さいたら(斎太郎)節 Saitara Bushi 宮城県民謡 英訳:山岸勝榮 © A Song to Bring Fish |
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この歌の歌詞の意味解釈については東北歴史博物館学芸員・小谷竜介氏からご教示いただきました(平成25[2013]年10月17日)が、英訳の巧拙およびそれに関わる責任についてはすべて私・山岸勝榮に帰すものです。 |
イラストはこちらからお借りしました。 |
以下の文章は山岸ゼミ特修生で大学院修士課程1年生の大塚孝一君が、ゼミ生に向けて ゼミ専用掲示板に書いたものです。一般読者にも有益だと思い、同君の了解を得て転載します。 |
ゼミ生の皆さん 山岸教授がお訳しになった「さいたら節」を拝読しまして、特に学ぶことが多い3行目の御訳と訳出過程について私見を述べます。 山岸教授は3行目「アレワエーエ エトソーリャ」をLook at that, oh, what a wonderful viewとお訳しになっています。なぜこのような御訳になるのか。そして、なぜ私たちにはこのような訳出ができないのでしょうか。 教授は「アレハエーエ」が「あれはいい」という意味であることを教えてくださいました。仮に、この意味がゼミ授業前に何らかの形で分かったとしても、私は教授のように訳出できたかといえば、おそらくできません。だからこそ、ここに学ぶべき点があると思います。 「あれはいい」を直訳するとThat's good.などとなります。これはこれで間違いないでしょうが、この詞にはふさわしくありません。なぜか。それはThat's good.という表現が持つ“軽さ”故のことだと考えます。That's good.というのは、あくまでも個人的な解釈ですが、どうも“軽く”感じられます。しかし、この詞では、各連の1〜2行目に、松島の美しさ、素晴らしさが歌われているわけです。それを3行目で受けてThat's good.ではあまりにもバランスが悪く感じます。たとえ、That's great.でも同じことでしょう。松島の自然が作り出す景色に畏敬の念すら覚える人々が抱く印象は、単純にThat's good.やThat's good.ではなく、やはり感嘆文でしか表せません。ここに、感嘆文、what a wonderful viewが使われる意味が見いだせます。 続いて、ohの訳出ですが、原詞「アレワエーエ エトソーリャ」にある「アレワエーエ」の最後の「エ」と「エトソーリャ」の最初の「エ」が同音であることを踏まえての御訳出と考えられます。「エトソーリャ」に当たるwhat a wonderful viewが訳出されているわけですから、原詞に忠実な訳にするにはwhatの[(h)w]の音と同じ音、もしくは似た音が望ましいわけです。そこでoh[ou](正しい発音記号は、各自ohを辞書で引いて、発音記号を確認してください。)が訳語としてふさわしいということになります。uは唇を丸めて出す母音であり、wはuよりもさらに唇を丸めて出す子音です(推測ですが、ここではたとえ米音でも[h]はほとんど発音されないように思います)。たった間投詞一語ですが、大変勉強になります。 最後にLook at thatの御訳出ですが、1〜2行目にかけて景色の素晴らしさを歌い、oh, what a wonderful viewと後続するわけですから、「見てみろよ」という日本語が出てくるのは当然すぎるほど当然です。 このように教授はお考えになり訳出をなさったのかと推測します。 今回の教授の御訳を拝読し、分析すると、何度も気がついていることですが、わたしたちは、原詞の理解ができていないこと、そして、その原詞を英語ではこう表現するということが分かっていないことを改めて認識します。日本人であるのに日本語が分からない。ましてや英語などもってのほか、としか言いようがありません。 まず、原詞の理解という点において、民謡ということもあり、私はあまりにも原詞の解釈ができなかったので、松島町役場(http://www.town.matsushima.miyagi.jp/)にメールを送り、意味を教えてもらおうとしましたが、残念なことに返事はありませんでした。大学院生としては電話を掛けてまで原詞の意味を求めなくてはならなかったことは反省材料です。 訳出においては、原詞を直訳したときに結局発信側と受信側で齟齬が生じては意味がありません。私は英語の“引き出し”を持っていないため、必死に辞書やインターネットで適語をむさぼるように探すわけですが、それでは到底良質な訳出などできるはずがありません。今までの教授の御訳から学んだ表現を一部記します。 《花》「たとふべき」beyond all compare 《一寸法師》「鬼が一匹 あらわれいでて」A Devil barred the way 《牛若丸》「長い薙刀ふりあげて牛若めがけて切りかかる」Benkei threw down a challenge … 《緑のそよ風》「ねんねどり」tiny sleepy heads 《海》「松原遠く消ゆるところ」Pine groves trailing off beyond all seeing 《あめふり》「ピッチピッチチャップチャップランランラン」Splish-splash, splish-splash, tra-la-la 《ゆりかごのうた》「ねんねこ ねんねこ ねんねこよ」Sleep, baby, sleep, baby, sleep, baby, my dear love 上掲の御訳は、日本語を頼りにして和英辞典やインターネットを見ても掲載されていないような表現です。以前教授が授業中に仰っていた「辞書を頼りにしてはだめ」ということがこの一部だけを見ても分かるわけです。では、このような表現はどうすれば思いつくか。答えは一つしかありません。多読精読し、「これだ!」という表現を“盗む”しかありません。私を含めたゼミ生にはこの努力がなされていないため、いつまで経っても“誤訳”、“珍訳”しか出てきません。 先日行われた2013年度明海大学公開講座(「通訳と翻訳の世界」)にて、山岸教授や鳥飼玖美子先生がおっしゃっていましたが、このような実践的翻訳を通じて、体系、理論を構築していく必要がありますし、それを私も追求していくつもりです。そして、文化をどう訳すかという点においても、同様の作業が必要であることは明白であり、来年度も特修生として引き続き勉強し、自身の研究に反映できるようにすることが卒業までの目標です。 平成25[2013]年10月22日 大塚 孝一 |