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無断引用・使用厳禁 英訳を引用する場合は必ず英訳者の氏名を明記してください。 商用利用禁止。商用利用の場合、英訳者との事前の合意が必要です。 (詳細はこちら参照) You may copy / duplicate this translation as long as the translator / copyright holder is specified. Copyright© YAMAGISHI, Katsuei You may not use my translation for commercial purposes. If you want to make commercial use, you must enter into an agreement with the translator to do so in advance. |
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父母(ちちはは)も その父母も 我身なり われを愛せよ われを敬せよ 二宮尊徳 |
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1. 柴(しば)刈り縄(なわ)ない 草鞋(わらじ)をつくり 親の手を助(す)け 弟(おとと)を世話し 兄弟仲よく 孝行つくす 手本は 二宮金次郎 Firewood gathering, straw-rope and -sandal making 2. Sparing no effort to work the whole day 3. Family business comes first and
reductions in your budget |
この歌には著作権はありません。 |
イラストはこちらからお借りしました。 |
以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。 興味深い文章ですので、同君の了解を得て、転載します。 |
特修生の皆さん 山岸教授の御訳Ninomiya Kinjiroを拝見し、反省という観点から、意見を書きます。 《字面を訳す悪習》 山岸教授の御訳を拝見し、わたくしの訳は文字をそのまま訳しているだけであり、到底翻訳とは言えないものであるということに気がつくことができました。翻訳は文字をそのまま訳すことではないということは、幾度となく山岸教授より賜っておりますご指導です。しかし、その悪習から脱することができません。それはなぜでしょうか。 まず考えられることは、いわゆる「直訳」が楽だからということが言えます。例えば、第3連3行目に「遂には」という原詞がありますが、この語にわたくしは finally を当てました。直訳です。そうすると「思考停止」の状態に陥ります。つまり、「遂には」は finally だから、類義語を調べなくていいと思うのです。たいていはどの語にも類義語があるはずですから、それを追求していくことが必要です。 悪習から脱することができない理由を別の観点から述べるのであれば、それは、「英語力の無さ」に尽きます。実はこのことは、「直訳の容易さ」と繋がっていることです。つまり、直訳をするということは、英語力の無さを表しています。英語力が無いので、別の英語表現が思い浮かばない。そこで思考停止状態になるということです。 一度、山岸教授と、唱歌・童謡の訳出についてお話を少ししたことがあります。その際、山岸教授がおっしゃっていたことは、「どの表現にしようか悩む」ということでした。つまり、ある原詞に対して、いくつかの英訳が思い浮かぶのですが、その中で、意味、ニュアンス、リズムの面で最適の訳を選ぶという手法を採られているのです。一方、私はと言えば、原詞を「どう訳すか」という一点で終わってしまうことがほとんどです。言い換えれば、英語力がある人の翻訳方法と、英語力がない人の翻訳方法の違いということです。目指すべきは山岸教授のように、原詞に対する英訳の選択肢が多く思い浮かび、その中から吟味して訳語を決定するという過程を経ることができるように“修行”する必要性を感じました。 《訳せなかった英語らしさ》 もちろん、山岸教授の御訳は全体的に勉強になりますが、とりわけ、close brotherhood, devotion to your parents, won't stop, comes first, making the best use of them, turning out, inspire の表現は勉強になる部分が多い御訳と言えます。 なぜ私たちにはこのような英訳ができないのでしょうか。答えは一つしかありません。英語が分かっていないということです。いずれの語も英語らしさを感じるものです。close brotherhood や devotion to your parents という表現は、どうあがいても今の私には訳出できません。良質な英語の“貯金”がないからです。won't stop や comes first からは、日本語と英語の発想方法の相違が見られます。inspire, making the best use of them と turning out はいわゆる“大学受験”ではお馴染みの単語[慣用句]ですが、無機質な英語にさらされている受験生にしてみると、御訳にあります同表現はまさに「目から鱗」であり、生きた英語ということになるでしょう。「粗末にせず」とmake the best use of them という日英の発想の違いは極めて興味深いものであります。turn out を「〜になる」と機械的に覚えているだけでは決して山岸教授のような御訳は生まれないでしょう。 結果的に言えることは、私が訳せなかったところは、英語らしい箇所であり、それは英語の本質が分かっていないということでもあります。そういう意味では、《字面を訳す悪習》でも書いた様に、本物の英語力がないということが言えます。 平成26[2014]年3月6日 大塚 孝一 |