XXⅣ 「中庸」 と ‟moderation”


明治天皇に仕え、侍講(じこう)として講義を担った元田永孚(もとだ ながざね;1818年 - 1891年)には有名な漢詩「中庸(ちゅうよう)」がある。吟詠に詳しい人でこの漢詩を知らない人はいないであろう。それほど有名なものだ。元田の雅号を東野(とうや)といい、その名で「中庸」をものした。以下の通りだ。

「中庸」           
勇力男児斃勇力   勇力(ゆうりょく)の男児は勇力に斃(たお)
文明才子酔文明   文明の才子は文明に酔う
勧君須択中庸去   君に勧む須(すべか)らく中庸を択(えら)び去(ゆ)くべし   
天下萬機歸一誠   天下の万機(ばんき)は一誠(いっせい)に帰す

 中庸とは、儒教の「四書」に由来する語で、偏りなく、過不足なく、調和がよくとれている状態をいう。東野の「中庸」の意味を解すれば次のようになる。

勇気[腕力]のみに頼る男児は、結果的に自分の力で自分が倒れるものである。
また、あまりに文明にかぶれて自分の才能に溺れる者は、世の中の華美なる物事に酔ってしまい、大事を誤りがちになる。
だからあなたに勧めるのだが、右にも左にも偏(かたよ)らず、常に中道(ちゅうどう)を選んで進んで行かれたい。
世の中のことは何事においてもただただ誠心誠意に当たれば間違いはないのだ。

 日本人、とりわけ君子(くんし)は、何事においても、ここに謳われている「中庸」を大事にするように訓育されて来た。右、あるいは左と、極端に走ることが戒められ、中庸・中道を選ぶことが推奨されたということだ。英語文化にもそういう考えを支持する人は存在する。だが、moderation (中庸)という語を次のDan Millman のように捉える人のほうが多い。また、その傾向はとりわけアメリカ人に強い。

Dan Millman (1946 - )、本名 Daniel Jay Millman と言えば、映画 Peaceful Warrior (「癒しの旅」)の原作者として有名なアメリカ人であり、かつては体操選手としても大活躍した人である。1964年にはロンドンで行われたトランポリン世界大会でチャンピオンになっている。1946年生まれだと言うから、私よりも2歳若く、現在74歳ということになる(2021年現在)。彼は昨今では、 ‟motivational [inspirational] speaker”としても全米的に有名である。‟motivational [inspirational] speaker”とは「聴取者の意欲高揚[促進]を目的としたスピーチをする人」、「聴取者意欲の増進のためのスピーチができる人」ということで、単なる《スピーチ[演説]のうまい人》ということではない。あくまでもsomeone who delivers speeches with the intention of motivating or inspiring the people in the audience(聴取者たちにやる気を起こさせたり、彼らを鼓舞したりすることを意図してスピーチを行う人)である。彼は格言のような言葉を数多く生み出しているが、その中に「moderation (中庸)」に対する考え方を示したものがある。以下のとおりだ。

Moderation? It's mediocrity, fear, and confusion in disguise. It's the devil's dilemma. It's neither doing nor not doing. It's the wobbling compromise that makes no one happy. Moderation is for the bland, the apologetic, for the fence-sitters of the world afraid to take a stand. It's for those afraid to laugh or cry, for those afraid to live or die. Moderation...is lukewarm tea, the devil's own brew.
 (中庸?それは、平凡、恐れ、そして混乱の装った姿なのだ。それは、悪魔のジレンマだ。それはやることでも やらないことでもない。誰をも幸せにしない不安定な妥協案だ。中庸とは、当たり障りのない人、謝罪ばかりする人のためのものだ。立ち上がることを恐れる世界の日和見主義者たちのものだ。笑うのも泣くのも、生きるのも死ぬのも怖い人たちのためのものだ。中庸とは...ぬるま湯のお茶であり、悪魔の醸造酒である。

 日本人にもこのような考え方をする人もいるであろうが、全体的には東野が説く「中庸」の意味のほうを支持する人のほうが圧倒的に多いであろう。したがって、日本人のほとんどはDan Millmanから「中庸とは the devil's own brew (悪魔の醸造酒)だ」と言われてもピンと来ないであろう。