9 崩れ行く日本の生態系


  日本のあちこちの湖や池などで、ブラックバス、ブルーギルなど外来種の魚が増殖し、反対に、フナ、コイなど在来種の魚が激減しているという。今朝の朝日新聞(平成14年1月11日、横浜版)によれば、横浜市鶴見区にある県立三ツ池公園がその再整備のために、池の一つである「上の池」の水を抜き、浅瀬にして生物の数を測定したところ、見つかった魚は、外来種のブラックバスが33匹、ブルーギル約1500匹であったのに対して、在来種のコイとドジョウがそれぞれ、わずか14匹、7匹だったという。いっそう悲しいことに、フナやクチボソなど、三ツ池に昔からいた魚は全く見つからなかったらしい。生態系を崩しているのは、もちろん、人間である。もっと言うなら、その“犯人”は、自然と共生することを大事にして来たはずの“日本人”である。
  海に目を転じると、釣り人たちのマナーの悪さには目を覆いたくなるものがある。彼らが持ち込んだ弁当の容器、ジュースの缶、釣り糸・釣り具などが投棄されて、海岸や堤防はまるで“ゴミの山”である。海鳥たちが餌を求めて、そのゴミの山をあさっているうちに釣り糸や釣り針などに体を巻きつけたり、飲み込んだりして苦しみ、少なからず命を絶つ。釣り人や海浜で遊ぶ “心無き人間(日本人)”によって海上に投棄されたビニール袋を好物の“クラゲ”と間違えて飲み込んで消化不良で死んでしまうウミガメたち。彼らの死亡原因の8割ちかくはビニール袋を飲み込んだためだという統計を見た記憶がある。
 多くの河川敷や湖畔でも同様である。便利なクルマというものが庶民のものになって以来、あちこちにキャンプ場などができ、人間の“宴”のあとに残るのは“ゴミの山”である。自分のうちや自分のクルマの中はきれいに保ちながら、そうでないところは汚くても平気という“心の醜さ”を戦後の日本人は身に着けてしまったようである。
 自然に対して畏敬・畏怖・感謝の念を抱き、自らの生き方さえも自然の中に見つけて来た日本人が、ここ半世紀で大きな変貌を遂げた。自分たちの“日本人としての感性”の成長を促してくれた貴重な自然に対して、その“仕打ち”はあまりにもむごいものである。自然の偉大さに比べれば人間など “木っ端”にも等しい存在であるのに、そのことを人間は忘れてしまったか、忘れた振りをしているようである。山川草木・海・湖・池、私たちを育んでくれた、こうした自然に対して、今のような傲慢さ、不遜さで接している限り、私たちは遠からぬ将来、必ずやその報いを受けることになるであろう。私たちの心の故郷である富士山が、その余りの汚さに世界遺産への登録から外されてしまったなどということは “日本人の恥” でなくていったい何であろう。アインシュタインは日本文明に感銘し、「我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と言ったという(清水馨八郎著『日本人が忘れてしまった「日本文明」の真価』 祥伝社、241頁)。生態系を崩す現代日本人へのアインシュタイン評を聞いてみたいものだ。