11 日本語ノート
    (伝統的用法と変化の過程にある?用法)


その1 「悲喜こもごも」
 非常勤講師として出講している慶應義塾大学の講師室に『三田評論』(2002年4月号、No.1045)が置いてあったので一部いただいて帰ったが、開いてすぐの頁に掲載されていた入試発表日の風景写真の説明文が私の目を引いた。そこには、「2月25日、自分の目で合格を確かめようと、三田キャンパスには大勢の人が集まり、抱き合って喜び合う女子学生など悲喜こもごもの顔でいっぱいであった」とあった。この場合の「悲喜こもごも」という言い方は、明らかに「不合格で悲しんでいる顔、合格して喜んでいる顔」という意味で用いられているが、これは伝統的用法であろうか。最近この用い方をする人にしばしば出会うが、「悲喜こもごも」という時の「こもごも」は「交々」と書くことからも分かるように、「喜びと悲しみが交互に[入れ代わり立ち代り]」という意味で、同一人物に使うのが伝統的用法のはずである。私が理解している意味・用法に従って上記の説明文を解釈すれば、同一人物が「不合格で悲しみ、合格で喜び」というおかしなものになる。伝統的な用法では、たとえば、「悲喜こもごもの人生」とか「亡父にとっての晩年は悲喜こもごも(の晩年と形容できるもの)であった」とかのようになるのではないか。著名な『三田評論』で使っている日本語であるから、一般的になっている用法なのかも知れないが、私には今のところ馴染めないものである。同誌編集部、あるいは同所の写真説明文を書いた方のご意見をお聞きしてみたい気がする。

その2 「腹をくくる」「知ってか知らずか」「押しも押されぬ」その他
 ずいぶん前から感じていることだが、テレビを見ていて、気になる日本語表現に出会うことが少なくない。少なからぬ人たちが「腹をくくる」という言い方をしている。「腹」をどうやって「くくる」のだろうか。「腹」は「決める」ものではなかろうか。過日も私の大学の要職に就いておられる方がその言い方をなさった。
 「言葉のプロ集団」であるNHK(日本放送協会)のアナウンサー諸氏も時に不可思議な日本語を使っておられる。毎日曜日、昼に行われる「素人のど自慢大会」のアナウンサー氏の次の日本語用法もそうである。大会の最後に鐘3つを鳴らした出場者を発表する際に、同氏は、「以上、8組の方々が合格なさいました」のような言い方をなさる(数字の8は本稿用の恣意的なものである)。その「8組」を分析すると、単独での出場者が6人、何人かで組を作っての出場者が2組である。同氏がおっしゃりたいことは、「以上、6人、2組の方々が合格なさいました」ではないのか。「2人組」「3人組」とは言うが「1人組」とは言うまい。
 NHKと言えば、昨夕(平成14年4月17日)と今朝(同年4月18日)も気になる日本語を使用していた。昨夕の場合であるが、田中・前外務大臣が「…大臣(詳細失念)にはご理解いただいています」の部分が「…はご理解しています」になっていた(と記憶する)。このような日本語が最近とみに多くなった。類例は「お求め易くなっています」「お使い易くなっています」などである。「理解する」「求めやすい」「使い易い」は自分の行為に言及して言うのなら不自然ではないが、他人の行為に言及するのなら、田中氏のように、「ご理解いただいている」とか「お求めになり易くなっています」「お使いになり易くなっています」と言うのが伝統的用法のはずである。私は国語[日本語]学者ではないが、一日本人としての語感でそれらを不自然だと感じる。
 今朝の例は、朝のテレビ番組「さくら」でのナレーター(大滝秀治氏の声?)によるナレーションに聞かれた。ナレーションの文句に「…を知ってか知らずか」とあったが、これは不自然な言い方であろう。私の語感で言えば、「知ってか知らずでか」となる。ただし、この間違いはナレーター氏の責任ではないかも知れない。脚本にあった間違いを、ナレーター氏が気づかずにそのまま読んだということも十分に考えられるからである(ただし、正そうと思えば正せるものではあったろう)。この種の語法に、「押しも押されぬ」がある。これもよくある間違いである。伝統的には「押しも押されもせぬ」である(「押すに押されぬ」も良いであろう)。
 言葉が変化することなど、私は百も承知である。しかし、言葉を職業として用いる人たちには伝統的、一般的なものを代表例として使用していただきたいと思う。
 NHKに言及したのは、私が多くの番組を同局で見ているからであり、同局のアナウンサー諸氏を日本語の美しさを代表するプロ集団だと思いたいからである。上記の指摘の中に私の誤解があれば、訂正していただきたいし、私に正当性があれば、NHKに訂正していただきたい。
【後日記1】平成14年6月25日(火)朝8時7分頃、海外ニュース(「パイでできた家」)を伝えていた男性アナウンサーが「知ってか知らずか」と言っていた。これも「知ってか知らずでか」が伝統的用法のはずである。
【後日記2】平成14年10月4日(金)朝6時15分頃、「列島ニュース」を伝えていた【後日記1】に出て来る男性アナウンサーが、ペットが受け継いだ飼い主の遺産によって運営されている犬猫の家を紹介したニュースの中で、幸せな動物達に言及して、やはり「知ってか知らずか」と言っていた。同アナウンサーは「知ってか知らずでか」という慣用句を「知ってか知らずか」と覚え込んだのであろう。それにしてもNHK関係者はそのことに気付かないのだろうか。
【後日記3】平成15年3月15日(土) の「朝日新聞」(朝刊;横浜版)に、横浜市西区の帷子(かたびら)川にその姿を現すアゴヒゲアザラシの“タマちゃん”の記事が出ていたが、その見出しに「騒動知ってか知らずかひょっこり」とあった。

◆以下に、本稿を読んだ山岸ゼミ生の感想文があるので転載する【転載にあたっては受講生の了解を得た】。

投稿時間:02/04/19(Fri) 00:59
投稿者名:竹田 望
タイトル:山岸先生へ
 こんばんは。現ゼミ3年の竹田 望です。早速「折々の記」、読ませて頂きました。アナウンサーと言えば、さまざまな知識を持ち、言葉を巧みに操ることが仕事の方々といった印象を持っていました。しかし、NHKのアナウンサーまでもが完璧ではないというのには、驚かされました。 今日、ある授業のガイダンスでアナウンサーの仕事についてのビデオを20分程見せて頂きました。1991〜5年くらいの少し古めのビデオでしたのですが、何百倍、何千倍といった中から選ばれた新人アナウンサーのトレーニング姿は大変厳しく、高度なものに思えました。テレビ番組でもこういった特集は時々放送されていますよね。そのようなトレーニングを通しても、やはり完璧に言葉を使う力を身につけることは大変難しいことなのですね。以前、先生がおっしゃられたように、ただ外国に行って言葉を話すことが出来るようになっても、それは猿真似にしかならず、言葉の真髄を学ばなくては知ることの出来ないものが何倍もあるのだと言う言葉が頭を過ぎりました。 また、話は変わりますが、今NHKの朝の連続テレビ小説「さくら」は、私達にとって勉強になる事がたくさんあるので、学校もありますが、極力見ようと思っています。私の母はもう何十年も前から、「8時15分は連ドラ」と言うように朝は1チャンネルを独占しています。アナウンサーの方々には、最新の情報を全国民に言葉で伝える役割として、そして言葉を発するお手本として、私達に正確な日本語を使って頂きたいです。 先生の「折々の記」は、時の情報と先生の視点が書かれていらっしゃるので読んでいてとても興味をそそられます。もっと以前の物も読んでみようと思います。竹田 望

投稿時間:02/04/19(Fri) 19:08
投稿者名:久本真琴
タイトル:Re: 折々の記「気になる日本語」を必読のこと
 こんばんは。卒業生の久本です。私も折々の記、拝読いたしました。NHKのアナウンサーでさえも正しい日本語を使うことができなくなってきているのですね。私はとても悲しくなりました。先生のおっしゃるように、私も言葉が変化するのは仕方のないことであると思います。しかし、正しい日本語を使える人が少ないからこそ、アナウンサーの方には正しい日本語、美しい日本語を使っていただきたいと思います。私もいつか山岸先生のように、美しい日本語が使えるように、これからも先生のホームページからたくさんのことを吸収していきたいと思います。久本真琴 (2001年度 卒業生)

投稿時間:02/04/21(Sun) 14:51
投稿者名:佐藤 光恵
タイトル:山岸先生へ
 山岸先生こんにちは。現ゼミ生の佐藤です。返信が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。「折々の記」拝見させていただきました。改めて日本語の難しさを痛感したと同時に、日本語の奥の深さを感じました。 「・・・を知ってか知らずか」と言った表現、私自身も間違えて覚えて使っていました。正しくは「・・・を知ってか知らずでか」なのですね。パソコンで前記のものをを入力したのですが、正しく変換されませんでした。これが何よりも間違っている証拠の1つですね。 耳で入ってくる情報はかなり多いものだと思うので、アナウンサーなど言葉で何かを伝える職業の人たちには、美しい日本語を話してもらいたいと思いました。現ゼミ生 3年佐藤光恵

投稿時間:02/04/21(Sun) 18:49
投稿者名:大山 はるか
タイトル:山岸先生へ
 山岸先生、こんばんは。折々の記を拝見させていただきました。「知ってか知らずでか」や「押しも押されもせぬ」が本当の言い方だということ恥ずかしながら初めて知りました。 私は最近「〜のほう」の使い方に敏感になっています。昨日ある有名ホテルの説明会に行ってきたのですが、間違えた「〜ほう」を多用していました。日本人としてこのような日本語の使い方をしていると考えると恥しいと思います。間違えた日本語を覚えているのであれば、どんどん正しいものを学んでいきたい思います。今後とも折々の記などで私たちに正しい日本語をご教授いただけますよう宜しくお願い致します。折々の記にて幾つかの日本語の例を挙げていただき有り難う御座いました。大山 はるか

投稿時間:02/04/23(Tue) 00:59
投稿者名:下田麻理亜
タイトル:山岸先生へ
 こんばんは。投稿が遅くなってしまいまして、大変申し訳ありません。ゼミでのご指導ありがとうございました。来週、再来週と連休が重なり、お休みになってしまい残念ですが、その分頑張って、精進してまいりたいと思います。折々の記、拝見いたしました。NHKのアナウンサーでさえも、不自然な日本語を話されていることに、大変驚きました。おかしなことに気づかず、そのまま使用されていることは、残念でありますし、大きな問題です。最近、テレビを見ていてとても気になることは、話していることが画面に文字として表されるのですが、度々間違っている時があります。それは、「こんにちは」が「こんにちわ」となっていることです。多くのひとに、日本語が乱れていることに気づき、正しく話すよう意識をしてほしいと願っております。私自身もきれいな日本語を使えることができるよう日々、心がけ、努力をしていきたいと思います。下田麻理亜(4年)

投稿時間:02/04/23(Tue) 10:20
投稿者名:大池 智子
タイトル:山岸先生へ
 山岸先生、おはようございます。「折々の記」を拝読致しました。「言葉のプロ集団」であるNHKのアナウンサーでさえも、そのような間違いをしていたと知り驚きました。日々の生活の中で、何をお手本にして日本語を勉強していけば良いのか、わからなくなってしまいます。正しい日本語を身につけるには、もはや先生の掲示板しかないように思えてきます。 私もつい先日、ある企業の説明会に参加して、びっくりすることがありました。説明会が始まると、人事の方が「それではまず、ビデオの方拝見して下さい。」とおっしゃったのです。その方はその発言について、「あ、間違えた!」と言って訂正するようなこともなく、ビデオの準備をして去って行かれました。本当に間違えに気づかなかったのか、そうでなければ、学生をバカにしているとしか思えないほどの間違いだと感じました。美しい日本語は、ちょっとの努力ですぐに身につくものではないので、日ごろから心掛けて少しずつ少しずつ改善していく必要があるのだと思います。私たちには「掲示板」という場所で、それをするための場所がきちんと用意されています。とても幸せなことだと改めて感じ、そのような場所を与えて下さった山岸先生に深く感謝致します。大池 智子(2001年度ゼミ生 四年)

投稿時間:02/05/07(Tue) 19:26
投稿者名:近藤 崇
タイトル:山岸先生へ
 こんにちは。現ゼミ生の近藤です。4月19日に折々の記を拝読いたしました。今まで何気なく使っていた表現が実は間違っていたという事を知り驚いたのと同時に大変恥ずかしく思いました。山岸先生のご指摘がなければ、おそらく間違いに気づかず「押しも押されぬ」と何の疑問も持たずに使っていた事でしょう。もっと注意深く言葉に接しなければならないし、もっと語感を磨かなくてはならないと思い、反省いたしました。(ちなみに、この文を今ワードで打っておりますが、誤用語として緑色の波線が出てしまいました。私の語感はこのワードのソフトよりも劣っているのですね(笑) つくづく自分が情けないと痛感したしました。)「押しも押されぬ」に関して、誤用の具体例がございましたので、ご紹介させていただきます。敏腕プロデューサーのデビット・フォスター(私の一番好きなプロデューサー)が今まで手掛けてきたアーティストとその曲を集めてひとつのアルバムを作り、4月17日(私の誕生日)にその(コンピレーション)アルバムが発売されました。そのアルバムの宣伝のために用意されたパンフレットの中に「今や押しも押されぬ大スターとなったセリーヌ・ディオン・・・」という文がありました。洋楽の宣伝文句に「今や押しも押されぬ・・・」というのが多々あり、それだけ多くの人がこのフレーズを間違って使っているのですね。また、私のように客の多くもこの誤用に全く気づかないのですね。 先日、先生に相談に乗っていただいた時にも「押しも押されぬ」の話題になりましたね。その時にそのパンフレットをお見せしたかったのですが、残念な事に、家にありましたのでお見せできませんでした。 山岸先生にお目に掛かったことで、日本語の誤用に気づかされ、正しい日本語を使う事の大切さや美しい日本語を使い日本語のレベルを上げることで英語レベルもそれに比例して上がるなど多くのことを学びました。特に山岸ゼミ生となってからは言葉に対してより注意深く接するようになりました。これからも沢山書いて間違えて、山岸先生に添削していただいて、日本語運用能力と語感を養い、精進してまいりたいと思います。近藤