X.“寅さん”に見る日本文化性
―日本的優しさの原点
“寅さん”追悼
「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」
I was born and brought up in Shibamata, Katsushika and I was blessed at
Taishakuten Temple. Kuruma is my family name and my given name is Torajiro.
But people usually just call me Tora, Tora the street peddler. 男はつらいよ 主題歌 - YouTube
世界映画史上に類を見ない連続ヒット作と言えば、渥美清演じる我らが“寅さん”である。そのギネスブックものの「寅さんシリーズ」も、ヨーロッパ社会ではほとんど受け入れられなかった。というのも、1990年(平成2年)、ベルリン国際映画祭に1作品として出品しようとしたが、選考委員会の段階で門前払いを食ったからである。こんな作品をなぜ日本人が喜ぶのか分からないというのが、その一大理由だったようである。このことがあったあと、私は数人の外国人(英米人・カナダ人)に、“寅さん”が国際映画祭で拒絶されたのはなぜだろうかと尋ねてみた。
日本に長く生活する外国人たちであるから、“寅さん”の人気ぶりはよく承知しているが、その彼らが分析してくれた「寅さん評」は次のようなものであった。こんな無教養で、わがままで、(他人への要求が過大で、勝手に出て行っては、勝手に帰って来るような)大人としての成熟度が低い、“幼児”のような男に、なぜ人気が集まるのか分からないという外国人が多いかも知れない。妹の“さくら”や周囲の者たちは、わがままな“寅さん”に、なぜもっと腹を立てないのか、甘やかし過ぎではないか、そう思う外国人も多いであろう。差別表現が多い、人間関係がドロドロしていて嫌な感じがする、そんな評価をする外国人も多いかも知れない、等々であった。
付言しておきたいが、私が質問した外国人たちは、そのいずれもが“寅さん”のファンである。その中の一人は、「人を身なりや職業で判断しない“寅さん”のおおらかさが好きだ」と言った。
日本人にとっての“寅さん”
外国人の多くが何と言おうとも、「寅さんシリーズ」が世界映画史上に類を見ない連続ヒットを飛ばし、ギネスブック入りを果たしているということは、日本人がそれだけ“寅さん”が好きなのだということを証明している。逆から言えば、外国人にとって、“寅さん”を理解することなく、日本と日本人を十分に理解することは出来ないと言っても過言ではない。それでは、なぜ日本人は“寅さん”が好きなのであろうか。以下に、個人的な見解を中心に、“寅さん”の魅力を分析してみよう。
@渥美清を中心とする、出演者のイメージの力・彼らの演技力。
故・笠智衆、故・森川信、倍賞千恵子、前田吟、三崎千恵子、故・太宰久雄、下条正巳、佐藤蛾次郎、等々、の俳優としての優れた演技カ・風貌・人柄といったものが、主人公の“寅さん”を取り巻いている。渥美清については、映画評論家・佐藤忠男氏が、「無知で憎めない傍若無人の庶民を演じさせたら、渥美清がならぶ者のないうまみを発揮する」(『みんなの寅さん』朝日文庫、28頁)と言っておられる通りであり、その点は大方の認めるところであろう。
A山田洋次の脚本と監督の優秀性。
国民的映画の生みの親、国民的大監督、こうした形容のふさわしい監督であるというのが、素人としての私の山田監督評である。「寅さんシリーズ」は言うに及ばず、『幸福の黄色いハンカチ』『家族』『故郷』『同胞』等々、いずれも優れた日本的作品である。
B葛飾柴又という立地条件の良さ。
東京にしては少々ひなびた感じはするが、かと言ってまったくの田舎でもない庶民の町・葛飾柴又は、観客に伝統的な「地域社会」の典型を見せてくれる。そこが帝釈天(題教寺)の門前町と設定されていることが、仏教的影響を色濃く受けている日本人には安心感が得られるし、近くに江戸川が流れていることも、風情に花を添えている。地域社会としての柴又の良さについては、佐藤氏が前掲書で次のように書いておられる(204頁)。
葛飾柴又はいまや失われつつある日本の良き古き地域社会のシンボルのような地位を確立しているし、山田洋次をはじめとするスタッフと俳優たちは、たとえ現実の葛飾柴又がどう変わろうと、そのシンポル性を断乎として保守すべく覚悟を固めているように思われる。そこが良き地域社会であるゆえんは、笠智衆の御前様のような老人が権威をもって尊敬されていること、佐藤蛾次郎の源公のように、他のところでは落ちこぼれとして無視されそうな人物が、それなりに所を得て愉快にやっていることなどで明らかである。まあ、寅さんがへマをするとたちまち噂がひろがるらしいといううっとうしさはあるにしても、老人やちょっと能力不足の人物が他の多様な住民たちと和気あいあいとやってゆけることこそ、良き地域社会であることのなによりの条件であると言わなければならない。老若男女、インテリも肉体労働者も、病人も身体障害者も、定住者も放浪者も、すべてを受け容れることができるのが良き地域社会である。 |
C“寅さん”の言動に共感する国民的風土、民族性がある。
これがもっとも大きな理由となっていると思う。いくら上記理由で優れていても、“寅さん”の言動を受け入れ、共感する風土がなければ、このシリーズは決して長続きしない。おそらく、観客はこのシリーズの中に、日本人が忘れつつあるものへの郷愁、とりわけ
“情の世界”を感じているのであろう。そして、“寅さん”を中心とする人々(庶民)に心の故郷を求めているのであろう。換言すれば、日本人の心の奥底に存在する非常に“優しい”、きわめて人間的な感情が刺激されるのだと思う。「寅さんシリーズ」のキーワードとしての優しさに関してT.Buruma が A Japanese Mirror: Heroes and Villains of Japanese Culture(Penguin Books, '85; p. 211)で次のように述べている。
The key word here is yasashii (gentle, meek, kindly), that term so often used by Japanese to describe their mothers, as well as themselves as a nation. The British are proud of their breeding, the French of their culture and the Japanese of being yasashii. The director of the Tora-san films often explains in interviews that his aim is to show the‘yasashii quality of the Japanese people'. One of the central myths of Tora-san's world is that everybody is kind, meek and gentle. (キーワードは“優しい”(gentle, meek, kindly に当たる)であり、この言葉は日本人が母親を説明する時によく用いるものであるが、国民としての自分たちに言及する場合にも用いる。イギリス人は自分たちの育ちを、フランス人は自分たちの文化を、それぞれ誇りとするが、日本人は自分たちが“優しい”国民であることを誇りとする。寅さんシリーズの監督はいろいろなインタビユーの中で、自分のねらいは日本人の“優しい”性質を描くことにあると言っている。寅さんの世界の中心的神話の1つは、誰もが親切で、温順で、寛大であることだ。) |
安全を金やピストルのカに頼らなければならないアメリカ、すぐに訴訟に持ち込みたがる欧米、夫婦の愛情でさえ“契約”の内に入る、そういった諸外国の真似をして来たあとで、“寅さん”を温かく迎えてくれる
“さくらとその夫・博” “おいちゃん(竜造)と“おばちゃん(つね)”、それにいつ帰っても鍵も掛けずにいてくれる開けっ広げの
“とらや”を見た時、日本人庶民は、自分たちが、戦後目まぐるしい社会変化の中に置き忘れて来た、自分たちの“心の原点”を発見するのである。
つまり、戦後、日本人は働け働け、欧米に追い着け追い越せという、脅迫観念にも似た気持ちを抱き、自国の後進性を払拭するための努力をして来たが、世界の“経済大国”となった今、日本人は何か、空しいものを感じて来た。そこで、“寅さん”から、「キミたちは貧しいなあ」と言われると、無性にうれしくなってしまう。真理を突かれたからである。ちなみに、日本人は“経済大国”という言葉が好きではない。旧聞に属するが、1991(平成3)年、衆議院予算委員会(湾岸問題集中審議)の席上、社会党議員・島崎譲氏は、戦後の日本が経済大国になったことに言及して、「経済大国、嫌な言葉ですが・・・・・・」と言った。
“給料運搬人”に成り下がった感のある戦後の日本の男たちも、そういう自分たちの境遇を心のどこかで嘆いているのだと思う。だからこそ、“寅さん”の「亭主が女房に月給袋を渡す・・・・・・いいねえ」(『夜霧にむせぶ寅次郎』より)という言葉を聞くと、しんみりとするのである。また、戦後、“西洋的優しさ”を要求されて来た日本の男たちは、その実現の難しさに気付き始めた今、かつての日本の男たちの“強がり”に憧れているのではあるまいか。「思いは言葉にして出す」という“始めに言葉ありきの世界”に影響された日本の男たちは、「あなたを愛しています」と言ったまでは良いが、相手から拒絶された場合の男の“失恋の美学”を忘れているために、我が身をどう処理して良いか分からない。そこで“寅さん”の叱咤に救いを見出す。「何も言わない、眼で言うね、お前のこと愛してるよ。すると向こうも眼で答える。悪いけどあなた好きじゃないの。そこでこっちも眼で答える。分かりました、それじゃいつまでもお幸せに。そして背中を向けて黙って去る。それが日本の男のやり方よ」(『寅次郎春の夢』より)、「女に振られたときには、じっと耐えてひと言もロをきかずにだまってうしろ姿を見せて去るのが、それが男というもんじゃないか」(『寅次郎わが道をゆく』より)、こういう男の“美学”に現代の男たちは強い郷愁を覚えるのだと、私は思う。
日本人の“甘え”と “優しさ”について
“寅さん”とその周辺の人々は、しょっちゅう“寅さん”と喧嘩をするが、いつも“寅さん”には優しい。“寅さん”がいつ“旅”から帰って来ても良いように、二階の部屋はいつも空けたたままにしておく。このことが、“寅さん”には無性にうれしい。身内に対する、徹底的な“甘え”である。「でもさ、お前の親爺が死んだ時に、夢枕に出たんだぜ。俺が何か用かって言ったらな、寅とさくらのことをよろしく頼む、特に寅の奴は生まれつき馬鹿だから俺ア心配でしかたねえ・・・・・・。哀しそうにそう言ってさ、すっと消えちまったんだよ、眼がさめたら汗びっしょりよ。」(『寅次郎恋やつれ』より) “寅さん”に対する“おいちゃん”のこの身内の優しさが、“寅さん”にとってはもちろんのこと、それを聞く観客には、「自分のことを心配してくれる人間」のいることの素晴らしさとなって実感されるのである。
“寅さん”のほうも、こうした、“自分を甘えさせてくれる身内”がいることを十分に自覚しているから、旅の空で出会う「よるべなき人」には、困ったらいつでも、東京・葛飾柴又の“とらや”に行くように勧める。自分が「よるべなき人」の面倒を見るわけではない。面倒を見るのは“とらや”の人々である。“寅さん”はそれを百も承知で、他人に良くする。旅先で、葬儀に出会うと“寅さん”は言う。「旅の者ですが、こうして通りかかったのも何かの縁、お線香の1本でもあげさせていただけますか。」(『浪花の恋の寅次郎』より) こういう“寅さん”の何気ない一言が、“袖振り合うも他生の縁”と言ったかつての優しい日本人たちのことを観客たちに思い起こさせるのである。
旅の空で出会う人々の中に、シリーズごとの“マドンナ”がいる。彼女たちは、それぞれ自立して生きている立派な大人たちである。フーテンの“寅さん”のカなど借りなくても十分にやっていける女性たちばかりである。しかし、“マドンナ”たちのほとんどは、“寅さん”にあるものを求めている。それは徴底的な“優しさ”である。掛け値のない、本音だけの“寅さん”に優しい言葉を掛けてもらうと、女性たちは、また力強く生きて行ける勇気が湧くのである。“寅さん”の「俺には、むずかしいことは、よく分かんねえけどもね、あんた幸せになってくれればいいと思っているよ」(『葛飾立志伝』より)という言葉がその1例である。「ほら、いい女がいるとするだろう。男がその女を見て、ああ、この女大事にしたいなあ。そう思うだろう、それが愛じゃねえのか」(『柴又より愛をこめて』より) こういう言葉を聞くと、男の観客でさえ首肯せざるを得ないものを感じるのである。
“寅さん”は日本の国民的財産
現実の世界に“寅さん”のような身内がいたら、さぞや困る人が多いであろう。もちろん、“寅さん”は映画のための創作である。それが人気を持ったあたりについては、映画評論家の吉村英夫氏が次のように書いておられる(『日本映画ベスト150』文春文庫、345−6頁)。
定着者の日常に、突如放浪者の非日常が飛び込んでくる。画面には日常と非日常が葛藤する。ここに『男はつらいよ』の喜劇としての類まれな楽しさがある。非日常を生きる渥美清の演技はデフォルメ(誇張)であり、日常を生きる倍賞千恵子の演技はリアリズム(写実)である。デフォルメの渥美がつっこみ、リアリズムの倍賞が受けて立つ時、一見アンバランスな画面はみごとな調和を産みだし、おかしげな、しかし快く温かい雰囲気があふれる。限りない母性のさくらに見守られて、落ちこぼれの放蕩児である寅はやっと安堵し、心おきなく甘えることができる。故郷と母性を持てなくなってしまった現代に生きる観客も、かろうじてスクリーンの中に失われたそれらを見出して心やすらぐ。 |
まさにその通りであろう。吉村氏が指摘している“さくら”の“母性”という点も見逃せない。この点に悶しては、前出の佐藤氏も次のように貴重な指摘をしておられる(前掲書、193−4頁)。
日本人の庶民感覚では、志を立てた男が自分の努力を温かく見守ってくれている存在として第一に意識するのは母親だと民俗学者の柳田国男は言っているが、その意味でさくらは寅の母代りであると言える。もっとも柳田国男は『妹のカ』という論文で、古くから日本では、妹が兄に対して守護的な呪カを発揮すると考えられていたとも述べている。たしかにお兄ちゃんの幸福を祈る可憐な妹というのは日本人の胸をしめつける神話的なイメージである。少女の純真さが男の心の支えになるという意味では、これは西洋の貴婦人崇拝にあたるものだったかもしれない。 |
妹のさくらは、決して“寅さん”をあきらめない。半年ぶりに柴又に帰って来た“寅さん”が自分のわがままで、また家を出て行く。すると、さくらは“寅さん”をなだめ、自分たちは後悔しているのだと言いながら、電話でこう説得する。「(後悔しているのは)私たちみんなよ。本当よ、お兄ちゃんはね、嘘をついたり人をだましたりしたことなんか一度だってないんだもの。誰にもうしろ指なんかさされることなんかないのよ。博さんもね、今ここにいるんだけど、言ってたわよ、総理大臣が偉くてお兄ちゃんが偉くないなんて誰が決めたんだって。同じ人間じゃないかって。だから、お願い、ね、帰って来て。」(『寅次郎夕焼け小焼け』より) さくらの電話はさらに続く。そうして、最後には“寅さん”が答える。「そうか、お前がそこまで言うなら、もう一ぺん帰るか……その代り遅くなるぞ、俺今一杯やってるから……金か?バカ、余計な心配するな、それ位持ってるよ、じゃあな、……うん……うん……」 さくらは、“寅さん”の“面子”をつぶずことがない。徹底的に相手を立て、勝手な“寅さん”の酒代まで心配してやる。これはまさに“母代り”としての妹さくらの言動である。このあたりに関連して前掲・佐藤氏の次の指摘は鋭い(15−6頁)。
寅は粗暴だが、仁義をわきまえた男だ。なにしろ正統派の渡世人をもって自ら任じている“男”だから、他人に対しては、あやまるべきところはきちんとあやまる作法を心得ている。しかし肉親に対しては、いちいちきちんとわびるなんて、水くさくて却っていけないと思うのが彼の流儀なのだ。わびるということはケジメをつけることであり、他人同士であればあるほどケジメはきちんとしていないと秩序は成り立たない。しかし、幼児と母親のように最も密接な間柄では、限りなく甘え許し合うものでケジメはほとんど消える。そこではケジメのない関係であることが相互に嬉しくてたまらない。 寅は妹のさくらにも、叔父さん夫婦にも、そういうケジメのないつきあいを求める。それこそがなによりの親愛のしるしだと思っている。しかし彼らは寅よりはよほど近代人だから、親しい仲にもある程度のケジメを求める。その二つの違った考え方が衝突しそうになるとき、寅は、これ以上ケジメを要求するのは止めてくれ! それじゃあ“他人”になってしまうじゃないか、という思いをこめて、「それを言ったらおしまいよ」と叫ぶのだ。寅次郎はまるで幼児だ。しかしそんな幼児性を心のふるさととして懐かしむ気持ちがわれわれにある以上、そんな彼に笑いながら微妙な親近感を持ってしまう。しかも寅は、幼児のようにただダダをこねているわけではない。「それを言ったら、おしまいよ」という、ちゃんとした七五調の韻を踏んだ味な言葉で、対立点をきれいなアイマイさでボカすのだ。(中略)そう、確かに彼には、甘え方の洗練度の高さがあるのだ。寅次郎が、笑われながらも決して馬鹿にされないゆえんはそこにあるのだ。 |
日本人に観察される“甘え”は、英米人からは「他への依存」(dependence)と解釈されがちであり、当人の「(意志・性格の)弱さ」と関係付けられる。しかし、私は思う。“甘え”とは人間の心奥に潜む本源的欲求であり、それを人間的なものとして正当に位置付けられない、あるいは価値付けられない彼らこそ憐憫を買うのではないか、と。“寅さん”はまぎれもなく日本の国民的財産である。
【本稿は、小著『日英言語文化論考』(こびあん書房、1995年初版)第15章に一部加除修正を施したものである】
付記:あるHPの掲示板に次(赤字)のような書き込みがありましたが、私は渥美さんのご遺族は、そのようなことで、同辞典とその主幹である私を告訴なさることはないと信じます(「渥美さん」を「渥美清さん」のことだと認めた上で明言します)。天国の渥美さん、すなわち、我らが“寅さん”は私の真意を理解してくれて、こう言って味方してくれるでしょう。「“告訴”? なんだい、それ? 俺の四角い顔、これが俺のトレードマークよ。日本人ならだれだってそんなこと知ってらあな。俺には“告訴”なんて難しいことは分かんないけどさ、日本のみんなが俺の四角い顔を見て、それで少しでも幸せな気持ちになってくれりゃあ、それこそ本望ってものさ。役者冥利に尽きるね。日本人が“告訴”なんて難しいこと言い出しちゃあおしまいよ。」 ご遺族の方たちも、私による上掲の「レクイエム的論考」をご覧になれば、なおさら、私の真意をご理解下さるものと思います。日本的優しさの原点、それが我らが“寅さん”なのですから。
ニューアンカー和英辞典に例文に以下のようなものがありました。渥美清の遺族に告訴されても仕方の無いような例文です。 |
「寅さん」に関する備忘録
「渥美清」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A5%E7%BE%8E%E6%B8%85
「渥美清」 http://www.asahi-net.or.jp/~md5s-kzo/atumi.html
「渥美清(アツミキヨシ)出演」 http://movie.goo.ne.jp/cast/85879/
「渥美清&寅さん」 http://www.h3.dion.ne.jp/~gonohon/atumi.htm
「渥美清こもろ寅さん会館」 http://www.kanko.komoro.org/mido/torasan.html
「渥美清フィルモグラフィー」 http://www.shochiku.co.jp/web-event/atsumi/filmo.html
「渥美清フィルモグラフィー」 http://www.asahi-net.or.jp/~md5s-kzo/atumi.html
「渥美清フィルモグラフィー」 http://www.fjmovie.com/nikoniko/atsumi/filmo.html
「寅さん48景」 http://homepage2.nifty.com/downtown-boy/torasan/torasan1-6.html
「寅さん随想」 http://www.cosmosmall.net/works/essay/tora.html
「寅さんのいる江戸川」 http://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/torajiro/scene01/01.htm
「寅さんが歩いた風景」 http://www.ne.jp/asahi/oda/kaze/atorasan.htm
「男はつらいよ」 http://www.shochiku.co.jp/web-event/atsumi/
「私たちの寅さん」 @http://jicr.roukyou.gr.jp/candc/torasan.htm; Ahttp://jicr.roukyou.gr.jp/candc/torasan2.htm
「男はつらいよ 幻となった49作目のストーリー」 http://diary.jp.aol.com/applet/bttzybyde/200406/archive
「男はつらいよ 覚書ノート」 http://yoshikawa.balibagus.com/lang-jap/otokono-to.htm
「車寅次郎業績集」 http://www2b.biglobe.ne.jp/~kondo/tora/tora7.htm
「今週のスター 渥美清」 http://cinema-magazine.com/new_starlog/star107.htm
「故渥美清さん七回追悼献花式」 http://shibamata.jp/topics/news05-1.htm
「それを言っちゃあお終いよ」 http://www.gulf.or.jp/~houki/essay/zatubunn/lion/torasann.html