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十五夜お月さん
(Jûgoya Otsuki-san
))
作詞:野口雨情  作曲:本居長世
英訳:山岸勝榮
©

My Dear Old Full Moon
Lyrics: NOGUCHI, Ujo  Music: MOTOORI, Nagayo
English Translation: YAMAGISHI, Katsuei©



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こちらにYouTube版の「十五夜お月さん」があります。
こちらに3の音源があります。
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1.
十五夜 お月さん

御機嫌さん
(ばあ)やは お暇(いとま)
とりました

My dear old full moon
You look happy tonight
Our elderly maid
Left to go home



2.
十五夜 お月さん

妹は
田舎へ貰
(も)られて
ゆきました

My dear old full moon
My little sister  
Now lives
In someone else's home



3.
十五夜 お月さん

(かか)さんに
も一度 わたしは

逢いたいな

My dear old full moon
My wish would be to see
My mom once again
If only I could





無断引用・使用厳禁
Copyrighted
©




以下の文章は大学院博士前期課程2年生の大塚孝一君が書いたものです。
興味深い文章ですので同君の了解を得て転載します。

山岸勝榮教授

山岸教授がお訳しになりました「十五夜 お月さん」を拝読いたしました。以下に御訳の分析を書かせていただきましたので、ご多忙のところ恐れ入りますが、ご一読をお願い申し上げます。

《「十五夜 お月さん」》
 原詞の各連一行目「十五夜 お月さん」はMy dear old full moonと訳されています。興味深いところは、「〜さん」が持つニュアンスをdearが表現している点です。このようなことは、中学、高校の英語の授業、あるいはそれらの“教科書”では決して教えられることのないことでしょう。
 また、この歌が歌っている「一家離散」は、第1連では「婆や」が自分たちの元を去ること、第2連では、「妹」が里子に出されること、第3連では、亡くなった母親に一目で好いから会いたいという気持ちを抱いていることにそれぞれ表れています。一人ひとりが“主人公”の側からいなくなり、“欠けていく”ということが表されています。その“主人公”とは対照的に、「十五夜」の「月」は“欠ける”ことなく満月であるという事実を踏まえると、わたくしが当初用いたbigやroundではその満ち足りている感じを表現するには、印象が弱すぎます。ここでは、やはり“欠ける”の反意語であるfullが最適であります。

《第1連》
 山岸教授は「婆や」をour elderly maidとお訳しになっています。山岸教授からご指導をいただきましたように、nannyやnursemaidでは年齢が「婆や」と一致するとは限りません。nannyやnursemaidでは誤訳になります。そこでelderlyという形容詞が必要になります。olderなどでは直接的過ぎて、詞の雰囲気を壊してしまいます。
 また、ourがあることで、主人公の家族皆が「婆や」に親しみを抱いていたという雰囲気を醸しだし、結果として「婆や」が持つ“暗示的意味”と合致しています。
 最終行のleftはもちろんleaveの過去形ですが、この語があることにより、「婆や」が離れていったことに対する、主人公の“悲しみ”が表されています。

《第2連》
 2行目の「妹」はmy little sisterと訳されています。英語らしさを最優先させるのであれば、littleやyoungerは通常では不要です。しかしこの「妹」という語には主人公の「妹」に対する愛しさが表れています。よって、山岸教授はそのニュアンスを無視なさらずに、littleを添えられています。
 「田舎へ貰られてゆきました」はNow lives / In someone else’s homeと少々控えめな表現になっています。原詞のように直接的ではありません。原詞は過去形で書かれていますが、山岸教授は現在形を用いられ、「貰られてゆきました」という過去の事実ではなく、現在の「妹」の様子に着目なさっています。さらに、homeという語があることにより、この詞の“主人公”が抱いている「自分とは離ればなれになってしまっているが、妹がいるところが温かい家庭であるように」という願望が表れていると個人的には感じます。

《第3連》
 第3連はいわゆる「仮定法」で表されています。しかし、I wish I could see my mom again.などという陳腐な表現ではなく、他の誰でもない、翻訳者である山岸教授のお言葉で表現されており、御訳が一つの「作品」であることを印象づける要素だと感じます。特に、最終行のIf only I couldという、二つ目の仮定法があることによって、亡くなった母親を想う“主人公”の気持ちが強く表現されているように感じます。

《まとめ》
 昨年の4月より1年間、唱歌・童謡の英訳出、そして御訳の分析を試みて、認識したことは「自分の“母語力”と“英語力”の無さ」ということに尽きます。母語を読み取る、あるいは感じ取る力がなければ、当然英語は誤訳になるということ、そして、英語力に乏しければ、“つまらない”英語訳になるということです。
 翻訳は、語や文が持つ「文化的意味」を含めて他の言語に訳すことが絶対的に必要であり、中学、高校、大学の英語教育でそのことを生徒や学生に伝えなければ、彼らはいつまでも英語が分からないという不幸な目に遭うことになります。
 歌の翻訳はリズムという“制限”があるため、他の翻訳とは少々異なる部分があります。しかし、いかなる翻訳においても、その核は、できるだけ読み手に誤解を与えずに、文化的意味を含めた上で、原文を目標言語に置き換えることです。
 言語のコスモスが一瞬見えたときもありますが、わたくしの中ではまだカオスのようです。しかし、何度も御訳と原詞を照らし合わせることによって、そのカオスはコスモスに変わっていくはずです。今後も御訳を通じて多くの事を勉強させていただきます。
 

平成26[2014]年5月1日
  大塚 孝一