16. 教養豊かな英語教師とは


0.教養とは何か
 手元の『哲学事典』(平凡社、昭和47年、p.337)で「教養」を引きますと、次のような定義に出会います。

「教養」とは、人間的生活を高尚にし豊富にするために、知情意の全般的な発達をはかるように修養することをいい、専門的な限られた職業生活のほかに学問芸術などをゆたかに身につけ、またはそれを理解する能力を備えることを意味する。教養がそれ自身目的となり、単に博識や趣味のために求められたとき、そうした態度を教養主義という。日本で culture, Bildung の訳語として「教養」の語が使われだしたのは大正期以降のことであり、その思想的傾向はしばしば「教養主義」として批判される。

 この定義は少々難しい印象を受けますが、それはおそらく、「人間的生活を高尚にし豊富にするため」とか、「知情意の全般的な発達をはかるように修養すること」といった言い方が、抽象性を帯びているためでしょう。要するに、教養とは、一人の社会人として身に付けておくべき幅広い知識や心の豊かさのことだと言えるでしょう。
  私は、教養とは、喩えて言うなら、富士山の裾野のようなものだと思います。裾野が広ければ広いほど、山は高くあり得るし、堂々として見えます。人もそれに似て、教養を広く身に付けている人は視野が広く、堂々として見えます。異なる言語文化の橋渡し役である英語教師もそうありたいものです。
 
1.教養豊かな英語教師とは
 (1)日英語文化によく通じ、それらの比較ができる人 自国の言語文化同様、英語文化圏の言語文化をよく知り、それらをよく比較できる人は、言語文化に優劣はないということをよく承知していますから、下記(3)のような結末を迎える事がありません。このような教師を多く輩出するためには、国家が本腰を入れて、教師に勉強の機会と時間を与える方策を考え出さなければなりません。現在の教員研修制度では不十分だと思います。
 (2)美しい日本語・英語を志向している人 ここで言う英語教師とは日本人英語教師のことです。日本語を母語とし、英語という外国語を教える立場にある以上、各人は自らの義務として、日常的に美しい日英語を志向する必要があります。私たちは言葉の持つ威力をもっと真剣に受け止めるべきです。英語学習を通じて、自国の言語文化と英語圏の言語文化とに敬意を払う人物を育成したいものです。
 (3)英語にかぶれていない人 英語と英語圏文化を多く賛美し、自国の言語文化を卑下するような言動をとる人は、おおよそ教養豊かな教師とは言えません。私見では、「英語病」あるいは「英語国症候群」を患っている日本人英語教師は決して少なくありません。そういう人が英語教師を務めていれば、生徒・学生たちに知らず知らずの内に偏向教育を施すことになるでしょう。
 (4)学習者の生涯に良い影響を与え得る人 生徒や学生から、「あの先生がいたから日本の言語文化も英語圏の言語文化も、共に好きになった」、「あの先生に教わったから、異文化理解の大切さが分かった」などと評価される教師は良い教師です。個人的なことを言えば、私は素晴らしい恩師に多く恵まれました。
 (5)自己研鑽を怠らない人 コンピュータ用語を用いて言えば、自己研鑽を怠らない人は、自分の脳内の「メンテナンス・ウイザード」を最大限に活用している人だと言えましょう。ディスクのエラーチェックと修正を行う「スキャンディスク」、不要ファイルの削除を可能にする「ディスククリーンアップ」、ディスクに保存されるファイルの整理を行う「デフラグ」、ファイルの圧縮を行う「圧縮エージェント」、これらのウイザードを適宜作動させ、コンピュータの機能を最適化した状態に保つことが肝要です。
 (6)自国言語文化の擁護者足り得る人 上記(1)で述べたように、言語文化に優劣はありません。だからこそ、謂(いわ)れなき日本の言語文化への非難や誤解に対しては断固として防衛線を張る必要があるはずです。

2.自国言語文化の擁護者足り得る人 
 上記(6)についてもう少し詳しく考えてみたいと思います。私は日本の英語教師はもっと自国のことを知るべきだという意見を持っています。たとえば、英語教師は外国人からの次のような日本批判に堂々と弁明できる深い教養を身に付けていて欲しいと思います。

   @日本語の「つまらないものですが」はナンセンスだ。「つまらないもの」など欲しくはない。
   A日本語の「何もございませんが」は偽善的で嫌な表現だ。豪華な料理を用意しておいて、
     「何もございません」とは、人を馬鹿にしているようだ。
   B日本人は他人と異なる意見を持つことを嫌うが、他人と意見が異なるのは当たり前のこ
     とではないか。未成熟な国民だ。
   C日本人はよく、「お出かけ?」とか「どちらへ?」などと他人に聞くが、プライバシーの侵害だ。

 これらに関する私なりの回答は諸所(たとえば、拙著『日英言語文化論考』)で紹介しましたからここでは省略します。批判はただ単に、自国の価値基準に基づいて行っているもので、日本人がそれらの表現や性向を持つに至ったのは、それだけの理由があるのです。このような批判を受けたとき、「そうだそうだ、日本文化や日本人が悪い」などと、すぐに外国人の尻馬に乗った発言をしないで欲しいと思います。裾野の広い教養を身に付けている日本人英語教師なら、絶対にそういうことはしないと思いますし、また、出来ないと思うのです。