V 日英語比較研究基本文献
           ―和書・単行本     


英和、和英辞典と日英語比較
 最近のたいていの英和辞典、そして多くの和英辞典には、それぞれ「日英語比較」あるいはそれに類する名の解説欄が設けてあり、英語教授に携わる者すべての貴重な情報源となってくれている。私が英語を学び始めた昭和32年の頃の英和辞典や和英辞典と比較すると、まさに隔世の感を覚える。当時は、辞書編纂者にとってさえ、入手できる英語(文化)情報が僅少であったから、日英語比較を取り扱った、十分に信頼できる辞典など編纂されようがなかった。第一、そのころは「日英語比較」とか「対照言語学的研究」などという概念さえ、現在と比較して、まことに希薄であった。
 ただし、最近の辞典でも、「日英語比較」欄で取り扱っているものの多くは“語彙比較”であり、音声・形態・文法・意味・発想・表現・文化・社会に関する体系的比較研究の成果はまださほど盛られていないのが実状である(音声に関して学習英和辞典が取り扱っていることも、そのほとんどは「発音記号表」と銘打った簡単な表、あるいは「発音記号の読み方と発音の仕方」と銘打った母音と子音を中心とした簡単な解説が付されている程度である)。
 たとえば、“back”と「腰」、“bake”と「焼く」、“cook”と「料理する」、“rice”と「米」、“unbalance”と「アンバランス」などの語レベルでの日英語差に関しては、たいていの英和辞典が詳細に教えてくれる。また発音に朗しても、上述した通り、母音・子音を中心として、綴り字と発音との関係を概説したものが大勢を占めている(もっとも、学習英和辞典なら、それで十分と言えるであろう)。               
 ところが、これが文章レベルでの日英比較となると、ほとんど、もしくはあまり多くを教えてくれない。たとえば、ある英和辞典の“obedient”には用例として、That boy is obedient to his teacher.(あの少年ほ先生の言うことをよく聞く)という文が収録してあるが、この文が英語、とりわけアメリカ英語では、あまり良いイメージを持たず、むしろ“that boy”なる人物は“独立心” を欠いていると理解される恐れがあることに関しては何ら教えてくれていない。この場合は、形容詞 “obedient”が中心となって、全体がマイナスイメージを作り出しているのである。また、My (younger) brother misbehaved and was sent to his room.(弟は悪いことをしたので、自分の部屋に閉じ込められてしまった)というような文が英和辞典に収録してあっても、それが “非日本的”なものであることをきちんと教えてくれる英和辞典はほとんどない。こういう用例を収録する場合ほ、日本的にはむしろ、 My (younger)brother misbehaved and was locked outside the house.(弟ほ悪いことをしたので家から締め出されてしまった)のように言うということが何らかの形で説明してあるとよい。要するに、日英語間における“自由”の捉え方と“懲罰方式”の違いがそれらの文に反映しているのである。この種の用例と解説が多く収録してあれば、学習者たちは異文化に対して興味を持ち始めるのみならず、異文化というものに対して、いっそう謙虚になるであろう。それに、異文化の学習をする中で、日本人は自分たちの英語がどのように英語母語話者たちの耳に響くかという点も考慮に入れておく必要がある。なぜなら、日本で生まれ育った日本人は、日本語でものを考え、その考えを英語に直訳する強い傾向を有するからである。それを避けるために、英和辞典や和英辞典は、文レベルにおいても、最低限必要な日英語の種々相に関する異同については適切に解説しておくべきであろう。
 英和、和英辞典に関しては、そういう実状であるので、英語教師はもう少し読書範囲を広くして、上述したような、音声・形態・文法等々に関する体系的比較研究を行った図書に目を通し、その成果を日々の英語教育に役立てていく必要がある。効果的な英語教育の基盤としての日英語対照研究を総覧しようという、教師の旺盛な研究意欲があればあるほど、自分自身に自信が湧くであろうし、生徒・学生たちの目にも「頼もしい」教師と映るであろう(もちろん、中・高校生に徽に入り細を穿った日英語比較などする必要はない)。

日英語対照研究の基本的図書
 個人的には、高校時代、英語部に所属していた頃に熟読したのが楳垣実著『バラとさくら−日英比較語学入門』(大修館書店、1961)であった。エッセイ風の語り口で、当時の私にもほとんど理解できた。同書が私を日英語比較研究に導いたと言っても過言ではない。英国の風土・国民性などに関しても多くを教えてもらった。同書はその後、『日英比較語学入門』(1966)と改名されて、今日では古典的名著のひとつとして評価されている。
 大学入学後熟読したのは『日英語の比較』(研究社出版、現代英語教育講座7、1965)であった。同書によって、日英両語の語彙 ・表現 ・文法の違いを概観することができた。同書も当時の私には親しみやすかった。大学院生の頃に読んだものでは、喜多史郎著『日英語比較論』(修光社、1968)が英語の表現と日本語の表現を多面的に比較していて興味深く思われた(喜多氏はその4年後、『日英動詞比較論』を同じ出版社から上梓されたが、同書も英語動詞の使い方と働かせ方とを教えてくれた一書であった)。大学教員になってからの私が多くを学んだ和書にほ、最所フミ著『英語と日本語―発想と表現の仕較』(研究杜出版、1975)と長谷川潔著『日本語と英語―その発想と表現』(サイマル出版会、1974)とがある。前者は辞書にない表現を取り上げて、日英語の根本的理解に迫ろうというもので、最所氏の英語洞察力をよく示す力作である。後者は日本文学作品の英訳と原作とを比較材料にして、日英語の表現方法の違いを、発想の違いに関連づけながら考察したもので、同書からは文学作品から抽出した表現を比較する際の方法論を学ぶことができた。また、楳垣氏による『日英比較表現論』(大修館書店、1975)も英語教育の立場から、日英語対照研究を行っており、大学教員になって4、5年目だった当時の私には、文化と言語との関係について考えさせられる一書であった。以上が、英語学専攻生としての私が大学教員になった数年後までに熟読した日英語対照研究関連の基本的図書である。

日英語対照研究書
 以上の書籍に次いで、もう少し系統的にまとめられた研究書で、入手しやすい和書に言及しておきたい。それには、まず国広哲弥編集『日英語比較講座』(全5巻、大修館書店、1980−82)を挙げなくてはなるまい。第1巻は『音声と形態』(今井邦彦、橋本萬太郎ほか著)であり、日英語の音声比較に始まって、音韻体系の比較、アクセント・イントネーションの比較、形態論的比較、語構成の比較が丁寧に、しかも分かりやすく解説されている。第2巻は『文法』(黒田成幸,奥津敬一郎ほか著)であり、文構造の比較に始まって、動詞文型の比較、テンス・アスペクトの比較、副詞の比較、名詞修飾部の比較というように、おもに狭義の文法、すなわち統語論を扱っている。第3巻は『意味と語彙』(国広哲弥、山田進ほか箸)であり、語の横造の比較から始まって、機能語の意味の比較、語義の比較、語義の文化面比較、外来語と原語の意味、と続く。いずれも興味深く、特に語義の文化面比較と外来語と原語の意味に関する解説は、英語教師がそのまま適宜、折りを見て教室で生徒・学生たちに話して聞かせてやるとよいような話題が豊富である。第4巻は『発想と表現』(中野道雄、池上嘉彦ほか著)であり、発想と表現の比較に始まって、表現構造の比較、擬声語・擬態語と英語、と続く。いずれも説得力があり、同講座が発刊された当時(1982年6月)の個人的感想では、特に、池上氏による「表現の構造の比較―(スル)的な言語(英語)と(ナル)的な言語(日本語)」に興味を引かれた(本稿の発展したものが『「する」と「なる」の言語学』(1981)である)。最後の第5巻は『文化と社会』(鈴木拳夫、F.C.パンほか著)であり、自称詞と他称詞の比較、呼称の社会学、会話構造の比較、待遇表現と男女差の比較、非言語行動の比較、と続く。本巻も読みやすく分かりやすい横成となっている。ALTの多い昨今であるから、本巻を通読して、英語文化圏から来た彼らの思考法や行動バターンの一端でも理解しておくことをお薦めする。安藤貞雄著『英語の論理・日本語の論理』(大修館書店、1986)も、日英両語の、音韻・文字・語彙・構文など、言語事象の対照研究から、比較文化論に及んでいて、貴重な一書である。なお、拙著『日英言語文化論考』(こびあん書房、1995)も言語と文化の関係を取り扱っていることを付言しておく。
【本稿は、大修館書店「英語教育」誌、1997年8月号に寄稿したものに、一部加筆したものである】