U なぜ「辞書用例学」
(Ipsology)が必要か
1.英語辞書に収録された用例(句例・文例)の責任
私自身の長い教師生活や周囲の同僚教師たちとの共同作業を通じて断言できることは、英語教師は試験問題作り、配布用プリント作り、黒板提示用文例作りなどの際に、英和辞典、和英辞典、英英辞典といった英語辞書から、さまざまな用例を借用しているということです。したがって、不適切な用例や訳文が引用されれば、それは引用者である教師や生徒・学生たちにとっては、かえって有害なものとなったり、意思の疎通に支障を来たすものとなったりします。
前回 (I.)、例として挙げましたが、日本人学習者の多くは、「地獄の沙汰も金次第」 に相当する英語の諺としてMoney makes the mare (to) go.を挙げるのではないかと思います。英和辞典,和英辞典共にそれを収録していると思います。そこで、日本人学習者がその英語の諺を日本語的感覚で、無批判に用いたとすればどうなるでしょうか。その結末を示すものとしては、次の例が好例となるでしょう。
ある日本人ビジネスマンと話をしていた時のことです。話題が、
サラリーのことになると、彼は、“Well as you know, money makes
the mare to go.”と言いました。私は、“As you know...”( ご存じの
ように)といわれても、その後に続くことばが何のことか、さっぱり
わかりませんでした。“I beg your pardon?”と問い返すと、再び同
じことを繰り返します。そこで、このへンな英文の意味を、長々と説
明してもらわなければなりませんでした。一方、このビジネスマン
氏は、私が一度もこの諺なるものを聞いたことがないと知って、少
なからず驚いたようでした。“Money makes ...”は、英語で普通に
使われる表現だと教わったと言うのです。
日本人どうしが話をしている時には、「地獄の沙汰も金次第ですからなあ」などと言っても
不自然ではないかも知れません。そうだからといって、英語を話す時にも同じ感覚で諺を使
っても、意味が通じるとは限りません。私は、“Money makes ...”が、自分だけが知らない諺
なのかと思って、その後、アメリカ人やその他の native speakerに聞いてみましたが、みんな
知らないと言っていました。この話は、私が数多く体験した中のほんの一例にすぎません。
(中略)日本の学生に教えられている諺の過半数は、おもしろいことに、現代の英語を母国語
とする人たちが知らないものばかりです。― ドナルド・ハリントン/平野みどり訳
『大学入試
英語を批判する』(英友社、1978)、pp.67-8.
ちなみに、上掲書の著者ハリントン氏(米国人)は同書発行時には代々木ゼミナール語学センター所長を務めておられ、日本の高校、大学でも教えた経験をお持ちの方のようです。同書が発行されたのは、今から23年も前ですが、2001年5月現在でも手元の英和辞典、和英辞典の中には、何の注記もなくこの諺を収録しているものがあります。私の同僚の英語圏出身者のだれに確認しても、やはりハリントン氏同様、馴染みがないと答えました。私自身、Money
makes the mare to go. を覚え、使い、しかも、『ニューアンカー和英辞典』にも収録してしまいました(ただし、その改訂版である
『スーパー・アンカー和英辞典』では、日本語からの直訳に併記して、Money makes the world go (a)round. という、英語圏人に理解してもらえる表現を挙げました)。この1例だけを採ってみても、英語辞書の用例が日本人学習者に与える影響力の大きさが分かると思います。
もう1例を挙げましょう。これは私自身の失敗の例ですが、その原因は某社発行の和英辞典にあります。このことは以前、
『時事英語研究』誌(2000年3月号特集)でご紹介しましたが、ご存じない方のために、関係個所の記事を再録致します。
例10) I hope to see more of you. (今後ともよろしくお願いいたします)
私の失敗体験のうち横綱格のものである。大学入学時に買った某社和英辞典
の「よろしく」の項に、「今後ともよろしくお願い致します I
hope to see more of
you.」という用例が収録されていた。だれもがそうであろうが、当時の私も辞書
の記述を信じていた。大学3年の4月、アメリカ人女性X講師の英会話クラス第
1週のことであった。クラス終了後、私は教壇に歩み寄って、金髪のその女性講
師に、「今後ともよろしくお願いいたします」と言うつもりで、上記の和英辞典で覚
えた1文を使った。私が I hope to see
more of you.と言った瞬間、X講師の顔が
ポーッと赤らんだような気がした(あるいは困惑だったかも知れない)。いずれに
せよ、彼女は何も言わずに教室を出て行った。
後日そのことを別のアメリカ人教授(男性)に話すと、教授はニコニコ顔で、そ
れは多分、Xさんは、君が言った“I hope to see more of you.”を「あなたに頻繁
に会いたい」→「あなたと付き合いたい」と解釈したのかも知れないよ、と言った。
ショックであった。と同時に、某辞典を恨みに思った(私が辞書編纂に興味を持っ
た1つはここにある)。それから35年の歳月が流れた。しかし、たとえば『G和英』
(1998)の「よろしく」の項を見ると、そこに
I hope to see more of you.(今後と
もよろしくお付き合いください」のような記述がある。
2.「辞書用例学」 (Ipsology) 構築の思想的側面
上にご紹介した例などは、英語辞書の記述がいかに罪作りなものになり得るかということの典型例だと思います。怖いことは、ある辞典が典拠となって、別の辞典に“ウイルス感染”よろしく、次々と広がっていくことだと思います。そのことは同一出版社が姉妹辞典を続々と刊行するような場合に特に当てはまります。この問題は由々しきものであり、私達は、 「辞書用例学」(Ipsology) という新しい視点を得て、文化的財産の一部としての英語辞書をより良いものにしていく必要があると思います。
私は、私が関係した辞書に誤りが含まれていないなどとは微塵も思っていませんし、実際はその逆です。私にとっての緊急問題は、あるいはいっそう興味があるのは、誤りの数
【皆無か、できるだけ少ないほうが良いに決まっています】よりも、日本人にとっての英語辞書 (英和、和英) の在り方・考え方と、それに反作用する用例
〈句例・文例)の排除はどのようにして可能になるか、あるいは容易になるかということです。日本人はなぜ英語がうまくならないのか、その英語学習上の事実と英語辞書とはどのような関係にあるのか、そのようなことにも深い関心があります。辞書に書かれていることが真実かどうか、真実でなければ訂正しなければならない、このようなことに関心を寄せ、責任感を抱くのはもちろんのことですが、私は常に、英語辞書は日本人の心や頭脳の「栄養」「滋養」に役立つものでなければならないという思いや観点に立っています。英語辞書をここまで発展させた先達からの責任の受け継ぎ方と、現在・未来の日本人学習者に真に役立つ英語辞書とはどのようなものであるべきかということも考え続けて来ました。明治の偉大な辞書編纂家であった 斎藤秀三郎(ここをご覧下さい) に比されるものはほとんど持ち合わせませんが、私は私なりに、平成に生きる一人の辞書家として、その微力の限りを英和辞典と和英辞典の思想的基盤作りに捧げたいと思います。ここで問題としている「辞書用例学」( Ipsology) はそのような思いで構築しようとしている辞書学の一分野です。私の思いを換言すれば、「自前の英語」(English of our own) 作りに役立つ辞書作りをしたい、ということになります。そして、「辞書用例学」(Ipsology) の考え方は、国語辞典、日本語辞典、その他、外国語辞典、全ての辞典に適用できるものです。