仲よし小道
(Nakayoshi Komichi)
作詞:三苫やすし 作曲:河村光陽
英訳:山岸勝榮©

The Friendship Path
Lyrics: MITOMA, Yasushi  Music: KAWAMURA, Koyo
English Translation:YAMAGISHI, Katsuei ©



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mp3

1.
仲よし小道は どこの道

いつも学校へ みよちゃんと
ランドセルしょって 元気よく
お歌をうたって 通う道

Do you know where the friendship path is?
The one I always take to school with Miyo-chan
With school bags on our back cheerfully
Walking along with a song on our lips


2.
仲よし小道は うれしいな

いつもとなりの みよちゃんが
にこにこあそびに かけてくる
なんなんなの花 におう道

Do you know how happy I am on the friendship path?
The one Miyo-chan, my next-door friend, always runs to me
With a big smile on her face, to have fun with me
A lot of yellow flowers smelling sweetly



3.

仲よし小道の 小川には

とんとん板橋 かけてある
仲よくならんで 腰かけて
お話するのよ 楽しいな

Do you know what the friendship path is like?
The one with a wooden walking bridge over a small stream
With my dearest friend, sitting on the bridge
Chatting for a while, how happy we are!


4.
仲よし小道の 日ぐれには
母さまおうちで およびです
さよなら さよなら またあした
お手々をふりふり さようなら

Do you know how evening falls on the friendship path?
The one my mom calls me back home along
See you, see you, tomorrow again
Waving my hand, bye for now


無断引用・使用厳禁
Copyrighted
©


この歌に著作権はありません。
イラストはこちらからお借りし、少々加工しました。
背景画像はこちらから拝借しました。


以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。
興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。

ゼミ生の皆さん

山岸教授が「仲よし小道」の御訳をホームページにご掲載になりました。以下に今後の訳出において“真似ぶ”べき点を書きます。

《型》
 山岸教授の「仲よし小道」の御訳における最大の特徴は1行目と2行目以降の“呼応”にあると私は判断しています。
 各連1行目は以下の様になっています。

  Do you know where the friendship path is?
  Do you know how happy I am on the friendship path?
  Do you know what the friendship path is like?
  Do you know how evening falls on the friendship path?

 まず顕著な特徴は、Do you know 疑問詞?という型を採用なさっている点です。
 そして、原詞の1連の構造を見ると、1行目に「疑問」があり、残りの行でその「疑問」に対する答えを出しています。この構造を山岸教授は英訳にて4連までお使いになっていることが分かります。しかも、原詞に疑問詞はないのですが、山岸教授は日本語を深く分析なさり、2連以降の1行目に的確な疑問詞をお使いになっていることが分かります。
 2行目は、以下の様な御訳になっています。

  The one I always take to school with Miyo-chan
  The one Miyo-chan, my next-door friend, always runs to me
  The one with a wooden walking bridge over a small stream
  The one my mom calls me back home along

 このように、2行目もThe one ~ という“型”を利用なさっていることが分かります。原詞はこのような“型”はもっていませんが、1〜2行目に見られるこの“型”は英語らしさを感じさせる御訳と私は思います。個人的に思わず声を上げ驚嘆した行は3行目です。3行目の簡潔性は誰もができる“技”ではありません。その簡潔性をそのまま日本語にすれば「仲よし小道の小川の橋」という具合でしょうか。
 そして、3行目にもある種の“型”が見られます。

  With school bags on our back cheerfully
  With a big smile on her face, to have fun with me
  With my dearest friend, sitting on the bridge
  See you, see you, tomorrow again

 4連は例外ですが、1〜3連では、先頭にwithが用いられています。4連の原詞「さよなら さよなら またあした」をwithで始めることは不可能とはいわないまでも、不自然になるでしょう。

《リズム》
 今回の訳には、訳出において“音で遊ぶことができる”箇所があります。リズムを感じさせる箇所と言ってもいいでしょう。それは、「にこにこ」「なんなん菜の花」「とんとん板橋」「お手々をふりふり」の計4カ所です。山岸教授はそれぞれを以下の様にお訳しになりました。

  「にこにこ」With a big smile on her face
  「なんなん菜の花」A lot of yellow flowers smelling sweetly
  「とんとん板橋」The one with a wooden walking bridge
  「お手々をふりふり」Waving my hand
 
 「にこにこ」と「お手々をふりふり」に関しては特別な訳出はなされていないようです。一方「なんなん菜の花」では「菜の花」の箇所ではなく、smelling sweetlyという訳語をお使いになり、語頭での韻、つまり頭韻する訳出をなさっていることが分かります。同様の訳出が「とんとん板橋」のwooden walkingに見られる頭韻です。「なんなん菜の花」における「なんなん」は言葉遊びでしょう。一方の「とんとん」はおそらく板橋の上を歩くと鳴る音のことだと思われます。それをwalkingという語で表されていることが分かります。

 以上簡単ですが、今後の課題曲の訳出のために私たちが真似ぶべき点を二点挙げました。わたくしの訳は、最大限山岸教授の御訳を“真似て”みましたが、違和感が残る訳出になりました。言葉で“真似る”と言うのは簡単ですが、真似たことを“いつ”“どこで”用いるのかという本質が分からなければなりません。時間は掛かるでしょうが、春休みに山岸教授がお訳しになった作品を、一つずつ丁寧に分析を試みて、わたくしなりの翻訳理論を立てられるよう、努力を重ねていきます。その際にはゼミ生の皆さんの意見も必要になってきます。一緒に切磋琢磨していきましょう。
 
  
平成26[2014]年
   1月13日
       大塚 孝一




以下の文章は私のゼミ生の佐々木健史(たけし)君、高浦李沙さん、それに草皆高広君の手になるものです。
興味深い比較ですので、三君の了解を得て、転載します。



【原詩には無い表現】
 今回の山岸先生の御訳では、いくつか原詩には無い表現、が用いられています。原詩に忠実性を追求すれば、原詩通りの訳出にはなります。しかし、それは表面だけの、字面だけの英訳となり、原詩本来の「背景」が含まれず歌の楽しさなどの感情に欠けます。日本語と英語との文化的背景の違いは当然のこと、日本語の歌や詩を英訳に反映させた際に、原詩に忠実ではあっても、表現に注意していても、別のものになる可能性も含まれます。また、こうした観点から、歌や詩に命を吹き込む、欠かせない表現であるように思います。以下に今回の山岸先生の御訳から原詩には無い表現に関しての考察を記します。

The one
 各番の1行目の疑問文に対して、2行目ではその説明がなされています。この箇所においてのoneの用法の1つに、前文の名詞の代名詞としての働きがあります。前文においての名詞はthe friendship pathがあり、そのことを指していることが解ります。1行目で疑問文として文が終わり、2行目では、その応えとなるわけですが、代名詞を用いられたのには、歌のリズムに合わせること、また、何度も同じ語を用いると文自体がくどくなってしまうことなどが推測出来ます。そのため、この表現を訳出なされたのではないでしょうか。
Our lips
 歌って(歌う)といった表現があると、”sing a song”、今回であればsing alongといった表現が多々見られます。“with a song on someone’s lips”「歌を口ずさみながら」といった表現がありますが、「歩く」ことを考えれば、singよりもこちらの語の方が適切であることが理解出来ます。また、自然なあり方でしょう。
A lot of
 この箇所では、わたしの訳出では「常識」的ではないことがわかります。「におう」とあるのに、ただflowersと複数形にしていただけだからです。極端ですが、「数本のなの花」とも解釈が出来てしまいます。小道を歩いて「なの花」の匂いがわかるのも、大量にあるからこそであり、本来であれば無くてはならない表現であったと思います。まさしく英語を理解していない箇所であったと思います。
Sweetly:上記と同様に、「におい」とはどんなものか、「花」のにおいはどんなものか、そういったことを考えていませんでした。
Do you know what the friendship path is like?(仲よし小道の 小川には)
 初めにですが、1行目のこの訳出は、全体を統一させるために訳出なされたと思います。
2行目に「とんとん板橋 かけてある」とあり、1行目と2行目で「仲よし小道」の状況説明がなされ、どういったものかが理解出来ます。また、2行目の「とんとん板橋」では”a wooden walking bridge”とあり、walkingが入っています。画像などで調べてみればわかりますが、人が1人か2人で歩くような、細い橋です。こちらでも、1語補足的な語を入れるだけでどういったものかが想像出来ます。
With
 この語だけで一緒にということは解ります。「並んで」という語が入っていませんが、with自体に、そういった意味合いが含まれているのではないでしょうか。Withには用法がいくつかありますが、1つ学んだことでもあります。
For a while
 少し逸れますが、この詩では、1番から4番まで、朝から夕方までの小道での出来事を唄い、尚且つ「仲よし小道」はどんな道かが、山岸先生の御訳を拝見して感じたことです。起承転結の関係性があるように思いました。この箇所においても、「お話するのよ」の箇所でfor a whileを訳出なされたのは、そのことに起因しているのではないでしょうか。

 今回の課題において、今後真似をするべきと思った箇所の考察に取り組みました。こうした表現があって、歌が歌らしく、詩が詩らしくなるように思います。また、各番1、2行目の訳出の仕方ももしかしたら今後の英訳の取り組みにおいて必要となることがあると思います。

平成26[2014]年
 1月13日
   佐々木 健史


ゼミ生の皆さん

以下に山岸先生の御訳を拝読し、特に注目すべき表現であると感じた箇所を掲載します。

【原詩に無い表現】
「にこにこ」big (smile on her face)
笑顔であることを表すためにはsmileだけでよいはずです。そこにbigと加え、smileの意味を原詩にあわせて限定することで原詩が描写している情景をより明確に表すことができます。
詩という限られた語数の中で、日本語の詩の持つ深みを表すために単語を厳選するために単語を厳選する必要があります。そのため、smileのような広い意味を持つ一般的な語には特に、原詩に沿った補足が必要になるのではないかと思います。

「におう」(smelling) sweetly
smellだけでは「臭い」を指す可能性もあります。やはり情景を具体てきに表現するためにsweetlyをお使いになったのだと思います。

「お話しするのよ」(Chatting)for a while
恐らく、リズムを補うためにお使いになったのではないかと思います。また、こちらもchattingを修飾し、原詩の理解を助けるものであると思います。原詩の意味を忠実に訳し、詩としての体裁をも整えるために必要な技ではないでしょうか。

【表現の仕方が原詩と異なっている箇所】
「仲良くならんで」with my dearest friend
並んで座るだけでなく「仲良く」を表現する必要がありました。改めて自分の訳を見てみると見事に抜け落ちており、また今考えてもどのように訳すべきかわかりませんでしたが、このように訳すこともできるのだと驚きました。こういった言い換え表現を是非身につけ、訳に活かしたいと思います。

「とんとん板橋」(wooden) walking (bridge)
大塚さんのご考察で「とんとん」を表しているということがわかりました。「仲良くならんで」の表現とともに大変勉強になった箇所です。

平成26[2014]年
 1月15日
高浦 李沙


ゼミ生の皆さん
私は今回の先生の英訳を拝読し二つの点に私たちの訳との大きな違いを感じます。その点は以下の通りです。

@先生の英訳は読み手にうったえかけ元気にする力を備えている。
A先生の英訳は原詩に基づく口語体でありながらリズム感に溢れている。

以上の点です。通常は細かな表現に大きな違いを感じていましたが今回はやはり詩を訳す上での大切な姿勢といったものを大きく受け取りました。

一連目から見てみます。

仲よし小道は どこの道
いつも学校へ みよちゃんと
ランドセルしょって 元気よく
お歌をうたって 通う道

Do you know where the friendship path is?
The one I always take to school with Miyo-chan
With school bags on our back cheerfully
Walking along with a song on our lips

ここにおける「仲良し小道」は詩の表題でもあるためかなり上手く訳す必要があります。なぜなら歌として皆に唄われるためにはリズム感を感じつつ自然と親しみを感じる訳でなければなりません。私は当初「way for going together」といった訳を当てはめていましたがこれでどのようにしてリズムや親しみを覚えてもっと唄いたいという気分になるのでしょうか。先生の訳では「the friendship path」となっています。私はこの訳を見た時に「仲良し小道」が日本語詞で一番重要な部分であると同じように先生の同曲の英詞においても「the friendship path」が一番要にあたる部分であり曲全体の印象を作用する最も重要な箇所にあたります。この箇所に対して恐らく最も相応しい訳語をお与えになったことで先生の訳詞はこの唄全体に渡って感じられる「幼年時の親友と一緒にいる快い躍動感と深い絆」といったもののイメージを形成するのに成功しています。反対にわたくしのそれは全てをぶち壊しにしかねないそれでいながら唄全体とは何ら関係が見られない性質のものになっています。この部分だけでもわたくしには大きな発見となりました。

ニ連目を見ていきます。

仲よし小道は うれしいな
いつもとなりの みよちゃんが
にこにこあそびに かけてくる
なんなんなの花 におう道

Do you know how happy I am on the friendship path?
The one Miyo-chan, my next-door friend, always runs to me
With a big smile on her face, to have fun with me
A lot of yellow flowers smelling sweetly

ここは何と言っても「how happy I am 」「With a big smile」「A lot of yellow flowers」といった山岸先生にしか表すことの難しいであろう「原詞から離れた意訳」の部分の鮮やかに映し出される心情表現の部分に尽きると思います。この部分が加わることは一見原詞から離れているように見えながら実際は見事に幼子の仲良しの親友といつも一緒にいる幸せな気持ちを表すと共にその視点から捉えられる沢山の菜の花とそしてその匂いまで表すことに成功しています。こういったことは読み手に一つの感情的影響を生み出し、少し大袈裟に聞こえかもしれませんが、私自身幼年時の穏やかな気持ちを再体験することにも繋がるものでした。

次に3連目です。

仲よし小道の 小川には
とんとん板橋 かけてある
仲よくならんで 腰かけて
お話するのよ 楽しいな

Do you know what the friendship path is like?
The one with a wooden walking bridge over a small stream
With my dearest friend, sitting on the bridge
Chatting for a while, how happy we are!

ここでは他の方も言及していますが「とんとん」という擬音表現をあえてそのまま訳さずに「wodden」という表現に凝縮しているところに訳出の妙といったものを感じます。わたくし達にはつい忠実な訳出に終始することで大切な詩としての表現を壊してしまうことも厭わないある意味原詩に対する傲慢な態度が見られます。先生の英訳のように、意訳表現を加えることもあれば別の表現に凝縮することも可能であることをここで教わりました。

最終連です。

仲よし小道の 日ぐれには
母さまおうちで およびです
さよなら さよなら またあした
お手々をふりふり さようなら

Do you know how evening falls on the friendship path?
The one my mom calls me back home along
See you, see you, tomorrow again
Waving my hand, bye for now

今迄の一連目から三連目とは一転した親友と別れる時の名残り惜しい心情が先生の訳には見事に表されています。このような気持ちに自然と誘う要素として先生の用いた表現である「evening falls on」「call me back」「by for now」といったものが自然とそのような心情に誘います。私の訳出を振り返ってみましたが残念ながら全くそういったものを見受けることが出来ませんでした。やはりどれだけこの詩の世界に近づきそして感情的影響効果を与えるだけの表現力を持つかに尽きると強く実感します。

以上述べてきましたが、やはり私にかけるのは上記@.Aに挙げた読み手に理解させるだけの表現力とリズム感であり
それには沢山の英文(特に英詩)に触れなければ獲得できないものであることを強く実感しました。今後この点を留意して英語の(勿論日本語の)表現力を高めて行こうと強く実感します。

平成26[2014]年
  1月15日
    草皆 高広