14.『スーパー・アンカー和英辞典』の
用例について ―Amazonでの書評に思う―
1.本欄15.『スーパー・アンカー和英辞典』(第2版)の末尾に私は次のように書いた。
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◆Amazonでの書評の中に、本書のマイナス面として、「俗っぽさ」「過度の悪ノリ」「教育的配慮不足」等が挙がっています。書評として有難く拝読致しましたが、その点は見解の相違というか、言語と文化の捉え方の違いというようにも思えます。別途、折を見て、自説を述べてみたいと思っています。山岸勝榮
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あれからだいぶ時間が経ったが、上記の事柄に関して、以下に、同和英辞典・編集主幹としての見解を述べておきたい。最初に、2007[平成19]年6月28日現在のAmazonでの書評を引用しておく(書評者に関する情報の表示形式を一部簡略化した。もちろん、本文はそのままである。ただし、明らかな誤植は訂正した。下線は私が施した)。【本稿はAmazonに書評を寄せてくださった方への非難ではない。あくまでも、辞書の用例への私の考え方を示すものである。その点をまず明確にしておきたい。】
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◆書評1◆
15 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
いい辞書ですよ, 2006/4/16
By たつなり
用例が悪乗りというここで意見が多いようですし、よそでもその趣旨のことは言われておりますが、私は、この辞書は好きだし、いい和英辞典だと思います。
悪乗りといわれている用例がどのようなものかは、引いてみたりぱらぱら読んだりしてみると、なるほどこれのことかなと思うものが確かに見られます。
このレビューであげられているセクシャルなイメージを喚起するものも少なくありません。しかし、他方で、たとえば彼女にアタックするという日本語から英語でも同じ言い方をしてはいけない。というコラムがあり、(「アタック」の項)それではレイプの意味になりかねないと注意が付されています。
私はこの辞典の対象が高校生くらい以上をめどにしている以上、ある程度のセクシャルな表現は避けて通れないと考えますし、無菌状態で子供が成長することをよしと考えるものでもありませんから、露悪的でない限りは、一定程度の大人的配慮があっても一向に構わないと思っています。
「やる」という見出し語にセックスするという訳が当てられていますが、これなどもまだ日本語国語辞典でさえみられない一種の見識ではないでしょうか。日本語を学ぼうという外国人でも、この辞書を手がかりに現代日本口語が学べる教材だと思います。
◆書評2◆
14 人中、13人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
口語英語に, 2005/12/30
By chatbrun (関東地方)
中学の頃から英和はジーニアス、和英はスーパーアンカーを愛用しています。電子辞書にジーニアス和英が入っているのですがこれが使いにくい。
例文がジーニアス英和と同じという点でも、日本人のミスを考慮してないという点でも。
そこで、この辞典を使うときがあります。いい点は、口語表現が充実していること、日本語特有の言い回しを非常にうまく処理していること、特にカタカナ語で対応する英語と意味のズレがある場合にコラムで解説してあること、同じ日本語の単語のさまざまなニュアンスをけっこう網羅している点です。
マイナス点は、かなり俗っぽいということ。若者へのアンケートを反映させて作ったということもあり、他の方も書いているように微妙な例文があったり、俗語もかなり入っていたりします。
さらに流行の言葉を辞書に入れる際の当然のリスクではありますが、けっこう死語も目立つ・・・
但し、若者の利用が多いことを考えて俗語を増やしたとまえがきにはっきり書いてあり、それが本辞典の方針であるので、結局は好き嫌いでしょう。
手軽な和英の中では比較的かゆいところに手が届く商品です。
◆書評3◆
13 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
僕はこの和英が好きだ., 2005/2/10
レビュアー:
カスタマー
この和英がニューアンカーの名で出版されたときの印象は強烈だった.日本語と英語の対応の適切さや用例の身近さという点ではこの和英は出色だったし,これがその後の他社の和英に与えた影響も小さくなかったのではないか.
僕の仕事仲間のネイティブたちがもっとも高く評価する和英の中に必ず入っていた.スーパーアンカーになってから海外出張に持っていったこともあるが,日常的な表現は全て出ていておおいに満足できた.今回の改訂版も気に入っていて,頻繁に頁をめくっている.読める辞書でもある.
◆書評4◆
13 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
使いやすいけど、不快に感じることも…,
2004/11/18
レビュアー:
カスタマー
私もこの和英辞典は用例が豊富で使いやすく、素晴らしい辞典だと思います。
しかし、悪ノリが過ぎるというか、辞典の用例としてふさわしくないものも多々あり、使用していて不快に感じる方もおられるのではないでしょうか。
和英辞典の構成としては素晴らしいだけに残念です。
◆書評5◆
19 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
急いで作ったか・・・,
2004/11/5
レビュアー:
カスタマー
個人的に好きな辞典なので改訂版を早速購入して使ってみたが、「突貫工事で作った」という印象だ。初版からのミスが直っていない箇所が多い。例えば、「証明」という見出しにある誤植。これだけみてもいかに拙速に作ったかがわかる。また、身近な用例を追求しすぎるあまり「教育的配慮」が欠けている。「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」など、辞典の用例としてふさわしくないものが結構ある。ディベートルームやALTとの会話を収録し、「高校生をターゲット」としているなら、教育的配慮が必要だ。ただ、和英辞典としての「会話用例が多い」など、発信型を追求する姿勢は間違ってはいない。
◆書評6◆
13 人中、10人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
読みたくなる和英辞典,
2004/10/31
By 趣味に生きる
用例が豊富で(楽しい例文が多い)引いた後つい読んでしまう。囲み記事も充実しており、初級者ややり直し組には巻末付録も充実しており最適です。CDは好みに応じて。唯一要望としてケースのデサインと表紙のカラーは何とかしてほしい。
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上掲の書評(特に「書評5」)で問題とされている例文に限って言えば、それらは、私が書いたものではないが、私が目を通し、それにゴーサインを出した以上、編集主幹としての私の責任下にある事柄である。私は用例としての「その先生は女生徒にみだらなことをした」、「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」を初めて見た時、それらを「現代的社会事象の一端を示す日常的用例」だとは思ったものの、「辞典の用例としてふさわしくない」もの(「書評4」、「書評5」)、「教育的配慮」が欠けているもの(「書評5」)だとは思わなかった。その思いは今も変わっていない。それが私がその2例をパスさせた理由である。
私の考えをよく代弁してくださっているのが 「書評1」である。とりわけ、「私はこの辞典の対象が高校生くらい以上をめどにしている以上、ある程度のセクシャルな表現は避けて通れないと考えますし、無菌状態で子供が成長することをよしと考えるものでもありませんから、露悪的でない限りは、一定程度の大人的配慮があっても一向に構わないと思っています。」という箇所に賛同する。同時に、それが私が上掲のような用例を可とする理由でもある。
かつて、『スーパー・アンカー和英辞典』の前身である『ニューアンカー和英辞典』を世に問うた時、「英語教育」誌(大修館書店、1991[平成3]年5月号「Forum」欄)に、高校教員・某氏が、同辞典の“ぶす”その他の見出し語および用例に関して次のような私見を寄せられたことがあった。
(前略)
高校1年生以上の英語学習者を対象とした「学習和英辞典」と銘打つからには見出し語のみならず、例文についても、もう少し慎重であるべきではないかと思えるものがないではない。
「ぶす」は「顔の醜い女。また、そのような女をののしっていう語」(大辞林)とあり、「このブス!」「どうせあたしはブスよ」という対話例まであげてあるのは何故だろうか。
「ながい」の項に「母はトイレが長い」My mother always takes a long time in the bathroom.の例文があるが、take
a long timeの例文として果たして適切であろうか。
「しり」の項に「彼女はしりが軽いからだれとでも寝る」She is an easy woman and sleeps with anybody.ときてはポルノまがいだ。
「お父さん、ぼくおちんちんが痛いよ」Daddy, my thing hurts.と日本人が誰に向って英語で言うだろうか。
いたずらに安っぽい道徳律を振りまわすつもりはないが、いささか赤面した次第である。面白半分に覚えた英語を相手かまわずに使ってみたらどんなことになるだろうか。
(以下略)
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前例のない編纂の仕方をしたのであるから、上掲のような利用者の拒否的反応が出るであろうことは、私の“想定の範囲内”であった。
これに対して、私は以下のように対応した。
本誌編集部から、氏の投稿に対して、一般的な問題も含んでいるので、同辞典編集主幹としての見解があればそれを述べてほしい、という要請があったので、以下に私見を述べさせていただく。
@「ぶす」の問題。氏が引用しておられる『大辞林』の定義は、最近の大国語辞典としては、あまりにもお粗末である。私が同辞典の編者なら、この語には、たとえば、次のような定義と用例を添えたいと思う。
(1)自分本位の美的基準に基づいて、女性の顔を醜いと断定し、
それをあなどったり、面と向ってののしったりする場合に用いる語。
(2)親しい間柄では、しばしば、愛情表現や自己卑下表現として
も用いる。例:(恋人などが)「このブス!」「どうせあたしはブスよ」
/(友人などに)「私、自分じゃあブスだと思うんだけど、彼は《きみ
は最高だよ》って言うのよ」「ワー、ごちそうさま!」
私は「ぶす」という語を、上記のように、多面的に見ており、その総合的観点から同例文を採用した(最近では、「性格ぶす」におけるような用法もある)。
A「ながい」の用例、My mother always takes a long time in the bathroom.の場合、take
a long timeの例文として果たして適切かどうか、という点について、問題なしとお応えしたい。トイレ(特に近代トイレ)には大小の用足しに入るだけではない。化粧直しのためにも入る。両方の場合には、相当に長い時間を要する。同用例は、そのような状況を含めてのものである。
B「しり」の項にあるan easy womanを含んだ例文を「ポルノまがいだ」と断定されている点。これは見解の相違とお応えするしかない。私が担当した大学生、約300名のほとんど誰も、氏のようには反応しなかった。
C「おちんちん」の用例の件。氏は、「日本人が誰に向って英語で言うのだろうか」と言われるが、“日本人”に限定し過ぎておられるように思う。《家族全員英語人》 これは、ある英語学校の、新聞用宣伝文句であるが、現代日本には、このような考え方をする“日本人”もいる。あるテレビ番組が、家庭では英語しか使わず、子供も英語で育てている、という“日本人”の若夫婦を紹介していたが、こういう人たちも現存する。
ある言葉に対する、人の好悪感は、当人の年齢、育った環境、受けた教育等が影響するし、その点は氏の文の調子からも感じ取れるが、現代日本においては、上記のような“日本人”が当該文のような英訳を必要とすると言えよう。私はその点も念頭に置いている。
氏は、「『学習和英辞典』と銘打つからには」と言われるが、私は「学習和英辞典」には、氏が「赤面した」と言われるような一面もあって良いと思っている。近々、「現代英語教育」誌で、「和英辞典を考える」を続稿するので、その点についての私見は、そちらで、改めて開陳したい。
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用例収録に対する上掲の考え方は、現在に至るも全く変わっていない。
「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」の場合も、「みだら」「援交」に対する用例としては“日常性”があると思うし、現代の若者たちの“多く”は、そのような用例に嫌悪感を抱かないだろうと思っている。その私見の通用性を確認するために、私は私のゼミを受講している諸君(3、4年生)計28名に、以下のような条件で、上記した書評(とりわけ「書評4」「書評5」)の指摘をどう思うか尋ねてみた。
上掲文は、私が編纂した『スーパー・アンカー和英』に対するAmazonに掲載された書評です。公表されたものですので、私としては大いに参考にしたいと思います。
そこで諸君にお願いです。上記の書評、特に、書評4に出て来る「辞典の用例としてふさわしくない」「悪ノリが過ぎる」という点について、若い諸君の率直な意見を聞かせてください。
また諸君は、書評5で引用されている「その先生は女生徒にみだらなことをした」、「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という用例を見て、不快に思いますか。不快だと思うなら、それでは「みだら」「援交」という見出し語の“用例”として、どのようなものなら“教育的配慮”がなされていると言えると思いますか。その例を示してください(つまり、“例文”を示してください)。正直な意見を聞きたいと願っていますので、匿名で書き込んでください。よろしく。
2007年6月28日 山岸勝榮
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それに対する学生諸君の感想は以下の通りであった(ゼミ生には、ゼミ専用掲示板に書き込まれた彼らの文章は、私のHPで公表することがあり得ると伝えてある。もちろん適宜匿名にする)。「全員が山岸ゼミの学生である」という点は割り引いて考えたほうがよいかも知れないが、(中には“稚拙な”箇所も見受けられものの)現代の若者の率直な感想が披瀝されていると思う。ご覧のように、Amazonでの書評(「書評4」「書評5」)に近い“不快感”を表明した学生もいるが、ほとんどは、問題となっている用例に関して寛容な意見を述べている。
感想No.1
日時:2007/06/28 20:47
名前:一ゼミ生
- 「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」この用例について私自身は不快にはおもいませんでした。それに現代の高校生は「みだら」「援校」という言葉をニュースで多く放送されているので平気だと思います。平気という言葉は可笑しいと思いますが、慣れている、といった方がいいかもしれません。
もし、「みだら」「援交」について「教育的配慮」を意識して例文を書くとしたら「服がみだれておかしいよ」「援公というのは援助交際の略です」と私は考えました。教育的配慮を頭において例文にするのは、非常に難しいと思いました。他のゼミ生の意見も聞きたいです。【「みだら」と「みだれる」の混同があるが、ここでは不問に付す;山岸】
感想No.2
日時:2007/06/28 22:32
名前:一ゼミ生
- 辞書の用例として、この用例は問題ないと私は思います。日本語の使い方の一例として辞書に書かれているのに、それを不快だ、と感じる感覚が私には理解できません。私の考えた用例は、
みだら・「公共の場ではみだらな行動をしてはいけません」
援交・「若い女性が行う売春の一種。法律によって規制されている」
のようなものです。
感想No.3
日時:2007/06/28 23:31
名前:一ゼミ生
- 正直な意見を、ということでしたので申し上げます。
先生がこのような例を出されたのは、先生に深いお考えがあったからだと思います。しかし、そのような事を、考えずに、辞書を引いたときに、初めて「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という用例を読んだとしたら、あまり良い感じを受けません。
しかし、それはその語自身が本来もっている意味が、良い意味ではないからであり、どんな用例であっても、不快に感じてしまうのではないでしょうか。ですので、結論と致しましては、“教育的配慮”を兼ね備えたうえで、その語自身の意味を充分に生かした用例は、存在しないのではないかと思います。
そうしますと、その語自身の意味を充分に生かした用例ではなく、日本語での、その語自身の意味を読者に委ねた例を用いるほかないと思いました。
それを踏まえまして、用例を挙げさせていただきます。
「みだら」:教師が生徒にみだらな行為をすることは決して許されない。
「援交」:援交は犯罪行為である。
以上です。
感想No.4
日時:2007/06/28 23:46
名前:一ゼミ生
- 書評4において、ある方が「悪ノリが過ぎる」と書き込んでいらっしゃいますが、私は、この文章を書き込まれた方の「言語センス」に、首を傾げざる得ません。悪ノリが過ぎるといった表現が、一体どのような状況で使用される表現であるかということを、書き込まれた方は全く理解していないのではないでしょうか。「悪ノリが過ぎる」と聞くと、「調子に乗りすぎて、いらぬ事をしたり、言ったりして、他人を精神的もしくは肉体的に傷付ける」といった意味で私は使用する表現だと思っております。山岸先生が、調子に乗られて(面白がられて)スーパーアンカーに掲載なさった文章(例文等)はないと思います。辞書というものが、極めて社会的責任の重い書物であるということを一考すれば、「悪ノリで」掲載するといった軽率な行動などとれないのではないでしょうか。書評4を書き込まれた方は、その事を考える必要があると思います。
書評5において、別の方が「辞書にふさわしくないものが結構ある」と書き込んでいます。しかし、ここで新たな疑問が発生します。このレビューを書き込まれた方に、逆にある質問をしたい。その質問は、「辞書にとって相応しい用例とは一体何でしょうか」というものです。言葉というものは、万人に平等に与えられた(産み出された)ものです。したがって、いかなる言葉を選んで、運用することは、法律を犯さない限り、誰にでも許されたことです。通訳者は、自分が使いたくない(不適切だと思っている)言葉であっても、それらを知っておかねばなりません。知りたい(極めて日常生活において出くわす可能性が高い)言葉が、掲載されていなければ、不親切極まりない辞書でしかありませんし、自分がふさわしくないと思うのであれば、当人がその例文を見なければいいだけであって、辞書の編集者を非難、誹謗する権利など持ち合わせていません。
「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」等の用例を見て、私は不快に思うことは全くありません。なぜなら、二つの用例とも普段日常生活(テレビのニュース、新聞、知人友人との会話)で、よく聞いたり、言ったり、見たりするものだからです。つまり、このような内容の表現は、日本では一般的[普遍的]であります。もちろん、先生が女子生徒にみだらな行為をしたり、女子高生が平気で援交したりすることは、好ましいことでありません。だからとって、このような表現[用例]が存在してはいけない[辞書に掲載してはならない]ということは、論理的ではありません。なぜなら、先生が女生徒にみだらな行為をしたり、女子高生が平気で援交をしたりするような人間が、実際に存在しているからです。事象が起これば、それに付随した言葉[表現]が生まれるのは、当然のことです。
私は、書評5を書き込んだ方が不快に思われた二つの文を全く不快に思いません。したがって山岸先生が掲載なさった用例を削除もしくは変更される必要は皆無だと思います。
感想No.5
日時: 2007/06/29 01:12
名前:一ゼミ生
- 私の意見はNo.4の感想を書かれたゼミ生の方と同じです。「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」などの用例は、普段私共が見たり、聞いたり、言ったりする言葉の一つです。普段見たり、聞いたり、言ったりしないような言葉が用例として掲載されているなら、それは修正する必要があるとは思いますが、上記の例は前記致しました通り、私共が普段使い、口にし、または耳にする言葉です。頻繁に使用される例を挙げてこその辞書であると私は思います。
また私もNo.4の感想を書かれたゼミ生の方と同様、どのような例文が、「辞書にふさわしい例文」なのか、とこのレビューを書き込まれた方にお伺いしたい。私は、「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」等の用例を見て、不快に感じる若者はそう多くないように思えます。
したがいまして、私は、山岸先生が掲載なさった用例を削除もしくは変更なさる必要性は皆無であると考えます。
感想No.6
日時:2007/06/29 10:47
名前:一ゼミ生
- 辞書の用例については、重箱の隅をつつくような感想ですが、「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」の二つを見て、どちらの用例にも「女」という漢字は使われていますが、「男」という漢字が書かれていないと思いました。
◆書評4◆の方の感想を読んで、主張しているのは、おもに視覚による感覚的なものではないでしょうか。用例を見る限り、先生=男、「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」と言っているのも男の人と予想することは当然できます。しかし、辞書というのは英語を日本語に訳したらどんな意味であるのかを調べるための書物と私が勝手に定義付けをしてしまっているからであるかもしれませんが、辞書の用例に使われている日本語に著者がこめている深い意味を読み取ろうとする人は少ないかもしれません。私の場合の用例を挙げさせていただくと、以下のようになります。
みだら:「その男の先生は女生徒にみだらなことをした」
援交:「最近の若い女の子と男は平気で援交するからこわいよ」
と考えました。
このように私の意見を書きこまさせていただきましたが、結論といたしましては、重箱の隅をつつくような意見なので、山岸先生が掲載された用例を削除もしくは変更される必要性は皆無であると考えます。
感想No.7
日時:2007/06/29 10:53
名前:一ゼミ生
- 私も他のゼミ生の方々と同様にこれら「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という用例を見て不快に感じることはありません。日常で使用する可能性の高い用例が載せられていて非常に便利であると思いました。
あくまでも私の意見ですが、「その先生は女生徒にみだらなことをした」の用例に関して、あえて変更するならば
→→「その先生は女子生徒にみだらな行為をした」
もしくは
→→「その先生は女子生徒に性的嫌がらせを行った」
が良いのかと思いました。
前者は「こと」をただ「行為」に変えただけです。その方が私としてはわかりやすいと思いました。一方後者では「性的嫌がらせ」という言葉は実際にニュースなどでも常日頃使われてしまっているので、差し支えはないと思われます。
二つ目の用例「最近の女の子は平気で援交するからこわいよ」という用例に関しましてですが、書評を読ませていただきましたが、確かに「悪ノリが過ぎる」「俗っぽい」という意見の示す意味がわかる気がします。それは一般の辞書とは異なり、あまりにもくだけた表現であるためだと私は思います。ですが、くだけた表現であるからこそ日常で使用する可能性が高いため、私はそのまま変更する必要性はないと他のゼミ生同様に思いました。
感想No.8
日時: 2007/06/29 12:01
名前: 一ゼミ生
- 私は、山岸先生がどのような思いで、どれほどの労力と時間をおかけになって、この辞書を作られているかを心得ております。なので、4と5のような書評を書かれた方々の表現には、首を傾げてしまいますが、一女子として申し上げさせて頂けるのならば、「先生・女生徒・みだら」や「援助交際」という言葉は、実際にそれらの行為となんらかの関係があった人にとっては、特別な不快を感じさせてしまうものかもしれません。表現方法の代表例としての用例では、これらの行為については、No3の方と同様、“いけない”という雰囲気を入れた方がいいのではないかと思いました。
感想No.9
日時: 2007/06/29 14:50
名前:一ゼミ生
- 『書評4』から
どの部分で悪ノリが過ぎるのか、どの用例が相応しくないのか。一方的に押し付けた感想では、同意を得ることは難しいでしょう。
『書評5』
から
●「高校生をターゲット」とした辞書として、「その先生は女生徒にみだらなことをした」の用例を用いることは、(大多数の人がそうではないと思うが)生徒の、先生(用例の先生ではなく、実際の)に対するイメージを、少しなりとも悪くさせ得る可能性があると思います。“ある企業の社員が不祥事を起こした”と、ニュースで放送されれば、その会社、社員全員が「不祥事を起こした会社(の社員)」というレッテルを貼られてしまうのに似ています。しかし、最近のニュースでは用例「その先生は女生徒にみだらなことをした」ということが、以前に比べれば頻繁に起こっています。この用例を、排除すべきであると言うならば、辞書に限らず、ニュースやメディアの情報規制も行うべきではと、私の中で、際限なく論題が膨らんでしまいます。
私は、用例「その先生は女生徒にみだらなことをした」は、「その男は、女にみだらなことをした」とすれば、上記の問題を一番あやふやに出来ると思います。しかし、セクシャルな表現を含む用例1つ1つをあやふやにしてしまっては、大多数の人に対して“良い辞書”では無くなってしまうと思います。昔に比べれば、セクシャルな表現に対して日本は大らかになってきています。高校は、成人を目前にするところまで学ぶところです。今の日本で、セクシャルな表現に触れずに、成人まで過ごすということは、不可能に近いと思います。
●「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」は、援助交際の例としては、適切であると思います。他のどんな例を用いても、援交の言葉の持つイメージは払拭できません。この用法に不快感を覚えるとすれば、それは援交という言葉に対して、不快感を覚えているのでしょう。
以上の理由を踏まえまして、用例「その先生は女生徒にみだらなことをした」と用法「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」は、訂正の必要がないと思います。
感想No.10
日時: 2007/06/29 14:55
名前:一ゼミ生
- 辞書の用例として、二つの用例は問題ないと私は思いました。言葉の使い方の一例として辞書に書かれているので、私も山岸先生が掲載なさった用例を削除もしくは変更される必要性は皆無であると考えます。
しかし、「先生」という言葉が悪いのであれば「その男性社員は同僚の女性にみだらな行為をした」
などとするのはいかがかと思いました。
みだら・「公共の場ではみだらな行動をしてはいけません」
援交・「若い女性が行う売春の一種。法律によって規制されている」
と考えました。
感想No.11
日時:2007/06/29 15:10
名前:一ゼミ生
- 私は、「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という用例を読んでも不快には感じませんでした。No.1の方と同じように、私も、若者は「みだら」「援校」という言葉に慣れていると思います。
感想No.12
日時:2007/06/29 15:39
名前:一ゼミ生
- 「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」などの用例についてですが、私はこれらの用例を不快に思いません。「みだら」や「援交(援助交際)」には男女間の不品行といった印象(性的印象)を与えることがあります。世の中には、それらの言葉を「悪しきもの」としてとらえる人がいます。そのようにとらえることが悪いとは思いません。十人十色ですので、いろいろな考えがあって当然であると思います。
しかしながら、和英辞書は、実際に使用している日本語表現を英語でどのように表現するのかを調べるために使用しますので、その言葉がたとえ差別用語であったり、性的印象を与えるものであったりしても、例文として掲載すべきではないかと考えます。辞書から得た表現を使用するかどうかは、辞書の使用者(読者)が判断すべきものではないでしょうか。
書評5にあります「教育的配慮」とは一体何なのでしょうか。見せたくないものを隠すことが「教育」なのでしょうか。私はそうは思いません。書評1でも書かれておりますが、無菌状態で子供が成長するのをよしとするものではないと思います。
官能小説のような露骨な表現であればどうかと思いますが、「みだら」や「援助交際」は日常的に耳にする言葉ですので、そこまで神経質になる必要はないのではないでしょうか。
スーパーアンカーは幼児や児童向けの辞書ではありませんので、今回のような用例は問題ないと考えます。
感想No.13
日時:2007/06/29 23:54
名前:一ゼミ生
- 書評5で問題とされている。「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という用例。
私も書評を読んだ当初はあまり良い印象を受けませんでした。しかしながら、自分自身これらと違う用例を考えてはみたものの、なかなか良いものが上がりませんでした。
上記の理由から私個人の意見としては、書評5で問題とされている2つの用例が教育的配慮に欠けている、又は不快だという印象は受けません。
感想No.14
日時:2007/06/30 00:04
名前:一ゼミ生
- 書評5に出てくる「その先生は女生徒にみだらなことをした」、「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」の用例ですが、私はこの2つの用例について少なからず不快に感じました。やはり、私自身が女性であるという事が大きいのではないかと思います。では、辞典に相応しい用例は何か、と問われると私には見当がつきません。どのような用例でも、それを不快に感じる人は必ずいると思います。全ての人が不快に感じない用例を載せるのは大変難しいことであると感じます。辞典の役割は、その言葉がどのような時に使えるのか、またどのような意味を持っているのかを伝えるためにあります。このことを考えた時に、用例を不快に感じる人がいるからと言って、それを変更する必要はないと感じます。
感想No.15
日時:2007/06/30 00:28
名前:一ゼミ生
- 私はその文章を特に不快には感じませんでした。「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」のような言い回しは、悲しい話ですが普段の日常生活で耳にすることが多々あります。そのため非常に分かりやすい例文であると思います。しかし恐れながら、確かに少し直接的な言い方であるため、不快な思いをする方もいるかもしれません。特に女性などはそうかと思います。
あえて訂正するのなら、先の何人かのゼミ生がおっしゃっているような「みだらな行為はいけない」のように否定の言葉を入れると、少し柔らかい表現になると思うので、良いかと思われます。
感想No.16
日時:2007/06/30 00:57
名前:一ゼミ生
- 私は、「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」の例文を、不快とは感じませんでした。一般にニュースなどでも、似たような文章がよく用いられ、英語における日常会話や翻訳などで、これらの俗語を知っていれば、訳に立ちますし、分かりやすいと思います。
感想No.17
日時: 2007/06/30 01:19
名前:一ゼミ生
- 書評にある、「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という例文が辞書にふさわしくないということに関しては、私はまったくそのように思いません。上記の二つの例文は日常生活において、ごく普通に、しかもニュースの字幕でも流されるような身近な表現だからです。むしろこのような感想を持つこと自体、私には理解できません(これらの批評を参考にする必要がまったくないかといわれればそうではないかもしれませんが)。批評を書いた方々は、学習者は辞書に何を一番求めるかという点をあまり理解していないのかもしれません。それはやはり日常的に使われている表現でありuseful
expressionであると思います。
ごく少数の否定的意見はありますが、先生が編纂された辞書がたくさんの高い評価を受けているのは事実ですし、今後もアンカーが私たちに「生きた英語」をたくさん提供してくれるのは間違いないと思います。
感想No.18
日時:2007/06/30 10:51
名前:一ゼミ生
- 書評2で、著者が若者へのアンケートを反映させて作ったために、俗語が増えた。また、そのことは前書に記されていると述べられております。それらの事を考慮し、書評を読ませて頂くと、『スーパー・アンカー和英』で批評している方達はしっかりと前書を読まれたのかと疑問に思います。
もし、前書を読んだ上で批評をしたという人がいたのならば、その人たちは俗語を不快な言葉として捉えているのだろうと思います。
書評4で「悪ノリが過ぎる」とありますが、なぜ悪ノリが過ぎると考えるのか私には理解しがたく思われます。おそらく、「俗語を増やしたこと=悪ノリ」と、この人は捉えたのだと思いますが。この人は、しっかりと前書を読まなかったか、ただ批判したかっただけなのかもしれません。
書評5に「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」とありますが、“みだらなこと”“援交”という言葉は、驚くべきことに中学生・小学生(おそらく極少数)でも知っております。そのため、上記にもある“みだらなこと”“援交”という性的(にも捉えられる)表現を使用し用例を作る際には注意しなければならないと思います。そこで、例文をここに挙げさせて頂きます。
「その先生は女生徒にみだらなことをした」
→「その先生はみだらな服装をしている女生徒を注意した」
「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」
→「僕は援交を防止する活動に参加しています」
“みだらなこと”“援交”を反対するといった方法を用いさせていただきました。
感想No.19
日時: 2007/06/30 11:20
名前: 一ゼミ生
- 「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」などの用例を見て、不快には思いませんでした。しかし、他の辞書ではあまり目にすることがないので、多少驚きというものはありました。
先の何人かのゼミ生がおっしゃっているような「みだらな行為はいけない」のように否定の言葉を入れると、少し柔らかい表現になると思うので、良いかと思われます。私個人としましては、先生の編纂されたままの文章のほうがわかりやすいと思います。
感想No.20
日時: 2007/06/30 16:17
名前: 一ゼミ生
- 「その先生は女生徒にみだらな行為をした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」などの言い回しは、日常的に用いられている言葉であるので、辞書の用例としてなんら問題はないと思います。ただ、後者の「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」は、「最近の若い女の子の大半は援交している」のように解釈されてしまう恐れがあるのではと思いました。実際には、「平気で援交する女の子が少しずつ増えてきた」とした方がいいのかもしれません。しかし、最初に申し上げましたように、「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」といった言い回しが存在する以上、このような用例を変更する必要は無いと、私は思います。
感想No.21
日時: 2007/06/30 18:54
名前: 一ゼミ生
- 「その先生は女生徒にみだらなことをした」と「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」の用例を読み、私は不快に感じるのではなく、辞書の用例では見かけないという驚きがありました。しかし、日常生活の中で多々耳にする文章だと考えると辞書としての用例に適しているとも考えました。
書評5で書かれている「教育的配慮」が欠けているという意見は、書かれた方の気持ちが分からなくもないと感じました。何故なら、「先生」が「女生徒」に「みだらなこと」をするという関係性が、辞書を使う生徒には身近に感じすぎてしまうのではないかと思うからです。しかし、この辞書を使用した人の年齢が高ければ、物事の「良い・悪い」を認識出来るはずなのではないでしょうか。
上記の考えから、とても身近に感じる用例だからこそ「生きた英語」の使用に繋がる学習になると感じました。この用例を変更する必要はないと、私は思います。
感想No.22
日時: 2007/07/01 01:47
名前: 一ゼミ生
- 書評4、書評5に出て来る「悪ノリが過ぎる」「辞典の用例としてふさわしくない」という点についてですが、私はそのようには思いません。なぜなら、英語学習者は辞書を引き、ある語の意味を詳しく知りたいと思っているに違いないからです。例文を見て、その語の使用方法を知り、それの意味をより明確に捉えることができます。例えば、それがプラスイメージなのか、マイナスイメージの語であるのか、どのような文脈で使用するのかということです。
また、「教育的配慮に欠ける」という点に関しても、私はそのような印象は持ちません。その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という文章は、今日においてよく見聞きします。そのようなものをあえて例文から外す事が「教育的配慮」になるのでしょうか。私は、現在起こっている事であるからこそ、「教育的配慮」がなされていると考えます。
感想No.23
日時: 2007/07/01 09:33
名前: 一ゼミ生
- 書評の中に「悪ノリがすぎる」という意見がありましたが、私は砕けた例文も必要だと思います。美しい日本語を目指す山岸ゼミ生としては相応しくない意見かもしれませんが、砕けた例文の方が身近に感じ、理解することが容易いこともあります。その例文を読んで、単語の使用方法、意味等がすんなり理解できれば、それに越したことはありません。私自身、そのような砕けた例文を読んで、外国人の友人に手紙やメールを送る際に参考にさせて頂いております。
私は、山岸先生が編集主幹をお務めになった辞書はたいへん使いやすく、素晴らしいと思っております。他にも多くの方々が、先生の辞書を賞賛されていますが、それでも自己研鑽を怠らない先生をまことに尊敬致します。
感想No.24
日時:2007/07/01 13:07
名前:一ゼミ生
- 書評5に挙げられている「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」の用例に対して、それほど不快な気分にはなりませんでした。しかしながら、「みだらなこと」や「援交」はあまり美しい言葉ではないため、この言葉を使う以上はあまり良い印象は与えられないと思います。何人かのゼミ生が考えたように、否定の表現がされた例文の方が良いのではないかと感じました。
感想No.25
日時:2007/07/02 00:04
名前:一ゼミ生
- 私は、「その先生は女性徒にみだらなことをした」や「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という用例について、不愉快だとは思いませんでした。ですが、現代社会の中では、先生が女生徒にみだらなことをしたり、若い女の子が平気で援交していたりすることが実際に起こっているので、その事実を用例として出すことを不愉快だと感じてしまう人の気持ちもわからなくありません。例えばですが、「援交」という言葉を使うなら、「私は援交をしている友達にやめるよう注意を呼びかけた」という用例を使ったら、教育的配慮がされていないと考える人も不快には感じないかと思いました。ですが、個人的には、教育的配慮がされているかどうかよりも、日常的に使う頻度が高い用例であるかどうかという方が重要なので、「その先生は女生徒にみだらなことをした」や「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」でも用例としては適しているのではないかと感じます。
感想No.26
日時:2007/07/02 12:32
名前:一ゼミ生
- 私は、「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」の表現を辞書に用いて何ら問題はないと思います。
私の辞書に対する印象とは、改まった言葉を探すのに使う書物というものでした。「援交」という言葉を辞書で用いられていると知った時は、驚きと不快感がありました。それらと同時に、「援交」の言葉を使用して良いのかと疑問に思いました。なぜなら「援交」の言葉は、世間体が悪く、不快に感じる方がおられると思うからです。
しかし、「援交」の言葉を不快に感じるからこそ、使用する頻度を抑える為に辞書に載せて、その意味を正しく知る必要があるのではないかと思いました。また、書評1の方が書いておられる様に、「無菌状態で子供が成長することをよしと考えるものでもなく、一定程度の大人的配慮があって構わない」と私も思います。
用例を挙げます。口語的な否定表現でしたら、「私は援交をしてまで、お金を稼ぎたくない」というものです。
感想No.27
日時:2007/07/02 14:13
名前:一ゼミ生
- 私は二つの先生の用例を読んでも不快とは感じませんでした。私は「みだら」、「援交」という言葉を日常的使います。
不快と感じる人がいれば「みだら」や、「援交」という言葉の意味自体を不快だと思うのだと考えます。
高校生向けの和英辞書に掲載されている用例なので問題はないと思います。高校生も当然知っている表現だと思いますし、日常会話で多用する言葉なのでわかりやすいと思います。
感想No.28
日時:2007/07/02 20:32
名前:一ゼミ生
- 私は「その先生は女性徒にみだらなことをした」、「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」という文章を見て少なからず不快に感じました。
まず「みだら」ですが教師が生徒にみだらなことをするという表現が、余り良くないと思います。ニュースで教師が生徒にわいせつな行為をしたというものを耳にしますが、用例で用いるのはあまり良くないのではないかと感じました。そこで「みだらな格好はしてはいけない」や「みだらな話はするべきでない」などが用例が良いのではないかと思いました。
また援交についてですが、この表現も余りよいとは思えませんでした。確かに援助交際が現在問題になっていますが、若い子は平気で援交するからこわいよという文章から、こわいと思っているだけで何も対処しようとしない立場の人の言葉であるということや、我関せずというようにも感じられました。
そこで「援助交際撲滅のために〜をしよう」という肯定的な考えの用例が良いのではないかと思いました。
この2つを用いた例を書くことは言葉が言葉だけに難しいと思います。すべての人に不快に思わせない表現は難しいと思いましたが、言葉1つ1つに考慮して書いたり、述べたりしないと問題に繋がってしまうこともあるのだと改めて感じました。
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2.かつて、『ニューアンカー和英辞典』を上梓した時、前出とは別の高校の先生から、「先生の編纂された辞書には“でぶ”“びっこ”“めくらめっぽう”というような《差別用語》が収録されているので、《教育的観点》から言って、生徒たちには推薦できない」という内容の手紙をもらったことがある。それを読みながら、「辞書は、そうした語が日常的に多用されている以上、収録しないわけにはいかないのだが…」と思った。「大事なことは、むしろ、前述の“ぶす”における捉え方と同じく、それらをどのように多面的に捉えるかということである」とも思った。
そうした語に責任はないのである。問題は、それを使う人間の“心”と“使い方”である。仮に学習者が、
私は子供の頃、友達から“でぶ[びっこ]”と言われてとても悔しい思いをした。
だから、そう言われる人の気持ちがよく分かる。その時、私は人を傷つける言
葉だけはぜったいに使うまいと誓った。
という日本文を英訳しようとして和英辞典を引いた場合、その語(「でぶ」「びっこ」)がそれに収録されていなければ、当人はその英語対応語をどのようにして知り得るだろう。
今回の例文で言うなら、たとえば、ある学習者が
A. 《その先生は女生徒にみだらなことをした》と噂されたが、その先生を快く思わぬ
一生徒が故意に流した噂だった。
とか、
B. 親父が、《最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ》と、いかにも若い女
の子のだれもがそうだというふうに言うので、僕はそれに強く反論した。
といった日本文を英訳しようとして和英辞典を引いた場合、「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」のような例文があれば、それらを“有用”だと思うであろう。
限られたスペースしかない辞書の紙面に、前掲A、Bの日本文とその英訳の全てを掲載するわけにはいかず、結果的に、「その先生は女生徒にみだらなことをした」「最近の若い女の子は平気で援交するからこわいよ」のような例文だけが収録されたと考えることも可能なのである。
最後に、私は『ニューアンカー和英辞典』の時代に、一部の卑語を除き、できるだけ多くの日常的俗語(表現)を ― スピーチレベルに配慮しつつ ― 収録することを同辞典の方針の1つとしたが、その方針は、その改訂版である『スーパー・アンカー和英辞典』においても貫かれていることを再確認しておきたい。
後日記:上掲の「感想28」を書いたゼミ生(4年次生)は後日、次のような一文をゼミ専用掲示板に書き込んだ。実名で書き込んでいるが、ここでは
仮名にした。
- 日時: 2007/07/10 00:49
- 名前: 明海太郎
- 山岸勝榮先生
お忙しい中を、山岸先生がお考えになっていらっしゃる教育的配慮についてご紹介下さりありがとうございます。
私がNo.28の感想を書き込ませて頂きました。
山岸先生がお書きの通りに、用例を最初に見たときは「教師」と「みだらなこと」が直結していることにあまり良いとは感じにくかったのですが、
- 教育的配慮は辞書を使う側、特に教師にあるというお言葉を見てまさにその通りであると強く感じました。
私も教師を目指す者として、教育的配慮を肝に銘じて指導の場や今後の生活に活かしていけます様に精進して参ります。
明海太郎
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