Y 日本と日本人が
語れる和英辞典を
日本文化を説明できぬ日本人
この小見出しのタイトルは、平成2年8月17日の朝日新聞「論壇」に掲載された、ディン・グォ氏(フリーライター、中国籍、カナダ在住、32歳)の寄稿されたもので、同稿には「ゆがんだ理解に反論せず孤立招く」という副題が付いている。要所を引用させていただく。
日本は西洋にインパクトを与えた唯一の東洋の国家だということを、私は高く評価したい。しかし、西洋人の日本人と日本文化に対する知識と認識は、概して漫画的なことしかない。テレビのトークショーでは、日本人と日本文化がいつもからかわれる。 ずるい商人、野球狂、大根足、働きバチのほかに、ビジネスマンの性欲狂い、日本人の奴隷性……。まだ、無理心中や切腹までが、日本人と日本文化の主な特徴としていつも取り上げられる。 電車の中での痴漢行為を、日本人ビジネスマンの姿としてくわしく描いた映画もあった。(中略) このような偏見に満ちた日本像が、どうしてはやっているのだろう。文化背景による誤解は別として、一つの原因は日本の経済奇跡に不満を持ち、人種差別の観念を持つ少数の人たちの歪曲的宣伝による。もう一つの大きな原因は、日本人自身にある。日本人が、積極的に日本文化全般を世界に紹介する努力をしないことだ。日本人自身も、日本文化「特殊」論に束縛されているようだ。(中略) 日本人は、日本文化の国際化を急がねばならない。専門家だけでなく、一人ひとりの普通の日本人の努力で勧められるべきである。私は心の中で応援したい。 |
氏の言われる通りであると思う。特に、第二番目の原因については、私自身、以前から、気になってしようのないことであった。
つい先日も、横浜市内の一英語学校が、ある広告誌に、下に示すような、ワン・ポイント・アドヴァイス付きの妙な広告を出していた。
一見した時、私は、「冗談ではない」と、声を大にして言いたい思いであった。なぜ、このようなおかしな解説になるのか。確かに、「ツル、ツルッ」という軽快な音の方が、望ましい。しかし、日本人がざるそばを「音がしないようにくれぐれも注意」しながら食べたのでは、それはもはやざるそばでは有り得ないではないか。
外国のレストラン内での話ならいざ知らず、ここは、ざるそばを「食文化」の一部に持つ日本である。外国人に誇ってしかるべき日本食品の一つの食べ方を、なぜ、このように、誇張してまで貶(おとし)める必要があろうか。いや、話が、外国のある日本そば屋におけるものであっても同じである。先人たちが、長年月をかけて作り上げた日本そばを、また、その食べ方を、欧米人の立場に立って、上記の如く卑下する必要など全くない。むしろ、日本人はざるそばの材料や賞味時季や“適当な音の出し方”等の解説や実演を外国人に対して試みるべきである。それでこそ、我が国の食文化の紹介をすることになるのである。
日本を知っているようで知らない外国人
ディン・グォ氏同様、私も、日本人はこれまで本気になって、日本(人)と日本文化とを、外国(人)に向けて紹介してこなかったように思う。それに、日本人は自国のことを知ること、および、外国人に知ってもらうことに、あまりにも怠慢であったように思う。
誤解を恐れずに言えば、戦後の日本人は、「日本人〔日本的〕であること」を、心のどこかで、むしろ拒否するか、忌避して来たように思う。
私は、この日本という国に生を受けた、そして、将来まず恐らくは、この日本という国の土となるであろう、一人の人間として、また、一人の英語教師として、自分を育んでくれた、この国の事物を外界に向けて紹介することを、自分の当然の義務だと考えている。
今、私の手元に、『国際ビジネスの基礎知識百科』(テレビ朝日ニュースキャスター・内田忠男監修、主婦と生活社、1986)という「外国人と上手につきあうための」一冊の本がある。
その第二部に「私たちの見たこと感じたこと」という、八名の外国人による「直言」が掲載されている。いずれも、いわゆる社会的エリートで、日本滞在も(かなり)長い人たちである。ところが、その執筆内容には、日本(人)のことが分かったような箇所が続出する。真にすぐれた「日本人論」を展開している外国人は、残念ながら、皆無なのである。以下に、そのごく
“一部” を掲げてみる。
◆日本人は意味もなく、YES, NOをはっきりしないことが多々ありますが、これはよくないことです。特にNOと言う時は、率直に誠意をもって伝えるべきなのです。タテマエとホンネがあるという態度は、絶対にマイナス点であり、不信を買うことになります。タテ社会、稲作民族といったことを日本人はその理由に使いますが、それは理解されません。(フランス人男性) |
◆「お父さん、今日遅くなるぞ!」…… 家族に向かって言っているのは、どこのお父さんかな? 自分のことを言っているのなら、日本語に一人称を表わす僕、おれ、わたし、わし、わたくしなどあふれるほどありすぎ、不足で困ることはないだろうに。 ……自分のことを「お父さん」と称するのは、苦労してお父さんになったのだから、いちいち「お父さん」であることを強調しないと立場をなくすおそれでもあるのか?(イラン人男性) |
◆日本に来て、イヤだなと思うのは男女差別ですね。……男女差別を強く感じるのは、“奥さん”と呼ばれる時です。名前のない“付属物”みたいに扱われるのには、ガッカリです。(ポーランド人女性) |
◆「どちらへお出かけですか?」から始まり、「ご結婚は?」「お子さんは何人?」ととどまるところを知らない質問責め(原文ママ)に悩まされます。なぜそんなにプライベートなことまで尋ねたいのでしょう。他人の心の中に土足で踏み込んでも平気なんです。(イギリス人女性) |
少なからぬ数の日本人は、“外国人”による、この種の“直言”に、安易に降参していまい、妙に、そして素直に、納得したり、反省したりしてしまうであろう。
しかし、私はこれらに対しては、大いなる“反論” “防衛論”を展開したい。誌面に限りがあって、それが不可能なのが至極残念であるが、外国人の目に映じる日本的事物のほとんど全てのことには“良くも悪くも”理由や由来があるのである。それは、まぎれもない、日本文化の一部なのである。もちろん、外国人の批判・忠告の中には傾聴に値するものも少なくない。しかし、偏見に基づくものや「おためごかし」のもののほうが圧倒的に多い。それを赦しているのは、ほかならぬ、日本人自身である。このまま「日本文化を説明できぬ日本人」であり続けては、ディン・グォ氏の言われる通り、ゆがんだ理解によって、日本人は孤立させられるであろう。
“使える”和英辞典を
こうした日本や日本文化を説明するためには、何よりも、それへの正しい理解と知識を有していなければならない。そして、それを習得する場合にも、外国人に説明する場合にも必須のものが、われわれ英学徒にとっては、“使える”和英辞典である。既存の諸和英辞典は、この目的のためには、あまりにも
“おそまつ”であって、正直のところ、ほとんど、あるいは大して、役に立たない。
私は、日本人には今こそ、背骨のしっかりした、「自前の英語」(English of our own) が必須であると思う。“英会話”だけを英語の授業と錯覚するような学習者を産出する英語教育、また、英国と米国(特に後者)だけを“外国”と錯覚するような学習者を多産する英語教育、自国の文化も説明できないような学習者ばかりを世に放出する英語教育、まさか、我が国の英語教育が、そんな外国語教育であってよいはずはあるまい。
【本稿は、「高校英語教育 だいあろーぐ No.14](増進堂、1990.10)に寄稿したものの加除修正版です;本稿が書かれた一昔前から見ると、和英辞典の質はずいぶんと向上しましたが、まだまだ解決しなければならない点が多いことは、小著
『学習和英辞典編纂論とその実践』で証明した通りです;なお、上記八名の外国人による「直言」への弁護的回答のほとんどは「山岸ゼミ」で出してあります】
以下は、上掲の「マナー編」のイラストに対して私のゼミの諸君の何人かが「山岸ゼミ専用掲示板」に書き込んだ意見の転載です【転載にあたっては受講生の了解を得ています】。
◆悲しいですね こんばんは。現4年の久本です。早速「おそば」についての広告を拝見いたしました。日本文化の「おそば」を日本人が批判しているなんて本当に悲しいことです。あの広告を作成した人は日本のことを全くわかっていないのですね。だからあのような広告ができてしまうのですよね。古くからある日本文化を日本人が卑下することは、昔の人に失礼だと思います。長い年月をかけて培ったきた日本文化なのですから。
なぜ外国の人が言うことが正しいと思うのでしょうか。原因はやはり戦争でしょうか。戦争は誰も幸せにはしません。今アメリカが行っていることもまたそうだと思います。自分の意見を主張しつつ相手の意見を受け入れることは簡単ではないのかもしれませんが、同じ人間なのですから分かり合えないことはないと思います。そう思う私は甘いのでしょうか。話がそれてしまいましたが、日本人には日本人としての誇りを持っていてほしいと思います。 久本真琴 (現・4年)
◆日本人が否定的に捉える「日本」 こんばんは。現ゼミ生4年の岩井です。早速先生がご紹介して下さった「自国の食文化をいやしめる広告」を拝見させていただきました。先生もおっしゃっていましたが、この類の広告が最近目立ちます。自国文化を愛せない、むしろ否定的に捉えている日本人の姿です。これほどまでに悲しいことはないです。ゼミをとおして自国の魅力を学んでいる私にとっては、これらの広告や道端で日本人が交わしている否定的な意見を見聞きしていると、怒りがこみ上げてくるほどです。どうしてそんな考え方しかできないのだろう?どうしてもっと日本の魅力に気がつかないのだろう、知ろうとしないのだろう、最初からだめだと決め付けてしまうのだろう?と。
私は勿論おそばは大好きです。こしの強いそば粉の味といいあの食べる時の音のたて具合こそが「おそば」の魅力なのに、それを卑下するような言い方を大々的に取り上げることしかしない日本人だから、海外の方たちにもそれが下品だと思われてしまうのです。日本人としてこの世に生を受けたのだから、なぜもっと自信を持たないのでしょう?私は持つべきだと思います。日本にはまだ海外の方たちに知られていない魅力がたくさんあります。そのつまった魅力を私たちの手で広げていくべきではないでしょうか。
先生が今回こうして投稿して下さったこの内容を、ゼミ生だけでなく多くの人にみてもらい、そして考えてもらいたいです。自分たちの手で日本の魅力を消してしまっているとも知らず、このままでいいわけがありません。私自身、もう一度日本の良さを見直したいです。欠点ばかりを注目するのではなく、素晴らしい点に着目して、それを後世に残していく日本であってほしいと思います。 岩井 梢(現・4年次生)
◆音を立てて食べた方が満腹感が得られる? 皆さん、おはようございます。現ゼミ生の峰松です。「英語辞書論考Y/日本と日本人が語れる和英辞典を」に掲載されている「おそば」に関する広告を拝見した後、おそばが無性に食べたくなり、早速コンビニエンスストアで購入しました。試しに音を立てずに食べてみたのですが、何だかとても暗い雰囲気に陥り、全く食べている気がしなかったので、すぐにやめました。音を立てて食べた方が何倍もおいしかったです。音を立てて食べると空気も一緒に吸い込むので、音を立てないで食べるよりも満腹感が得られるような気がします。おそばは他の麺類と比較してみると具があまりないので、おそばのように麺だけで満腹感を得るためには音を立てて食べるのが一番良い方法だと思います。 峰松 志恵(現・4年次生)
◆過去と現在 こんばんは。現ゼミの4年生宋です。早速「おそば」のところを拝見致しました。そういう広告を何回か見たことがありますが、あんまり気にしなかったのですが、文章を読んで見て、日本の文化を相手に理解させるよりいやしめる事は自国のことに自信を持っていないとしか見えませんでした。実は私も最初は“なぜ日本人は麺を食べるとき音を立てるのだろう”と思いました。そしてその音を聞くとあまり気持ちいいものではありませんでした。韓国では食べ物(どういうものでも)を食べるときは音を出すとお行儀悪いと言われ、とても叱られます。そういうせいか、なかなか、理解出来なかったのです。でも、日本の生活を重ねていくうちに自然に理解できました。日本ではやはり麺を食べるときには音を出して食べた方がもっと美味しく感じました。いつかTVで見た番組ですが、麺を食べるのをみて「あ!美味しい音ですね。」と誉めているのを聞いて本当に美味しい音だなと思いました。日本の文化はそのまま理解すれば、そのもの自体を受け入れられる心を持つことが出来ると思います。そのためには日本人の皆さんが誇りを持って外国人に説明してあげる必要があると思います。そうすれば、相手も悪い目でみないでしょう。 宋 庚俶〈現・4年次)
◆音が美味しい 日本人は音も美味しさの一部と考えているんですね。舌・見た目・香り・音。食事の際は五感をめいっぱい活用している訳です。すごい事だと思いませんか?「美味しい音」 他の国の人には理解できない美味しさを私たちは知っているということです。峰松さん同様私もおそばを音をたてずに食べてみたことがあります。でもやはり美味しくありませんでした。音あっての麺類です。宋さんもはじめは不快に感じたということですが、今では美味しい音を味わえる様になったんですね。その国に触れて初めてわかることは沢山あると思いますがそれを触れもせず否定するのはいけません。自国の文化をよく考えもせず他の国の人に言われたということで否定するのはもっといけません。悲しいことです。 (4年・臼井奏)
◆自国の食文化をいやしめる広告 一週間遅ればせながら拝見しました。このカナダ在住の中国人が言うように、日本人が自国の文化をもっと認識しそれを主張しなければならないと改めて実感しました。「日本文化の国際化」とは非常に的を射た表現ですね。私も日本のことに疑問を抱くことが多いのですが、もっとそれがどこから来るのかを知らなければならないと思いました。私も急に食べたくなり、台所に行き、インスタントのうどんを食べてしまいました。嗚呼!うまかった!!!日清の「どん兵衛」!!!!! 嗚呼、胸焼けが・・・・・・・・ しまった! (4年・白藤智明)
◆自国の食文化をいやしめる広告 みなさん、こんにちは。現ゼミ生3年の大池です。先生がご紹介してくださった広告を拝見いたしました。日本文化を卑下するあのような広告、同じ日本人として大変残念です。あの広告は、日本文化を卑下していると同時に、あたかも欧米文化の方が正しいと言っているかのように聞こえますが、作った方は本当にそう考えているのでしょうか。そうだとしたら、こんなに残念なことはありません。私自身も中学校から英語を勉強し続けてきた中で、「欧米ではこうだから気を付けましょう」とか、「欧米ではこうなので知っておいてください」のように何かを教わることがよくありました。その頃から私はよく「どうしていつも、欧米のやり方に合わせなければいけないんだろう?」と思っていました。先生方もその説明までは、してくださいませんでした。それを教えていた先生方は、どのような気持ちで話をしていたのか、未だに気になるところです。久本さんもおっしゃっていましたが、私もこのような広告を目にするたび、その原因の一部に戦争があると思えてなりません。戦争に負けたことで、日本人の心に、何か負い目というか自虐的な考えが根付いてしまったのでしょうか。ディン・グオ氏のおっしゃる通り、これからは「日本文化の国際化」が必要なのだと思います。多くの日本人には、まだその自覚が足りないのでしょうね。私もまだまだ勉強が必要です。(3年・大池 智子)
◆母のおそばはちゅるちゅるです!今日のゼミでのおそばの話を家に帰り母に話しました。私の家では昔からうどんもおそばも自分の家で作るので、母は「うどんを作る者としてとても悲しい。」と話していました。私は、祖母のうどん、母のうどんを物心つく前から食べており、私が小さい頃は、母はいつも私に「今日の夕飯はちゅるちゅるだよ。」などと言っていたし、私もうどんのことを「ちゅるちゅる」とか「つるつる」と言って大きくなりました。つまり、うどんやそばは「ちゅるちゅる」「ずるずる」というものだと小さい頃から肌で感じてきました。家族の中でこのように受け継がれてゆく良い伝統を、なぜ欧米文化に合わせようとして無くしてしまうのでしょう。大変悲しいことです。
また、少し話がそれてしまいますが、私がイギリスに滞在している時に、母が私を訪れました。その時に母は、イギリス人がホットドックやフィッシュアンドチップスを歩きながら食べていることや、指についたクリームやソースをチュパチュパとなめることがとてもお行儀の悪いことだと感じたそうです。しかし、それがイギリスの文化なのだと納得したそうです。
このように食の文化には、国、地域によって様々な違いがあるし、自分の国では考えられない食文化がたくさんあります。そのような中で、食の文化をお互いが大切にしていけたらよいと思うし、また大切にしていかなくてはいけないと感じました。(長谷部淳子・4年次生)