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故郷の空 (Kokyõ-no-Sora) 文部省唱歌 英訳:山岸勝榮© The Sky Back Home Monbusho's Song for School Music Classes English Translation: YAMAGISHI, Katsuei © |
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The evening sky is clear and an autumn wind
is blowing 2. Over the crystal clear water the bush clover's hanging low
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以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。 興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。 |
ゼミ生の皆さん 今回は、山岸教授がお訳しになりました「故郷の空」と他の方が訳したものを比較します。Googleで「“kokyo no sora” autumn」と検索したところ、Cultures of Scholarshipという本が見つかりました。編者はSarah C. Humphreysという方です。その本の中に「故郷の空」の英訳がなされていたものが引用されていました。出典は(Matsunaga 1975:84)とありましたが、あいにく参考文献のページが一部省略されており、出典先の詳細までは分かりませんでした。(URLこちら) マツナガ氏の英訳か、あるいは別の方の英訳かは分かりません。加えて、1番のみの引用に止まっています。非常に残念ですが、私が調べた限り、「故郷の空」の英訳はインターネット上にこの他にはありませんでしたので、この英訳を用いて、山岸教授の御訳と比較対照していきます。 「故郷の空」第1連 夕空晴れて 秋風吹き 月影落ちて 鈴虫鳴く 思へば遠し 故郷の空 ああ、我が父母 いかにおはす 山岸教授御訳 The evening sky is clear and an autumn wind is blowing The moon has disappeared and the bell-crickets are singing On reflection, I think I've come far, far from the sky back home Ah, how have my mom and dad been faring in that land? (Matsunaga 1975:84)より引用 A clear night sky and autumn breeze The moonlight dims, the suzumushi sings Oh, how distant, the skies of home Aah, how our mother and father have endured 《語数》 山岸教授の御訳の方が、語数が多いことが一目見て分かります。Matsunaga氏の方もリズムに乗せて歌うことはできますが、語数が少ないため、少し“もたつく”ような感じがあります。 語数が少ないことは決して悪いことではありません。しかし、語数が少ないということは、読者[聴者]にとって想像するさいにある種の“制限”ができます。少ない語数で感じる必要があるのです。原詞を知っている人であれば、想像しやすいと思いますが、原詞を知らなければ、なかなか想像しにくいという面も持ち合わせています。急いで付言しますが、その逆に、語句数が多ければ多いほどいいというわけではもちろんありません。語句数が多ければ、リズムに乗せて歌うことも難しくなり、「詩らしさ」を壊しかねません。冗長になります。結局、原詞に合わせた訳語が好ましいということに落ち着くわけですが、この点は、山岸教授の今までの御訳から学ぶことができると思います。 《細部を見て分かること》 表現を細かく見ていきますと、まず目に留まるのは「夕空」の表し方です。山岸教授はThe evening skyとお訳しになりました。Matsunaga氏の著作に載っているものはA clear night skyとなっています。Matsunaga氏の方では、nightが使われていることから、すでに「夜」になっていることが分かります。同行の「秋風吹き」の「吹き」ですが、山岸教授はお訳しになっていますが、Matsunaga氏のものは訳されていません。 「月影」における訳を比較しましょう。山岸教授はThe moonをお使いになりました。一方Matsunaga氏はThe moonlightを用いています。この違いも興味深い点ではあります。山岸教授は月が完全に見えない状態をお表しになっていますし、Matsunaga氏は月明かりが薄暗い状態を表しています。若干の異なりが見えます。 3行目ですが、山岸教授の御訳は限界まで語数を増やされ、多くの人が3行目から感じ取る光景ができる限り同じになるような訳出がなされていると私は考えています。Matsunaga氏の方は、かなり簡潔にまとまっているためか、浮かぶ光景が少々ぼんやりしているように感じられます。 4行目では、同行にある「おはす」の解釈の違いが見られます。山岸教授はfareをお選びになりました。一方のMatsunaga氏はendureを用いています。山岸教授は「おわす」を辞書通りの意味「いる、やっていく、暮らす」で解釈なさっています。Matsunaga氏は「おわす」を「耐える、辛抱する」などの意味で捉えています。この点も非常に興味深いところです。 実は、この本Cultures of Scholarshipでは、この訳紹介の前で、筆者が以下の様なことを述べています。 the song, "Kokyo no sora" ("The Skies of Home") celebrates the ancestral village as a peaceful natural site while suggesting the importance of forbearance この本(あるいはこの文)の筆者が「故郷の空」をどれほど理解しているかはわかりません。おそらくこの英訳を読んで(あるいは聞いて)、上述のことを書いたのだと思います。celebrates the ancestral village as a peaceful natural siteの点に関しては、同意をしますが、suggesting the importance of forbearanceの点については、正直なところを言えば、首をかしげました。この歌は、本当に「耐えることの重要性」を示しているでしょうか。金田一春彦氏は、著書『日本の唱歌(上)明治編』において、この歌を、「スコットランド民謡の Comin’through the Rye を、大和田建樹が原詞とはまったくちがった、故郷の父母・兄弟を想い懐かしむ趣旨の歌詞を付けた」と評しています。金田一氏の論をもとにすれば、「耐えることの重要性」を歌った歌とは言えないことが分かりますし、それは山岸教授の御訳を拝見しても分かります。たしかに、この歌が世に出たころは、若者が故郷を離れ、出稼ぎなどに行っていた時代でしょう。金田一氏も同様のことを指摘していらっしゃいます。出稼ぎ先で慣れない環境から辛い経験をした人も多いでしょう。しかし、そのことはこの歌は歌っていないと解釈をするのが普通ではないでしょうか。 上で述べたことは、翻訳が招く“誤解”の好例だと思います。加えて、翻訳が原詞において忠実である必要性が分かる好例でもあると思います。 平成26 [2014]年 1月26日 大塚 孝一 |