Y 会話・討論のマナーと戦略
はじめに
私は、自分が会話や討論の好きな人間だとは思っているが、それらの巧みな人間だとは思っていない。それでも、標題については、少しばかりなら、平素から努力を重ねていることがある。そこで、それらの点について、以下に簡単に述べておこうと思う。便宜上、「会話(conversation)のマナー」「デイスカツションのマナーと戦略」と読み替えて稿を進めていく。
1.会話のマナー
“会話”といっても、親子の会話、夫婦の会話、友人間の会話、ビジネス会話、同僚間または上司との会話、宴会やパーティーでの会話、二人だけの会話、三人以上の会話、等々、さまざまな対人関係や場面や人数での会話があるが、ここでは、日本人が(あまり)親しくない外国人と日常的に会話をする場合に限定し、留意すべき、一般的なマナーについて述べることにする。
(1)着席の仕方
ソファーに座ったり、テーブルに着いて会話をする場合、日本人は相手との位置関係に意を用いる必要がある。一般的にいって、隣り合わせに着席する(sit side by side)場合は、“協調志向”(cooperative orientation)であると言われる。したがって、親しくなりたい者同士、互恵主義で行きたい者同士は、この位置関係が望ましい。英語国のビジネスピープルでも、この着席の仕方のほうが、日本人に親しみを感じて良いと言う人が多いようである。ただし、あまり接近して着席するのは考えものである(30〜40センチは離れたほうがよかろう)。テーブルの角あたりに(perpendicularly)席を取るのも、これに準じる着席の仕方といって良い。
テーブルを挟んで、対角線上に(diagonally)着席するのは、“疎遠志向”(avoidance orientation)であると言われる。あまり親しくなりたくない相手、互恵主義を採りたくない相手との会話には、意識的、無意識的にこの着席の仕方が採られる傾向がある。
相手と向かい合って着席する(sit face to face)着席の仕方は、きわめて一般的であるが、これは欧米人には“対立志向” (confrontation orientation)であると思えることも多いようなので、親しさ、近しさを志向する場合は要注意。チェス、チェッカー、バックギャモンなど、いずれも対面ゲームである(日本の囲碁、将棋なども同類)。
(2)会話のテーマと展開
よく言われることであるが、親しくない間柄の人とは、政治や宗教の話はしないのが賢明である。この問題は考え方、感じ方の個人差が大きく、中には、妥協を許さない、強固な、あるいは偏狭な思想の持ち主もいるからである。ビジネス会話 (特に、negotiation)でなければ、仕事の話もしないほうが良い。もちろん、私的な事柄に言及した話題も避ける。
日本人は、ともすると、“Are you married?” “How old do you want to be when you get
married?” “How old are you?” “Do you have any children?” “What do you do?”
“How much money do you make a year?” “Have you been abroad this year?”
などといった、好奇心丸出しの、私的的な話題に傾きがちだと言われるが、これらは英語国民の多くが不快に感じる傾向の強い質問のようである。相手の立場
(the receiving end)に立ってものを言う必要がある。“Do not suffer from conversational poverty!”(会話貧困病に罹るな)という言葉さえある。
ある初級英会話の教本に、次のような対話例が示されていた(設定場面は、国内のあるレジャーランド)。
日本人: Are you American?
外国人: Yes, I am. I come from New York City.
日本人: I see. And what city is it like?
外国人: Well...
この対話例は、どちらかといえば “日本的”であり、やや不自然な運びである。まず、“紅毛碧眼の人”と見れば、すぐに “American”だと発想する先入観。つねに “yes”と答えてくれ、“自発的に”出身地を教えてくれると思い込む楽天性。相手は、たまたまアメリカ人であるかも知れない。しかし、その場合でも、相手が “Yes, I am. Why?”と応える可能性は十分にある。いや、そのほうがむしろ “アメリカ(人)的”ですらある。このような場合、日本人の会話は、そこで詰まってしまう可能性がある。
私が担当する学生数名に、「こういう場合に、“Why?”と聞き返されたら、きみ
[あなた] なら何と答える?」と尋ねたところ、“Because I have a penfriend
in America.” と応えるとか、“Because I'm interested in you.”と応えるなどという答えが返ってきた。前者には
“why” と “because” との間に論理的関連性がないし、後者はその外国人が男性で、質問者の日本人が女性なら、相手から大いに
“喜ばれる”だけのものである。
(3)開放的な質問や簡明な表現を多く
付き合いの初期のうちは、一般的には、天候、趣味など、当たり障りのない話題を選ぶほうが賢明である。相手に質問をするにしても、“closed questions”(閉鎖的質問)にならないよう、できるだけ “open questions”(開放的質問)を多くするように努めると良い。日本人は、どちらかと言うと、外国人に対して、前者の範疇に属する質問をする傾向がある。
たとえば、“Are you American?” “Aren't you from England?” “Do you like golf?” “Did you feel very nervous?”など、単純に“yes” “no”で応えられ、それ以上の発展性が望めないようなタイプの質問が “closed questions”である。
これらを、“Tell me something about your city.” “How did you enjoy your trip to Nara?” “How did you like living in Kanazawa?” “How do you feel about smoking?”など、相手にできるだけ多く話をさせるように仕向ける質問に変えれば、それらが “open questions”と呼ばれるものになる。
また、日本人の会話には、“It is hoped [understood;believed] that ...”のような受け身形式の表現や、“It is probable that he will take over his father's business.” や “I went to London for the purpose of studying English.”などのような “おおげさ”な言い方が少なくない。
“It is hoped [understood; believed] that...” の場合、それらは、英語を母(国)語とする人々には、“Who
hopes [understands;believes]?”と反応したくなるようなタイプの質問である。そのような反応を引き起こさないためには、“hope
[understand; believe]”の主体を明示する必要がある。“It is probable...”の場合も、それぞれ、“He
will take over his father's business.” “I went to London to study English.”とすれば、“英語的”な文となる。
2.ディスカッションのマナーと戦略
(1)ディスカッションとディベート
これらが根本的に相違するところは、前者(ディスカッション)が、ある問題について、公式・非公式に、いろいろな意見を出し合って、ある問題について、その問題の解決に協力することをいうのに対して、後者(ディベート)が、ある問題について、主として、公式の場で、理論的・理性的に、一定のルールにしたがって論じ合い、ジャッジのもとで、それに
“黒白”をつけることをいう点である。
ディスカッションには、新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・学校・会社・国さまざまな場所で行われるものが含まれ、ディベートの場合と異なり、結論に達しないこともある。また、感情的議論になることもある。
また、デイスカツションの場合、話し合う目的・場所・参加者人数などによって、その形式を変えなくてはならない。“由由討論”(free discussion)、“パネルディスカッション”(panel discussion)、“公開討論会”(open forum)、“シンポジウム”(symposium)、“会議”(meeting; conference)など、いずれもディスカッションの範疇に属するものである。
(2)ディスカッションのマナー
上記のようなさまざまな形式のディスカッションに共通する“マナー”は、何といっても、
@ ディスカッションは民主主義社会では、話し合いのもっとも大切な
形式であるという点を認識しておくこと、
A これが問題解決のための共同作業であって、相手を言い負かし、
打倒することではないという点を十分に承知しておくこと、
B 討論する問題について、参加者各人が十分に理解し、論点をぼか
さず、問題の解決に向けて協力的に、活発に意見を出し合うこと、
C 大きな問題は、さらにいくつかに分け、下位区分された問題につい
て情報を出し合い、解決案を出し合うこと、
D 発言の機会が公平に与えられること、
E 司会者がいる場合、その司会者は冷静・公平に司会すること、
などである。
(3)ディスカッションでの戦略
“戦略” を英語でいえば “strategy” か “tactics” である。前者は、大局的・総合的作戦をいい、後者は個々の戦術を指す。したがって、これらの英語はディスカッションに対してよりも、むしろディベートに対して用いるほうが、より適切であろう。もちろん、ディスカッションに
“戦略”が不要というわけではない。司会者には司会者が、参加者には参加者が、それぞれの立場で、解決策や合意を求める過程で、必要とする“戦略”がある。
たとえば、司会者は、
@ 参加者を積極的に話に加わらせるために、誘い言葉の種類・使用
方法・使用時期などに工夫を凝らすすこと、
A 特に、参加者に意見や情報を出させるための “probing questions”
を横成する諸表現を豊かにしておくこと (例: “Could you elaborate
(on it) a little more?” “I wonder if you could explain that
in more
detail.” “Could you be a little more specific?” “How does
that
relate to...?” “What does that have to do with...?” “What
do you
mean?”, etc.)、
B また、特に、発言者に確認を取るための諸表現を豊富にしておくこと
(例:“What you're saying is...” “To put it another way...”
“In other
words...” “That is...” “Recapping what you've just said...”
“In a
nutshell...” “Briefly...” “That's what you want (to know
about),
right?, etc.)、
C過熱気味のディスカッションや活気のないディスカッションを適切な
方向に導くための手腕を磨いておくこと、
などの諸点について、本番でその “作戦”が効を奏すように、平素から、“模擬戦”を経験しておくようにすると良い。また、参加者の場合も、しっかりとした
“作戦”を立てる必要がある。
まず、
@ 発声法・身体言語を含めた話術、説得術(art of persuasion)の
涵養に努めること、
A 論証カ・論理性を旺盛にするために、平素から、客観的データ収
集の方法を工夫しておくこと、
B 他人との意見の対立点・相違点をできるだけ早く見つけられるよう
に、平素から客観的にディスカッションを多く見聞しておくこと、
C 付和雷同することなく、確固たる意見・信念(principle;backbone)
を持つこと、
D 人の意見に反応する必要がある場合には、簡明な表現を用いて
行うこと (例: Sure (is); I see; I understand; I know; I agree;
I knew it; I thought so; Right ; I think so, too; Certainly;
Exactly; Really?; Is that so?; You can say that again;
Uh
huh; Yes, etc.)
おわりに
先に、「ディスカッションは民主主義社会ではもっとも大切な話し合いの形式である」と書いた。ところが、日本人による日常的ディスカッションの現実は、民主主義社会の話し合い形式からは、ほど遠いと言う外国人もいる。いわゆる“根回し”“裏工作”が盛んで、デイスカツションの場は単なるセレモニーの場と化しているという印象を持つことに起因する見解らしい。たとえば、Financial Times 紙のMartin外信部長が、いつだったか、日本のテレビインタビューに対して行った、“民主主義国日本”評を紹介しておきたい(メモと記憶による転写)。日本人が「会話・討論のマナーと戦略」を語る時、忘れてならない、傾聴すべき言葉である。
It looks like a democracy. It feels like a democracy. It smells like a democracy. But it's not quite a democracy. Many decisions are taken without due democratic process. Many real decisions are still taken behind closed doors and therefore not, what we would call “transparent,” “open.” (民主主義国に似ているし、そんな感じも、匂いもする。だが、完全な 民主主義国ではない。多くの決定はしかるべき民主的な手続きを経て下 されるのではなく、今もって、閉じられたドアの背後でなされている。した がって、我々の言う「透明」なものでもなければ「開放的」なものでもない。) |
【本稿は、「英語教育」誌(大修館書店、1991、2)に寄稿したものの改訂版です】