8. 小学校英語教育への素朴な疑問



   

注1. 以下の疑問は平成12年3月30日に「合(ごう)塾」で、児童英語担当志望者に対して発したものに多少の加除修正を施したものです。「このような質問を受けた場合、あなたならどのように回答しますか」という疑問の出し方です。

注2. 以下の疑問に関連して、次の一書も一読に値すると思います。茂木弘道著 『小学校に英語は必要ない』(2001/4/5 初版;講談社) ¥1,500

    
その1. 「国際理解(教育)」の一環としての小学校英語教育という声を聞きますが、「国際理解(教育)」とは何でしょうか。なぜ「英語」なのでしょうか。
 
その2. 「国際理解(教育)」の前に、「自国理解(教育)」のほうがはるかに大事ではないでしょうか。それなくして何の「国際理解(教育)」なのでしょうか。きちんとした「日本人 [日本語] 教育」が出来ずに「国際人」が出来上がるのでしょうか。「国際人」と「英語」とどのような関係があるのでしょうか。

その3. 小学校から英語を教える最大のメリットは何でしょうか。日本のどれだけの小学生に、本当に英語が必要なのでしょうか。中学生からではだめなのでしょうか。

その4. 自分達でさえ英語の流暢さを欠く日本人教師が、小学校での英語の授業を担当することに、問題はないのでしょうか。あるいは、どれほどのメリットがあるのでしょうか。また、日本人が教える英語は「日本人英語」である可能性大ですが、それで本当に良いのでしょうか。発音矯正はしない (ほとんどの日本人教師には不可能か、きわめて困難な仕事のはずです) と言い、英語の楽しさを教えられればそれで良いと言いますが、日本の子供達の英語が “ broken English”でも本当に良いのでしょうか。「遊びの一環としての英語」なら、むしろ本物の発音を聞かせておいたほうが、のちのち役立つのではないでしょうか。

その5. 小学生にはもっと「日本語教育」(読み、書き、話し、聞く能力)が必要なのではないでしょうか。最近の日本人(少なくとも、私が知る大学生)の「日本語能力」の低下には、耳目を覆いたくなるものがあります。日本人には、「日本語は放っておいても出来るようになる」という思い込みがあるのではないでしょうか。文法は、民族の性格、文化の本質を知るのに大事なものです。換言すれば、日本人にとっての思考の基盤は日本語にあります。そしてそれは幼児期に形成されます。そのような大事な時期に “日本語臭の強い 英語”を教えるメリットが本当にあるのでしょうか。日本人はもっと自分達の言語の性格や特質を知ったり、日本語での適切なコミュニケーション方法を体得したりするほうが先ではないでしょうか。その意味で、外国語学習は、むしろ中学生から (現在よりも望ましい教育体制の下で) きちんと教えるほうが好いのではないでしょうか。それと、日本人に本当に英語力が必要とされるのは成人してからのはずです。知能的・精神的に成人した者が、きちんとした動機の下に英語を学ぶほうが、本当の 「国際理解」 に繋がり、「国際競争力」 に結び付くと思いませんか。

その6. 小学校英語教育は中学校 (特に私立) の入試に連動していかないでしょうか。

その7. 「英語はコミュニケーションの道具」と言う人がいますが、本当に、言語を 「道具」 と割り切ってしまって良いのでしょうか。「道具」というものは、嫌になったり、古くなったりすれば、棄てたり取り替えたりすることができますが、言語はそうはいかないのです。

その8.「低年齢で開始するほど、異言語を聞いたり、口にしたりすることに違和感がなく、模倣能力に優れ、繰り返しをいとわない」と言われることがあります。確かに、実験校での英語教育を (テレビ放映された番組で)見る限り、低学年児童は嬉々として 「英語と遊んでいる」 ようです。しかし、同じ実験校でも、高学年になると児童の顔にはむしろ苦痛の色がうかがえるようになります。それはなぜでしょうか。高学年児童は、教師・大人が考えるほど、英語(学習)を楽しいものだは思っていないからではないでしょうか。