ゆびのうた」
(Yubi-no-Uta)
作詞・作曲:不詳
英訳:山岸勝榮(C)

The Finger Song
Lyrics & Music: Unknown

English Translation: YAMAGISHI Katsuei (C)


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こちらにYouTube版の「ゆびのうた」があります。
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1.
これは 私の 父さま えらい方

これは 私の 母さま やさしい方よ

This is my daddy, a great man
This is my mommy, a nice woman



2.
これは 私の 兄さま 背が高い

これは 私の 姉さま 親切よ

This is my brother, a tall young man
This is my sister, a kind young woman


3.
これは 私の にこにこ 赤ちゃん

みんな 私の お家
(うち)の方よ

This is my little baby sister, always smiling
All of them are the members of my family



無断引用禁止 Copyrighted



この歌には著作権はありません。





以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。
興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。


特修生の皆さん

山岸教授の御訳The Finger Songを拝見し、以下に気がついたことを述べていきます。

《視点を表す英訳》
原詞から想像できることは、この歌の“視点”は幼い女の子であろうということです。指で“遊ぶ”こと、そして、歌詞にある言葉遣い、とりわけ最後の「お家の方よ」の「よ」から、視点は幼女であると思われます。言葉遣いひとつで、性別や年齢などが分かるのは日本語の一大特徴と言ってもいいでしょう。もちろん、他の言語にそのような特徴が全くないという訳ではありません。英語にも女性語があります。soやfabulousなどがそれに当たります。ただ、日本語は他の言語に比べると多くの例を挙げることができます。ただ、実際に使用されているかと言われれば、特に男女の言葉の差は若者の年代では無いと言った方がよいかもしれません。
 さて、前述したように、原詞から“視点”は幼女であることが想像できますが、それを英語に訳すにはどうすればよいかという疑問が浮かびます。山岸教授はこの点を「父さま」「母さま」に当たる訳語で解決なさっています。前者にはdaddyを、後者にはmommyをそれぞれお使いになっています。意味上ではdad、momとほぼ同じですし、dad、momを用いても問題はさほどないでしょう。しかし、繰り返しになりますが、視点は“幼い女の子”であるので、day、momよりも幼児が用いる傾向が強いdaddy、mommyがより相応しいということになります。以上の点が「幼い子」という視点を産み出す訳語ということが言えます。
 それでは、「女の子」という性別の視点はどう表されているでしょうか。少々的外れかも知れませんが、第3連1行目のmy little baby sisterのlittleがその役目を担っているように思われます。この点は他の特修生の皆さんの意見も聞きたいところです。

《sisterが持つ重要性》
第3連には原詞に文字として表れていないsisterが使われています。もしこの語が無ければ、歌の“視点”である幼女に子供がいるというあり得ない状況が想像されます。この歌は最後の行で歌っているように、「幼女の一家」を表しているわけですから、「私の にこにこ 赤ちゃん」は「妹」(「弟」と解釈する人もいるかもしれません)に他なりません。
 このsisterは、原詞とその英訳の間にあるズレを修正する語、換言するならば、論理性を保たせるためにある語ということが言えます。以前に日英比較を行った「金剛石/水は器」において、「英語の厳密性」と題して意見を書きましたが、「英語の厳密性」と名付けたものは、「理論を保つ英訳」という方が的確かもしれません。そちらで示したwithout good polishingのgoodやYour true virtue will certainly appear brighter after educationにおけるbrighter、the form of a vesselのthe form、そして、「花」におけるDrops from the oar-bladesのbladesなどは、この類いの好例ということが言えるでしょう。

《alwaysが持つ重要性》

第3連にはalwaysが使われています。この御訳を拝見したとき、私は山岸教授がお訳しになった「犬」を思い出しました。同曲の御訳にはwheneverという語が用いられています。alwaysもwheneverも「いつでも」というニュアンスが含まれています。これらの語がある英訳と無い英訳では、伝えるメッセージがまるで異なることが分かります。「ゆびのうた」にalwaysが無ければ、「今一時的に笑っている赤ちゃん」ということになります。結果として「いつも」のニュアンスがそこには無いため、「赤ちゃん」が伝える温かみが失われかねません。alwaysがあるからこそ、この「赤ちゃん」をかわいがる幼女の姿が容易に想像できますし、赤ちゃんの温かみが感じ取れるのです。
 「ゆびのうた」におけるalwaysや「犬」におけるwheneverなどは、どのような分類をすべきかまだ決めておりませんが、「時制の適切性を表す英訳」あたりになろうかと現段階では思っております。この点は山岸教授の他の御訳を分析し、深く考察してみるつもりです。

 平成26[2014]年2月22日
            大塚 孝一