通りゃんせ
(Tõryansé)
作詞・不詳  編・作曲:本居長世 
英訳:山岸勝榮 ©

Pass Along
Lyrics: Unknown   Arranged & Composed by MOTOORI, Nagayo
English TYranslation: YAMAGISHI, Katsuei©



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mp3「通りゃんせ」
こちらにはYouTube版があります。
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通りゃんせ 通りゃんせ

 ここはどこの 細道じゃ
 天神さまの 細道じゃ
 ちょっと通して 下しゃんせ
 御用のないもの 通しゃせぬ
 この子の七つの お祝いに
 お札を納めに まいります
 行きはよいよい 帰りはこわい
 こわいながらも
 通りゃんせ 通りゃんせ

Pass along, pass along
"Where does this lane lead to?"
"This lane leads to the Tenjin Shrine"
"Then please let me pass this gate"
"If you don't have anything special, we won't let you pass"
"I want to celebrate my child's seventh birthday
And to dedicate a thanksgiving talisman here"
"There's no fear on your way but maybe some on your way back
If you don't mind it at all
It's all right you pass this gate
"


無断引用・使用厳禁
Coyrighted
©





この歌には著作権はありません。
最初の神社の写真はこちらからお借りしました。



以下の文章のうち、最初の文章は、私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君、
あとの文章は現ゼミ生の佐々木健史君の手になるものです。興味深い比較ですので、両君の了解を得て、転載します。

ゼミ生の皆さん

 教授の「通りゃんせ」の御訳を拝読したおりに感じたことは、原詞の理解が曖昧なままであると、英訳はこうも異なるものかということです。1行目から見ていきます。
 原詞「通りゃんせ」という、ある意味“含み”を持たせた日本語に対して、山岸教授はやはり原詞に忠実にお訳しになっています。つまり、英語にも“含み”が感じられます。ただ、pass alongという表現から、目的語は「関所」ではなく、「道」であるということが分かります。もちろん、それは原詞を読めば分かることです。
 続いて、「細道」をlaneとお訳しになっています。narrow pathと二語で表すよりも簡潔です。
 4行目のThenは、「では、[じゃあ]」程度の意味でしょうが、これが無いと唐突過ぎます。悪例が私の訳です。そして、この行から、焦点が「道」から「関所」に変わっていることが教授の御訳から分かります。
 5行目の「通しゃせぬ」という強い拒絶は、教授が採用なさったwon'tから感じ取れます。この原詞に対して他の表現では、意味が弱くなり、関所としての機能が果たせなくなることが分かります。
 6行目の「この子」ですが、私は何の疑いも無くthis childを訳出をしました。しかし、この歌詞が歌う状況であれば、「この子」が「赤の他人」を表すはずがありません。大学院生がこの程度では情けない限りですが、“恥”としてここに記しておきます。
 7行目の御訳にありますthanksgivingという形容句ですが、この種の「補う訳」が私たちにはできません。「あした」の御訳におけるsweetやspecialも同様の働きをしています。どのような箇所で補えば良いのか、結論は出ていません。今後も注意深く教授の御訳を拝見していきます。
 この「通りゃんせ」の最大の“難関”である「行きはよいよい 帰りはこわい」ですが、教授の御訳を音読したところ、教授にはまことに失礼ですが、感動を覚えました。本日の夕刻に記した「どんぐりころころ」のFor a while in the pond the two had funに見られる「英語とリズムの完全一致」がこの御訳出にはあります。
 御訳の最後の二行を拝読し、関所の役人が多少通行人を突き放しているような印象を受けます。あくまでもわたくしの私の貧弱な語感に寄るものです。
 簡単に、教授の御訳を拝読し、気がついたところを思いつくまま書き記しました。「通りゃんせ」のような英訳の難易度が比較的高い歌は1行でも1単語でも多く、教授と同じ語句を採用したいところですし、「どんぐりころころ」などの比較的易しめの歌では、できれば教授の御訳に可能な限り近づくことを目標とし、来年も一層の努力を積み、英訳に励んでまいります。

平成25[2013]年
 12月31日
  大塚 孝一


ゼミ生の皆さん

 以下に今回の学んだこと、感じたことを掲載します。

【曖昧なままの御訳】
山岸先生の御訳を拝見しまして、わたしはこの詩は物語のようだと思いました。「通りゃんせ」の御訳で、pass alongと、曖昧なままだからです。このことは大塚さんも掲載なされた箇所です。「細道」がlaneなのは、小路を進んだからではないかとも思います。その途中で関所にぶつかり、問答が始まります。この関所は果たして何か、様々な諸説がありますが、戦国時代の川越城のことではないのかと推測が出来ます。数ある関所の中で、天神様に通じる関所はここかという問答ではないのでしょうか。そう考えると、2連目の詩の意味も理解できます。また、その場所が正しいわけではなく”曖昧”になるからこそ、pass along, laneと訳出なされたと思います。皆さんはどう思いましたでしょうか。
また、その問答により、その細道が天神様への細道とわかり、thenが訳出なされたとも思いました。

【someの用法】
“There’s no fear on your way but maybe―”
最初にですが、there isの構文が用いられたのは、この詩の”古さ”にあると思います。既に江戸時代からあること、この詩の表現からもそのことは伺えます。
Butと逆説になるのに続き、someが用いられております。このsomeには、fearの対照的な意味が含まれていることが解ります。『アンカーコズミカ英和辞典 P.1764 some (3)』の『some are and some aren’t』と同様の意味だと思います。

今回の訳出では、前回と同様に、詩の背景が理解出来ていませんでした。また、原詩に含まれていないながらも欠かすことのできない補足的訳出が出来ていませんでした。「お札を納めにまいります」の訳出において、”thanksgiving(神への謝恩)”などです。
「七つのお祝い」、神の庇護下に子供がいたことへの感謝故に、上記の語を用いられたのではないかと思っています。
日本には「七つ子祝い」があることがこの箇所から解ります。そうすると、後の「帰りはこわい」というもの説明が付きます。
今回の訳出において、私見ですが、原詩に忠実で曖昧な表現をすること、行事などのその背景を簡潔に表す表現、またその用法などを学び、如何に母語への理解や考えが足りなかったかを感じました。こうした表現が出来るようになるには、ひたすらに勉強あるのみでしょう。皆さんと切磋琢磨して行きたく思います。

12月31日
 佐々木 健史