V 西欧の数と迷信


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■数字と迷信と象徴
  日本人が数字の“4”を“死”と結び付けて、病院などの階数や部屋数にそれを付けることを嫌うことは周知の通りである。単なる語呂合わせであり、その他の科学的・合理的根拠は一切ない。人や地方によっては、結婚相手との年齢差が4歳だと死に別れるか不幸になるという迷信を信じている。“9”も“苦”の連想があるので、“4”についで嫌われる。
  キリスト教文化を背景に持つ英語国で、数字にまつわる迷信・象徴的意味の類いの1つは、“13”(それも金曜日)であろう。この数字が不吉だとされるのは、「最後の晩餐」への出席者のうち、その13番目がユダだったからとか、キリストの磔刑(たっけい)が13日の金曜日に執行されたからだとかいわれている。このことは日本人にもよく知られているであろう。その“13”以外の数字にも、さまざまな迷信・象徴的意味がある。13より小さな数字についてみてみよう。
  まず、“1”は唯一絶対の存在ということから“神”をさす。「西洋占星術」(numerology)の概念を援用すれば、“1”の象徴は「太陽」であり、威厳・愛情・権力などを暗示する。月の最初の日に生まれた子は幸福と幸運に恵まれるという。家屋番号も“1”が好まれる。ピタゴラス (Pythagoras) では、本質・理性をさす。
  “2”は、至高神である“1”に対比させて、至高神が創造した自然や大いなる神 (Magna Master) としての母なる大地を表したり、生と死、積極性と消極性、男と女など、両極的・二元的・相反的なものの結合を表す。占星術的には、“2”の象徴は「月」であり、平和・温和・放浪などの暗示がある。また、ローマにおいては、不吉な数字とされ、1年のうちの2番目の月の2番目の日は冥府の神プルトン (Pluto) に捧げられた日である。
  “3”は、キリスト教的には、唯一なる神が“父”と“子”と“聖霊”という3つの“位格”(ペルソナ)から成ることを示す数字であり、「三位一体」の考え方に通じる。ピタゴラス的には、「初め、中途、終わり」を表す“完全数”である。キリスト教では徳は「信仰と希望と愛」の3つから成る。その他、3つの“完全性”を示す例は少なくない。ちなみに、英語には“third time lucky”という慣用句があり、3度目は2度目までの幸運以上の幸福に恵まれるという考え方がある。ただし、その反対に、悪いことも二度あることは三度あると考えられて、事故や葬式などは続くものだという迷信がある。このように “3”が悪い数字と考えられるのは、聖ペテロ (St. Peter)がかつてキリストを3度拒否したことと結び付けられるためらしい。占星術的には、 “3”の象徴は木星で、独立・向上・本能などの暗示がある。
  日本語の“4”は前述の通り、“死”との結び付きがあるが、キリスト教的には“4”(と“10”)は全体を意味し、4方向 (four directions)で地上の世界を意味する。また、神の均整を表し、ギリシヤ正教会、ローマ・カトリック教会の高位聖職者は4人であり、エデンの園の4つの川は、4つの福音を表すといわれる。4季 (four seasons) の連想もある。また、ほとんどの古代民族は、“4”文字から成る至高神あるいは最高神を持っていた。たとえば、Zeus (ゼウス)、YHWH(ヤハウエ)などがそうである。後者は「テトラグラマ」(tetragrammaton;ギリシア語 tetra “4” と “文字”grammaの組み合わせ)と呼ばれる「神聖4文字」で、ヘブライ語の子音4つを並べたYHWHは みだりに発音してはならない(出エジプト20:7)神の名であった。「エホバ」(Yehovah) は、この4文字をもとに造られたもう1つの語である。占星術的には、“4”の象徴は天王星であり、孤独・推理・変動などの暗示がある。
  次の“5”は、キリスト教的には、キリストの体の5箇所の聖傷(すなわち、両手首、両足首、右脇腹の槍の傷)を連想する人やJesus(イエス)の5文字を連想する人もいる。あるいは、欲求・信仰・希望・謙遜・愛という5つの行いや、堅信・婚姻・悟悛・聖職・病人の訪問という5つの秘蹟と結び付ける人もいる。占星術的には、“5”の象徴は水星であり、知能・機知・勤勉などの暗示がある。
  “6”はキリスト教的には、不完全を表し、これは神がこの世を6日間で創造したことと関係がある。すなわち“7”との関連でいえば、創世記にその記述を見いだすことができるように、神は6日で世界を創造したのち7日目に休息、その日を祝福し、聖なる日とした。これにより、“7”は完全な数字であり、“6”は不完全(7−1=6)な数字であるとされる。したがって、この世界は人間により完成されなければならない。イエスは弟子たちに、7回赦す(ルカ 17:4)よう、さらに7の70倍まで、すなわちつねに赦すよう(マタイ 18:22)に命じている。なお、ピタゴラスでは、“7”は世界(4)と神(3)を表す。ちなみに、ヘブライ語では“6”にはダビデの6角星 (the six-pointed star of David) の連想があり、6日生まれの人は、将来を予見する能力に恵まれるという。
  また、キリスト教的には、“7”の持つ完全性を信じる人たちの中には、7番目の息子には未来を予見する能力が備わっており、不思議な力を持った医者になれるという。7日生まれの人は、男女を問わず幸せに恵まれるという迷信もある。英語にはまた、“seven-year itch”という慣用句があり、これには「結婚後7年目ごろに現れがちな退屈・倦怠期」という意味もあるが、「悪い子供も7歳になれば良くなる」という意味になることもある。したがって、後者の迷信を信じる人は、手に負えない子供でもその年齢になれば、きちんとできるようになると思っている。野球用語では、7回目頃に訪れる得点のチャンスのことを“the lucky seventh”(日本語では「ラッキーセブン」)といっていることは周知のとおりである。
  なお、占星術的には、“6”の象徴は金星で、明朗・調和・活発などの暗示があり、“7”の象徴は海王星で、変化・空想・神秘などの暗示がある。
  “8”はキリスト教的には「復活」を連想させる。天地創造の7日間にキリストによる復活の1日という考え方、あるいは“7”が「完結」を表すので“8”は始まりを表すという考え方、などがある。大洪水を免れたのはノアを含めて8名であり、復活または贖罪を表す。洗礼堂は8角形のことが多い。キリストをギリシア語で書くと Khristosの8文字である。ちなみに、音楽ではオクターブを表し、同じ音調に戻ることを意味する。占星術的には、“8”の象徴は土星であり、霊性・執着・陰性などの暗示がある。
  なお、古代日本では「八」は神に使う神聖な数字とされ、他は七以下ですませた。「八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を」の“八雲”と“八重垣”がそれである。八百万の神、八重旗雲などもある。
  “9”はキリスト教的には、地獄の9門を連想させる。3つの真鍮の門、3つの鉄の門、3つの金剛石の門の9門である。地獄には、天使の聖歌隊に模して9つの階級があるといわれている。カトリックには“novena”と呼ばれる「9日間の祈り」があるが、これは魔術では魔法の呪文が9回唱えられることと関係があるという人もいる。ちなみに、魔女の使い魔であるネコには“9”の生命があり、9回生き返るといわれる。作曲家は9つの交響曲を書くと命を落とすという迷信もある。たとえば、ベートーベン、シューベルト、ドボルザーク、ブルックナーがその例である。ブルックナーの場合、10の交響曲を書いたが、のちに最初の習作的作品を 0番としている。
  ピタゴラスでは、3の3倍で、数の最大範囲を表す(ほかの数はすべて9の中に含まれるか、その中で循環する)。占星術的には、“9”の象徴は火星であり、勇気・闘争・破壊などの暗示がある。
  “10”はキリスト教的には、全体と神の支配を表す数字である。ダンテは地獄、煉獄、天国を10に分割している。ノアは人類の祖とされるアダムから数えて10代目であった。10にはまた、「十戒」(the Ten Commandments) の連想もある。ピタゴラス学派によれば、10は9までの数字よりも位が高いばかりでなく、「世界の不思議」を表す記号でもある。英語の It was ten times worse than a flood. (文字どおりには、「それは洪水の10倍も悪かった」の意)あるいは I'd ten times rather do...(…するほうが10倍もよい)というような古い慣用句に見る“ten times”(10倍も)は、「最高に」とか「ずっと」という意味で誇張を表すものである。
  占星術的には、“10”は“1”の数の循環数と考えるから“1”と同じ(“11”は「1+1=2」で2の循環数と考えるから“2”に同じ;以下、“12”は「1+2=3」…と考える)。
  “11”はキリスト教的には、罪、違犯、不均整を表す。それは、ユダが去ったあと、11使徒になったこととも関係するようである(ユダが欠けたあとはマティアが彼に代わった)。
  “12”はキリスト教的には、12使徒 (the Twelve Apostles) を連想させる。「使徒」という言葉は広義には福音を伝える者をさすが、さらに一般的には思想や主義を守る人もさす。“12”にはまた、「神(“3”)×人間(“4”[頭・胸・内臓・四肢を持つ者])の連想もある。

■動物とベッドと迷信
  日本人はヘビ (snake, serpent;後者は大蛇)を畏怖または畏敬の対象とし、その夢を見ることは吉兆だとする迷信をもつ。ヘビの皮を財布にいれておくと金が溜まるという迷信は古くからある。特に、白ヘビは神聖視される。これに対して、キリスト教的には、創世記においてのろわれた獣として登場し、人間の敵“サタン”と同一視されているところから狡猾のイメージとも結び付く。一般的にいって、ヘビの夢は好まれない。多くの人は、ヘビの夢を“災難”や“束縛”(たとえば“性の奴隷”)の前兆と考える。
  前出の数字と迷信の関係で付言すれば、英語には“A cat has nine lives.”(ネコに九生あり)という諺がある。ネコは魔女からの使い魔と考えられるが、古代エジプト人はネコに神性を与えて崇拝した。彼らはネコが何回落ちてもそのたびに安全を保つのを見て、この動物は何度でも生き返られるものと考え、彼らの神性なるシンボルたる母の神、父の神、息子なる神の三位一体を結び付けた。そして3の3倍(3の2倍を完全な双数 dual、3の3倍を完全な複数 pluralと考えるところから出た考え方)、すなわち9がネコに赦された最高名誉となった。この「ネコに九生あり」という考え方に、不気味さや奇怪さを付与し、魔女の使い魔としたのは、中世時代にネコ、特に黒ネコが前を横切るようなことがあると、そのネコは魔女か悪魔の化身で、ろくなことが起こらないという迷信が生まれたようである。黒ネコを見ると、予定していた道筋を変えて、別の道を利用するという人もいる。ちなみに、夢にネコが現れるのはよくないといわれ、その夢を見ると信頼している人や友人に裏切られると信じる人もいる。ただし、これとは反対に、黒ネコに出会うのは幸運に繋がると考える人や国も少なくない。
  ベッドに関する迷信で慣用句になっているものに、“get up on the wrong side of the bed”(文字どおりには「ベッドの逆の側から起き上がる」の意)がある。句源としては、「就寝時と逆の側から起床することを縁起が悪い」と考える迷信からというものがあるが、キリスト教的には別の解釈がなされることも多い。すなわち、この場合の「ベッドの逆の側」とは“左側”のことで、こちら側は“神の側”すなわち“右側”に対する“悪魔の側”と考えられたところから(悪魔は堕落以前には神の左側に座していた)、左側からの起床が人の1日を不快なものにすると信じられたというものである。“逆の側”すなわち“左側”から起床してしまった場合には、靴下と靴は必ず “右側” から履いて “縁起直し” をするのがよいとされる。この“get up on the wrong side of the bed”は“get out of the wrong side of the bed” とも“get out of bed on the wrong side” ともいう。
  また、飼いネコが3回くしゃみをすると、飼い主とその家族の者が風を引くという迷信もある。
  
■終わりに
  “迷信”(superstition)は、「未知のものに対する恐怖、無知、あるいは魔術や偶然に対する信頼などから生じる、信仰あるいは習慣」のことである。昔は大いに勢力を振るったものである。しかし、われわれの日常生活には、今日に至るも、多くの迷信がはびこっている。人を不快な気持ちにさせたり陰鬱な気分にさせたりするようなものは好ましくないが、人間生活に楽しさを与えたり、ユーモラスに受け止められるようなものはこの世の“潤滑油”として後世に引き継いでいってよいであろう。たとえば、「茶柱が立つと何かよいことがある」の類いである。

【本稿は 「Genius English Course U revised  授業に役立つエピソード集」(大修館書店;1999. 4.1)に寄稿したものに一部加除修正を加えたものです】