この詞・曲に著作権はありません。 |
作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰 |
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以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。 興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。 |
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山岸勝榮教授 今回は前期のゼミ3回目の課題曲でした「この道」を取り扱います。実は夏休みのはじめにこの曲にいったん取り組んだものの、思うような考察ができず、悩んでおりました。そんな折、教授より「浜辺の歌」の訳比較のご提案を頂戴し、そこからいくつかの訳比較をしてまいりました。まだ研究方法は試行錯誤しておりますが、訳比較を十数回行い、お陰様で、おぼろげながら比較の手法が分かりつつあります。そこで、今回は“保留”にしておきました「この道」を研究対象として選びました。しかし、それでも難しく、通常ですと3日〜4日で一つの研究が終わりますが、その倍の時間を費やすことになりました。 今回も訳比較のPDFファイルを用意いたしました。Yahooボックスの「共有」にPDFファイル「訳比較 13 この道」がございますので、ご覧ください【pdfを下に引用;山岸】。 【原詞に表れていないことを英訳する】 山岸教授の御訳“This Path”では、各連の1行目にありますsame、そして同じく各連の2行目にありますI still recallが、それぞれ原詞には表現されていない御訳出と言えます。これらの表現を山岸教授が選択なさった理由をわたくしなりに分析してまいります。 原詞の各連の1行目を見ますと、「この道はいつか来た道」「あの丘はいつか見た丘」「この道はいつか来た道」「あの雲もいつか見た雲」とあります。ここに共通している「この[あの]〜はいつか・・・た」がsame訳出の鍵と言えます。すなわち、「いつか(過去形)た」という表現には、過去にも来た[見た]ことがあるし、現在も来ている[見ている]というニュアンスがこの原詞には存在しています。つまり、今歩いている「道」や見ている「丘」、「雲」は、以前のものと「同じ」ということを意味しています。結果、sameという形容詞が訳出される、とわたくしは考えました。 続いて、御訳の各連にございますI still recallの訳出の中でもrecallを教授がお選びになった理由を考察します。原詞の各連最終行にあります「アカシヤの花が咲いてる」「ほら 白い時計台だよ」「お母さまと馬車で行ったよ」「山査子の枝も垂れてる」というそれぞれの光景、思い出は、過去見たことがあるものです。つまり、「見覚え」があるということが言えます。ここからrememberを初めとした「思い出す」を表す語を選択する必要が出てまいります。ここで「思い出す」を表す一般的な語のrememberを用いるのではなく、recallを使うということが重要になってきます。recallという語は、「忘れかけていることを努力して思い出す」(『アンカーコズミカ英和辞典』のrememberの項にある「類語」の記述より引用)、「人に事実などを話すために意識的に記憶を呼び起こすニュアンス」(『アンカーコズミカ英和辞典』のrecallの項より引用)という情報を含んでいます。「この道」を実際に歩いた北原白秋にとっては、一般的なrememberよりも、recallの方がふさわしいということが言えます。 Irwin氏の英訳“This Old Path”にも、原詞には表されていないことが英訳されています。その特徴を二点挙げてまいります。 (1) 押韻のための訳出 今回の訳出に限ったことではありませんが、Irwin氏は、童謡、唱歌の翻訳において、押韻に凝ることが極めて多くあります。例を挙げると、1連2行目の行末valleyと同連3行目のmemoryです。押韻は英語の詩には極めて多く見られる表現技法であり、英語の詩の典型と言ってもいいでしょう。その表現技法を今回も翻訳に用いたということが言えます。 (2) 第3連とその他(第1連、2連、4連)の英訳出に見られる違い 「この道」の原詞には、自然に関係があるもの、具体的には1連には「アカシヤ」が、2連には「丘」が、4連には「雲」や「山査子」など、があります。Irwin氏の英訳の特徴として、「自然を描写する歌詞に独自の視点を加えること」が挙げられます。今回の氏の英訳にも同様のことが見られます。 1連は「アカシヤの花」を中心とした情景を歌っていますが、Irwin氏の英訳には、in her hairとあるように、「人」が登場しています。しかも、代名詞を“突然”使うことにより、その人物が誰を指しているのか、不明瞭な印象を与えますが、おそらくそのインパクトの強さをIrwin氏は狙って訳出をしていると思われます。2連では、「白い時計台」が中心になっていますが、氏の英訳には「白い時計台」こそ訳出はされているものの、The tower clock turned back time / Or is it all in my mind?というように、原詞から少々外れた訳出をしていることが分かります。4連は「雲」や「山査子」などがありますが、May trees in summer hang down / Out of a dream, my hometownという訳出になっており、やはり、氏は多少の“脚色”を加えていることが分かります。唯一3連のみ人物である「母」が登場しますが、興味深いことに3番の英訳は、ほぼ原詞に忠実であることが分かります。別途の訳比較のPDFをご覧くだされば、おわかりになると思います。3番の該当歌詞のみ、黄色のマーカーによる印がございません。非常に興味深い訳出ということが言えます。 【小考察】 山岸教授の御訳からゼミ生が学ばなければならないことは、「第一に、原詞を深く読み込む」という点です。これは、sameと recallという御訳出からわたくしが導き出した一つの結論でございます。つまりは、「日本語の問題」と捉えて差し支えはないはずです。日本人は普段日本語を意識して使っていません。しかし、山岸ゼミでは、特に掲示板での活動において、日本語を外国語のように意識してゼミ生がそれぞれの意見を書いています。「書く」だけではなく、「読む」ということも意識し、できるだけ行間を読み、書かれていないことを英訳する姿勢が求められているということが言えます。続いて、「第二に、適切な語を選ぶ」という点です。これは、「思い出す」をrememberにするか、recallにするか、という類義語の選択に関することであり、「英語の問題」と言えます。そして、「英語の問題」は「語感の問題」と換言できます。外国語の語感を身に付けるにはかなりの努力が必要であることはゼミ生全員が感じていることです。日本で発行されている学習英和辞典には類義語の説明がなされています。しかし、それだけではなく、類義語辞典を一冊手元に置いて、常に類義語を調べることができるように、そして最終的には適時適所に適語を用いることができるようにする努力が必要と言えます。 また、今回の研究におきまして、文脈によっては「〜ている」という日本語のアスペクト表現が過去を思い返しているときにも用いることができるということも学ぶことができました。 Irwin氏の英訳には変わらず独自の解釈が反映されています。氏の“癖”なのかも知れませんが、自然を描写する詞というのは一般的に英語圏の人々には、与える印象が弱いと考えているのかもしれません。そこで、氏は“工夫”を加え、強い印象を与える英訳をしているということが言えると思います。 平成25[2013]年9月8日 大塚孝一
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