も進められるという日もあった。こうして、ほぼ予定どおり、1年後には344頁を全訳した。現在、私の手元には1冊のノートだけが残っており、4度の引越しの際に2冊を紛失してしまったことが悔やまれる。だが、そこで学んだことは、間違いなく、その後の私の血となり肉となって今日に至っている。

原本(左)と対訳ノート其の一(右)

原本98頁(左)とその対訳(右)

原本122頁(左)とその対訳(右)