2 辞書指導の重要性

 
 
発音記号が読めない学習者
 『スーパー・アンカー英和辞典』の愛読者カードに目を通していた時のことである。その「意見・要望」欄に、高校1年生からのものとして、「発音記号が読めないのでカタカナを振って」という要望が多いのに気づいた。その一部を紹介すれば次のようなものである。

    ◇発音記号が読めない。カタカナ付けて!(新潟県・男)
    ◇単語の読み方をカタカナで書いてください。(新潟県・男)
    ◇単語の読み方をカタカナで書いてほしい。(山口県・男)
    ◇単語のよみ方がカナががふってあればもっといいと思う。(山口県・女)
    ◇発音記号の横にカタカナで読みかたを書いてほしかった。(鹿児島県・女)
    ◇発音記号の横にカナ文字発音をそえた方がよいと思う。(岩手県・女)
    ◇発音記号でしかかいてないのでカタカナなどでもあらわしてほしい。(山形県・女) 
    ◇日本語で発音をかいてほしい。(愛媛県・女)

 このような要望が気になり始めたある日、愛読者カード1日分115枚のうち、高校1年生からのもの73名分を抽出して、その“要望”が特記してあるのを見てみた。その結果、33名、すなわち45.2%の者がカタカナの併記を希望していることが分かった。この結果から推測できることは、もし同辞典の編集部が、「この辞典の内容について、ご意見・ご要望をお書きください」とカードに表記するのではなく、「発音記号にカタカナを振ることに賛成ですか」といった、多少とも“誘導尋問的”な書き方をしていたら、カタカナ併記を希望する生徒の数字はもっと大きかったであろうということである。
 辞書によっては、カタカナを振ったものもある(たとえば、『スーパー・アンカー英和辞典』の姉妹辞典『ヴィクトリー・アンカー英和辞典』)。カタカナの表記を工夫して、英語音に近づけようという努力もなされている。しかし、それとは別に、というよりも、辞書の主流として、発音記号だけのものが存在すべきである。普通の英語学習者なら、全ての者が、英語として通用する音声を発するようになりたいという願望を持っているはずである。このことは、私が個人的に行なったアンケート調査によっても、よく裏付けられた。

発音記号の読み方を教わらなかった学習者
 数年前、私は本務校におけるセメスター制授業の1つ「英語学特講U」において、標準英米語音発声訓練講座を開設した。その際、受講生達が過去に発音記号の読み方を教わったかどうかに関してアンケート調査を実施した。ただし、「発音記号の読み方と発声の仕方を学べば、カタカナ表記が不十分であると実感するようになるはず」という経験的私見を抱いての“誘導的調査”であり、その結果は、当然、事前予測の可能なものであった。質問は次のようなものである(回答者数103名、内訳、3年生69名、4年生34名)。

《質問1》 あなたは中学・高校で発音記号の読み方を教わりましたか。
 a. よく教わりました。                  3名 (2.9%)
 b. ときどき教わりました。              40名 (38.8%)
 c. ほとんど教わりませんでした。           44名 (42.7%)
 d. 全然教わりませんでした。             16名 (15.5%)
《質問2》 a.,b.と答えた諸君に訊きます。それは中学・高校いずれですか。
 a. 中学のとき。                    6名 (14.0%)
 b. 高校のとき。                   21名 (49.0%)
 c. 両方。                      16名 (37.2%)
《質問3》 発音記号にカタカナを振る必要があると思いますか。
 a. 併記することに積極的に賛成。             2名 (1.9%)
 b. ないよりもあったほうが便利といった程度。      35名 (34.0%)   
 c. カタカナは英語音を忠実に表さないので不要。     66名 (64.0%)


 この調査によって分かることは、中・高で発音記号の読み方をほとんど、あるいは全く教わっていない大学生が58.2%もいること、「ときどき教わりました」を “不十分な教わり方”だと解釈すれば、97%という、信じがたいほど多くの学生達は、発音記号の読み方を適切に教わらないまま大学生、それも “英米語学科”の学生になっているということである。
 ほんの数週間、徹底的に発音記号の読み方とそれらの発音の仕方とを教えただけで、64%の学生たちは、「カタカナは英語音を忠実に表さないので不要」と反応するようになるのである。ほとんどの学生たちは、私の授業を評して、「発音がこんなにおもしろく役に立つものだとは思いもしなかった」「こんな授業を中学か高校のときに受けていたら、僕の発音はもっと良くなっていたに違いない」などと言った。
 急いで付言するが、私も “non-native speaker” である。音声学を “major field” にしているわけではない。ただ、英語の教師を生業(なりわい)とする以上、自分が勉強して、まずしくとも手本を示さなければ、教える資格がないと信じているゆえに、まず自らが実践するのである(下線部は、大学院時代に英文学の楽しさを教えてくださった恩師のお一人・大和資雄先生のお言葉である。この信念は私の辞書学の信念でもある)。教師はもっと生徒たちや学生たちの“怨嗟の声”に耳を傾けるべきである。
 教師が学習者達に、発音記号がきちんと読め、自分で発音できるようにしておいてやることは、教師自身の任務の一部であるし、生涯学習の一環として捉えて見た場合にも、きわめて重要な行為なのである。

発音記号と「英語嫌い」達
 新潟県のある高校の先生からお便りをいただいた。その中に、「英語嫌い」の生徒たちに関する次のような箇所があった(私信であるから、差しさわりのない程度の引用にしておきたい)。同氏は東京・神奈川で12年間、“偏差値”の高い高校で教鞭をとられたあと、新潟に転勤なさった方である(下線山岸)。

      現在の高校に来たとき、(英語のレベルは相当に低いと聞いていたので)
     「遠慮しなくてもいいから英語が嫌いな生徒は手を挙げてごらん」の問いに
     全員が手を挙げたのです。アルファベットを書かせると、最後まで順番通り
     にかけないなど、間違う生徒が30%〜40%もいるのですから、やむを得な
     いかなどと思ったりしました。なぜ嫌いなのか尋ねますと「発音できないか
     ら」という返事が圧倒的に多かったのです。(中略)正直のところ本校に来
     るまで高校生でアルファベットがかけない生徒を教えたことはありませんで
     した。(中略)発音のカタカナやひらがな表記を「そんなもの不要」と答える
     先生の意識に、時に英語というものを特権的で権威的なものにしてしまって
     いる原因があるような気がしてならないのです。(中略)私自身、東京と神
     奈川に勤務していた当時は高校生や大学生向けの辞書にカタカナをふる
     ことなど考えたこともありませんでした。それは回りがそういう学力レベルの
     生徒たちだったからです。(中略)中学生向けの辞書はカタカナがふってあ
     り、分かりやすいのですが、高校生には語い数が少なすぎるのです。(以
     下略)。
 
 アルファベットを順序通りに書けない生徒たちを前にして、真剣に悩んでおられる様子が伺われる文面である。高校生向け英和辞典にカタカナを振ったものがないわけではない。前出の『ヴィクトリー・アンカー英和辞典』がそうである。したがって、上記のような問題を抱える学校では、そのために編纂された辞書を使用することも一案である。
 しかし私はやはり思う。小学生以下を除く、すべての段階の学校で(それも、“超難関校” から “底辺校” まで)を教えた経験から断言できることは、日本語の読み書きがきちんとできる生徒なら、指導さえ本当に良ければ、例外なく英語の読み書きは可能になるという、“自明の理”である。英語に関する知識を試す試験でなら、いわゆる“偏差値”に開きが出るのも仕方がない。だが、日本語に不自由を感じない生徒に、英語の発音やアルファベットの最低限度の運用能力さえ付かないとしたら、それは本人たちの責任というよりも、“指導の在り方”の問題であり、“教える側”の責任問題である

辞書の約束事を知らない学習者達
 今度は、上記授業とは別の1年生(英米語学科)の授業で経験したことである。期末試験の一部として、私は、教科書に出てきたイディオムを使用して短文を作れという問題を出した。「辞書持込可」ではあったが、辞書に収録されているものと同じ文は使用不可ということを条件とした。そのイディオムの一部を示す。
 
     a) beyond one's ability
     b) give oneself over to
     c) in spite of oneself
     d) push one's way
     e) take care of oneself

 ところが、解答の中に、次のようなものが散見されるのが私の興味を引いた。
  
     a) It's beyond one's ability.
     b) He gives oneself over to grief.
     c) He did it in spite of oneself.
     d) I pushed one's way through the crowd.
     e) Please take care of oneself.

 要するに、これらの解答を書いた(英米語学科1年生の)学生達には、私が試験用紙に記載した“one's” “oneself”の意味が分かっていないのである。換言すれば、“辞書の約束事” をきちんと学習していないのである。そこで、上記のような解答を書いた学生達に尋ねてみたところ、「辞書にそのような約束事があるとは知りませんでした」と、異口同音に答えたのである。「習ったことがありません」とも言う。こうした学生達でも、その多くは英語が “好き” で、英米語学科に進学して来るのである。早い機会の適切な辞書指導はやはり必須である。