椰子の実
(Yashi-no-mi)
作詞:島崎藤村 作曲:大中寅二
英訳:山岸勝榮
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A Coconut
Lyrics: SHIMAZAKI, Toson  Music: TANAKA, Toraji
English Translation: YAMAGISHI, Katsuei
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明治31[1898]年8−9月に渥美半島の伊良湖岬(愛知県)に滞在した民俗学者の柳田国男が、浜に椰子の実が流れ着いているのを見たと友人の島崎藤村に話したことがきっかけで、藤村が書いた詩。今も国民的歌謡として人気が高い。

こちらに鮫島有美子が歌う「椰子の実」の動画があります。


名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る
椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の 岸を離れて
(なれ)はそも波に 幾月(いくつき)

From some unknown island, far far away
A coconut washed ashore

It must have left its distant home
And drifted about for months




(もと)の木は(お)いや茂れる
枝はなお
影をやなせる

われもまた(なぎさ)を枕
孤身
(ひとりみ) 浮寝(うきね)の旅ぞ

The tree must have grown thickly
And the island branches give shade even now

I, too, lie down on the shore and sleep
Leading a single, drifting life




実をとりて 胸にあつれば
(あらた)なり流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙

I hug the coconut to my breast
Vagabond worries springing afresh in my mind

The sun sets in the sea as I watch
Tears for home well up in this foreign land



思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん

How far and distant have I come from home?
Someday I'll find a way to go back.






無断引用・使用厳禁 Copyrighted©


ココナツの写真はこちらからお借りしました。



以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。
興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。

ゼミ生の皆さん

 今回は山岸教授「椰子の実」と狩野エリザベス・キャロライン先生の「椰子の実」を比較対照します。Greg Irwin氏も同作品を翻訳していますが、原詞と翻訳がかけ離れすぎているため、考察の対象外にします。比較のため、簡易的な資料を用意しました。「共有」内にある「訳比較17 椰子の実」をダウンロードしてください(末尾に転載)。

《farとdistant》(資料青字)
 山岸教授も狩野先生も「遠き島」の「遠き」をfarとお訳しになっています。そして、「故郷の」にあたる英訳として、山岸教授はits distant homeを当てていらっしゃいます。狩野先生はbirthplaceをお使いになっています。特に、山岸教授の御訳を拝読し、今まで抱えていた疑問が解決できました。それは「遠い」を表すfarとdistantをどう使い変わればいいかという類義語選択の問題です。前者は物理的に離れていることを事実として述べるとき、一方後者は物理的な距離だけではなく、そこに「故郷」「郷里」「望郷」などの概念を加えるときに用いられるということが、原詞とお二方の御訳から読み取ることができます。この歌を歌っている視点からすると、椰子の実の「故郷」である「遠き島」はあくまでも、視点の故郷ではありません。だからfarが使えるのです。一方、視点に立っている人が「椰子の実」を思うとき、「故郷」はdistantで表す方が好ましいということが言えるのです。

《助動詞》(資料赤字)

 山岸教授の御訳には、助動詞が三回登場しています。1連3行目のmust、2連1行目のmust、そして最終段落の最後のwillの計三つです。一方、狩野先生は最終段落の最後のmight一つのみです。最後の「国に帰らん」の箇所に関しては、「ん[む]」が推量の助動詞ですから、助動詞を用いて訳出することはできます。ただ、1連3行目と2連1行目において、原詞には助動詞にあたる日本語がありません。しかし、山岸教授は御訳にて助動詞をお使いになっています。実は私たちは大切なことを見落としていました。それは、原詞から、事実と心情を分けるということです。視点は「一人で当てなき旅をしている男性(?)」でしょう。その人にとって、「椰子の実」の故郷は知るよしもありません。あくまでも「予想」をしているのです。どのような予想かというと、「椰子の実」が故郷を離れて、何ヶ月と波に流されながら岸にたどり着いたこと。そして、その「故郷」にある「旧の木」が生い茂っていることや影を作るほど枝が張りだしていることです。これを、助動詞を用いずに表すと、「事実」を表すことになり、断定してしまうのです。原詞はそのような事実を述べているのではなく、視点の“心情”を表しているのです。
 わたしを含めて、ゼミ生が誰一人として助動詞を使えなかったこと(高浦さんだけ2連の訳出に仮定法のwouldを使っていますが)は、やはり原詞を理解せずに、字面だけを追って訳出をした証拠になります。完全な誤訳と言えます。

《「旧の木」の訳出》(資料緑色)

 「旧の木」の訳出に見られる違いを明らかにします。まずは山岸教授、狩野先生の「旧の木」の御訳と、わたしたちのそれを以下に箇条書きにします。
 山岸教授:The tree
 狩野先生:The tree that bore thee
 草皆さん:An ancient tree
 佐々木君:the palm tree
 高浦さん:your tree
 久米君:The tree born you
 大淵さん:Your tree
 中澤君:The tree that bore you
 大塚:The old tree that bore you
 山岸教授がThe treeと極めて簡潔に表された理由として考えられることは二つあります。一つは「旧の木」の「もと」が「元」ではなく、「旧」となっているところから、単に「むかしの」を表すのみであり、「元々椰子の実がなっていた木」はあくまでも派生的な意味であることを考えると、余分な形容句は不要であるということです。もう一つは、The treeと定冠詞を用いることにより、この状況下でThe treeということで、「椰子の実がなっていた木」であるということが分かるからでしょう。加えて、must have Vp.pを後続させることで、その確実性は一層高まり、The treeが、皆が表す意味であることが一目ならぬ、“一耳”で理解することができます。

《最後に》

 山岸教授よりわたくしたちの英語に関してご講評いただきました。教授がおっしゃるには、わたしたちの英語は“英語らしく”なってきているようです。しかし、それは、もちろん、教授のご指導があってのことであります。それと同時に、日本語に対する読み込みの甘さからくる誤訳や、英語力の欠如からなる類義語の選択の甘さも多数見受けられます。それぞれが反省し今後に活かしていく必要があります。

平成25[2013」年
   12月23日
      大塚 孝一

日英比較 「椰子の実」pdf