蛍の光
(Hotaru-no-Hikari)

The Light of Fireflies

原曲:スコットランド民謡 (Auld Lang Syne)
 作詞:稲垣千頴

英訳:山岸勝榮©
English Translation: YAMAGISHI, Katsuei ©


   

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mp3「蛍の光」
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 1.
蛍の光 窓の雪
(ふみ)読む月日 重ねつゝ
いつしか年も 杉の戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く


With the light of fireflies and the glare of window snow
Buried in books all day we have made our years aglow
Time has gone by and we have come to the parting day
And alas this morning we say farewell on graduation day

 2.
止まるも行くも 限りとて
(かたみ)に思ふ 千萬(ちよろづ)
心の端
(はし)を 一言(ひとこと)
(さき)くとばかり 歌(うと)うなり


With some remaining near to us and some going far from home
On this parting day of days, we linger, talking on
Hearts full, remembering all we love, we pledge our friendships anew
And though this morning we must go, our hearts will e'er be true



無断引用禁止
Copyrighted©







以下の文章は私のゼミの特修生で大学院博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。
興味深い比較ですので、同君の了解を得て、転載します。

特修生の皆さん

 今回も山岸教授の御訳と狩野先生の英訳を比較対照していきます。具体的には、山岸教授の御訳に見られる「日本的感覚」、狩野先生の英語に見られる「英語的感覚」について述べていきます。
 いつものように御訳はPDFファイルにまとめました。「共有」フォルダの「訳比較 19 蛍の光」をダウンロードしてください。もし1ページ目にPDFファイルがないようでしたら、2ページ目に行ってみてください
下にPDFとして掲載;山岸

《第1連2行目 「書読む月日 重ねつゝ」》
 山岸教授:Buried in books all day we have made our years aglow
 狩野先生:The months and days of study grow in number.
 ここから分かることは「書」の意味のとらえ方が異なっているということです。原詞は「書読む」とありますから、この「書」は「本」を意味しています。そして学問における「書」は極めて重要であります。山岸教授御訳においては、buriedが使われることで、本に「埋もれて」、つまり読書に打ち込んでいるニュアンスが出ますし、日本人にはその光景が容易に想像できます。一方、狩野先生の英訳では、booksなどはなく、studyという語が用いられています。このstudyは「学問」という意味でしょうから、「書」という語からの連想でstudyが使われているということが言えるでしょう。
 また、原詞「重ねつゝ」は文字通りの意味に加え、読書の“結果”が示されていると言えます。山岸教授の御訳ではその部分が訳出されているということが言えます。それに対して、狩野先生は文字通りの意味を捉え、grow in numberという訳出をなさったということが分かります。この点は、山岸教授が原詞を肌で実感なさっているからこその英訳ということが言えるでしょう。

《第1連4行目 「開けてぞ今朝は 別れ行く」》
 山岸教授:And alas this morning we say farewell on graduation day
 狩野先生:For upon this morn, we say farewell, and go upon our way.
 注目すべき点は行末でしょう。山岸教授御訳では、on graduation dayとして「卒業の日」を明記しています。これは日本人からすると当然と言えば当然です。「蛍の光」は「卒業式」では“定番”の歌です。同曲の歌詞やリズムを見聞きすれば、卒業式や、場合によっては店の閉店を思い起こす日本人がほとんどでしょう。それほど「蛍の光」と「卒業式」は密接な関係を持っているわけです。しかし、日本文化に馴染みのない英語圏の人々にとっては、この曲の主題は伝わりにくいでしょう。それが直訳であればなおさらです。その点に配慮がなされ、山岸教授御訳ではon graduation dayという表現が用いられていると言えます。
 狩野先生は行末にgo upon our wayという語を使っています。この点について、こちらのウェブサイト(http://olex.sakura.ne.jp/blog/category/o-lex-blog/serial/)にて「「別れゆく」に込められた意味を、「別れを告げ、各々自分の道を進んで行く」と表現した。」と述べています。go upon our wayという語は原詞を訳したものと言ってしまえば、それまでですが、私はこの英語表現から狩野先生の英語国民性を強く感じます。英語圏の人々にとって、「卒業」というのは「新たな始まり」を意味することの方が多いようです。現にアメリカでは、卒業式[学位授与式]のことをcommence(〜を始める)の名詞であるcommencementと言います。まさに「卒業式」は「新たなスタート」を意味しているのです。狩野先生の英訳にあるgo upon our wayはそのスタートを連想させるような表現に思われます。

《第1連4行目 「互に思ふ 千萬の」》
 山岸教授:On this parting day of days, we linger, talking on
 狩野先生:From midst the many thoughts we fondly share
 ここでは、動詞の選択について述べていきます。山岸教授はlingerとtalk onという動詞をお使いになっています。卒業式が終わった後、友人との話が尽きない様子、いつまでもこうして話をしていたい様子、これからも友人として連絡を取り合うことを誓っている様子などが、lingerとtalking onという動詞から、容易に読み取ることができます。
 狩野先生はshareを使っていますが、この点について、前述のウェブサイトでは、「『互みに思う 千萬の』は、互いにさまざまな思いを抱き合っていることを share (共有する)を用いて表現した。」という注釈が加えられています。昨今日本語にも「シェア」というカタカナ語が使われ始めていますが、このような卒業式の場面において、友人への思いを「シェア」するという発想はなかなか日本人には思いつかないことだと言えます。英語らしい表現と言えます。英語圏におけるshareと、日本語の「シェア」にズレがあると言ってもいいかもしれません。

 このように、山岸教授の御訳には、随所に日本人が共感できる部分があることが分かります。前回の「ふじの山」同様、山岸教授は「蛍の光」を日本人としてお感じになり、その感覚を英語になさっていることが分かります。一方の狩野先生の英訳は、「蛍の光」を非日本語母語話者として理解し、英語に表していることが分かります。どちらが優れているなどということではなく、文化が異なれば、表れる翻訳にも差が出てくるということです。

 平成26[2014]年3月4日
   大塚 孝一
    
「蛍の光」PDF