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無断引用・使用厳禁 英訳を引用する場合は必ず英訳者の氏名を明記してください。 商用利用禁止。商用利用の場合、英訳者との事前の合意が必要です。 (詳細はこちら参照) You may copy / duplicate this translation as long as the translator / copyright holder is specified. Copyright© YAMAGISHI, Katsuei You may not use my translation for commercial purposes. If you want to make commercial use, you must enter into an agreement with the translator to do so in advance. |
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うらのはたけで ぽちがなく |
この歌には著作権はありません。 |
イラストはこちらからお借りしました。 |
以下の文章は私のもとで研究を続けている博士前期課程1年生の大塚孝一君の手になるものです。 興味深い文章ですので、同君の了解を得て掲載します。 |
山岸勝榮教授 山岸教授の御訳The Flower-Blooming Old Manを拝見いたしました。以下、御訳の分析でございます。恐れ入りますが、ご一読ください。 《「述語動詞」の日英比較》 山岸教授の御訳を拝見し、原詞と御訳の間に見られるズレ、具体的に言えば、動詞の有無のズレに気がつきました。 原詞の各連最終行は、第6連以外は述語動詞がありません。それに対して、山岸教授の御訳には、いずれの最終行にも述語動詞が使われています。以下の通りです。 第1連 And he found a cache of gold-coins, large and small 第2連 But all he found was a heap of tiles and shells, large and small 第3連 And once again a cache of gold-coins shook out of it 第4連 And once again a heap of shells shook out of it 第5連 And he got a bounty and stocked his storehouse with it わたくし自身も短い時間でこの曲の訳出を試みましたが、第1連、2連のfoundは訳出できました。なぜかと言えば、同行の最終行の原詞からfind(found)の「動き」が感じられたからです。第3連、4連では、「動き」を感じることはできましたが、shakeの過去形を訳出することはできませんでした。「こばん」や「かいがら」が「うす」から出てきた光景は想像できましたが、それを表すだけの英語力がなかったということです。 日本語の動詞と英語のそれを比較すると、後者の方がその言語における重要性をかなり担っているということが言えます。英語は動詞がその語順を決め、動詞がなければ、文を作ることはできません。一方の日本語の動詞は、英語のそれほど、重要性を持っているわけではありません。 山岸教授は「花咲か爺」以外にも、「浦島太郎」「桃太郎」「牛若丸」などの物語をお訳しになっています。例えば、桃太郎には「お腰につけた 黍団子」という歌詞があります。この歌詞を山岸教授はYou've got dumplings in your keepingとお訳しになっています。原詞通りの「名詞句」としてではなく、述語動詞をお使いになり、「文」として英訳をなさっていることがわかります。この文の場合は、「動き」というよりも、持っているという「状態」です。ある日本語に対して、述語動詞をお使いになるということは、「動き」や「状態」というよりも、「動詞を使う必要がある」という、経験的直感によるものだということが言えるのではないでしょうか。 一方で、述語動詞が用いられていない御訳もあります。例えば、「浦島太郎」の御訳では、以下の様になっています。 「乙姫様のごちそうに」 Dishes spread out by the Princess 「鯛やひらめの舞踊り」 Dances by sea bream and flatfish この曲はゼミの課題曲として取り組みました。結果として、私は述語動詞を用いて訳出しました。結果論ではありますが、やはりこの原詞から、「述語動詞を使う必要性」は感じられません。さらに言えば、この二行が名詞句であるからこそ、後続する「ただ珍しく面白く」の御訳の先頭にあるEverythingとの関わりが明確になります。 《「はい」はthe ashesかPochi's ashesか》 山岸教授は3月14日、ブログにて、以下の様に翻訳の困難さを言及なさっています。 また、「しょうじきじいさん はいまけば」の「はい」をそのままthe ashes と訳してよいのか。そうすれば、英語母語話者はこの語から「暖炉の灰」(the fireplace ashes)をまいたのだと思うだろう。だが、私が幼い日に絵本から学んだ「はい」は、いじわる爺さんが腹いせに殺した“ぽち”のものだ。したがって、物語に沿った英訳をすればThe old man scattered Pochi's ashes となる。だが、日本語の歌詞はそこまでは言っていない。したがって、誤解を覚悟でthe ashes と訳さざるを得ない。日本の童謡・唱歌を翻訳する際に生じる難点の1つだ。 わたくし自身の「はい」の解釈も山岸教授と同様のものです。幼い頃、そう教わりましたし、息子用の絵本にも同様のことが書かれています。 わたくしは山岸教授の上掲のお言葉より、日本の童謡・唱歌を翻訳する際に、きわめて重要なことを学ぶことができました。それは「だが、日本語の歌詞はそこまでは言っていない。」という点です。例えば、直近の課題曲であった「村祭」において、「年も豊年満作で」という箇所を、わたくしはriceを用いて訳出をしました。なぜならば、「年」が「米」を表すと“深読み”をしたからです。しかし、山岸教授はriceをお使いにはなりませんでした。その理由は、山岸教授のお言葉を借りれば、「日本語の歌詞はそこまで言っていない」ということです。 ただ、いつ深読みをするか、いつすべきではないのかという点は考察を続ける必要があります。現時点では、“かなりの文化的意味を持つような歌詞”では、深読みをして、その意味を英語で表す必要があるということです。この点については、以前「月」を訳出し、その後、山岸教授の御訳を分析した際に、山岸教授がブログにわたくしの意見をご掲載くださいました(URL:\:http://blog.livedoor.jp/yamakatsuei/archives/2013-10-29.html)。以下引用です。 教授は「月」をthe old full moonとお訳しになりました。私を除いたゼミ生は「月」をthe full moonと訳し、私はただthe moonとだけ訳しました。教授の御訳と私たちとのその訳語において決定的に違うことは、oldが入っているか否かです。この事実は、「月」を一つの日本文化とお感じになった教授と、「月」を単なる文字として認識した私たちとの違いを表しています。 教授が今までにお訳しになったものを拝見しますと、この「月」の御訳出のように、歌詞から感じた文化を踏まえた訳語選択がいくつか見られます。 《「お正月」;「お正月」 the greatest day》 《「お正月」;「今日」 this day of days》 日本人にとっての“正月”は、文化的意義を持った非常に重要な日[期間]です。“正月”に家々に来る“年神”を向かえるために、年末には大掃除をします し、鏡餅や門松などといった“正月”を向かえる準備に忙しくなります。子供にとってはお年玉をもらえる日でもあります。 “初日の出”“一年の計は元旦にあ り”“初笑い”などと、正月に関連する日本語も多くあります。このように、多くの日本人にとって、“正月”は一年の内でも格別であることは間違いありませ ん。そういう文化の要素をこの歌の「お正月」という歌詞が背負っているわけです。それを無視して、単にNew Year Dayと訳しても、「お正月」の正しいニュアンスは伝わりません。そこで教授はthe greatest dayやthis day of daysというような訳語をお選びになったということが言えます。 《「かあさんの歌」;「生味噌」miso-cream》 「かあさんの歌」には「生味噌をすりこむ」という歌詞があります。これに関しては、教授がブログにお書きになっています。そして、私は、今年の夏休みに教授の 御訳とGreg Irwin氏の訳を比較考察しました。この「生味噌をすりこむ」ことは、あかぎれなどによる痛みを緩和させるための一種の治療行為と考えられます。その行為を教授はrub miso-creamと、原詞に忠実に訳されています。教授の御訳は味噌の形状と用途の二つの点から出てきたものと考えられます。味噌は“クリーム”状のものです。そして、“クリーム”はハンドクリームやフェイスクリームなどのように、乾燥や肌荒れなどを防ぐ一種の薬用品です。つまり、教授のmiso-creamという御訳は、いわゆる「掛詞」になっているということなのです。 《「故郷」;「ふるさと」my old country home》 《「浜辺の歌」;「昔」my old good days》 「故郷」には「ふるさと」という歌詞が、「浜辺の歌」には「昔」という歌詞がそれぞれあります。教授はいずれの歌詞にもoldを用いて訳出なさっています。ここに今回のthe old full moonに繋がるエッセンスが存在しています。 「ふるさと」は通常my homeやmy hometownなどと訳出するでしょう。一方の「昔」はpast、すなわち「過去」と訳されがちです。いずれの訳語も間違いではありませんが、教授がよ くおっしゃるように、それらの単語は「単なる事実」を表すもので、作詞者が込めた想いや詞としての適 切さに到底及んでいません。そのような想いや詞としての適切さをoldが担っているわけです。 このように、とりわけ日本人が特別な感情を抱くもので、なおかつ、その重要性が歌詞に反映されている場合では、訳出に一工夫が必要であることがわかります。 最後に書いた通り、やはり日本文化における重要性を踏まえた上で、英訳をする必要があるということを感じます。 平成26[21014]年3月15日 大塚 孝一 |