13. 日本人はなぜ英語が下手か
     
(Why can't Japanese function in English?)
            (「山岸ゼミ専用掲示板」より)



【以下は、日本の言語文化に関する外国人の疑問のうちの「疑問135.日本人はなぜ、時間や金を掛ける割には英語が下手なのかに対する山岸ゼミ生の「山岸ゼミ専用掲示板」における書き込み意見です。本質を突いた良い意見が多いと思いますので、転載します】 (参考)この疑問に対する私自身の見解は拙著『英語教育と辞書の思想と実践』(こびあん書房、1998)の第一部第6章に書いてあります。


  ◆一番初めにあげられるのは、山岸先生もおっしゃっていたように、おそらく日本の言語や文化が英語国のそれらと最もかけ離れているからだと思います。西洋の文化と日本の文化は全く異なりますし、また、言語は必ず文化から生まれてきますので、おのずと発想に差がでてくると思います。そのため、日本には無い表現がかなりあるので、日本人にとっては、そのような表現が簡単に口をついて出てくるものではありません。無生物主語等はそれらの一つであろうと思います。「武里駅まで歩いて20分かかる」のような表現が「20分の歩きがあなたを武里駅まで連れて行く」と表現できるのですから、日本語の表現にあまりないものを表すにはかなりの努力が必要になるのも当然かもしれません。また、語順の違いも大きな要因の一つだと思います。主語、修飾語そして最後に述語が来る言語と主語、述語そして修飾語の順である英語には大きな差があると思います。英語と語族を同じくするドイツ人が英語を習得するのと日本人が習得するのでは苦労の度合いがものすごく違うのではないでしょうか。
  必要性の有無も大変関係あると思います。これからの日本は英語が必要になる機会が多くなると思いますが、まだ、一部の英語を必要とする職種に就いている人達以外は、生活上英語ができなくても、何ら支障ありません。人間は、必要に迫られないとあまり努力をしないという習性みたいなものがあると思います。「来年から海外支店勤務」などという命令が急にでたら、誰でも必死で勉強することでしょう。
  疑問の題名には、「時間を掛けるのに」とありますが本当にそうでしょうか。よく”中学、高校で6年間もやったのに”という声を耳にしますが、6年間、毎日5時間位学習しているわけではないのです。中学校で週3時間を35週間、3年間、高校で週4時間を35週間、3年間、大学の教養課程で2年間の計8年間を合計すると約1000時間位にしかなりません。もちろんこれは最低の学習時間に過ぎませんが、これである程度習得できてしまったら苦労はないでしょう。一般に、バイリンガルになるには5000時間の努力が必要とされます。単純に考えて約4000時間の学習が必要であると考えられます。質の良い学習と量をこなせば自分の目標に近ずくのではないでしょうか。時々ものすごく英語のできる方を見ますが、その人が外国で育ったのでないならば、それに見合うだけの努力をしているに違いありません。Exposure(接触)の度合いに実力が比例すると思います。
  言語を学ぶのに際して、私達日本人が非常に不利と思われることがあります。それは、間違いを恐れる習性だと思います。出る杭は打たれる、という文化の中で、言語を学ぶのは大変不利です。英語にかかわらず、はりきって頑張る者に対して、「何あいつかっこつけてんの」という言葉が飛び交う社会では、間違えながら身に付けていく言語の習得にはものすごい壁になっていると思います。帰国子女が日本の中学や高校で良い発音で話すと嫌われ、いじめられないようにわざと発音を悪くするというのを聞いたことがありますが、とても悲しいし、残念なことです。今では、出る杭が打たれるのはなぜかわかりますが、これからの私たち、また日本の発展のためにも、「頑張る者が救われる」社会に変わっていかなければならないでしょう。出る杭が打たれていると、人間にとって、最も大切な「感性」がそぎおとされ、創造性が育まれにくくなると思います。今日、スポーツや芸術を始めあらゆる分野で世界に通用し活躍する日本人をたくさん見ますが、なんとなくまだ、殻を突き破れないでいると思います。シンクロナイズドスイミング等で、技術点は高くても、芸術点が低いのはその辺からくることではないでしょうか。監督やコーチが選手よりも見栄えが良いのではなくて、もっと選手が前面にでてくるようになると日本人は何をやっても素晴らしくなるのではないでしょうか。
  主に読解を中心とし、コミュニケーションに重点を置かない授業、或いは受験等の体制も伸び悩む要因かと思われます。しかし私は、今までの中学、高校の授業を否定するわけではありません。いわゆる、「文法訳読式」のスタイルが非難されることが多いですが、それを抜きにして今日の私たちの英語力はありえません。外国人の英語による授業に私たちがついていけるのは、「文法訳読式」を学んだからこそあることです。むしろ、それを基礎とし、前から訳していくサイトトランスレーションを早い段階から取り入れることのような「訓練」に重点を置いた授業をするともっと早く伸びるのではないでしょうか。6月に教育実習に中学校で勉強してきましたが、音声重視で、発音や音読には力を入れますが、肝心な内容を教えないまま、最後にTrue or Falseで理解度チェックして授業を終わらせてしまう中学校の英語教育には唖然としました。担当教官の先生に「内容は教えないのですか」と尋ねると「それが今の流れですから」とあっさりと言われてしまい、中学生がかわいそうに思えたこともありました。もちろん全ての中学校がそうであるとは思いませんが、教職の授業で後で友達に聞いてみると、大体のひとが同じようなことを言っていました。親の話す言葉を聞いてそれを真似て習得していく方法が功を奏するのは6歳までで、中学生はもうおとなの脳がある程度出来上がっているわけですから、日本語がしっかりでき、日本語で理解出来ない限りは、ただ音声で授業してもあまり基礎の無い中学生には無益なことが多いと思います。日本語と英語の間にある微妙なニュアンスの差を日本人教師がしっかりと埋めていかなければならないと強く思いました。
  長々と書いてしまいましたが、文化や言語のしくみ、必要性の無さ、絶対的な学習時間不足や教授法等、様々なことが挙げられると思います。それではこの辺で失礼します。(4年次生・白藤 智明)


  ◆日本人に最も必要なことは? こんばんは。現ゼミ生4年の岩井です。この疑問134については、私も以前から気になっていました。私以外にもみなさんが一度は疑問に思ったことのある疑問だと思います。
  白藤さんのおっしゃるように、理由は様々だと思います。これが要因というのは特にないのではと思います。様々な要因が絡み合って、ここまで大きな問題に発展したのだと思われます。特に、英語の習得時間のことをおっしゃっていましたが、その意見に補足させていただきたいと思います。私も大学1年から3年までの2年間だけ、英会話スク−ルに通っていたのですが、そこで言われたことは、勉強の仕方に問題があるとのことです。日本という環境にいるからということを指摘する人もいますが、これは特に関係はないとおっしゃっていました。日本にいても海外にいても同じように本人次第で勉強はできるとおっしゃっていました。ただ、最も大きな要因は、話す・聞くことよりも書く・読むことに重点を置いてきたことにあるとおっしゃっていました。
  その点を考えると、自分から常に国際交流の場へ出向いたり、また自分で英語漬けの環境を作るということの大切さを感じました。確かに、今では小学校から早期英語教育を開始したり、もしくは園児の時からとある英会話スク-ルに通わせて、帰宅しても英語だけを話すといった生活を送っている人を見かけますが、それでは逆効果ではないかとも思います。なぜなら、最も大切なこと、すなわち、日本人として日本語を話すことの大切さを失いかけているからです。実際に、そうした、家でも英語しか話さない生活をしていると、まだ幼いこともあって、正しい日本語の習得に時間がかかることにもなりかねないそうです。ですから、国際化と騒がれている現代において、英語を習得することも大切ですが、同様に、正しい日本語を学び、話すことも不可欠ではないかと思います。
  少しお話がそれてしまいましたが、白藤さんの投稿を拝読していて、意識して自分から英語漬けの環境を作る努力をしないといけないと思いました。小・中・高の一貫教育だけで満足していても、それは最低限の基礎固めであって、そこから更に自分で意識して取り組んでいかなければならないと思います。また、同時に、日本・日本語・日本文化などの魅力や正しい知識を習得しながら、英語を学んでいくというやり方が、私たち日本人に最も必要なことではないかとも思いました。 (4年次生・岩井 梢 )


  ◆こんばんは。現4年の久本です。この問題は英語を学ぶ人にとっては興味深いものだと思います。中学校から学んできた、といえば私たちの年齢だと10年勉強してきたことになりますが、白藤さんのおっしゃるようにその10年の間にどれだけ勉強したのかというと最低限の時間しか学んでいないと思います。そんな程度で英語を習得できるはずないのです。そして日本で生活している以上は英語を話したり書いたりする必要性はそこまでないですよね。
  英語の教育法については私も不満に思ったことがあります。中学生の頃からspeaking中心の授業を受けていたならば、今英語を人前で話すことがそこまで苦手ではなかったかもしれません。そういう教育法も今は少しずつ変わってきていると思います。明海大学の現在の一年生は、私たちが一年生の時とは制度が変わっています。うらやましいと思いました。
  話が少しそれてしまいましたが、英語を習得するより前に、日本語や日本文化など日本についてもっと知らなくてはいけないと思います。自国のことも理解していないのに他国のことを学んでも、どちらも中途半端なままで終わってしまうと思います。みなさんはどう思われますか。(4年次生・久本真琴)


  ◆私にとって英語学習の障害になっていたもの  皆さん、こんばんは。現ゼミ生の峰松です。白藤さんの投稿は大変興味深いもので、日本人が英語を学習するにあたっての問題点を鋭く指摘しているものだと思います。白藤さんが指摘されていたように、文化や言語のしくみ、必要性の無さ、絶対的な学習時間不足や教授法など、日本人の英語力の上達を妨げる要因は様々ですが、私がこれまで英語を学習してきて最も大きな障害となっていたのは「英語を学ぶ意義のあいまいさ」でした。
  中学校に入学してから英語を始めた私ですが、中学・高校時代は英語に対する憧れが強く、ただただ英語をうまく話せるようになりたい、と願っていただけでした。なぜ英語を学びたいのか、また英語を学ぶのはいいけれども、それを将来どういかしたいのか、といった動機付けにいまひとつかけていたのです。
  英語を学ぶ意義がはっきりしてきたのは明海大学に入学し、山岸先生の講義を受けるようになってからです。日本人と英語圏の人々がそれぞれもっている発想の違いを学ぶにつれ、日本語と英語の両方の魅力に気づき、2つの言語の違いをもっと詳しく学びたい、詳しく学んで、他国の人々との間に誤解が生じた時に、英語という共通言語を介して、「なぜ日本人の私はこう考えるのか」を相手に納得してもらえるようになりたい、という気持ちが強まり、英語を学習する意欲が増したのです。
  さらに私の学習意欲をそそったのが3年次生時の留学体験です。自分の気持ちをうまく伝えられなかったことや、文化の違いや言葉が足りないために誤解を招いてしまったこと、日本や日本人独特の考え方についてうまく説明できなかったことの悔しさ、うまく気持ちが通じた時のうれしさなどが、現在私が英語を学ぶうえでの原動力になっています。
  時間やお金をかけるわりに英語が下手になってしまうのは、英語を学ぶうえでの具体的な目標がないためか、あるいは目標があったとしても、その目標を達成するための学び方に問題があるためではないかと私は考えます。ただ闇雲に勉強をしていても効率はあがらないと思うのです。英語を学ぶにあたって自分には何が必要で、目標を達成するにはどういった勉強法が最も適しているのかを見極めることが英語を上達させるカギになると思います。私に関して申し上げますと、以前よりも英語を学ぶために自分が必要としていることがはっきりとしてきましたので、今までの学習で足りなかった部分を補うといった形で英語に取り組むようになり、英語学習がはかどるようになりました。
  幸いなことに私には海外に英語を母国語とする友人や、ともに第二言語として英語を学んだ友人がおりますので、彼らとのやり取りを通して楽しみながら英語を学んでいます。最終的な目標は彼らと楽しく充実した会話ができるようになることです。そのためには英語だけではなく、幅広い知識を身に付ける必要があります。そしてその知識とその知識に対する自分の意見を英語で表現できることが必要になります。他言語を習得するのはとても大変なことですが、具体的な目標や学ぶ楽しさを知っていれば、その苦労も乗り越えられると思うのです。「好きこそ物の上手なれ」。どれくらい時間を要するかわかりませんが、日本人らしく忍耐強く、つまずいてもめげることなく英語学習を続けていこうと思います。 (峰松 志恵・4年次生)


  ◆興味深い投稿でした。言葉そのものが大きく違うということは大きいことですね。また、「受験に必要だから・・」などという理由で無理やり「勉強」させられると逆に英語が嫌いになってしまうのではないでしょうか。嫌いなことを習得していくのは大変なことです。それこそ必要にならなければ習得も遅くなるでしょう。その上、教えられるのは白藤さんがおっしゃった様に内容のないもの。それでは上達はしません。「好きこそものの上手なれ」です!(臼井奏・4年次生)


  ◆日本人に最も必要なことは? 皆さん今晩は。私の意見に色々と書き込んでくれて皆さんありがとうございます。本当に岩井さんのおっしゃる通りです。日本語及び日本文化を学ぶことの方が先だと私も思います。残念ながら私たちは小さい頃から日本文化に関してあまり教わっていません。ですから自国に対する忠誠心や誇りに欠けた方が多いと思います。しかし、それも責めることは出来ません。そしてもし、今の日本が早期英語教育に本気で取り組んでしまったら変な風潮が生まれてくるのではないでしょうか。「誰々君の発音はいい」とか「あの人すごく英語できる」また、「俺はどうせ英語できねえよ」等、英語や英語国に対してもとから変なコンプレックスを感じている人が多いと思うので、英語が出来る、出来ない等の「変な優越感」或いは、「変な劣等感」が学校に多く出始め、英語が出来る人が何か偉くまたは、英語が出来ないとあまり偉くない等の感情が湧いて来る様な気がします。
  ではヨーロッパ諸国ではどうでしょうか。おそらくヨーロッパの国々では大学を卒業した人達の多くが2ヶ国語位話せると思いますが、彼らにそのような雰囲気があるでしょうか。私はおそらく日本よりは少ないと思います。なぜなら彼らの多くが小さい頃から自国の文化を愛する気持ちを育てているからだと思います。外国語と同様に自国も素晴らしいと実感できる心が備わっているのではないでしょうか。それがあるのと無いのとでは大きな差が生まれるでしょうね。つまり、国が意識できていてそれらが繋がっている「International」が本来目指すべき姿ではないかと思います。困ったら帰ることの出来る場所がしっかりあるのが理想ではないでしょうか。
  私を含めて、街を行き交う多くの学生が日本語が汚く、日本文化を知らずして英語が流暢であったなら、これは単に変な人に過ぎないでしょう。それこそ、外国人に「あなたの国籍はどこですか?」といやみに質問されるかもしれません。
 日本語をしっかり学習してから英語を学ぶことがベストだと思います(長嶋前巨人軍監督ではないですが、それが一番のベストでしょう)。でも、夢のドリームで終わらないよう、英語も頑張って時間を掛けてお互い上手になりたいですね。(白藤智明)


  ◆今晩は、皆さん。白藤です。峰松さんのおっしゃってるように、ただ漠然と英語を学ぶのではなく、目標や動機が本当に大切だと思います。またそれらが無いとあまり伸びないでしょうね。なるべく早い時期に英語圏の国に行って、英語を使う喜びやそれが通じなかったことの悔しさを味わうとそれらが原動力になって勉強がはかどると思います。また、最初に書いた通り、必要性が無いというのは大きな要因ですね。嫌でもそれを使わなければいけないような環境に追い込まれた場合、人間はものすごく大きな力が生まれて、英語にかかわらず努力をするのではないでしょうか。夏休みも終わりに差し掛かって宿題をあせって必死にやるように、私も含めて、人間は必要性に左右されることが多いのではないでしょうか。それがなくても、目標に向かってこつこつやれるといいですよね。
  英語の学習法について思うところがあるので少し書いてみたいと思います。Intensive reading (精読)やExtensive reading (多読)という言葉を聞いたことがあると思いますが、実はこれらは共にどのレベルになっても必要なことなんですよね。特に入門期や初期では精読の割合が必要です。言葉の仕組み(文法)があまり理解できてないのにいくら多読してものびるはずもありません。また中級者から上級者になるに従って、多読の割合が多く必要になってきます。文章の構造をある程度わかっているのにいちいち詳しく読んでいてはあまり効率的ではありません。わからない単語が少々出てきても、感で文脈を探っていくことが必要です。しかし、上級者になったからといって精読を全く無くしてしまったら、そこで伸びがとまるでしょう。いずれにしても、割合を考えて組み合わせていくと効率的でしょうね。因みにこれらのことは当然リスニングにも応用される必要があると思います。語彙力や読解力があまりないまま、いくらラジオやBS放送でニュース英語を聞いても飛躍的な効果は期待出来ないでしょう。よくラジオやテレビを聞けばリスニング力が付くと聞きますが、これはただの錯覚に過ぎないと思えてなりません。日本語でも内容の難しいものを聞くときには耳を凝らして聞かなければ聞けないのと同様、外国語であればなおさら耳を凝らさなければ聞こえるはずもありません。いずれにせよ「ヒアリング」ではなく「リスニング」であることが望まれると思います。
  また、「二重読み」という言葉もありますが、事実に即して書いてある文章(時事英語等)や文法的には比較的簡単でとりあえず訳すことは出来るが、ではその文が本当は何を言わんとしているのか少し頭をひねらなければ理解出来ないような文章等を混ぜ合わせながら学習すると効果があがるそうです。つまり新聞や雑誌とアカデミックな文章を平行に読んでいくと力がより付くということです。言い換えれば、少し難しい文章を週に一回程度精読し、それに加えて、比較的簡単な文章を多く読むと学習効果が飛躍的に上がるということです。私はどちらかというと多読の割合が少ないのでこれからは少しずつ増やしていこうと思っています。
  また、英語を学習しているとき、階段状に実力が付いていくと思いますが、伸びない時期をプラトー(高原状態)、そして伸びる時期をブレイクスルーと言います。しかし、このブレイクスルーは誰にでも同じようにやってくるものではないそうです。一日30分位の学習時間よりは2、3時間をある程度の期間かけた方が早く訪れ、また、階段の高さ、つまり実力の伸びも高いそうです。だらだらとゆっくり勉強するよりは集中してある程度短期間で目標に向かった方がいいということのようです。
  でも、どうせやるなら Enjyoyしてやらなければつまらないし、長続きしませんよね。自分に合った学習法を少しずつ模索しながら極めればいいのではないでしょうか。もちろん、これらのことは自分に言い聞かせていることでもあります。それではこの辺で失礼します。 (白藤 智明) 


  ◆こんばんは、現ゼミ生の古木です。白藤さんの投稿を私も興味深く拝見させてもらいました。この疑問に対して英語を勉強してきた1人として思うことは、山岸先生もよくおっしゃられる様に、私たちが欧米の文化とは180度違う文化を持っていること、英語を日常使う必要性がないということが主に考えられるのではないでしょうか。そして白藤さんもおっしゃっていた様に、日本における教授法も原因はあるでしょう。私も高校生の時授業を受けていて「こんな授業をやっていても意味があるのかな?」とよく思っていました。しかしその後、「高校まで基本的な文法を勉強してきたことは無駄ではなかったな」と思いました。しかし忘れては行けないことは、日本ではそれを英語教育のメインとしてきてしまったということです。これでは、本来の「他言語を学ぶといいうことはどういうことなのか?」という認識が薄らいでしまいます。
  私は山岸先生の授業を受けるようになって、そして欧米人の知り合いを持つことによって、「他言語を学ぶということはどういうことなのか?」を知る良いきっかけを与えていただきました。白藤さんは将来英語教師を志望なさっているのですか?もしそうであれば、ぜひこのゼミで学んできたことや教育実習で体験なされたことを来たこと生かした、すてきな英語教師になって頂きたいと思います。(古木佐衣子・4年次生)


  ◆疑問134:日本人はなぜ、時間や金を掛ける割には英語が下手なのか。
 
 結論:以下の9つの理由から日本人は時間やお金を掛ける割には英語が話せないあるいは下手なのだと思います。

(1)母国語である日本語のレベルが高くない。
(2)親が英語を話していない。
(3)周囲の環境が英語づけでない。
(4)幼い時に英語づけの環境で育っていない。
(5)英語を習得する為の目的意識が妥当でない。
(6)英語を集中的に学んで習得しようとしていない。
(7)日英両言語の共通点が多くない。
(8)今まで高めてきた英語力を維持しない、又は維持出来ない。
(9)英語を習得する為の時間数が十分でない。

 補足
(ア)(1)は、ある程度英語力がある人が英語の上達において伸び悩む理
    由です。
(イ)(2)から(9)は、一般的に日本人の英語が下手な理由あるいは日
    本人が英語を話せない、出来ない理由です。
(ウ)(2)(3)(4)(7)は、日本人が英語を話せない、出来ない根
    本的且つ避けられない理由です。
(エ)(5)から(9)は、中学や高校で英語を3年間あるいは6年間勉強
    してきたにもかかわらず、英語が出来ない理由です。

(1)母国語である日本語のレベルが高くない。
 例えば、経済全般について日本語で説明されてまったく理解できない人が英語でそのことを説明されても理解できない事と同様に、日本語のレベルが低い人はそれに伴って英語のレベルも低くなってしまうのです。普段から(俗に言う)タメ語しか使っていない人は英語を学んでもタメ後程度しかならず、母国語である日本語を十分に使いこなせない人、日本語運用能力が欠如している人、あるいは日本人であるにもかかわらず間違って日本語を使っている人はその日本語のレベル以上に英語が伸びることは先ずあり得ないのです。それはあたかも使い慣れていない敬語を使い「ぼろ」が出てしまうことと同じなのです。それを英語で表現すれば同じように失敗してしまうことでしょう。つまり、そこには言葉の差はないのです。英語ができないのではなく日本語ができていないのです。

(2)親が英語を話していない。
 親が英語で話していない事が英語の習得にどのように影響しているのかを2組の家族を交えて説明したいと思います。
 私の家の前に「Oさん」という家族が暮らしています。父と母、それに2人の子供(息子と娘)が同じ屋根の下で生活をともにしています。そこの母親は所謂教育ママで子供が生まれたころから英語のラジオやテ−プを聞かせつづけていました。しかしながら母親の期待とは裏腹に彼らはまったく英語ができません。何故でしょうか。それは母親が子供に話しかける時はいつも日本語だった事と、おそらく彼らが英語に興味がなかったからです。いくら英語で何かを聞かせてもそれに何の興味を示さなければ単なる雑音にしかならず、まったく効果がありません。さらに母親が四六時中日本語で話しているのですから、日本語はすんなりと自然に覚えたのでしょう。
 もう一組の家族は先日、テレビ朝日で放送された「ビ−トたけしのTVタックル」(毎週月曜夜9時)の中で取り上げられた家族です。(その日の放送では、どのようにしたら子供を天才にできるのかという事を中心に番組が構成されていました。番組の中で英語教育に関する事が盛り込まれていて、小さい頃から英語塾などに通わせるなどをして英語づけにすれば英語を話す事が出来るとの事でした。)番組中に取り上げられた家族では、英語塾に通っている2人の娘は英語を話し、母と祖父は日本語を話していました。(太陽系の惑星が載った紙を見ながら)祖父が言った「地球はどれかな」という問いに対して、2人の娘のうちの1人が木星を指で指しながら「biggest」と答えていました。ここでの問題点は、会話が殆ど両立せず支離滅裂である事や、家庭内の言語の統一がなされていない事などです。このままでいくとこの2人の娘さんが大きくなった時、日英両言語をごちゃまぜにして話すようになってしまいます。これら2組の家族から言える事は、親が英語を確り話せば子供も確りとした英語を話すはずです。
 *これはあくまで私の意見ですが、日本人なら親は子供に確りとした日本語を話すように導くべきです。日本語を完璧に話せるようになってから英語を習っても何ら遅くはありません。そして母国語である日本語を大切にすべきです。NHKのラジオ講座のインタビュ−でジュディ−・オングが日本語でお菓子を頂戴と母に話したら、「中国語でお菓子をくださいと言いなさい。(家では)中国語で話しなさい」と言われ、中国語で言い直してお菓子をもらったというエピソ−ドを語っていたのがとても印象的でした。このように、確りしないとますます日本語が乱れてしまうと思います。

 話を戻しますが・・・
 ここで、ひとつの疑問が生じます。アメリカのギャングの首領であるアル・カポネや歌手のグロリア・エステファンは英語を話すことができますが、彼らの母親は全く英語が話せません。アル・カポネの家ではイタリア語が飛び交い、エステファンの家ではスペイン語が話されていました。では一体何故彼らは幼いころから英語が話せたのでしょうか。

(3)周囲の環境が英語づけでない。
 アル・カポネの母親はイタリア語を、グロリア・エステファンの母親はスペイン語を話していたため、アル・カポネはイタリア語を、グロリアはスペイン語を自由に話せます。しかし一歩家の外に出れば、そこには英語づけの世界が待っていたのです。何故なら彼らが育った場所は英語が母国語であるアメリカだったからです。屋外ではイタリア語あるいはスペイン語を使わないと意思の疎通が図れないという環境で育った彼らは、やがてそれぞれの環境に適応することを迫られたのです。彼ら自身努力し苦労したと思われますが、同時に違う言語の環境で育ったため、スム−ズに2つの言語を習得したに違いありません。よって2つの言語を習得することができたのです。

 ここでまた疑問が浮上してきます。同じ環境下になりながら何故アル・カポネとグロリア・エステファンの母親は2つの言語を自由に操れなかったのでしょうか。

(4)幼い時に英語づけの環境で育っていない。
 若年層の方が言語習得しやすい傾向にあります。赤ん坊はすさまじい勢いで色々な事を学びます。言語においても、日常生活で使う単語や表現を毎日沢山覚えていることでしょう。さらに、母親が子供に毎日話しかければ、より多くの単語や表現などを覚えられるのです。ところが、子供が3歳くらいになるまでに母親が子供をほったらかしにしたり、話しかけなかったりすると、その子供が成長した時にうまく話す事が出来なくなる事があるのです。この事は、アル・カポネの母親とグロリア・エステファンの母親が英語を話せない事のヒントになります。つまり、ある一定の年を過ぎると意識的に英語を習得しようと思わなければ、いつまでたってもそれを習得できないのです。幼い時に言語を習得する方が大人になった時よりもスム−ズに事が運ぶでしょう。
 しかしながら、母語あるいは母国語が確りと定着していない時に2つの言語にさらされると、成長した時に2つの言語をごちゃまぜにして話してしまう可能性があるのです。従って、2つの言語が存在する環境で育ったとしても必ずしもバイリンガルになるとは限らないのです。この点については十分に注意する必要があります。

(5)目的意識の違い
 英語を何故学んでいるのかという目的意識の違いが英語が出来ない一つの要因であると私は考えます。ここで日本の中高生と22歳の時にわずか2ヶ月で英語を習得した歌手のセリ−ヌ・ディオンを例に検証してみましょう。多くの中学生、高校生が英語を勉強する時の主な目的は、志望高校あるいは志望大学に入学するために英語を勉強することなのです。例えば、青山学院大学に入りたい男子生徒がいるとします。彼がその大学に入学するためには試験に合格しなければなりません。試験に合格するには受験しなければならない科目の勉強を十分にしなければなりません。今日の日本の大学では英語は大学受験の必須教科です。従って彼は英語を勉強しなければなりません。この時の彼の目的はどうすれば英語が習得できるのかではなく、どうやれば英語の試験の問題をいかにすばやく確実に解けるかになってしまうのです。この場合、英語の勉強に偏りが出来てしまうだけでなく、大学に入った途端、試験で点数を取るのが目的なのですから英語の勉強を止めてしまい、数学の公式を忘れてしまうように、英語も忘れます。さらに、専攻が英語でないと自ら英語を勉強しようと努力しなければますます英語の勉強から離れていってしまうのです。次に、セリ−ヌ・ディオンの場合はどうでしょうか。セリ−ヌは12歳の時に歌手デビュ−し、デビュ−アルバムはカナダでゴ−ルドディスクとなり、翌年にはそのデビュ−アルバムがカナダ人ア−ティストとしては初めてフランスでゴ−ルドディスクを獲得し、以後10年余りフランス語圏でスタ−歌手として活躍しました。しかしながらセリ−ヌは、フランス系カナダ人としてフランス語圏のケベック州で育ったために22歳まで全く英語を話せなかった為、英語圏でその名を知られることはありませんでした。彼女はもっと多くの人達に自分の歌を聞いてほしいと心から願い、1990年にベルリッツで週5日朝9時から5時まで英語を学び、わずか2ヶ月というはやさで英語を習得しました。セリ−ヌの場合、世界の多くの人達に自分の歌を聞いてほしいというのが目的で、そのために英語を学んだのです。セリ−ヌの目的は中学生や高校生のとは大きく違うのです。よって、中学、高校で6年間勉強しても多くの日本人は英語が出来ないのです。(余談ですが、セリ−ヌは英語を手段として使っています。英語そのものを習得することが最終目的ではなく、あくまで世界の多くの人達に自分の歌を聞いてもらう為に英語が必要というだけなのです。英語をどのように生かすのかという事ですよね。)
 ここで更にドイツ人老古学者、シュリ−マンについても紹介させて頂きます。シュリ−マンもまたセリ−ヌ同様、確りとした目的意識を持って言語を習得した人なのです。シュリ−マンは22の言語を話したと言われています。何故シュリ−マンがこれだけ沢山の言語を習得したのでしょうか。シュリ−マンは遺跡を発掘する前は商人として働いていました。商いをするにはより多くの言語を話せた方が有利だと考えたのです。そして商いでひと財産を築いた後、彼が興味を示した遺跡発掘へと突き進んだのです。要するに、商人として成功するには先ず沢山の言語を習得すべきだとあくまで手段として言語を習得したのです。22ヶ国語の習得は商人として成功するという彼の目的を達成するための第一歩だったのです。

(6)英語を集中的に学んで習得しようとしていない。
 言語を習得する時にただ漠然と長い時間をかけて学ぶよりは短い期間で学ぶ方が得策ではないかと私は思います。国内集中英語研修初日の先生方の挨拶の中である先生が「インテンシブに英語を学ぶのは重要なんですねぇ」とおっしゃっていた事やスペイン語のある先生が講義の中で「1日に(スペイン語の)単語を一つ覚えて365日で365個の単語を覚えるよりは、1週間あるいは1ヶ月(?)で365個の単語を覚えた方が効果的であり良い」とおっしゃっていた事をふまえて考えると、赤ん坊が母親を含む家族と共に生活する中で物凄い量の単語や表現を覚えるのと同じように、短期間で言語を取得する事がいかに大切であるのかと言う事に気づくのではないでしょうか。実際に短期間で言語習得を成し遂げた人がいます。そこで再びセリ−ヌ・ディオンとシュリ−マンに登場してもらいましょう。セリ−ヌは22歳の時にベルリッツという英語の学校で週5日朝9時から5時まで英語を勉強し、それを2ヶ月間続けて異例の速さで英語を習得しました。シュリ−マンは4週間から6週間もあれば一つの言語を習得することが出来たと言われ、最終的に驚異の22ヶ国語の習得を達成したのです。集中的に学ぶ事がいかに大切であるのかがわかるエピソ−ドではないでしょうか。

(7)日英両言語の共通点が多くない。
 日英両言語の違いとしては、発音、文の構造、文字、文化的背景、宗教、語彙における意味分野(1対1対応、多対1対応、1対多対応、食い違い対応)等が挙げられます。日本人にとってこの対照的な両言語の違いが英語習得の大きな妨げとなって英語習得をより困難なものにしているのです。ドイツ人やスウェ−デン人、ノルウェ−人が容易に英語を習得できるのは、日本語と違ってドイツ語等が英語に近いからです。言い換えれば、ドイツ語等は英語と同じゲルマン語族だからです。

(8)今まで高めてきた英語力を維持しない、又は維持出来ない。
 タレントの早見優は、アメリカでの(長い)生活を終え、日本で生活し始めた頃から彼女の英語力が落ちないように維持することに努力した、苦労したとNHKのラジオ講座で語っていました。俳優の長塚京三は、フジテレビで放送されている「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで彼のフランス語について聞かれ、「いや、だめだね。使っていないから。」と答えていました。特に早見優の事例に注目して下さい。私は流暢に話せる帰国子女ですらその英語力を努力して維持しなければならないのかと驚いたのを覚えています。たとえ流暢に話せなくとも英語を勉強してきた私達でもその維持のための努力を怠ると、過去にフランス語を勉強してきたが今は使わない為に衰えてしまった長塚京三のように忘れてしまうのです。また、納得できる環境に恵まれず衰えてしまうのかもしれませんが、早見優のように努力して今でも流暢に英語を話せる人もいるので、矢張り本人の努力次第だと思います。

(9)英語を習得する為の時間数が十分でない。
 前途の(2)(3)(4)と関連して、英語を学ぶ時間数が少ない事もこの疑問の解答の一つにな(りう)ると思います。私が高校3年生の時に、あるクラスメ−トが私に「英語を中学と高校で6年間勉強しているのに英語が全然話せない、出来ない」とぼやいていました。ここで注目すべき事は「時間」です。つまり、英語を習得する為に必要な時間が不足しているのです。私達が母語を身につけるまでの環境は朝から晩まで寝ている時も起きている時もその母語にどっぷりと漬かっている状態なのです。母語を聞きながらあるいは触れながら生活してやがて習得していくのです。ですから、中学や高校のたった50分の授業を週に4回受けただけで英語が身につくはずがないのです。 近藤 崇(新ゼミ生3年)