山岸ゼミ 翻訳課題曲 |
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1 The full moon, high in the night sky, shining alone The
full moon, high in the night sky, surely sees us
The
full moon, high in the night sky, shining alone |
以下の文章は私のゼミの特修生、および学部ゼミ生の手になるものです。 興味深い比較ですので、諸君の了解を得て、転載します。 |
ゼミ生の皆さん 山岸教授がお訳しになりました「花かげ」Cherry Petalsより、感じたことを以下に記します。 授業中に山岸教授が現在分詞のことに言及なさり、「こういう現在分詞を使えるといいね」とおっしゃいました。その教授のお言葉より、私の興味が湧きましたのでこちらで論を展開していきます。 今回の「花かげ」だけに限ったことではありませんが、山岸教授が現在分詞をお使いになるさいには、以下の二つの条件があります。 @原詞に“動き”が感じられるとき A現在分詞が掛かる名詞に焦点があるとき では、具体的に見ていきます。 「花かげ」 1 十五夜お月さま ひとりぼち The full moon, high in the night sky, shining alone 2 桜吹雪の花かげに Beautiful cherry petals, falling like snowflakes 「緑のそよ風」 3 きらきら金ぶな 嬉しいな Glittering in the sunlight a golden minnow it was 「海(松原遠く)」 4 松原遠く 消ゆるところ Pine groves trailing off beyond all seeing 「琵琶湖周航の歌」 5 昇る狭霧や さざなみの Is the thin mist settling in and the waves as they ripple up 「荒城の月」 6 巡る盃 影さして the moon dancing in each まず1では、原詞から「十五夜お月さま」が「ひとりぼち」で“輝いている”姿が読み取れます。そして、「十五夜お月さま」に焦点があることが分かります。2では、桜の花びらが風に舞っている様子が原詞より分かります。当然、筆者の焦点は「桜の花びら」にあるわけです。3では、筆者がつり上げた「金ぶな」がぴちぴちと動いている姿が分かりますし、その「金ぶな」に焦点があることは容易に読み取れます。4では、「松原」が動いているのではなく、筆者が目をやった先に松原があり、その松原を目で追っていくと次第に消えていく。そういう光景が読み取れます。5は比較的わかりやすいでしょう。焦点は「狭霧」にあり、その「狭霧」が昇っていく姿が読み取れます。6は「月影」がそれぞれの盃に映り込み、揺れている様子が分かります。このように、山岸教授が現在分詞を用いられる箇所は“動き”と焦点によるところがあります。 ではその現在分詞を用いることによりどのような効果が生まれるのでしょうか。一つは、原詞から読み取れる“動き”を英語でも伝えることができます。これは当然と言えば当然です。続いて、簡潔性を表すことができます。これは、1番以外には当てはまりませんが、1番はThe full moon is shining alone high in the night skyと、be動詞を用いて表すことも可能です。しかし、これではリズムにも乗れず、冗長的で説明的な印象を聴者[読者]に与えます。この点は次にも関係があるのですが、現在分詞が持つ効果として欠かせないことは、“詩らしさ”が表現できるということです。山岸教授のThe full moon, high in the night sky, shining aloneと先ほど示したThe full moon is shining alone high in the night skyを比べて見てください。どちらが“詩らしい”でしょうか。後者は何かbe動詞が野暮ったく見えませんか。 山岸教授の御訳を現在分詞という観点から分析しました。最後に一つ書かなくてはなりませんが、このような現在分詞が選択できるように、使えるようになるためには、英語力もそうですが、やはり原詞を“感じる力”があるかどうかにかかっています。上掲の1から6の原詞を読み、そこに“動き”を感じなければ、当然現在分詞を用いることはできません。原詞の字面だけを追ったり、原詞を理詰めで分析したりしているようでは、とうてい山岸教授のような御訳を産み出すことは不可能です。残念なことに古い日本語は私たちにとって“外国語”になってしまいました。外国語を勉強するには分析をする必要があります。しかし、その分析は回を重ねれば重ねるほど、不要になってくるはずです。なぜならば原詞は私たちの母語でありますし、日本人である以上、たとえ古い日本語であろうと語感を養うことはできるはずです。英語でも語感を磨くことができるわけですから、日本語でできない訳がありません。時代のフィルターを通ったものに多く触れていく必要があると感じるゼミ最終授業でした。 平成26[2024]年 1月20日 大塚 孝一(M1) |
ゼミ生の皆さん 今回も原詩に含まれない表現について見てみました。以下に掲載します。 1−1(1番1行目) high in the night sky 原詩には明言されていませんが、「お月さま」という言葉から容易に想像できる情景です。この表現があることによって、情景をより明確に思い描くことができますし、またリズムを補うことも出来ると思います。 1−1 shining (alone) 原詩に輝いているとはありませんが、こちらも十五夜で、月が出ているという情景を思えば、輝いているということになると思います。 単にその存在を表すだけというよりは主語が何をしているかという動作で訳すことが、詩という範囲で情景を存分に表すための工夫のひとつといえると思います。 1−2 beautiful こちらも情景を表す表現であり、falling snowflakesにどのような意味(ここでは美しさ)をもたせるかを方向付ける、「情緒」を表した補足であると思います。 1−3 dearest(sister) 姉との別離を悲しむ歌ですから、当然ただsisterだけで訳すのは不十分であることがわかります。この歌の主題を考えて、dearではなくdearestを選べなかったことは反省すべき点であると感じています。 1−4 to her bridegroom ここはリズムを補うためでもあるのではないかと思います。high in the night skyのような周囲の情景は、原詩から具体的には読み取れません。語順からも、原詩からも「ゆられてゆきました」を中心に考えるべきであり、その結果、目的語という形になったのではないかと思います。 また、補足表現の中身について、私はbecame a brideと訳しましたが、それはあくまで「意味」を訳したにすぎず、原詩には「花嫁すがた」と、婉曲的にしか書かれていません。山岸先生がbridegroom(花婿)とお訳しになったのは、この「花嫁すがた」bridal kimonoとの対比としてではないでしょうか。このような対照関係で訳すというのも補足表現のひとつの方法であると思います。 3−3 gone as a bride 私は各連をsister in という形で訳してみましたが、やはりただ存在を表すだけでなく動作を表すべきかと思います。また、ここでは1連目のwent to her bridegroomとの関連性が見られると思います。これにより、詩に見られるぼんやりとした時間の存在を表すことができるのではないでしょうか。 3−4 back at home ここはgone (as a bride to a) far placeとの対比だと思います。leftと同じく、ひとりになった自分を際立たせることができる表現であると思います。 まとめ 補足表現の用い方として、1−1high in the night skyのような対象となる語の周辺の情景や1−4のような動作などについて補足すること、また対比やほかの連との関連性をその補足にあてることがわかりました。まだ「この場合にこれ」といった断言には至りませんが、感覚としては先生の御訳の真似を通してほんの少しつかめてきているのではないかと思います。あるいは言語という分野にある以上、感覚で掴むものなのかもしれません。今後とも、真似ることを通して模索していきたいと思います。 平成26[2024]年 1月20日 高浦 李沙(学部3年生) |
ゼミ生の皆さん 今回学んだことや反省点、感じたことなどを以下に掲載します。 【今回の訳出において不足していたこと】 原詩においての理解が、「常識」的な箇所が欠けていました。1番と3番の1行目「十五夜お月さま ひとりぼち」の訳出において、そのことがよく解ります。2番目の「十五夜お月さま 見てたでしょう」の箇所で、焦点となるのは、「月」であり、”I”ではないこと、原詩においての理解が至らなかったため、誤訳となってしまったことが上げられます。根本的な箇所においての理解が重要であるため、本来「肌で感じる」べき童謡や唱歌において、詩を聴いただけで頭の中でイメージが出来る、そういった語感や感性が必要になると強く感じました。 【注意すべき表現】 Elder:今回の私の訳出において、山岸先生からのご指摘があったように、おそらく日常で英語を用いるにあたっても、注意すべき語であると思います。“elder sister”で、「売れ残った姉(個人的解釈ではありますが、婚期を逃した姉)」といった、失礼な響きとなってしまうこともあります。友人の姉に対して用いれば、受け手が冗談だと解釈してくれれば笑い話になるでしょうが、そうはならないと思います。 【原詩には無い表現など】 今回の御訳でも、幾つか原詩には無い表現が訳出なされております。 「花かげ(陰)」:Beautiful cherry petals 原詩では、「桜吹雪の花かげに」とあります。世界共通かと思いますが、月光に照らされた桜花が散る様をどう捉え、英訳に反映させるかがゼミ生全員の訳出から見て、表現が出来ていない箇所でした。万人が「綺麗」や「美しい」といった想いを抱くのではないでしょうか。この詩からも、そのことを感じるはずですが、そうした常識とも言える考えに至らず、結局のところ、beautifulがない訳出となってしまいました。 「ゆられて」:rocking gently この訳出では、ゼミ生全員が表現して「いない」箇所でした。個人的には、riding the rickshawに「含まれる」のではないかと思っていましたが、それは勘違いでした。山岸先生の御訳からは、「揺れる」ことが、”rocking gently”によって、「優しく揺れる」ことが含まれています。また、Rockingだけだと、激しく揺れ、まるで凸凹の激しい道をゆれられて行く連想をしますが、gentlyという副詞があることにより、優しさが表現出来ることを今回の御訳から学びました。 「遠いお里」:a far place 山岸先生の御訳では、この箇所に含みがございます。私の訳出では「お里」とあり、villageを用いましたが、「場所」がこの原詩からは限定されていないこと、敢えて曖昧にさせて「遠く」ということを強調させるいわば英訳においての技を今回学びました。このことは『通りゃんせ』のpath alongと同様に思います。 全体を通して見ると、1番、3番では1行目から3番までが「句」で訳出なされ、分詞が用いられています。また、2番目1行目では「見てたでしょう」の箇所におきまして、「歴史的現在」としてseeが用いられております。過去にあったことに対して現在形を用いることにより、情景が浮かぶこと、この詩における主人公の気持ちが伝わるように思います。こうした点が、やはり詩を詩たらしめる、学ぶべき箇所であると思います。こうした箇所を「真似」出来るようにしたく思います。 平成26[2014]年 1月24日 佐々木 健史(学部4年生) |
「花かげ」に関して私が学んだことを記していきます。 大塚さんも言及していることですが前回のゼミと先生の英訳から韻文詩においては分詞がとても大きな効果を表すことが認識されます。ゼミで私たちは時制に関してかなりの時間を割いて論議していましたが、先生の英訳を読んでみて私たちの話した内容は無駄とは言いませんが焦点に外れた論議だった言わざるを得ません。 皆さんもご存じのように分詞は現在分詞と過去分詞がありますが、いわゆる時制としての現在、過去とは関係がありません。原文と先生の英訳を見てみます。 @十五夜お月さま ひとりぼち The full moon, high in the night sky, shining alone A桜吹雪の花かげに Beautiful cherry petals, falling like snowflakes B俥(くるま)にゆられてゆきました Riding a rikisha, rocking gently, went to her bridegroom Cお別れおしんで泣きました And I wept, unwilling to part from each other D遠いお里のおねえさま My dearest sister, gone as a bride to a far place 本来分詞は名詞的な動名詞とは異なり形容詞的または副詞的な働きを持ちます。上記の@.A.Dは日本語は名詞であり英訳での分詞は形容詞的です。そしてB.Cは副詞的です。(正確にはunwilling 自体は形容詞であり分詞ではありませんがbeing unwilling のbeing が省略され副詞的な形になってweptを修飾しています。) 詩は散文と違い情報を伝えるよりは作者の心の中で描いた独自の印象を伝えるものと考えられます。 こういうと論理の飛躍と言われるかもしれませんが、動詞の変化形というものを考える時情報を伝える散文においては正確な論理を用いる必要があるため動詞の時制が重要となり詩においては印象を伝えるため動詞の分詞形が大切なのではと考えます。 このような視点で分析してみると分詞というものを更に注意深く見ていく必要性を強く感じました。そしてこの様な題材を与えて下さる先生に自然と感謝の思いが湧き上がります。 平成26[2014]年 1月24日 草皆 高広(学部3年生) |