作曲:大和田愛羅 英訳:山岸勝榮 © The Railroad Train Lyrics: Unknown Music: OWADA, Aira English Translation: YAMAGISHI, Katsuei © |
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1. 2. 3. Just like the pictures in a revolving lantern |
この詞・曲には著作権はありません。 |
汽車のイラストはこちらからお借りしました。 |
こちらに台湾語による「汽車」があります。 |
以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。 興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。 |
ゼミ生の皆さん 山岸教授の「汽車」の御訳で今回わたくしが注目したところは1番2行目のNow we are crossing a bridge, an iron railroad bridgeです。ここではa bridgeとan iron railroad bridgeが同格の関係になっています。これをNow we are crossing an iron railroad bridgeと訳しても間違いではありません。しかし、歌ってみると分かりますが、この訳では、単語数が足りないため、リズムに合わない訳になってしまいます。仮に、音符に各単語を割り当てられたとしても、この曲のテンポ感を失った訳語になります。そこで、山岸教授は同格の関係を用いられ、Now we are crossing a bridge, an iron railroad bridgeとお訳しになったと考えられます。 このように、リズム、あるいは音符に対して、単語数が足りない場合、山岸教授がどのような手法でその問題を解消なさっているかという点を具体的に取り上げ、簡潔に考察していきます。 《同格関係》 リズムに対する“単語不足”を解消する術として、今回の「汽車」の御訳に見られるように、同格の関係で名詞を詳しく説明する手法があります。例えば、記念すべき前期第1回の課題曲「花」では、「春のうららの隅田川」という原詞に対してA lovely day, a beautiful day on the Sumida Riverと、a lovely day, a beautiful dayと同格関係を繰り返すことで、“単語不足”を解消なさっていることが分かります。同曲2番の4行目の歌詞「われさしまねく 青柳を」では、Take my hand, my extended handというように、handを同格の関係で説明することで、リズムに合う英訳になっています。「靴が鳴る」では、「みんな可愛い 小鳥になって」をA pretty little bird, a tiny lovely bird, I pretend, with all my friendsとお訳しになっています。同様のことが、同曲2番の「みんな可愛い うさぎになって」の箇所でもなされています。「お正月」でも、「はやくこいこい お正月」という原詞に対し、Roll in, roll in New Years, the best of days!と、New Yearsをthe best of daysという同格関係を結ぶ語で説明していることが分かります。 この種の関係は現段階で二つに分けることができると考えられます。一つはa lovely day, a beautiful dayのように、同一品詞による同格関係で、意味の比重としてはイコールの場合です。換言すれば、同一品詞の順番を入れ替えても、意味的には問題が生じません。もう一つはTake my hand, my extended handのように、結論(ここではmy hand)を先に述べ、それに後続するかたちで補足的な説明(ここではmy extended hand)を同格関係で表す場合です。こちらの場合は、順番を入れ替えてしまうと、英語らしさがなくなり、不適当な英語になってしまいます。 《補足説明》 この「補足説明」はゼミ生の皆さんも知らず知らずのうちに行っている手法と言えるでしょう。教授の御訳より具体例をいくつか挙げます。「ゆりかごの歌」の出だしに「ゆりかごのうたを かなりやがうたうよ」という歌詞がありますが、その原詞に対し、山岸教授はA lovely canary sings a cradle songとお訳しになっています。このlovelyがcanaryを補足的に説明しているといえるでしょう。ためしにlovelyを取ってA canary sings a cradle songと歌ってみてください。単語が足らず、リズムに乗せることが困難であることに気がつくでしょう。「浦島太郎」では、「龍宮城へ来て見れば」の原詞をWent far deep to the Sea-God's Palaceとお訳しになっています。far deepという副詞句がwentという動詞を補足的に説明しています。この句は、リズムの面でも重要な役割を担っていますが、意味面でも読者に対して極めて有益な情報を与えていると言えます。竜宮城は当然「海底深い」ところにあるはずですから、意味的にも必要になるわけです。「雨」の御訳を見てみましょう。「いやでもお家で 遊びましょう」という原詞に対する山岸教授の御訳はI'll stay here at home, and sit on the floorとなっています。その後に続く歌詞は「千代紙おりましょう たたみましょう」です。「千代紙を折る」ためには当然、「床に座る」必要があるわけです。sit on the floorを表した日本語は原詞にありませんが、リズムに乗せるだけではなく、意味の上でも重要な働きをしています。また、それに加え、前の行の「雨がふります 雨がふる」の御訳でありますIt's raining, it's raining, it's raining moreの行末にあるmoreとsit on the floorのfloorが脚韻を踏んでいます。単純に単語数をリズムに合わせただけではなく、意味の面にも、押韻の面でも機能している御訳ということが言えます。最後に「故郷(ふるさと)」を取り上げます。同曲の2番最終行には、「思いいずる ふるさと」という原詞がありますが、それをMy happy childhood and my old country home.と教授はお訳しになっています。山岸教授はmy happy childhood を原詞より汲み取られ、補足的にお加えになったのでしょう。 《“まとめる”》 前述の二つの手法とは少々異なる手法があります。それは、詩を全体としてまとめることによって、単語数の不足を解消する方法です。具体例は一つしかありませんが、見てみましょう。 「浜辺の歌」 あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ しのばるる 風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も When I strolled along the early-morning shore I recalled my good old days The sound of wind, the lapping waves on the shore the shapes of clouds, and the colors of shells They were all the same as I once knew all the same as I once knew And they carried me back to the good old days of mine ゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ しのばるる 寄する波よ かえす波よ 月の色も 星のかげも When I ambled along the early-evening shore I thought of the people I once knew The waves lapping on the shore and in the bay the color of the moon and the stars in the sky They were all the same as I once knew all the same as I once knew And they carried me back to the good old friends of mine 御訳は1行目から4行目まで原詞に忠実であります。そして、5行目から7行目までで詩をまとめています。それにより、単語数の不足を補っていることが分かります。5行目から7行目は、先ほどのsit on the floorやmy happy childhood同様、確かに原詞にはない英語ではありますが、原詞の行間が表れている御訳出ということが言えると思います。 以上、山岸教授の御訳より、単語数が足りないときの具体的な対処方法を見てきました。 訳出の際、単語数の不足の問題が生じたとき、山岸教授は基本的に3つのパターンの内のいずれかを採用なさり、訳出をなさっています。最終的には全ての方法を身に付けられるようになることが理想です。しかし、原詞の理解さえ覚束ないわたくしたちは、まず原詞をしっかり理解し、英語にきちんと訳すという基本中の基本を訓練すべきです。それが身についてからでも、上掲の手法を試みることはできます。 平成25[2013]年11月25日 大塚 孝一 |