次は、「日本人は本当に英語が話せないのか」 と題した質問を明海大学広報課から
  インタビュー形式で受けた時の私の回答の転載です(「Meikai」紙、2000.2.1)。

I 英語学習は英語という
   
ゲームとそのルールを学ぶ感覚で







  一括して「日本人」といわれますと、私などは「すべの日本人」を連想してしまいますが、なぜすべての日本人が英語を話さなければならないのでしょう。私たちは日本にいる限り基本的に英語を話す必要はないはずです。例えば外国人に道を聞かれたときに、外国語が話せなくて苦労する。これは日本人のきまじめさ、優しさの裏返しだと思います。仕事で頼まれたわけでもないのに、見知らぬ外国人に「英語」で応えてあげようなどという親切な国民はそうはいません。
 日本人が英語が苦手だとしたら、その原因はどこにあるのでしょうか。まず、環境。一般の人々にとって、ふだんの生活で英語を使うことなどめったにありません。私たち英語の専門家でさえ、会議や打ち合わせのほとんどは日本語で済ませることができます。
 週に何時間かの授業しかなく、しかもそれらが日本人教師によって日本語で行なわれていれば、英語などの外国語はうまくなるはずがないのです。一つの言語を身に付けるにはその言語が話されている環境が必要ですし、その環境に恵まれれば、その言語は自然に身に付くものです。
 また、日本人の間違いを恐れる性向も多分に影響していると思います。これは日本語の「学習」という言葉を考えてみるといい。つまり、「学ぶ」「習う」。「学ぶ」の語源は「まねぶ」、すなわちまねをすることです。昔から日本人は聖人、あるいは師匠の言葉、教えを聞き、それをそっくりまねることによって自分のものにしてきました。このことから教科書や文法に忠実に、正確にという、知識偏重の性向ができたと思われます。ところが自動車の運転と同じように、知識はあっても体が動かなければだめなんですね。まさに習うより慣れろ、です。これまでの日本では、英語には日常性がなく、それが教養、あるいは受験の手段になってきたと思います。
 私が学生たちにいつも言っているのは Different Games, Different Rules. ということ。スポーツと同じように、競技や種目が異なれば規則も異なるのです。外国語を学ぶということは、言葉を含め、その背景となる文化をも学ぶということです。これまでの日本の英語教育はそれをなおざりにし、日本語や日本文化に根差した発想で英語を理解しようとしたためにさまざまなトラブルが起こったわけです。同様に、日本へやってくる外国人も日本文化や国民性を知らないと、とまどうことになる。そんな誤解を解くためにも、相手のルールを使って日本を知らしめることができれば最高です。そうすれば、それまで日本人の欠点と見なされてきたことが実は美徳なのだと受け取ってもらえることも多いと思います。
  国際的とか、国際人とか最近特にいわれるようになってきました。しかし、外国語ができれば国際人なのでしょうか。インターナショナルという言葉を思い浮かべてみてください。nation、すなわち国があるでしょう。自国の意識なしに国際ということはありえないのです。母国や母語をないがしろにする人はいくら英語ができても国際人とはいえません。それは単なる「英語かぶれ」だと思います。
 私が考える国際人とは、「共存共栄のための志向性を有する人」、「異なったルールに対応する異なったチャンネルをもつ人」のことですが、そうなるためには自分自身、そして自国について知ることが必要です。
 しかしながら、私は日本における英語教育が失敗であったとは思っていません。なぜなら、明治の開国以来、先人たちが欧米の文化や技術を取り入れるためにさまざまな資料や書物を翻訳して、また辞書を作りましたが、それらの質が高かったために現在何不自由なく西洋文化を取り入れた生活が遅れるようになったからです。そして私のような中学以来、普通の英語教育からスタートし、まがりなりにも英語の専門家として英語を読み書き、話す人間がいる。要は動機なんです。
 今、私が心配なのは多くの人々が自国や日本語に無関心であること。日本語に関していえば、若者の言葉を年配者が理解できないことなど、世代間でのギャップも問題です。これはコミュニケーションの場の最少単位である家庭できちんと会話が行なわれていないためではないでしょうか。むしろ英語教育に注ぐエネルギーの3分の1でもよいから母語教育に費やすべきだと思います。
 ただ、ゲームへの興味や一般性は時代とともに変化します。今までは限られた人々にだけ必要だった英語がより多くの人々にとって身近で重要になってきた以上、新たな学習方法を模索するのは当然です。これらかの英語学習は、新しいゲームを一つ覚える感覚で行なえばきっと成功すると思います。 (談)


 夕暮れの横浜ベイサイド・マリーナ