●この歌の著作権は消滅しています。
あめふり |
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以下は私のゼミ特修生の大塚孝一君(大学院博士前期課程1年生)が、 山岸ゼミ専用掲示板に書いたものです。興味深いので、当人の了解のもとに転載します。 |
ゼミ生の皆さん 今回、このスレッドでは、山岸教授の御訳と教授が授業中やブログにて言及なさっているGreg Irwin氏の訳を比べてみて、私見を述べます。ちなみに、私がIrwin氏を知ったのは、平成12年[2000年]頃だったと記憶しています。当時、NHKテレビの英語講座「日本文化ふるさと便」(担当講師は元明海大学助教授の松本茂先生。現在もNHKで英語講座を担当なさっています)という番組を観ていたのですが、その番組の最後にIrwin氏が童謡を歌っていました。先ほど、その番組のテキストを見たら巻末にIrwin氏が訳した「故郷」「おもちゃのチャチャチャ」「花」(第1回課題曲)などが掲載されており、その中になんと今回の「あめふり」もありました。当時は、Irwin氏の英訳には関心がなかったので、こういう人もいるんだなくらいの感想しか持っていませんでした。従って、今回の私の訳はIrwin氏の訳の影響を受けていません。 教授の御訳とIrwin氏の訳を比較するために、pdfファイル・wordファイルでまとめてみました。(下に転載:山岸)。 以下、私見です。 【単語数】 各連の1行目と2行目の単語の数を比較してみました。山岸教授の御訳は該当の行で多少のばらつきがありました。その差は最大で3単語です。一方のIrwin氏の訳はほとんどばらつきがありません。5連だけが3単語の差になっているだけで、あとは、同じか1つの単語差という結果でした。 【拍】 原詩の1行目と2行目は"八五調"です。句の切れ目はファイルで確認をお願いします。教授の御訳における"八五"の"五"にあたる箇所は、おおよそ4単語で構成されています。同様に、Irwin氏の訳における該当箇所もほぼ全て4単語で構成されています。 【押韻】 脚韻を見てみますと、山岸教授の御訳における脚韻は1連のcomingとrunningのみでした。それに対して、Irwin氏の訳では、全ての連で脚韻が認められました。前回も書きましたが、これは日本語と英語の「歌」の特徴とも言えるのではないでしょうか。日本の歌の詩には、韻があまり見られません。現代のJ-pop、とくにヒップホップ(?)では脚韻が多く見られるようですが、それは、おそらく英語圏の影響を受けているのでしょう。対照的に、英語圏の歌は、マザーグース然り、ワーズワースの詩然り、ほとんどの詩に脚韻があります。Irwin氏の「あめふり」の訳にもそれが見られるわけです。Irwin氏は脚韻ということに凝って訳出をしたということが言えるでしょう。 しかし、そのためか、日本語の原詩とかなりかけ離れた英訳になっています。次の項目でそれを明らかにしていきます。 【原詩への"忠実度"】 山岸教授の御訳とIrwin氏の訳がどれほど原詩に忠実であるかを調べるために次の様な計算をしてみました。「原詩には無い訳出部分の単語数」を「全単語数」で割ってみます。省略されている単語は分けて数えました。ハイフンでつなげられている単語も分けて数えてあります。カンマやピリオド、感嘆符は数えていません。結果は以下の様になりました。 山岸教授 : 22/128 ⇒ 17.1% Irwin氏 : 72/137 ⇒ 52.5% どうでしょうか。原詩に無い訳出をどう判断するかという点では個人差が出てくるでしょうが、おそらく誰が数えても似たような結果が出てくると思います。Irwin氏の訳には、原詩に無い英訳が半分以上含まれているということになります。興味深いことに、その英訳は、各連の1行目と2行目の最後、つまり韻を踏んでいる箇所が多いのです。つまり、Irwin氏は脚韻を踏ませるために、原詩には無い英訳を試みたということが言えるでしょう。それに対して、教授の御訳における該当箇所は、たった17.1%です。2割に達していないわけです。比較の対象にはしていませんが、ゼミ生の訳における「原詩への"忠実度"」はおそらく山岸教授の御訳におけるものよりも低くなるはずです。それは、私たちの「字面を訳す」という癖が反映されているからでしょう。教授と私たちの差はここにあるのではないでしょうか。原詩に忠実でありながら、行間を読むというプロセスを経る教授と、文字通り訳す私たち。学ぶべきところが多いのではないでしょうか。Irwin氏は行間を読んでいるというよりも、リズムや韻に重きを置いているので、どうしても原詩からかけ離れてしまうようにも思えます。 ちなみに、題の「あめふり」に対して、教授は"A Rainy Day"、Irwin氏は"Happy am I"という訳出です。この訳出を見るだけで、訳出がどのようなものになっているのかが容易に想像できると私は思います。 【小考察】 民族に優劣がないのと同様、言語や文化にも優劣はありません。よって、好みはあるでしょうが、どちらの訳が好ましいとか、劣っているということはあり得ません。Irwin氏はアメリカ文化の中で「あめふり」を感じ、英語を大切にして訳出したのでしょう。それに対して、山岸教授は対照的に、日本文化の中で「あめふり」を感じ、原詩が背負っている文化を大切になさって訳出をなさったわけです。ただ、日本人からすると、もっと言うと、ゼミで訳出を試みている一学生からすると、私は山岸教授の御訳に魅力を感じます。 今回は「あめふり」の訳出を比べたわけですが、山岸教授とIrwin氏に共通した訳出を比べることでもっと一般化ができるでしょう。できれば夏休み中に試みてみたい研究テーマでもあります。 平成25[2013]年7月2日 大塚 孝一 |
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